和俗童子訓 巻之三 讀書法
一
聖人の書を經と云う。
經とは常なり。
聖人の教えは、萬世かわらざる、萬民の則なれば、常という。
四書五經等を經と云う。
賢人の書を傳と云う。
傳とは聖人の教えを述べて、天下後代に傳えるなり。
四書五經の注、又は、周程、張朱、其の外、歴代の賢人の作れる書を、何れも傳と云う。
經傳は、是れ、古の聖賢の述べ作り給う所にして、其の載せる所は、天地の理に随いて、人の道を教え給うなり。
其の理、至極し、天下萬世の教えとなれる鑑なり。
天地人と萬物との道理、是れにもれる事なき故、天地の間、是れにまされる寶更になし。
是れを神明の如くに尊び敬うべし。
おろそかにし、穢すべからず。
二
およそ、書を讀むには、必ずまづ、手を洗い、心に愼み、容を正しくし、几案のほこりを拂い、書冊を正しく几上におき、跪きて讀むべし。
師に、書を讀み習う時は、高き几案の上に置くべからず。
帙の上、或は、文匣、矮案の上にのせて、讀むべし。
必ず、人の踏む席上に置くべからず。
書を穢す事なかれ。
書を讀み終らば、もとの如く納めるべし。
もし、急速の事ありて立ち去るとも、必ず、納めるべし。
また、書をなげ、書の上を越えるべからず。
書を枕とする事なかれ。
書の腦を巻きて、折返えす事勿れ。
唾を以て幅を揚ぐる事勿れ。
古紙に經傳の詞義、聖賢の姓名あらば、愼みて他事に用ゆべからず。
又、君上の御名、父母の姓名ある故紙をも穢すべからず。
三
小児の記性を計りて、七歳より以上入学せしむ。
初は早晨に書を讀ませ食後には讀ましめず、其の精神を苦しめること勿かれ。
半歳の後は、食後にも、亦、讀ま令べし。
四
凡そ、書を讀むには、いそがわしく早く讀むべからず。
詳緩に、之を讀みて、字々、句々、分明なるべし。
一字をも誤るべからず。
必ず、心到り、眼到り、口到るべし。
此の三到の内、心到を先とす。
心此に在ら不ば、見れども見えず、心到らずしては、みだりに口に讀めども、覚えず。
又、俄にしいて諳に讀み覚えても、久しきを歴れば忘れる。
唯、心をとめて、多く遍数を誦すれば、自然に覚えて、久しく忘れず。
遍数を計えて、熟讀すべし。
一書、熟して後、又、一書を讀むべし。
聖經・賢傳の益ある書の外、雑書を見るべからず。
心を正しくし、行儀を愼み、妄に言わず、笑わず、妄に外に出入せず、妄に動作せず、志を学に専一にすべし。
常に暇を惜みて、用もなきに、徒に隙を費すべからず。
五
小児の文学の教は、事しげくすべからず。
事しげく、文句多くしてむづかしければ、学問を苦しみて、うとんじ嫌う心出来る事あり。
故に、簡要をえらびて、事少なく教ゆべし。
少しづつ教え、讀み習う事を嫌わずして、すき好むように教ゆべし。
むづかしく辛労にして、其の氣を屈せしむべからず。
日々のつとめの課程を、よきほどに短く定めて、日々に怠りなく進むべし。
凡そ、小児を教えるには、必ず、師あるべし。
もし、外の師なくば、其の父兄、自ら日々の課程を定めて、讀ましむべし。
父兄、辛労せざれば、教え行われず。
六
初て書を讀むには、まづ、文句短くして、讀み易く、覚え易き事を教ゆべし。
初より文句長き事を教えれば、退屈し易し。
易きを先にし、難きを後にすべし。
まづ、孝弟、忠信、禮義、廉恥の字義を教え、
五常、五倫、五教、三綱、三徳、三事、四端、七情、四勿、五事、六藝、両義、二氣、三辰、四時、四方、四徳、四民、五行、十干、十二支、五味、五色、五音、二十四氣、十二ヶ月の異名、和名、四書、五經、三史の名目、本朝の六國史の名目、日本六十六州の名、其の住せる國の郡の名、本朝の古の帝王の御諡、百官の名、唐の三皇、五帝、三王の御名、歴代の國號等を、和漢名数の書にかき集め置けるを、そらに覚えさすべし。
