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初学訓 巻之一


 凡そ、人となれる者は、父母これを生めりと雖も、其の本をたづねれば、天地の生理を受けて生れる。
故に、天下の人は、皆、天地の生み給う子なれば、天地を以て大父母とす。
尚書にも、天地は萬物の父母といえり。
父母は、誠に我が父母なり。
天地は、天下萬民の大父母なり。
其の上、生れて後、父母の養いを得て生長し、君恩を受けて身を養うも、其の本を尋ねれば、皆、天地の生ずる物を用いて、食とし、衣とし、家とし、器として、身を養う故に、凡そ、人となれる者は、はじめ、天地の生理を受けて生れるのみならず、生れて後、身を終わるまで、天地の養いを受けて、身を保てり。
然れば、人は萬物に優れて、天地の極まりなき大恩を受けたり。
ここを以て、人の力てなすべき事業は、わが父母に事えて力をつくすは云うに及ばず、一生の間、常に天地に仕え奉りて、其の大恩を報じ奉らん事を思うべし。
是れなん、人となりて常に心にかくべき事にぞあるべき。


 人となるものは、常に天地に仕えて、其の大恩を報ぜん事を思い、父母に事えて、孝を行うが如く、天地に仁をつくして忘るべからず。
仁とは、心にあわれみ有りて、人物を恵むをいう。
是れ、天の恵みに随いうけて、天地につかえる道なり。
是れ、人の道とする本意にして、一生の間力むべき業なり。
怠るべからず、忘るべからず。
天に仕えて仁なると、父母に事えて、孝なるとは同じ。
仁孝一理なり。
人たる者の、必ず、知りて行うべき理、これより大なるはなく、又、是れより、急なるはなし。
すべて、人は、父母の家に居ては、父母に専らに孝をつくし、君に仕えては、君に専らに忠を盡すべきが如く、天地の中に在りては、天地に仕え奉りて、仁を盡すべし。
人となる者、若し、かかる大事を知らで、徒に日を送り、世を過さば、一生を虚しくして人となれるかいなかるべし。
人となれる者、是れを知らざらんや。
是れ則ち、人の道とする所なり。
此の外に、もし、道ありといわば、誠の道にあらず。


 天に仕えて怠らずとは、人となる者、只、朝夕、天道の眼前にありて遠からざることを思い、常に天道を畏れ敬いて侮らず、假にも、天道を叛き、無道の事をなすべからず。
天道に随いて背かず、我が身を謙りて、人を侮り誇らず、欲をこらえて恣にせず、天地の生みて慈しみ給う人倫を、厚く憐みて、侮らず、損わず、天地の、人の為につくり出し給う五穀と、萬の寶を、我が一人の欲のために、妄りに費やさず。
次に、鳥獣蟲魚の生ける物を妄りに殺さず、草木をも、時ならずして、妄りに伐らず。
是れ皆、天地の生み出し養いて、慈しみ給う物なれば、これを憐れみ養うは、天地の御心に随て叛かざるわざなり。
斯の如く萬物を憐れむを、仁という。
仁とは、憐れみの心なり。
是れ、天地の御心にしたがいて、天地につかえ奉る道なり。
人倫の内、親を親しみ、次に、萬民を憐れみ、次に、鳥獣、凡そ、生ける物を損わず。
是れ、天地の御心にしたがいて、仁を行う序なり。
親を愛せずして、他人を愛し、人を愛せずして、鳥獣を愛するは、不仁なり。


 凡そ、人は天地の恵みを受けて生れ、天地の心を受けて心とし、天地の養いを得て身を養う。
かかる天地の大恩をうけて、天地の内に住みながら、天地の我に與え給える、心の徳を捨てて保たず。
天地の道に背きて行わず、其の上、天地の、子として憐れみ給える人倫と、次には、鳥獣をそこない苦しめて、不仁なるは、天地の御心に叛きて、罪深し。
是れ、天地の悪み給う所なり。
天道は畏るべし。
侮りて、乖くべからず。


