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大和俗訓 巻之二 爲学下



  小学の教えは、小子の学ぶ所、小なる学問なり。
いにしえ八歳になれば、高きと卑しきと、凡そ、天下の人の子となり弟となれる者、師の教えを受けて学べり。
これ、小学なり。
其の教えは、父母に孝し、兄長を敬い、君上に仕え、賓客に對する道、或は、座敷を掃き、飲食を具え、尊者の前に進み、退き、應え答えをする禮を教え、又、日用の禮・楽・射・御・書・数の六藝の業を教え、是れを以て、幼き時より、其の心を養い、年長じて、大学の道を学ぶ基とせり。
凡て、小学は、業を教えるなり。



 大学とは、十五歳以上成人の学ぶ所、身を治め人を治める大なる道理の学問なり。
天下廣しと雖も、己と人より外なる物なし。
己を修め人を治める道を学ぶは、大なる学問なれば、大学という。
明徳を明らかにするは、己を治めるなり。
民を新たにするは、人を治めるなり。
至善に止まるは、明徳を明らかにし、民を新たにするに、皆、至極の善に到りて止まるべしとなり。
故に明徳新民の外に至善に止まるあるにはあらず。
右の三網領は、大学の大要なり。
此の三に到る工夫の條目八あり。
八條目は、三網領の内の細なる工夫なり。
格物致知は、事物の理を極めしりて、知を開く道なり。
誠意より天下は、皆、力行の道なり。
就中、誠意・正心・修身は、ともに身を修める道なり。
齊家知國平天下は、人を治める道なり。
凡そ、大学は理を教えるなり。



 大学に、格物致知を以て、道理を明かにしるを、身を修め、人を治める勤めの初めとす。
格物とは、萬事・萬物の道理に窮め到るを云い、致知とは、わが心の知を極めて、明かにするなり。
格物の次第は、まづ、五常五倫の道、身を治め家を齊える、間近き事よりして、次第を以て、ようやく國家天下を治める理に窮め至る。
是れ、格物なり。
かくの如く、萬事・萬物につきて、理を極めれば、わが心の知おのづから明かになる。
是れ、致知なり。
故に、格物の外に、致知の工夫なし。
是れ、大学の勤めのはじめなり。
其の次は、誠意にあり。
意とは、心のはじめておこる所の苗なり。
心の體は、静かにして、善悪未だあらわれず。
其の初めて動く時、善悪もあらわる。
意の起る時に、好むと悪むとの二あり。
悪むとは、嫌うなり。
此の時、善を好み悪を嫌うこと、眞實にして偽りなきを、誠意という。
たとえば、善を好むことは、好色を好むが如くにし、悪を憎むことは、悪臭を嫌うが如くに、眞實なるべし。
是れ、力め行なう初めなり。
善を好み、悪を嫌うこと、眞實ならざれば、本たたずして、萬の道行なわれず。
故に、此の後心正しく身を修め家を齊え、天下を國を平にするの工夫も、皆、是れを以て初めとす。
されば、大学の八條目は、格物と誠を以て要とす。
格物は、知のはじめなり。
誠意は、行いのはじめなり。
格物なくして萬の理を極めざれば、智明かなからずして、善悪を分かちがたければ、迷いて悟らず、夢の未だ醒めざるが如し。
誠意なくして、善を好み悪を嫌う。
意、誠ならざれば、道を行なうべき基なくして、未だ善人とはいいがたし。
故に、此の二を以て、致知力行の初めとすること、宜ならずや。



  凡そ、人には、必ず、生れつきたる良智ありて、いかなる愚者も、善悪を少しは辨えしれり。
其の上、学問して理を極め、其の智ようやく開けぬれば、善を善とし、悪を悪とする心、いよいよ、明かになりぬ。
されども、善を好み悪を嫌うに、誠なければ、善行われず。
悪去らずして、生れつきたる良智の寶も、学問して知れる所も、皆、無用となりぬ。
此の故に、学者道を行わ、んと思わば、まづ善を好み悪を嫌うに誠あるべし。
故に、誠意の工夫、最も切なり。