又、鳥、獣、虫、魚、貝の類、草木の名を多く書き集めて、讀み覚えしむべし。
此の外に、覚えてよき事多し。
そらに覚えざる事は、用に立たず。
又、周南、召南の詩、蒙求の本文五百九十八句、性理字訓の本編、三字經、千字類合、千家詩などの句、短く覚え易き物を教ゆべし。
右の名目、小篇などを讀み覚えて後、經書を教えるべし。
初より文句長き、讀み難き經書を教えて、其の氣を屈せしむべからず。
經書を教えるには、まづ、孝經の首章、次に、論語学而の篇を讀ましめ、皆熟讀して後、その要義をもあらあら説き聞かすべし。
小学、四書は、最初より讀みにくし。
故に、まづ、右に云う所の、文句の短きものを多く讀ましめて、次に、小学を讀ませ、後に四書五經を讀ましむべし。
七
凡そ書を讀むには、早く先を讀むべからず。
毎日返り讀みを専ら勤むべし。
返り讀みを数十遍勤め終わりて、其の先を讀むべし。
然らずして、唯、捗ゆかん事を好みて、返り讀み少なければ、必ず、忘れて、我が習いし功も、師の教えし功もすたりて、廣く数十巻の書を讀んでも益なし。
一巻にても、能く覚えれば、学力となりて功用をなす。
必ず、能くおぼゆべし。
書を讀みても、学進まざるは、熟讀せずして、覚えざればなり。
才性あれば、八歳より十四歳まで、七年の間に、小学、四書、五經等、皆、讀み終わる。
四書、五經熟讀すれば、才力いでき、学問の本たつ。
其の力を以て、ようやく年長じて、廣く群書を見るべし。
八
小児に初て書を授けるには、文句を長く教えるべからず。
一句二句を教える。
また、一度に多く授くべからず。
多ければ覚え難く、覚えても堅固ならず。
其の上、厭い倦みて、学を嫌う、必ず、退屈せざるように、少しづつ授くべし。
其の教えようは、初は、唯、一字二字三字づつ字を知らしむべし。
其の後、一句づつ教ゆべし。
既に、字を知り句を覚えば、小児をして自ら讀ましむべし。
兩句を教えるには、まづ、一句を讀み覚えさせ、熟讀すれば、次の句を、又、右の如くに讀ましめ、既に熟讀して、前句と後句と通讀せしめて止むべし。
斯の如くすること数日にして、後又、一兩句づつ漸に添えて授くべし。
其の後授くるに、ようやく、字多ければ、分って二、三次となして、授け讀ましめ、其の二、三次、各々熟讀して、合せて通讀せしむ。
もし、其の中、覚え難き所あらば、其の所ばかり、又、数遍讀ましむ。
又、甚だ讀み易き所をば、分かち讀む時は、讀むべからず。
是れ功を省くの法なり。
九
書を讀むには、必ず、句讀を明かにし、讀みごえを詳かにし、清濁を分ち、訓點に誤りなく、てにはを精しくすべし。
世俗の疎なる誤りに従うべからず。
十
書を讀むに、黨時、略、熟誦しても、久しく讀まざれば、必ず忘れる。
故に、書を讀み終わって後、既に讀みたる書を、時々かえり讀むべし。
又、毎日前の三四五度に授かりたる所を、今日讀み習う所に通じて、あとを讀むべし。
斯くの如くすれば忘れず。
十一
毎日、一つの善事を知り、一つの善事を行いて、小を積みて止まざれば、必ず、大に至る。
日々の功を怠り、習い缺くべからず。
初は、毎日、日記、故事、蒙求の故事などの嘉言、善行を、一兩事づつ記すべし。
又、毎日、数目あることを二三條記すべし。
一日に一事記すれば、一年には三百六十條なり。
詩歌をよみ覚えるも、此の法なり。
