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養生訓 巻第七 用薬


 人身、病なき事あたはず。
病あれば、医をまねきて治を求む。
医に上中下の三品あり。
上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。
此の三知を以て病を治して十全の功あり。
まことに世の宝にして、其の功、良相につげる事、古人の言のごとし。
下医は、三知の力なし。
妄に薬を投じて、人をあやまる事多し。
夫薬は、補瀉寒熱の良毒の氣偏なり。
その氣の偏を用て病をせむる故に、参ぎの上薬をも妄に用ゆべからず。
其の病に応ずれば良薬とす。
必其のしるしあり。
其の病に応ざぜれば毒薬とす。
たゞ益なきのみならず、また人に害あり。
又、中医あり。
病と脈と薬をしる事、上医に及ばずといえ共、薬は皆氣の偏にして、妄に用ゆべからざる事をしる。故に其の病に応ぜざる薬を与えず。
前漢書に班固が曰く、「病有て治せずば常に中医を得よ」。
云う意は、病あれども、もし其の病を明らかにわきまえず、その脈を許に察せず、其の薬方を精しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。
ここを以て病あれども治せざるは、中品の医なり。
下医《かい》の妄に薬を用いて人をあやまるにまされり。
故に病ある時、もし良医なくば、庸医の薬を服して身をそこなうべからず。
只保養をよく慎み、薬を用いずして、病のをのづから癒るを待べし。
此の如くのすれば、薬毒にあたらずして、はやくいゆる病多し。
死病は薬を用いてもいきず。
下医は病と脈と薬をしらざれども、病家の求にまかせて、みだりに薬を用いて、多く人をそこなう。
人を、たちまちにそこなはざれども、病を助けていゆる事おそし。
中医は、上医に及ばずといえども、しらざるを知らずとして、病を慎んで、妄に治せず。ここを以て、病あれども治せざるは中品の医なりといえるを、古来名言とす。
病人も亦、此の説を信じ、したがって、応ぜざる薬を服すべからず。
世俗は、病あれば急にいえん事を求て、医の良賤をえらばず、庸医の薬をしきりにのんで、かえって身をそこなう。
是れ身を愛すといえども、実は身を害するなり。
古語に曰く、「病の傷は猶癒べし、薬の傷は最も医し難し」。
然らば、薬をのむ事、つつしみておそるべし。
孔子も、季康子が薬を贈れるを、いまだ達せずとて、なめ給はざるは、是れ疾をつつしみ給えばなり。
聖人の至教、則とすべし。
今、其の病源を審にせず、脈を精しく察せず、病に当否を知らずして、薬を投ず。
薬は、偏毒あればおそるべし。


 孫思ばく曰く、人、故なくんば薬を餌べからず。
偏に助くれば、蔵氣不平にして病生ず。


 劉仲達が鴻書に、疾あって、もし名医なくば薬をのまず、只病のいゆるを、しづかにまつべし。身を愛し過し、医の良否をえらばずして、みだりに早く、薬を用る事なかれ。
古人、病あれども治せざるは中医を得ると云う、此の言、至論也といえり。
庸医の薬は、病に応ずる事はすくなく、応ぜざる事多し。
薬は皆、偏性ある物なれば、其の病に応ぜざれば、必ず毒となる。
此の故に、一切の病に、みだりに薬を服すべからず。
病の災より薬の災多し。薬を用ずして、養生を慎みてよくせば、薬の害なくして癒やすかるべし。


 良医の薬を用るは臨機応変とて、病人の寒熱虚実の機にのぞみ、其の時の変に応じて宜に従う。
必一法に拘はらず。
たとえば、善く戦う良将の、敵に臨んで変に応ずるが如し。かねてより、その法を定めがたし。
時にのぞんで宜にしたがうべし。
されども、古法をひろくしりて、その力を以て今の時宜ににしたがいて、変に応ずべし。
古をしらずして、只今の時宜に従はんとせば、本なくして、時宜に応ずべからず。
故を温ねて新をしるは、良医なり。


 脾胃を養うには、只穀肉を食するに相宜し。
薬は皆氣の偏なり。
参ぎ、朮甘は上薬にて毒なしといえども、病に応ぜざれば胃の氣を滞らしめ、かえって病を生じ、食を妨げて毒となる。
いわんや攻撃のあらくつよき薬は、病に応ぜざれば、大に元氣をえらす。
此の故に病なき時は、只穀肉を以てやしなうべし。
穀肉の脾胃をやしなうによろしき事、参ぎの補にまされり。
故に、古人の言に薬補わ食補にしかずといえり。
老人は殊に食補すべし、薬補わ、やむ事を得ざる時用ゆべし。


 薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。
是れをしらで、みだりに薬を用いて薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいえずして、死にいたるも亦多し。
薬を用る事つつしむべし。


 病の初発の時、症を明に見付ずんば、みだりに早く薬を用ゆべからず。
よく病症を詳にして後、薬を用ゆべし。
諸病の甚しくなるは、多くは初発の時、薬ちがえるによれり。
あやまつて、病症にそむける薬を用ゆれば、治しがたし。
故に療治の要は、初発にあり。
病おこらば、早く良医をまねきて治すべし。
症により、おそく治すれば、病ふかくなりて治しがたし。
扁鵲が斉候に告げたるが如し。


 丘処機が、衛生の道ありて長生の薬なし、といえるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。
養生は、只むまれ付たる天年をたもつ道なり。
古の人も術者にたぶらかされて、長生の薬とて用いし人、多かりしかど、其のしるしなく、かえって薬毒にそこなはれし人あり。
是れ長生の薬なきなり。
久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。
信ずべからず。
内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつつしみ、動静を時にせば、生れつきたる天年をたもつべし。
是れ養生の道あるなり。
丘処機が説は、千古の迷をやぶれり。
此の説信ずべし。
凡そそうたがふべきをうたがい、信ずべきを信ずるは迷をとく道なり。


 薬肆の薬に、好否あり、真偽あり。
心を用いてえらぶべし。
性あしきと、偽薬とを用ゆべからず。
偽薬とは、真ならざる似せ薬なり。
拘橘を枳穀とし、鶏腿児を柴胡とするの類なり。
又、薬の良否に心を用ゆべし。
其の病に宜しき良方といえども、薬性あしければ功なし。
又、薬の製法に心を用ゆべし。
薬性よけれ共、修、治方に背けば能なし。
たとえば、食物も其の土地により、時節につきて、味のよしあしあり。
又、よき品物も、料理あしければ、味なくして、くはれざるが如し。
ここを以てその薬性のよきをえらび用い、其の製法をくはしくすべし。


 いかなる珍味も、これを煮る法ちがひてあしければ、味あしし。
良薬も煎法ちがえば験なし。
此の故、薬を煎ずる法によく心を用ゆべし。
文火とは、やはらかなる火なり。
武火とは、つよき火なり。
文武火とは、つよからずやはらかならざる、よきかげんの火なり。
風寒を発散し、食滞を消導する類の剛剤を利薬と云う。
利薬は、武火にてせんじて、はやくにあげ、いまだ熱せざる時、生氣のつよきを服すべし。
此の如すれば、薬力つよくして、邪氣にかちやすし。
久しく煎じて熟すれば、薬に生氣の力なくして、よわし。
邪氣にかちがたし。
補湯は、やはらかなる文火にて、ゆるやかに久しく煎じつめて、
よく熟すべし。此の如ならざれば、純補しがたし。
ここを以て利薬は生に宜しく熟に宜しからず。
補薬は熟に宜しくして、生に宜しからず。
しるべし、薬を煎ずるに此の二法あり

十一
 薬剤一服の大小の分量、中夏の古法を考がえ、本邦の土宜にかなひて、過不及なかるべし。
近古、仲井家には、日本の土地、民俗の風氣に宜しとて、薬の重さ八分を一服とす。
医家によりて一匁を一服とす。
今の世、医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。
一匁より多きは稀なり。
中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至。
東垣は、三匁を用いて一服とせし事あり。
中夏の人、煎湯の水を用る事は少く、薬一服は大なれば、煎汁甚だ濃して、薬力つよく、病を冶する事早しと云う。
然るに日本の薬、此の如小服なるは何ぞや。
曰く、日本の医の薬剤小服なる故三あり。
一には中華の人は、日本人より生質健に腸胃つよき故、飲食多く、肉を多く食う。
日本人は生つき薄弱にして、腸胃よわく食すくなく、牛鳥、犬羊の肉を食うに宜しからず。
かろき物をくらふに宜し。
此の故に、薬剤も昔より、小服に調合すと云う。
是れ一説なり。
されども中夏の人、日本の人、同じく是れ人なり。
大小強弱少かはる共、日本人、さほど大におとる事、今の医の用る薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一には、いたるべからず。
然れば日本の薬、小服なる事、此の如なるべからずと云う人あり。
一説に或人の曰く、日本は薬種ともし。
わが国になき物多し。
はるかなるもろこし、諸蕃国の異舶に、載せ来るを買て、価貴とし。
大服なれば費多し。
ここを以て薬剤を大服に合せがたし。
ことに貧医は、薬種をおしみて多く用いず。
然る故、小服にせしを、古来習ひ来りて、富貴の人の薬といえども小服にすと云う。
是れ一説なり。
又、曰く、日本の医は、中華の医に及ばず。
故に薬方を用る事、多くはその病に適当せざらん事を畏れる。
此の故に、決定して一方を大服にして用いがたし。
若大服にして、其の病に応ざぜれば、かえって甚害をなさん事おそるべければ、小服を用ゆ。薬その病に応ぜざれども、小服なれば大なる害なし。
若応ずれば、小服にても、日をかさねて小益は有ぬべし。
ここを以て古来、小服を用ゆと云う。
是れ又一説なり。
此の三説によりて日本の薬、古来小服なりと云う。