 学問の要、二あり。
いまだ知らざる時は、知らんことを求め、既にしれらば、行うべし。
知らざれば、行いがたし。
行わざれば知らざるに同じく、無用の事となりぬ。
ここを以て、学問の道は、只、知と行いとの二にあり。
又、萬巻の書を讀むとも、道を知らず行わざれば、讀まざるに同じ。
是れ、道に志なければなり。
ここを以て、大学の道、まづ、格物致知して、事物の理をきわめ、わが知をひらき、さて、知れる所の善をこのみ、悪をきらう心實にして、知れる所を行う。
是れ誠意なり。
知ること至らざれば、萬事の善悪辨えがたし。
意誠ならざれば、善をなし悪を去ること實ならずして道行われず。
此の二は大学の道の要にして、知行の工夫なり。



  博学にして經書に通じ、義理を説く人も、其の心術・行迹悪しくして、俗人に劣れるものあり。
是れ、道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。
口に讀み習い、目に見覚えても、其の理を心に得ざれば益なし。
たとえば、美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲み食わざれば、食に飽くこともなく、酒に酔うこともなきが如し。
書を讀んで、行い悪しき人あるを疑う人あり。
これを以て、疑いをはらすべし。
書を讀みても、道に志なくば、文字を知れるのみにて、心に於て益なし。
是れ、無用の学なり。
ここを以て、学をするには、まづ、志を本とすべし。



   朝は師に学び、昼は、朝学びたる事を力め習い、夕は、これをいよいよ重ね、夜は、一日の間の誤りを考えて、過ちなければ、夜を安く寝ぬべし。
もし、過ちあらば、悔い恥じて、来る日の戒めとすべし。
是れ、國語にいえる所、学問の法とすべし。



  いまだ書を讀まざる人の為にいわば、此の道を行わんと、志を立てることは誠に第一なるべし。
されど、經書をはじめとして、ひろく古の書を讀まざれば、聖人の教えをしらず、道にくらく、言うこと行うこと、僻事のみぞあるべき。
又、古来歴代の事をしらでは、今日の鑑とすべきようなし。
ここを以て、力めて、朝夕書をよみ、古を考えるべし。
いかに生れつきたる才ありとも、稽古なくては、己と道をしり、古今天下の變をしるべからず。
もし又、すでに書を讀める人の為にいわば、学問は、只、我が身の誤りを改ため、善にうつりて、身を修める工夫を専一にすべし。
書をひろくよみ、古今天下のことに通ずとも、もし我が身の過ちを改めず、善を行わずば、徒事なり。
しかれば、学問は、まづ、志を立て、身に行うを第一とすべし。
書をよむはこれ、第二義なり。



  学問の道は、師を尊ぶにあり。
師尊くして、道尊ぶべし。
道尊くして、民道を敬う。
故に、君として位高しといえども、師をば、臣として卑しめず。
古、大学にしては、天子に教えるにも、北面せず。
師を尊べばなり。



  此の道理の天下にある處は、まづ、吾が心を本とす。
人に交われば、君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の間、行うべき道あり。
又、我が身の萬のわざに、みな一の道理ありて、暫時も此の道を離れがたし。
凡夫と雖も此の行うべき道理の具わること、聖賢と變らず。
又、いかなる愚人も、善を好み、悪を憎む心あり、生れつきたる良智ありて、此の道のかたはしを、少しは知りて、日々用い行う。
しからざれば、一日も、世に立つことかたし。
君父に背き、亂逆をなし、人と争い、人を冒し掠め、非法を行いては、暫くも世に立つべからず。
されども、凡夫は、此の道を能く知り、能く行うことかたし。
故に、古の聖人世に出で給いて、教えをたてて、道理を明かにして、これを書にあらわし給う。
天下の事、大小・精粗・萬事の道理、一として聖賢の書に明かに備わらざることなし。
たとえば日月の天に冲して、萬物のかたち分明なるは、凡そ、目あるものの是れを見ざることなきが如し。
其の書をよむものは、必ず、其の道をあきらめ、其の理を我が心に保ち、身に行いて、人倫に交り、萬事を勤め、人民を治める。
かくの如くにして、人の職分を盡して、天地の間に立つべし。
若し、此の如くならざれば、人たるの道を失い、人の職分缺け、天地の理に背けり。
凡そ、物皆職分あり。
天地は、物を生じ養うを心とし給い、天は葢い、地は載する、これ、天地の職分なり。
萬物の微細なるも、皆各々職分あり。
雞の晨をつくり、犬の夜を守るの類、みな、其の物に生れ得たる業を勤めるを以て、其の物の職分を行うとす。
人は、萬物の霊なり。
其の心本明かに、萬理備われり。
若し、人として、身に備わりたる理を行わずは、人の職分を空しくするとゆうべし。
人を以て鳥獣にだも如かざるべけんや。