 人として、天を畏れず。
人を憐れまず。
悪、これより大なるはなし。
悪を行えば、天のにくみ給う所、天の譴のがれがたし。
即時に禍あると、後に禍来るとのかわりはあれども、悪をなして禍なきの理なし。
又、天地の御心に従いて背かざる人は、天地の恵みありて、必ず、福あり。
もしくは、其の福早く来たらざれども、後必ず、福ありて禍なし。
もし、我が身に福なければ、必ず、子孫にいたりて福あり。
是れ、必然の理なり。
古の聖人の教え明らかなり。
聖人の言おそるべし、信ずべし、疑うべからず。
古を引くにも及ばず、近世にも、此のためし多し。


 天地の生ずる所、人を貴しとす。
是れ、仁義禮智の五常の性をうけて、人倫の道あり。
是れ、人の萬物にすぐれて尊き所なり。
此の五常を失うべからず。
これを失えば、天地に背きて、人にあらず。
その上、人は天地の生ずる五穀のよき味、鳥獣魚介のうまき肉を食らいて、身を養い、布帛を暖かに着、家に居て風寒暑湿を防ぎて、身をやすんず。
衣食家居の養いは、父母主君の恩によれりといえども、其の本は、皆、天地の生じ出だせるたまものなり。
されば、人は、斯の如く、天地の極まりなき御恵みを受けること、萬物にすぐれたり。
かかる大恩を受けて知らざるは、むげに愚かなり。
天恩を忘れて、人と、かく生れたる身の貴き理を徒になすは、口おし。


 凡そ、人は恩を知るべし。
恩を知るを以て人とす。
恩を知らざれば、鳥獣に同じ。
君に忠し、親に孝するも、君父の恩を報ずる道なり。
此の故に、恩を知れる人は、必ず、親に孝あり、君に忠あり。
恩を知らざる人は、忠孝なし。
忠孝なければ、人たるの道を失う。
況や、人として、天地の大恩を忘れるは、天地のために、不孝の子なり、人道の本意を失えり。


 凡そ、天地のうめる所の萬物、皆是れ、天地の氣を受けたりといえども、其の中につきて、人ばかり貴きものなし。
いかんとなれば、人は、仁義禮智信の五常の性あり。
是れ、天地の心を受けて、本性とするなり。
此の身、五倫に交わり、生れつきたる五常の本性のままに順えば、五倫の道行わる。
是れまづ、人の貴き大本なり。
其の上、目に五色をわかち、耳に五音をわきまえ、口に五味を知り、鼻に五臭をかぐ。
書を讀み、古を学んでは、天地人の道をさとり、萬物の理に通じ、古今天下の事を知る。
是れ、人の萬物にすぐれて、いと貴き所なり。
故に、尚書に、人は萬物の靈といえり。
靈とは、すぐれて明らかなる靈あるをいう。
人は、全く、天地の御心を受けて心とせり。
此の故に、其の心靈なり。


 天地の心とは、人と萬物を生み養い給う御恵みの道をいう。
其の理、天地開けしより後、萬世までにかわらず。
一年につきていわば、年々に、春は生じ、夏は長じ、秋は収めて、冬は隠す。
此の四時にめぐり行われる道を、天道という。
是れ、天地の、萬物を生ずる恵みの生理なり。
此の四時に行われる道の名目を、元亨利貞という。
是れ、四時の理なり。
是れを天地の道とす。
天は地を兼ねる故に、すべてこれを天道という。
仁とは、天地の萬物を生じ養い給うあわれ恵みの理を、人の心にうけて、生れつきたるをいう。
仁を行うの道は、先づ、天地の生みて子として愛し給える人倫を、厚く慈しむにあり。
人倫を厚くするの道は、先づ、父母に孝をつくすを本とし、主君に仕えて忠をつくし、親戚をしたしみ、家人をあわれみ、民をめぐみ、朋友に信あり。
次に、萬民をあわれむ。
是れ、人倫を厚くするなり。
次には、鳥獣蟲魚を愛し、次に、草木を愛す。
人倫は、わが同類なり。
天地の、いと厚く憐れみ給う物なる故、我も亦、天地の御心に従いて、人倫を厚く憐れむべし。
次に、鳥獣蟲魚草木も、皆、天地のうみ給える物なれば、わが同類にはあらざれども、すでに、人倫を愛して後、是れをあわれむも、亦、天地の御恵みに従いて、天地につかえ奉る道なり。
すべて、斯の如く、人倫と萬物に情け深きを、仁という。
仁とは、人と物とを、あわれみめぐむ善心をいえり。
天地につかえ奉りて、人の道とする理は、仁の外には出でず。
仁は、義禮智をかねて、其の内にあり。