一日に一首覚えれば、一年に三百六十首なり。
毎日誦して、日々、怠るべからず。
久しきを積みては、其の功大なり。
十二
小児に初て書を説き聞かするに、文句短く文義あさく、分明に聞こえ易く言い聞かすべし。
小児に相應せざる、高く、深く、まわり遠く、むづかしく、聞きにくき事を、教えるべからず。
又、ことば多く長くすべからず。
言少なくして、さとし易くすべし。
まづ、孝經の首章、論語の学而篇を早く説き聞かすべし。
是れ、本をつとむるなり。
小学の書を説くには、義理を、淺く軽く説くべし。
深く重く説くべからず。
是れ、小児に教える法なり。
十三
小児、讀書の内に、早く文義を所々教ゆべし。
孝經にて云はば、仲尼とは孔子の字なり、字とは、成人して名づくる、かえ名なり。
子は師の事を云う。
曾子は孔子の弟子なり。
參は曾子の名。
先王とは古の聖王のこと。
不敏は、鈍なる事。
また、論語の首章を讀む時は、学ぶとは学問するを云う。
習うとは、学びたる事を、身に勤めならうなり。
説ぶとは、面白きと云う意。
楽むとは、大に面白き意なり。
かやうに、讀書の序に文義を教えれば、自然に書を暁し得るものなり。
十四
古語に、光陰箭の如く、時節流れるが如し。
又、曰く、光陰惜むべし、是れを流れる水に譬うと云えり。
月日のはやき事、年々にまさる。
一度行きて帰らざること、流れる水の如し。
今年の今日の今時、再び帰らず。
なす事なくて、等閑に時日を送るは、身をいたづらになすなり。
惜しむべし。
大禹は聖人なりしだに、猶、寸陰を惜しみ給えり。
況や、末世の凡人をや。
聖人は尺壁を貴ばずして、寸陰を惜む、とも云えり。
少年の時は、記性強くして、中年以後、数日に覚える事を、唯、一日、半日にも覚えて、身を終わるまで忘れず、一生の寶となる。
年老て、後悔なからん事を思い、小児の時、時日を惜みて、いさみ勤むべし。
かやうにせば、後悔なかるべし。
十五
書を讀み、学問する法、年若く記憶強き時、四書五經を常に熟讀し、遍数を如何程も多く重ねて、記憶すべし。
小児の時に限らず、老年に至りても、常に循環して讀むべし。
是れ、義理の学問の根本となるのみならず、又、文章を学ぶ法則となる。
次に、左伝を数十遍看讀すべし。
其の益多し。
是れ学問の要訣なり。
知らずんばあるべからず。
十六
小児の時、經書の内、とりわき、孟子を能く熟誦すべし。
是れ、義理の学に益あるのみならず、文章を作る料なり。
此の書は、文章の法則と筆力を助く。
朱子も、孟子も熟誦して文法をさとれりと云えり。
また、文章を作るためには、禮記の檀弓、周禮の考工記を熟誦すべし。
是れ等は、皆、古人の説なり。
又、漢文の内数篇、韓、柳、欧、蘇、曾南豊等の文の内にて、心に叶えるを擇びて、三十篇熟誦し、そらに書きて忘れざるべし。
作文の学、必ず、此の如くすべし。
十七
四書を、毎日百字づつ百遍熟誦して、そらに讀み、そらに書くべし。
字の置き所、助字の有り所、ありしに違わず覚え讀むべし。
是れ程の事、老らくの年といえども、勤めてなし易し。
況や、少年の人をや。
四書をそらんぜば、其の力にて、義理に通じ、諸々の書を讀むこと易からん。
又、文章のつづき、文字の置きよう、助字の有り所をも、能く覚えて知れば、文章を書くにもまた助けとなりなん。
斯く如く、四書を習い覚えば、幼学のつとめ、過半は既に成れり、と云うべし。
論語は一萬二千七百字、孟子は三萬四千六百八十五字、大学は經傳を合せて千八百五十一字、中庸は三千五百六十八字あり。