十一
 書を讀む人は、まづ、其の学問の筋を正しくし、又、心術を正しくすべし。
学問も心法も、一筋に、天地聖人の道にしたがいて、一點も邪をまじえずして、純一なるべし。
聖人の道を好むとも、其の間に、又、少しにても、聖人の道に似ざる所あらば、純一なりといいがたし。
学純一なれば、其の心法も邪なくして正し。
心法正しければ、行事にあらわし發するも皆正し。
たとえば道を行く人の、まづ道の筋を尋ね知るが如し。
道の筋を知らずして、ただ行くことのみ努めば、たとえば都にある人、奥州に行かんとて、まづ、淀山崎へ向い行くが如し。
いよいよ力め行くほど、いよいよ奥州には遠ざかるべし。
是れ、只、道を急ぐ事を知りて、道を誤る事を知らざるなり。


十二
  孔子曰く、幼成は天性の如く、習慣は自然の如し。
とは、幼少より習いて成就したる事は、天性に生れつきたるが如くなり。
又、久しく習い慣れて染みぬることは、善きも悪しきも、努めずして、自然に良くするが如し、となり。
善悪ともに、性に出でたるよりも、習うより出づること多し。
然れば、習い慣れること、善悪を擇び愼むべし。
習いて慣れぬることは、生れつきたる自然の如し。
学問をするも、善に習い慣れるわざなり。
人の悪をするも、必ず生れつきてするのみにはあらず、悪人に習いてすること多し。
故に、孔子も性は相近し、習えば相遠し、とのたまえり。


十三
 凡そ、人の不孝不忠、もろもろの悪を行い、慾を擅にし、身を滅ぼし、家を滅ぼすに至るは、何にかよれるや、知なければなり。
又、善を行いて、家をおこし、身を保ち、誉を得るは、何の故ぞや。
知あればなり。
知あれば、よく善悪を知る。
善のなすべきことを知りて行い、悪のなすまじきことを知りて行わず。
此の故に、知は身の内の大なる寶なり。
学者道に志さば、知を求むるを第一とすべし。
知を開くことは、学問の功にあらずんば、成りがたし。


十四
 程子の曰く、人の不善をするは、只、知らずとす。
言う意は、世人の悪をするは、悪のすさまじき理を知らざればなり。
よく知れらば、などか、人の為、わが為、悪しき僻事をば、行うべき。
例えば、赤子の、腹這いて井戸に入らんとするは、赤子の科にあらず、いまだ知あらずして、井戸に入れば死ぬる事を知らざればなり。
世の人の悪をすること、亦、かくの如し。
愍むべし。
故に、学問して知を開き、道を知る事を力めるは、人間の一大事なり。


十五
  学問は、其のはじめを愼んで、其の術を擇ぶべし。
もし、其のはじめ、学術正しからず、一たび誤りて、悪しき方に踏み迷えば、其のあやまりに慣らいて、改めてよき道に立ち返りがたく、身を終わるまで、僻事に迷えることを知らず、かえりて、正しき道を嫌い誹る。
天地の道に背き、人の道を失い、一生の間、迷いて悟らず、悲しむべし。
学問せんと思わば、必ず、まづ、名師良友にしたがいて、学問を擇ぶべし。
是れ、はじめを愼むなり。
易緯に、君子は、始めを愼む、もし違うこと毫釐なれば、誤るに、千里を以てす、といえり。
はじめの違いは少なれど、後の誤りは、千里の遠きに至る。
其のはじめ、学術を擇ぶこと、豈、愼まざらんや。


十六
  千里の道も、一歩よりはじまる。
たとえば、遠き所に行くに、出でたつ足下よりはじまりて、力めて行きて已まざれば、届かざることなし。
学んで道に至るも、又、かくの如くなるべし。
志を立てて道を学び、努め行ないて止まず、久しく年を積めば、などか、其の巧を成して、遠大に到らざらん。
例えば、商人の一銭を惜しみ、積み重ねて、久しく年ふれば、大なる富人となるが如し。