 凡そ、天地につかえ奉る道は、人倫と萬物とを愛するにあり。
其の故いかんぞや。
天地、其のうめる所を愛し給うこと、人の親の、子を憐れむが如し。
人倫と萬物は、天地のうみて愛し給う所なれば、是れを愛するは、即ち、天地の御心にしたがいて、天地につかえ奉る道なり。
故に、天地の恩を報ぜんと思わば、先づ、わが心に、天地よりうけたる仁を保ちて、其の心にしたがいて、五倫をあつく愛し、次に、萬物を愛すべし。
是れ、即ち、天地につかえ奉りて、其の恩を報ずる道なり、人の道の本意とすること、此の外に、さらにあるべからず。
人となれる者、つとめて、これをしりて行うべし。

十一
 易に、天地の大徳を生というといえり。
生とは、天地の萬物を生じて、めぐみ給う理をいう。
さきにいえる、天地の御心是れなり。
天地に在りては、生といい、人の心に在りては、仁という。
天にあり、人にありて、其の名はかわれども、其の理は一なり。

十二
 天地の大徳をうけて、人の心に生れつきたる徳を、名づけて、仁という。
徳とは、生れつきて、我が物にし得たる善をいう。
仁は、即ち、人の心に備われる、憐れみ恵みの徳なり。
是れ、人となれる者の、天にうけたる性なり。
此の心を失わずして、人を憐れみ、物を恵むをいう。
此の理をうまれつきたるを、性という。
此の心を失わざるは、天地に従いて仕え奉る道なり。
もし、此の心を失えば、即ち、天地の御心に背きて、人の道を失うなり。

十三
 仁は、心の徳の惣名にして、物をあわれむ理なり。
仁をわかてば、仁義となる。
義は、宜しきなり。
宜しとは、萬事に相應じて、各々、よき程に行うをいう。
すべて、人倫萬物をあわれむは仁なり。
是れ、理一なり。
親、兄弟、夫婦、親戚、家人等、其の外萬民をあわれむに、其の親しき疎き、高き低きにつきて、軽重のわかちありて、各々、其の人に相應じて宜しきを、義という。
斯の如く、物によりて宜しきことかわれるは、分殊なり。
理一と分殊との分を知るべし。
仁義のわかち、其の字義かくの如し。

十四
 天地に陰陽あり。
春夏は陽なり。
秋冬は陰なり。
人心に仁義あるは、天地に陰陽あるが如し。
天道は、陰陽にて立つ。
人道は、仁義にて行わる。
易にも、天の道を立てて、陰と陽と云い、人の道を立てて、仁と義という、といえり。
孟子に、仁は人の心なり。
義は人の道なりといえり。
仁は人の生れつきたる心なり。
仁なければ、人の心を失う。
義は人の行うべき道なり。
義なければ、人の道を失う。

十五
 仁義を、又、細に分てば、仁より禮出で、義より智わかれて、仁義禮智の四徳となる。
一年を分てば、陰陽となり、陰陽を分てば、春夏秋冬の四徳となるが如し。
禮とは、敬いの心、仁の憐れみより起り、智とは、心明かにして、よく善悪を知るをいう。
義の宜しくするよりわかれたり。
しかれば、仁義を以て五常をかね、又、仁を以て義を兼ねたり。

十六
 仁義禮智の、眞實にして偽りなき理を信という。
信はまことなり。
まことなければ、仁義禮智も偽りとなり、萬の善も、皆、あだことなり。
仁義禮智の四徳に、信をくわえて五常とす。
又、五性という。
性とは、心に生まれつきたる理なり。
此の五性は、萬世まで、人に生れつきて、かわらざる理なれば、五常という。
百行萬善、皆、五常より出づ。
五常を以て、萬善をかねたり。
人の心とするは、此の五にあり。
此の外に心を求めるは、天地聖人の道にあらず。

