二宮翁夜話 第十三章
第十三章 家政の巻
七十八 家政の本は節倹にあり
翁曰く、何程富貴なりとも、家法をば節倹に立て、驕奢に馴れる事を厳に禁ずべし。
夫れ奢侈は不徳の源にして滅亡の基なり。
如何とはれば、奢侈を欲するよりして、利を貪るの念を増長し、慈善の心薄らぎ、自然欲深く成りて、吝嗇に陥り、夫れより知らず知らず、職業も不正になり行きて、災を生ずる物なり。
恐るべし。
論語に周公の才ありとも奢り且つ吝かなれば、其の余は見るに足らずとあり。
家法は節倹に立て、我が身能く之れを守り、驕奢に馴れる事なく、飯と汁木綿着物は身を助くの、眞理を忘れる事勿れ。
何事も習い性となり、馴れて常となりては、仕方無き物なり。
遊楽に馴れれば面白き事もなくなり、甘き物に馴れれば、甘き物もなくなるなり。
是れ自ら我が歓楽をも減ずるなり。
日々勤労する者は、朔望の休日も楽しみなり。
盆正月は大なる楽しみなり。
是れ平日、勤労に馴れるが故なり。
此の理を明弁して滅亡の基を断ち去るべし。
且つ若き者は、酒を呑むも、煙草を吸うも、月に四五度に限りて、酒好きとなる事勿れ。
煙草好きとなる事勿れ。
馴れて好きとなり、癖となりては生涯の損大なり。
慎むべし。
【本義】
【註解】
七十九 果樹剪定に譬えて貧富を説く
翁曰く、儒に循環と云い、佛に輪廻転生と云う。
則ち天理なり。
循環とは春は秋になり、暑は寒に成り、盛りは衰えに移り、富は貧に移るを云う。
輪転と云うも又同じ。
而して佛道は輪転を脱して、安楽國に往生せん事を願い、儒は天命を畏れてに事えて泰山の安きを願うなり。
予が教える所は貧を富にし衰を盛にし、而して循環輪転を脱して、富盛の地に住せじむるの道なり。
夫れ菓木今年大に實法れば、翌年は必ず實法らざる物なり。
是れを世に年切りと云う。
是れ循環輪転の理にして然るなり。
是れを人為を以て年切りなしに、毎年ならするには枝を伐すかし、又、莟みの時につみとりて、花を減らし、敷度肥を用いれば、年切りなくして、毎年同様に實法る物なり。
人の身代に盛衰貧富あるは、則ち年切りなり。
親は勉強なれど子は遊惰とか、親は節倹なれど子は驕奢とか、二代三代と続かざるは、所謂年切りにして循環輪転なり。
此の年切なからん事を願わば、菓木の法に傚いて予が推譲の道を勤むべし。
【本義】
【註解】
八十 家産を永遠に維持する道は推譲にあり
翁曰く、樹木老木となれば、枝葉美しからず、萎縮して衰える物なり。
此の時大いに枝葉を伐りすかせば、来春は枝葉瑞々敷く、美しく出る物なり。
人々の身代も是れに同じ。
初めて家を興す人は、自ら常人と異なれば、百石の身代にて五十石に暮らすも、人の許すべけれど、其の子孫となれば、百石は百石丈け、二百石は二百石丈けの事に、交際をせざれば、家内も奴婢も他人も承知せざる物なり。
故に終りに不足を生ず。
不足を生じて分限を引き去る事を知らざれば、必ず滅亡す。
是れ自然の勢い、免れざる處なり。
故に予常に推譲の道を教ゆ。
推譲の道な百石の身代の者、五十石に暮しを立てて、五十石を譲るを云う。
此の推譲の法は我が教え第一の法にして則ち家産維持且つ漸次増殖の方法なり。
家産を永遠に維持すべき道は、此の外になし。
【本義】
【註解】
八十一 鉢植えの松に学べ
翁曰く、人の身代は大凡敷ある物なり。
譬えば鉢植えの松の如し。
鉢の大小に依って、松にも大小あり。
緑を延び次第にする時は、忽ち枯氣付く物なり。
年々に緑をつみ、枝をすかしてこそ美しく榮ゆるなれ。
是れ心得可き事なり。