十七
  聞見の智あり、眞智あり。
聞見の智は、書を讀み人に聞きて知るを云う。
是れ、知ること浅し。
眞智とは、聞見の智によりて、わが心に、道理を眞に知るをいう。
是れ、知ること深し。
学問は、まづ、聞見の智より入るべし。
書を讀み道を聞かざれば、眞に知るべきようなし。
聞き見たるまでにとどまりて、眞に知らざるは、道を知るにあらず。
眞にしれば、よく行う。
知りても行わざるは、未だ眞に知らざるなり。
故に、学者は、聞見の智を初めとして、後には、眞智を求むべし。
聞見の学に止まるべからず。


十八
  書を讀み学問すれば、聞見の智は、日々に進む。
されども、知ることを行わざれば、徳行は、日々に後れて前まず。
行わざれば、其の知れる所の眞智にあらず。
故に、今の学者は、其の学ぶ所と行う所と、大に背けり。
是れ、己が為に学ばざればなり。
学者、まづ、誠の志を本とし、聞見の智より入りて、知れる事を行い、眞智に至るべし。


十九
  学問の道は、心を空しくし、へりくだり、能く知れることをも知らざるが如くにし、能く行う事をも行わざるが如くにし、我が才と行いとに誇らず、我が智を先だてずして、人に問い、人の諫めを聞き用い、我が過ちを改めて善に移るべし。
かくの如くすれば、学問の益あり。
善に進むこと極りなし。
もし、自ら誇り、我を是とし、人を非とし、人の諫めを防ぎ、我が過ちを聞く事を嫌わば、才学の長ずるに隨いて、其の心悪しくなりて、学問の益なきのみならず、かえりて、害となるべし。
是れ、己が為にせずして、人の為にする故、君子儒とならずして、小人儒となるなり。
かくの如くならんは、学ばざるに劣れり。


二十
  学問に、有用の学あり。無用の学あり。
我が儒の学は、有用の学なり。
有用の学とは、学問をすれば、わが為、人の為、益となるを云う。
此の故に、学問の道は、有用の学をすべし、無用の学をすべからず。
有用の学は、身を修めて、人倫の道を篤く行い、ことに、忠孝を勤め、善をなして人を助け救うにあり。
貧賤なる者も、善を行う志だにあれば、人を救うこと多し。
況や、富貴の人は、その力によりて、其の施し博し。
故に、富貴の人の学は、我が身を修めるのみならず、仁愛の心を本とし、人を助け救う事を、専つとめ行うべし。
是れ、皆、有用の学なり。
もし、口に高き事を説き、心に潔きことを好み、身に艱苦なる事を行うとも、仁義の心を求めず、人倫の道を行わず、善をなして、人に益ある事なくば、無用の学なるべし。
又、詩文を作り、心を苦しめ、多く隙を費やし、巧にかざりて、人に賞められんことを求めて、日用人倫の道に志なきは、益もなき徒事なり。
皆是れ、無用の学なり。


二十一
  揚子曰く、学者所以求為君子也。
言う意は、学問をするは、何の為ぞや、君子とならんが為なり。
君子とは、徳有る人を云う。
君子の字義は、易の正義に、人の君となりて、萬民を子の如くする徳ある人をいえり。
卑しくして下にありても、其の徳あれば、君子と稱す。
君子となるとは、人となるなり。
学ばざる人は云うに足らず。
学んでも君子とならずんば、学ばざるに同じくして、人と生れたるかいなし。
君子となる事、容易からず。
しかれども、志を立て怠らずんば、必ず、其の功あるべし。
古語にも、志あるものは、其の事遂に成るといえり。
学は、身を終わるの事なり。
一息も未だ残れる内は、此の志しを怠るべからず。
是れ、人の一生の間の勤めなり。