十七
 天道は、元亨利貞の四徳なり。
元は、はじまるなり、春の徳なり。
亨は、とおるなり、夏の徳なり。
利は、とぐるなり、秋の徳なり。
貞は、正しきなり、冬の徳なり。
又、春夏秋冬の理なり。
此の道、古今にかわらず。
春は、あたたかに、夏は、あつく、秋すずしく、冬さむきも、春は草木生じ、夏はしげり、秋はおさまり実り、冬はひそまりかくれるも、古今年毎に、常にしてかわらず。
皆是れ、天道の誠なり。
誠なければ常なし。
人の心に信あるは、天道に誠あるが如し。
信ありて、仁義禮智の徳、實にして行わる。

十八
 天地につかえて仁を行うを、仁人という。
父母につかえて孝を行うを、孝子という。
父母につかえては、孝子となるべし。
天地につかえては、仁人となるべし。
不孝の子、不仁の人となるべからず。
不仁の人、不孝の子、是れ、天地の間の大なる罪人なり。
もし、わざわいなくして、世にたてらば、是れ、幸いにして免れたるなり。

十九
 凡そ、人は、天地のうめる人倫と萬物とを愛して、そこなうべからず。
中につきて、人は、我と一類にて、同じく天地の子なれば、人倫の内、親疎ありといえども、其の本をたずねれば、天地の間の人は、皆、我が兄弟なり。
此の故に、萬物の内にて、とりわき、人倫を厚くするは、天地のうめる子を愛して、天地に事え奉る道なり。
天地のうみ給える人を愛すれば、天地の御心よろこび給うこと、人の子を愛すれば、其の父母よろこぶが如し。
是れ、天地につかえる孝の道なり。
其の上、兄弟をしたしむ理なり。
天地を父母とすれば、天下の人倫は、皆、わが兄弟なり。

二十
 人は、天地の性をうけて、心に天理を生れつきたれば、其の本性は、もとより善なり。
萬物にすぐれ、禽獣にかわれる所、ここにあり。
しかれども、食に飽き、衣を暖かに着、居所を逸くしたるまでにて、人の道を知らざれば、禽獣に近し。
禽獣も、飲みくらい、身をやすくすることは、人にかわらず。
人と禽獣のかわりは、只、天地の性にしたがいて、道を行うと行わざるとにあり。
古の聖人、人の教えなく、道を知らずして、禽獣に近き事を憂い給いて、学問所をたて、師を立て、天下の人の、人倫の道を教えさせ給う。
しかれば、人となるものは、必ず、聖人の教えにしたがいて、学問をつとめ、人の道を知りて行うべし。
人の道とは、人倫をあつくする道なり。
聖人の教えは、人倫の道を明かにし給う教えなり。
学者の学ぶ所も、同じく人倫を明かにせんためなり。
此の外に、人の心法なく、人の道なしと知るべし。

二十一
 人倫に五あり。
一には父子、二には君臣、三には夫婦、四には長幼、五には朋友なり。
是れを五倫と名づく。
倫は、類なり。
天下に人多しとはいえども、皆、此の五倫にこもれり。
叔父叔母などは、親にたぐいし、甥姪の輩は、子に類し、貴人尊者は、君に類し、萬民の、我よりいやしき輩は、すべて臣に類し、兄弟従兄弟は、長幼の内にあり。
等輩の人は、朋友に類し、道を傳える師は、君父に等しい。
是れ、五倫を以て、天下の人をかねたり。
五倫の道とは、孟子に曰く、父子に親有り、君臣に義有り、夫婦に別有り、長幼に序有り、朋友に信有り、これなり。
父は子を愛するに、義理の教えを以てし、子は孝を行うに、其の力をつくし、君は臣をあわれみ、臣は身をわすれて忠をつくし、夫は婦に義あり、婦は夫に従い事え、長は幼を愛し、幼は長者に従い、朋友は互いに信ありて善をすすめ悪をいさめ、相たすけて頼しげあるべし。
是れ、五倫の道なり。
人の道として行うべき事、此の外にさらになし。
此の外に道を求むるは、天地聖人の道にあらず。