十二
 日本人は、中夏の人の健にして、腸胃のつよきに及ばずして、薬を小服にするが宜しくとも、その形体、大小相似たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半に及ぶべからざらんや。
然らば、薬剤を今少大にするが、宜しかるべし。
たとい、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過つては、則改るにはばかる事なかれ。
今の時医の薬剤を見るに、一服此の如小にしては、補湯といえども、接養の力なかるべし。
況や利湯を用る病は、外、風寒肌膚をやぶり、大熱を生じ、内、飲食腸胃に塞り、積滞の重き、欝結の甚しき、内外の邪氣甚つよき病をや。
小なる薬力を以て大なる病邪にかちがたき事、たとえば、一盃の水を以て一車薪の火を救ふべからざるが如し。
又、小兵を以て大敵にかちがたきが如し。
薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効あるべからず。
砒毒といえども、人、服する事一匁許に至りて死すと、古人いえり。
一匁よりすくなくしては、砒霜をのんでも死なず、河豚も多くくらはざれば死なず。
つよき大毒すらかくの如し。
況やちからよわき小服の薬、いかでか大病にかつべきや。
此の理を能く思いて、小服の薬、効なき事をしるべし。
今時の医の用る薬方、その病に応ずるも多かるべし。
しかれども、早く効を得ずして癒がたきは、小服にて薬力たらざる故に非ずや。

十三
 今ひそかにおもんぱかるに、利薬は、一服の分量、一匁五分より以て上、二匁に至るべし。
その間の軽重は、人の大小強弱によりて、増減すべし。

十四
 補薬一服の分量は、一匁より一匁五分に至るべし。
補薬つかえやすき人は、一服一匁或は一匁二分なるべし。
是れ又、人の大小強弱によりて増減すべし。
又、攻補兼用る薬方あり、一服一匁二三分より、一匁七八分にいたるべし。

十五
 婦人の薬は、男子より小服に宜し。
利湯は一服一匁二分より一匁八分に至り、補湯は一匁より一匁五分にいたるべし。
氣体強大ならば、是れより大服に宜し。

十六
 小児の薬、一服は、五分より一匁に至るべし。
是れ又、児の大小をはかつて増減すべし。

十七
 大人の利薬を煎ずるに、水をはかる盞は、一盞に水を入るる事、大抵五十五匁より六十匁に至るべし。
是れ盞の重さを除きて水の重さなり。
一服の大小に従つて水を増減すべし。
利薬は、一服に水一盞半入て、薪をたき、或はかたき炭を多くたきて、武火を以て一盞にせんじ、一盞を二度にわかち、一度に半盞、服すべし。
滓はすつべし。
二度煎ずべからず。
病つよくば、一日一夜に二服、猶其の上にいたるべし。
大熱ありて渇する病には、其の宜に随つて、多く用ゆべし。
補薬を煎ずるには、一盞に水を入る事、盞の重さを除き、水の重さ五十匁より五十五匁に至る。
是れ又、一服の大小に随て、水を増減すべし。
虚人の薬小服なるには、水五十匁入る盞を用ゆべし。
壮人の薬、大服なるには水五十五匁入る盞を用ゆべし。
一服に水二盞入て、けし炭を用い、文火にてゆるやかにせんじつめて一盞とし、かすには、水一盞入て半盞にせんじ、前後合せて一盞半となるを、少づつ、つかえざるやうに、空腹に、三四度に、熱服す。
補湯は、一日に一服、若つかえやすき人は、人により、朝夕はのみがたし、昼間二度のむ。
短日は、二度はつかえて服しがたき人あり、病人によるべし。
つかえざる人には、朝夕昼間一日に一服、猶其の上も服すべし。
食滞あらば、補湯のむべからず。
食滞めぐりて後、のむべし。