二十二
  凡そ、人聖人にあらざれば、必ず、悪しき生れつきの癖あり。
是れ、気質の偏なり。
故に、身を修める道は、他なし。
ただ、我が気質の悪しき所を自ら察し、人に言わせて聞き、其の偏なる悪しき所に勝ちて、改め去るべし。
かくの如くせずして、生れつきて偏なる所に任せぬれば、心正しからずして、身修まらず。
書を讀み学問し、道を好み行うと思うも、皆、我が気質の偏なることを行う。
故に、徒事となる。
気質の偏の害となること、例えば、田を作るに、莠あるが如し。
苗を植えて、水をそそぎ肥しても、莠を去らざれば、苗長ぜず。
水と肥との養いも、皆、莠の為になりて、徒事なり。
故にわが気質の悪しき所を知りて改める事、これ、学問する人の、専ら勤むべきことなり。
学者、必ず、ここに常に心を用いるべし。
凡そ、人の誤り悪しきことは、皆、その生れつきの偏なる癖より起る。
此を以て、学者は、必ず、気質を變化して、過ちを改むべし。
是れ、学問の要なり。
我が気質の偏悪と、我が過ちとを自ら知る人稀なり。
省みて察し知るべし。
正直にして、過ち告げる益友を求め、忠臣を近づけて、諌めを聞き用いるべし。
碁をうつ人は、手見えず。
傍より見る人は、眼よく見えるが如し。


二十三
  君子は、気質の偏悪なし。
無病の人なり。
衆人は、皆、気質の偏なる病ある故、過ちのみ多し。
皆、病人なり。
其の病を去りて、君子にいたるべし。
病を其のままおきて、其の悪を長ずべからず。
病を去らんと思わば、名師・良友にあいて、其の教えを受け、其の気質の悪しきを改むべし。
たとえば、病人の、良醫にあいて、其の病を癒すが如し。
病人は、醫を招きて、薬を服せざれば、無病の人となりがたし。
衆人に気質の病あるも亦しかり。
良友にあい、又、自らせめて、其の気質の病を改め去らずんば、君子とはなりがたかるべし。
朋友の、我が過ちを正すを嫌い、臣下の諫めを防ぐは、病人の、醫を嫌いて、薬を用いず、病死すれども悟らざるが如し。
悲しむべし。


二十四
  古語に曰く、人生の至楽、書を讀に如無、至要を教えるに如無子。
又、古人の詩に曰く、至れる哉天下の楽、終日几案に在。
書を讀むの楽み、至れるかな。
富貴ならずして、其の楽しみ大なり。
酒色ならずして、其の楽しみ深し。
山林ならずして、其の楽しみ静かなり。
古語に、書を讀むこと一巻なれば、一巻の益あり。
書を讀むこと一日なれば、一日の益ありといえり。
又、人の神智をますこと、書を讀むに如くはなしといえり。
富貴にして書を好む人は、其の楽しみひろし。
貧賤にして書を好む人は、其の楽しみ深し。
次に、子を教えて、我が志を継がしむべし。
是れ、肝要のことなり。
子を教えずして、道を知らしめざるは、父の誤りなり。
不仁と云うべし。


二十五
 疑いを人に問うは、智を求める道なり。
自ら心に道理を思うは、智をひらく本なり。
問うは、智を人に求めるなり。
思うは、智をわれに求めるなり。
人に問わざれば、知ること狭くして、心に迷い解けず。
自ら思わざれば、見聞くこと廣しといえども、道理をわが心に深く自得せず。
此の故に、問うと思うとの二は、理を極め智を明かにする道にして、学の要なり。


二十六
 道に志なき人は、云うにい足らず。
たとえ、道に志ありて、博く学ぶとも、学びよう悪しければ、一生道を知らず。
或は、道学を好めども、文句に拘りて、義理に通ぜず。
是れを訓詁の学と云う。
其の人は、自ら道学をすと思い、自ら是とし人に誇れども、訓詁の学なることを知らず。
又、道学の名を貪り好みて、其の實なき人あり。
只、道学の實を好むべし。
道学の名を好むは、不實にして、益なし。
又、古訓を学ばず、聖人の法に隨はずして、偏に、我が心に求める学あり。
是れ、無学に優れりといえども、聖学にあらず。
師傅ありというとも、私の学なり。
眞の学問をせんと思わば、道に志し、徳を尊びて、孔孟の教えを本とし、程朱の説を階梯とすべし。
是れ、筋目よき眞の学なり。
末世に至りて悪しき学術多し。
擇ぶべし、迷うべからず。


二十七
 学者、文学言句に求める勤めは常に多く、日用徳行に心を用いる勤めは、常に少なし。
是れ、学問の本意を失えり。
もし、徳行を勤めずして、文学を好むは、たとえば、酒を捨てて、糟を食うが如し。
よき所をば取りて用いずして、善かざる所を好むなり。