二十二
 凡そ、人の道とする所は、天地より生れつきたる、五常の性を失わず、其の五性にしたがいて、五倫の道を厚く行うにあり。
五常を保ちて失わざるは、徳を保ちて心をおさめる理なり。
五倫を愛しみて厚くするは、行いを力て身を修める道なり。
心の徳をおさめ、身の行いを厚くするは、是れ、即ち、人の道にして、天地につかえ奉る孝なり。

二十三
 天道より、我が心に生れつきたる理を、性という。
仁義禮智信の五性、是れなり。
これを五常という。
五倫に交わる時、此の五常の、生れつきの善なるままに随いて行い、少しも人欲の私を以て妨げざるを道という。
道とは、日々、人の行き通うべき條理ある道路の如し。
故に、其の名を借りて、道という。
我が生れつきたる自然の理の、行うべき大道をば行なわずして、人欲にしたがいて、私を行うは、たとえば、定まりて行くべき大道をば行かずして、ほりがけを通り、いばらからたちの中をわけ行くが如し。
中庸に、性にしたがうを道というとは、性とは、人の心に生れきたる五性をいう。
仁の性にしたがえば、父子を親しみ、臣民をいつくしみ、萬物を愛する、皆是れ、仁の道なり。
義の性にしたがえば、君につかえて、忠を盡し、身を忘れ、老人を敬い、賢人を尊び、利を好まず、財を貪らず、行うべきすぢめの宜しきを失わざるは、皆是れ、義の道なり。
禮の性にしたがえば、長幼貴賎のまじわりに次第あり、貴人と老いたるを敬い、賤しきと少きを侮らず、萬の作法正しく、則を失わざるは、皆是れ、禮の道なり。
智の性にしたがえば、夫婦の別正しく、人の善悪と、萬事の邪正をよく知り辨える類、皆是れ、智の道なり。
信の性にしたがえば、朋友のまじわり偽りなく、萬の事まことあり、始終ありて、約束たがわざる、皆是れ、信の道なり。
此の五性にしたがいて、五倫を行うを道という。
中庸に、性にしたがうを道というは、これなり。

二十四
 五倫の道は、父母につかえて、孝を行うを以て本とす。
わが身は、父母よりうけたれば、父母は、わが身の本なり。
其の上、わが生れし初より、父母の養育によりて人となれり。
生ると、育われると、二の恩あり。
其の恩の深く大にして、窮まりなき事、山よりも高く、海よりも深くして、譬をとるに物なし。
天地の、我をうみ、我を養えるに等しい。
この故に孝を以て、仁を行うの本とし、人倫の道の初とす。
聖人の道は、五倫の道を厚く行うを以てむねとす。
中につきて、父母に孝をつくすを、五倫の初とし、百行の本とす。
故に、古の君子は、孝において、尤あつく行えり。
よろず才行うるわしくとも、孝に疎かなれば、其の餘は見るに足らず。
故に、人の子たる者は、まづ、父母につかえる道を早くまなびて知るべし。
孝の道にうときは、愚なることの至なり。

二十五
 父母につかえるに、敬愛の二の心法あり。
此の二は、孝子の心とする所なり。
人の子たる者、必ず、これを知るべし。
愛は、いつくしむとよむ。
親をいとおしむなり。
敬は、うやまうとよむ。
謹みて親をうやまい畏れるをいう。
愛なければ、父母にうとくおろそかにして、情うすし。
敬なければ、父母を侮り軽しめておこたる。
愛のみにて敬なければ、犬馬を養うに同じ。
敬すぎて愛少なければ、父子の間隔りうとくなりて、他人の如し。
父母の心楽しまず。
此の故に、愛敬二ながら至らざれば、孝にあらず。
愛敬の心を以て、よく親を養うを孝とす。
二の者、鳥の両翼のごとく、車の両輪のごとし。
一を缺くべからず。

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