四書すえて五萬二千八百四字なり。
一日に百字を讀んでそらに覚えれば、日数五百廿八日に終わる。
十七ヶ月十八日なれば、一年半には足らずして其の功終りぬ。
早く思い立て、斯の如くすべし。
是れにまされる学問のよき法なし。
其の、つとめ易くして、其の功は甚だ大なり。
我がともがら、若き時、此の良法を知らずして、空しく過し、今八十に成りて、年のつもりに、やうやう、学びやうの道、少し心に思いしれる故、今更悔い甚だし。
又、尚書の内、純粋なる数篇、詩經・周易の全文、禮記九萬九千字の内、其の精要なる文字をえらんで三萬字、左傳の最も要用なる文を数萬言、是れもまた、日課を定めて百遍熟讀せば、文字に於て、恐らくは世に類なかるべし。
是れ学問の良法なり。
十八
史は、古を記せる文なり、記録の事なり。
史書は、往古の跡を考えて、今日の鑑とする事なれば、是れ亦、經につぎて必ず、讀むべし。
經書を学ぶいとまに、和漢の史を讀み、古今に通ずべし。
古書に通ぜざるは、くらくして用に達せず。
日本の史は、日本紀以下、六國史より、近代の野史に至るべし。
野史も亦多し。
ひろく見るべし。
中夏の史は、左伝、史記、漢書以下なるべし。
朱子・綱目の書は、歴代を通貫し、世教を助けて、天下萬世に益あり、經伝の外、是れに及べる好書は有るべからず。
此の一書を出でずして、古の事に通じ、善悪を辨じ、天下國家を治める道理明かなり。
誠に、世の寳なり。
学者、是れを好んで玩覧すべし。
殊に國家を治める人の鑑なり。
又、通鑑前編、續編をも見るべし。
前編、伏犠より周まで、朱子・綱目以前の事を記せり。
續編は宋元の事を記す。
朱子・綱目以後の事なり。
是れに續きて、皇明通記、皇明實記などを見れば、古今に貫通す。
十九
小児の時より、学問の隙を惜み、あだなる遊びをすべからず。
手習い、書を讀み、藝を学ぶを以て、遊びとすべし。
かやうの勤め、初は、面白からざれども、ようやく習いぬれば、後は慰みとなりて、いたつがはしからず。
凡そ、萬の事は、皆、暇を用いて出来るものなれば、いとま程の身の寶なし。
四民ともに同じ。
かほどの惜しむべき大切なる暇を空しくして、時日を費し、または、用にも立たざる益なきわざをなし、無頼の小人に交わり、ひまを惜まずして、徒に為す事もなくて、月日を送る人は、終に才智もなく、藝能もなくして、何事も人に及ばず、人にいやしめらる。
少年の時は、氣力も記憶も強ければ、ひまを惜み、書を讀み置くべし。
斯の如くすれば、身を終るまで忘れず。
一代の寶となる。
年たけ、齒ふけぬれば、事多くしてひまなく、氣力へりて記憶弱くなり、学問に苦労しても、しるし少なし。
少年の時、此の理を能く心得て、ひまを惜み勤むべし。
若き時、怠りて、年老いて後悔すべからず。
此の事、前にも既に言いつれど、老のくせにて、同じことするは、聞く人いとふべけれど、年若き人に、能く心得させんために、返すがえす告げるなり。
凡の事、後のためによき事を、専らに勤むべし。
初、勤めざれば、必ず、後の楽なし。
また後の悔なからん事を計るべし。
初に、愼まず怠りぬれば、必ず、後の悔あり。
二十
小児の書を讀むに、文字を多く覚えざれば、書を讀むに力なくして、学問進まず。
また、文字を知らざれば、すべて世間の事に通ぜず。
藝など習うにも、文字を知らざれば、其の理にくらくして、僻事多し。
文字を知れらば、又、其の文義を心にかけて通じしるべし。
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