二十八
  道を知ること、至りて難し。
普通の俗学の習わしにては、身を終わるまで、勤め学びても、道を知りがたし。
まづ、学を好むに、誠の志ありて、明師・良友に隨い、古の学の筋を尋ね求め、心を用いること久しくば、其の功あるべし。
利口にして、我が才に誇り、好んで我が智を恃み用いる人は、道に遠き生れつきなり、身を終わるまで、此の道を知ること難かるべし。
只、生れつき質實にして、飾りなく、其の心静かに、義理に敏く、へりくだりて、自ら是とせざる人あらば、これ、道に近き生質なり。
かかる人、志し専一にして、よく学ばば、此の道を、ようやく晩年にして驗あるべし。


二十九
  世の人、多くは、藝を好みて、学問を好まず。
藝は、たとえば、木の枝葉なり。
学問は、たとえば、木の根本なり。
根本を努めずして、枝葉を努め、本を棄てて、末に専らなるは、僻事なり。
道学なければ、藝多くしても、根本たたず、君子とすべからず。
又、技藝なければ、事に通ぜずして、其の徳の助けなし、野人というべし。


三十
  若き時は、經学を本として、博く群書に通じ、且つ又、有用の諸藝を習うべし。
中年以後は、博覧をやめて、經傳の要文を、つづまやかに味わい、道理を精しくし、心に自得せんことを、求むべし。


三十一
  未だ道を知らざれば、夢を見て覚めざるが如し。
故に、大学の致知を、夢覚の關と云う。
夢見ると、覚めるとの境なり。
善を好むこと誠ならざれば、悪人の境界を免れず。
故に、大学の誠意を、善悪の關と云う。
善人と悪人との境なり。
關とは、内外の境なり。


三十二
  聖人は、人倫の至りなり。
吾が輩の口に掛けまくは、最も畏し。
されど、弓射る者は、初めより的に志し、道ゆく者は、初めより家に志すが如し。
聖人を目當として、其の志を立てることは、高くすべし。
然るに、千里の道も、出でたつ足下の一歩よりはじまる理なれば、道を行うことは、まづ、日用の近く低き所より行いて、ようやく經て上りて、高きに至るべし。
初めより、品を越えて、高く至らんとするは、翼なくして、天に上らんとするに同じ。
必ず此の理なきことを知るべし。
たとえば、高山に登るにも、先づ、麓の一足より始めるが如し。
一飛に山上には上りがたし。
萬事は、次第に隨わざれば、成就しがたし。
近道なることは、口にいうところは、快しといえども、道理なきことは、ならざるものなれば、虚妄の説、無用の辨は、徒事なり。


三十三
  再び生れ来るべき頼みなき、此の世の間なるに、天地人の至れる道を学んで、楽しまんこそ、生けるかいありて、身終る時も、恨みなかるべけれ。
我が身の私慾に苦しめられ、世俗の卑しき習わしに迷いて、人の道を知らずして、一世を終わらんこと、返す返す口惜しと思い、かねて心を用ゆべし。


三十四
  聖人の書を讀み、道を好みて、日を送る人は、誠に諸人にすぐれ、一生の間、常に楽しみて、思い出多き世なるべし。
かくの如くならば、人と生れたるかいありて、朝にすでに道をききなば、夕に死ぬとも、さらに恨みあるべからず。
貧賤にして、時にあわざるは、憂うるに足らざるべし。
もし、聖人の道を学ばずして、道を知らずんば、此の世に生ける時は禽獣と同じくして、人と生れたるかいなく、死して後は、草木と同じく朽ち果てて、人の賞むべき佳名を残すことなく、後世に至りて、知る人なかるべし。
われも人も、皆、かくの如くなれど、人とかく生れし身を、鳥獣草木に同じくせんこと、本意なきことならずや。
これを口惜しと思わば、豈、此の憂いを免るべき道なかるべきや。
人の身は、再び得難し。
空しく、此の世を過すべからず。


三十五
  書を讀み学問せんとする人あらば、彼のきらう人、色々いいさまたげて、学問することをそしる。
まことぞと心得て、学問をやめる人多し。
又、我が子に書を讀ませんとするに、かの嫌うもの、書を讀めば病者になり、気へり、命短くなるなどいいておどせば、親は、子をいつくしむ心深くして、もし左もあるべきかと、思いて、書を讀ませざる故、其の子は、一生文盲におろかにて、身を終わる。
あわれむべし。