十八
 補薬は、滞塞しやすし。
滞塞すれば害あり益なし。
利薬を服するより、心を用ゆべし。
もし大剤にして氣塞がらば、小剤にすべし。
或は棗を去り生姜を増すべし。
補中益氣湯などのつかえて用がたきには、乾姜、肉桂を加ふべき由、薜立斉が医案にいえり。
又、症により附子、肉桂を少加え、升麻、柴胡を用るに二薬ともに火を忌めども、実にて炒用ゆ。
是れ正伝惑問の説なり。
又、升麻、柴胡を去て桂姜を加ふる事あり。
李時珍も、補薬に少附子を加ふれば、その功するどなり、といえり。
虚人の熱なき症に、薬力をめぐらさん為ならば、一服に五釐か一分加うべし。
然れども病症によるべし。
壮人には、いむべし。

十九
 身体短小にして、腸胃小なる人、虚弱なる人は、薬を服するに、小服に宜し。
されども、一匁より小なるべからず。
身体長大にして、腸胃ひろき人、つよき人は、薬、大服に宜し。

二十
 小児の薬に、水をはかる盞は、一服の大小によりて、是れも水五十匁より、五十五匁入ほどなる盞を用ゆ。
是れ又、盞の重を除きて、水の重さなり。
利湯は、一服に水一盞入、七分に煎じ、二三度に用ゆ。
かすはすつべし。
補湯には、水一盞半を用いて、七分に煎じ、度々に熱服す。
是れ又、かすはすつべし。
或はかすにも水一盞入、半盞に煎じつめて用ゆべし。

二十一
 中華の法、父母の喪は必ず三年、是れ天下古今の通法なり。日本の人は体氣、腸胃、薄弱なり。
此の故に、古法に、朝廷より期の喪を定め給う。
三年の喪は二十七月なり。
期の喪は十二月なり。
是れ日本の人の、禀賦の薄弱なるにより、其の宜を考えて、性にしたがえる中道なるべし。
然るに近世の儒者、日本の土宜をしらず、古法にかかわりて、三年の喪を行える人、多くは病して死せり。
喪にたえざるは、古人是れを不孝とす。
是れによつて思うに、薬を用るも亦同じ。
国土の宜をはかり考えて、中夏の薬剤の半を一服と定めば宜しかるべし。
然らば、一服は、一匁より二匁に至りて、其の内、人の強弱、病の軽重によりて多少あるべし。
凡そ時宜をしらず、法にかかわるは、愚人のする事なり。
俗流にしたがいて、道理を忘るるは小人のわざなり。

二十二
 右、薬一服の分量の大小、用水の多少を定むる事、予、医生にあらずして好事の誚、僣率の罪、のがれたしといえども、今時、本邦の人の禀賦をはかるに、おそらくは、かくの如にして宜しかるべし。
願くば有識の人、博く古今を考え、日本の人の生れつきに応じ、時宜にかなひて、過不及の差なく、軽重大小を定め給うべし。

二十三
 煎薬に加ふる四味あり。
甘草は、薬毒をけし、脾胃を補なう。
生姜は薬力をめぐらし、胃を開く。
棗は元氣を補い、胃をます。
葱白は風寒を発散す。
是れ入門にいえり。
又、燈心草は、小便を通じ、腫氣を消す。

二十四
 今世、医家に泡薬の法あり。
薬剤を煎ぜずして、沸湯にひたすなり。
世俗に用る振薬にはあらず。
此の法、振薬にまされり。
其の法、薬剤を細にきざみ、細なる竹篩にてふるい、もれざるをば、又、細にきざみ粗末とすべし。
布の薬袋をひろくして薬を入れ、まづ碗を熱湯にてあたため、その湯はすて、やがて薬袋を碗に入、其の上より沸湯を少そそぎ、薬袋を打返して、又、其の上より沸湯を少そそぐ。
両度に合せて半盞ほど熱湯をそそぐべし。
薬の液の自然に出づるに任せて、振出すべからず。
早く蓋をして、しばし置べし。
久しくふたをしおけば、薬汁出過てちからなし。
薬汁出で、熱湯の少さめて温になりたるよきかんの時、飲べし。
かくの如くして二度泡し、二度のみて後、其のかすはすつべし。
袋のかすをしぼるべからず。
薬汁濁てあしし。
此の法薬力つよし。
利薬には、此の煎法も宜し。外邪、食傷、腹痛、霍乱などの病には、煎湯よりも此の法の功するどなり、用ゆべし。
振薬は用ゆべからず。
此の法、薬汁早く出て薬力つよし。たとえば、茶を沸湯に浸して、其のにえばなをのめば、其の氣つよく味もよし。
久しく煎じ過せば、茶の味も氣もあしくなるが如し。