此の理をしらず、春は遊山に緑を延ばし、秋は月見に緑を延ばし、斯の如く拠なき交際と云いては枝を出し、親類の付き合いと云いては梢を出し、分外に延び過ぎ、枝葉次第に殖へゆくを、伐り捨てざる時は、身代の松の根、漸々に衰えて、枯れ果つべし。
尤も肝要の事なり。
【本義】
【註解】
八十二 身代の維持と植木の譬へ
翁曰く、樹木を植えるに、根を伐る時は、必ず枝葉をも切捨つべし。
根少なくして、水を吸う力少なければ枯れる物なり。
大いに枝葉を伐すかして、根の力に応ずべし。
然せざれば枯れるなり。
譬えば人の身代、稼ぎ人が缺け家株の減ずるは、植え替えたる樹の根少なくして水を吸い上げる力の減じたるなり。
此の時は仕法を立て、大いに暮し方を縮めざるを得ず。
稼ぎ人少なき時大いに暮らば、身代日々減少して、終りに減亡に至る。
根少なくして、枝葉多き木の、終りに枯れるに同じ。
如何とも仕方なき物なり。
暑中といえども、木の枝を大方伐り捨て、葉を残らずはさみ取りて、幹を菰にて包みて植え、時々此の菰に水をそそぐ時は、枯れざる物なり。
人の身代も此の理なり。
心を用ふべし。
【本義】
【註解】
八十三 一家の維持は船の運行の如し
翁曰く、家屋の事を、俗に家船又家台船と云う。
面白き俗言なり。
家をば實に船と心得ふべし。
是れを船とする時は、主人は船頭なり。
一家の者は皆乗合いなり。
世の中は大海なり。
然る時は、此の家船に事あるも、又、世の大海に事あるも、皆遁れざる事にして、船頭は勿論此の船に乗り合いたる者は、一心協力此の屋船を維持すべし。
扨て此の屋船を維持するは、楫の取り様と、船に穴のあかぬ様にするとの二つが専務なり。
此の二つによく氣を付ければ、家船の維持疑いなし。
然るに楫の取り様にも心を用いず。
家船の底に穴があきても、是れを塞がんともせず。
主人は働かずして、酒を呑み、妻は遊藝を楽しみ、伜は囲碁将棋に耽り、二男は詩を作り、歌を読み、安閑として歳月を送り、終りに家船をして、沈没するに至らしむ。
歎息の至りならずや。
縦令大穴ならずとも、少しにても穴があきたならば、速やかに乗り合い一同力を盡して穴を塞ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能々心を用ゆべし。
是れ此の乗り合いの者の肝要の事なり。
然るに既に、大穴明きて猶ほ、是れを塞がんともせず、各々己が心の儘に安閑と暮し居て、誰か塞いで呉れそうな物だと、待って居て済むべきや。
助け船をのみ頼みにして居て済むべきや。
船中の乗り合い一同、身命をも抛ちて働かずば、あるべからざる時なるをや。
【本義】
【註解】
八十四 報徳の道は世の中の病を癒す法なり
翁曰く、身體一所悩む所あれば、惣身之れが為めに悩むは人の知る所なり。
脳なり胃なり肺なり皆同じ。
甚だしき時は死に至る。
これ一體なるが故なり。
國家も亦同じ。
一家負債あれば是れが為に悩み、國凶作なれば之れが為に悩む。
皆人の知る所なり。
故に身も家も國も悩む所無からんことを欲するを衛生といい、勤倹という。
又、泰平を祈るという。
而して家に負債多ければ、人身に及んで神経を悩ますに至るも皆人の知る所なり。
方令の世の中、驕奢行はれるが爲にこの悩み多し。
此の悩み甚だしければ家を失い身を失うに至る。
愍然の至りなり。
之れを自業自得といえば夫れまでなれど、自業自得は戸主に在りて、老幼婦女は相伴をするなり。
いたましからずや。
【本義】
【註解】
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