三十六
  書を讀まざる人は、書を讀む人を嫌い憎みて、書を讀めば、気減り、病者になり、心痴けて緩くなり、出家長袖の如く、武道も弱くなるといいて誹る。
書を讀む人、これを聞きて、怒り争い、口論となり、闘いに及ぶこと、其の例あり。
凡人は、人の我に同じきを喜び、我に異なるを憎み、わが知らざるを以て、人の知るを誹る。
是れ、凡人の恒の心なり。
かかる僻事を聞きて、怒り争うは、われも、亦、彼の愚なる人と同じくなるは口惜し。
書を讀み学問するは、かかる愚なる人になるまじきが為なり。
愚人の学問を誹り、我を冒すをば、不智なる故なりと思いて、愍み宥すべし。
怒るべき理にはあらず。
又、愚人の仇事を云うとて、我が心にかけて與るべからず。
聖人は、かかる頑なる人を愍みて、怒り憎み給わず。
是れを以て則とすべし。


三十七
  俗人の学問を誹るは、学者、書を讀んでも、道を行わずして、却りて高慢にして、自ら誇り、人を侮りて、心ざま悪しくなりゆき、学びたる益なきが故なり。
学者、愼みて身を省みるべし。
書を讀むによって、却って、此の如くなる小人となるは口惜し。


三十八
  我が才に誇り、自ら是として、人を侮り、人の才智あるを取り用いず、只、我が才智のみを用いる。
古語にも、自ら用いれば即ち小なりといえり。
諸人の智を用いるは大なり。
われ一人の智を用いるは小なり。
我が学才に誇り、人を侮るは、是れ、才学の為に、わが徳を害われるなり。
かかる悪徳あらんよりは、才学なきが、遥にまされり。
聖賢の書を多く讀んでも、道に志なくして、不徳なるは、無学なる者の、心悪しく道に背くよりも、其の罪猶深し。
学者、此の如くなれば、学を嫌う俗人の言に、学問は益なし、却りて害ありと云う、其の證據になりて、学問の道の害となる。
愼みて、学を誹る俗人の證據にならんことを憂うべし。


三十九
  学者は、まづ、孝悌忠信を先として、常に善を好み、人を愛するを以て志として、日々に、力めて善を行うべし。
書を讀むをば、第二義とすべし。
第一、善を好まざれば、書を讀んでも、道を行うべき基なし。
萬巻の書を讀むとも、無用のことなるべし。
大学・誠意の章をよく味わいて、善を好み悪を嫌うに誠あるべし。


四十
  学者志を立てること、眞実なるを以て、本とす。
只、道学の實を力めて、道学の名を好むべからず。
名聞の為、煩わされるは卑し。
天地の間に、我が身程親しき物なし。
学問せば、只、身のためにすべし。
名の為にすべからず。
しかれども、唐・日本、古今、道学の名を貪る人多し。
名を好む学者は、形は善人に似たれども、善を好むの誠少なし。
位も徳もなくして、我が身を自ら置くこと甚だ高く、賢人・君子の模様をなし、其の身に應ぜぬ言を出し。
ふるまいをなせり。
自ら其の分量を知らずして、古今を誹り、人の小過を尤め、不能を責め、刻薄なること、無学の人より甚だしく、人を愍む心薄し、不仁と云うべし、人情・時変を知らずして、古禮を當世に直に行わんとす、不智というべし。
もし、かくの如くならば、時俗の耳目を駭かして、道学の名を得ても、益なかるべし。
無学なる人、かかる学者を見ては、儒者は一向に偏にして、國俗と人情に背き、時宜を知らざる無用の者と思えり。
是れ、道学のますますすたれる所なり。
明の陳繼儒が、僧は眞ならんことを要める、高からんことを要めずともいえり。
儒者も亦しかり。
儒者は、只、道を信じて、直實なるを貴しとす。
人に高ぶりて、誠すくなきは賤しむべし。


四十一
  本朝の儒術、古来二千歲、寥々たりといえども、大平日久しければ、世の人文も、いよいよ、ようやく開けぬべし。
しからば、今より百年の後は、文字の習わしも拙からず、義理の学も、大に明かになるべし。
文明の國となりて、誠に君子國の名に叶うべし。
只今より後、学術の正しくして、卑しからず、学者の志眞實にして、聖人の道を、篤く尊び信ぜむことを希うのみ。

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