二十五
 世俗には、振薬とて、薬を袋に入て熱湯につけて、箸にてはさみ、しきりにふりうごかし、薬汁を出して服す。
是れは、自然に薬汁出るにあらず。
しきりにふり出す故、薬湯にごり、薬力滞やすし。
補薬は、常の煎法の如く、煎じ熟すべし。
泡薬に宜からず。
凡そそ煎薬を入る袋は、あらき布はあしし。
薬末もりて薬汁にごれば、滞りやすし。
もろこしの書にて、泡薬の事いまだ見ずといえども、今の時宜によりて、用るも可なり。
古法にあらずしても、時宜よくかなわば用ゆべし。

二十六
 頤生微論に曰く、「大抵散利の剤は生に宜。
補養の剤は熱に宜」。入門に曰く、「補湯は熟を用須。利薬は生を嫌はず」。
此の法、薬を煎ずる要訣なり。
補湯は、久しく煎じて熟すれば、やはらかにして能補う。
利薬は、生氣のつよきを用いて、はげしく病邪をうつべし。

二十七
 補湯は、煎湯熱き時、少づつのめばつかえず。
ゆるやかに験を得べし。
一時に多く服すべからず。
補湯を服する間、殊酒食を過さず、一切の停滞する物くらふべからず。
酒食滞塞し、或は薬を服し過し、薬力めぐらざれば、氣をふさぎ、服中滞り、食を妨げて病をます。
しるしなくして害あり。
故に補薬を用る事、その節制むづかし。良医は、用やう能してなづまず。
庸医は用やうあしくして滞る。
古人は、補薬を用るその間に、邪をさる薬を兼用ゆ。
邪氣されば、補薬にちからあり。
補に専一なれば、なづみて益なく、かえって害あり。
是れ古人の説なり。

二十八
 利薬は、大服にして、武火にて早く煎じ、多くのみて、速に効をとるべし。
然らざれば、邪去がたし。
局方に曰く、補薬は水を多くして煎じ、熱服して効をとる。

二十九
 凡そそ丸薬は、性尤もやはらかに、其の功、にぶくしてするどならず。
下部に達する薬、又、腸胃の積滞をやぶるによし。
散薬は、細末せる粉薬なり。
丸薬よりするどなり。
経絡にはめぐりがたし。
上部の病、又、腸胃の間の病によし。
煎湯は散薬より其の功するどなり。
上中下、腸胃、経絡にめぐる。
泡薬は煎湯より猶するどなり。
外邪、霍乱、食傷、腹痛に用べし。
其の功早し。

三十
 入門にいえるは、薬を服するに、病、上部にあるには、食後に少づつ服す。
一時に多くのむべからず。
病、中部に在には、食遠に服す。
病、下部にあるには、空心にしきりに多く服して下に達すべし。
病、四肢、血脈にあるには、食にうえて日中に宜し。
病、骨髄に在には食後夜に宜し。
吐逆して薬を納がたきには、只一すくい、少づつ、しづかにのむべし。
急に多くのむべからず。
是れ薬を飲法なり。
しらずんば有べからず。

三十一
 又、曰く、薬を煎ずるに砂かんを用ゆべし。
やきものなべなり。
又、曰く、人をえらぶべし。
云う意は、心謹信なる人に煎じさせてよしとなり。
粗率なる者に任すべからず。

三十二
 薬を服するに、五臓四肢に達するには湯を用ゆ。
胃中にとどめんとせば、散を用ゆ。
下部の病には丸に宜し。
急速の病ならば、湯を用ゆ。
緩々なるには散を用ゆ。甚だ緩き症には、丸薬に宜し。
食傷、腹痛などの急病には煎湯を用ゆ。
散薬も可なり。
丸薬はにぶし。
もし用いば、こまかにかみくだきて用ゆべし。

三十三
 中華の書に、薬剤の量数をしるせるを見るに、八解散など、毎服二匁、水一盞、生薑三片、棗一枚煎じて七分にいたる。
是れは一日夜に二三服も用ゆべし。
或は方によりて、毎服三匁、水一盞半、生薑五片、棗一枚、一盞に煎じて滓を去る。
香蘇散などは、日に三服といえり。
まれには滓を一服として煎ずと云う。
多くは滓を去といえり。
人参養胃湯などは、毎服四匁、水一盞半、薑七片、烏梅一箇、煎じて七分にいたり、滓を去。
参蘇飲は毎服四匁、水一盞、生薑七片、棗一箇、六分に煎ず。
霍香生氣散、敗毒散は、毎服二匁、水一盞、生薑三片、棗一枚、七分に煎ず。
寒多きは熱服し、熱多きは温服すといえり。
是れ皆、薬剤一服の分量は多く、水を用る事すくなし。
然れば、煎湯甚だ濃なるべし。
日本の煎法の、小服にして水多きに甚だ異れり。
局方に、小児には半餞を用ゆも児の大小をはかつて加減すといえり。
又、小児の薬方、毎服一匁、水八分、煎じて六分にいたる、といえるもあり。
医書大全、四君子湯方後曰く、「右きざむこと麻豆の大如。
毎服一匁、水三盞、生薑五片、煎じて一盞に至る。
是れ一服を十匁に合せたる也」。水は甚だ少し。

三十四
 中夏の煎法右の如し。
朝鮮人に尋ねしにも、中夏の煎法と同じと云う。

三十五
 宋の沈存中が筆談と云書に曰く、近世は湯を用ずして煮散を用ゆといえり。
然れば、中夏には、此の法を用るなるべし。
煮散の事、筆談に其の法詳ならず。
煮散は薬を麁末とし、細布の薬袋のひろきに入、熱湯の沸上る時、薬袋を入、しばらく煮て、薬汁出たる時、早く取り上げ用るなるべし。
麁末の散薬を煎ずる故、煮散と名づけしにや。
薬汁早く出、早く取上げ、にえばなを服する故、薬力つよし。
煎じ過せば、薬力よわく成てしるしなり。
此の法、利湯を煎じて、薬力つよかるべし。
補薬には此の法用いがたし。
煮散の法、他書においてはいまだ見ず。

三十六
 甘草をも、今の俗医、中夏の十分一用ゆるは、あまり小にして、他薬の助となりがたかるべし。
せめて方書に用たる分量の五分一用べしと云人あり。
此の言、むべなるかな。
人の禀賦をはかり、病症を考えて、加え用ゆべし。
日本の人は、中華の人より体氣薄弱にして、純補をうけがたし。
甘草、棗など斟酌すべし。
李中梓が曰く、甘草性緩なり。
多く用ゆべからず。
一は、甘きは、よく脹をなすをおそる。
一は、薬餌功なきをおそる。
是れ甘草多ければ、一は氣をふさぎて、つかえやすく、一は、薬力よわくなる故なり。

三十七
 生薑は薬一服に一片、若し風寒発散の剤、或は痰を去る薬には、二片を用ゆべし。
皮を去べからず。
かわきたるとほしたるは用るべからず。
或曰く、生薑補湯には二分、利湯には三分、嘔吐の症には四分加うべしと云う。
是れ生なる分量なり。

三十八
 棗は、大なるをえらび用いてたねを去、一服に半分入用ゆべし。
つかえやすき症には去べし。
利湯には、棗を用べからず。
中華の書には、利湯にも、方によりて棗を用ゆ。
日本の人には泥みやすし、加ふべからず。
加ふれば、薬力ぬるくなる。中満、食滞の症及薬のつかえやすき人には、棗を加ふべからず。
龍眼肉も、つかえやすき症には去べし。

三十九
 中夏の書、居家必用、居家必備、斉民要術、農政全書、月令広義等に、料理の法を多くのせたり。
其ののする所、日本の料理に大いにかはり、皆、肥濃膏腴、油膩の具、甘美の饌なり。
其の食味甚だおもし。
中土の人は、腸胃厚く、禀賦つよき故に、かかる重味を食しても滞塞せず。
今世、長崎に来る中夏人も、亦此の如と云う。
日本の人は壮盛にても、かたうの饌食をくらはば飽満し、滞塞して病おこるべし。
日本の人の饌食は、淡くしてかろきをよしとす。
肥濃甘美の味を多く用ず。
庖人の術も、味かろきをよしとし、良工とす。
これ、からやまと風氣の大に異る処なり。
然れば、補薬を小服にし、甘草を減じ、棗を少、用る事むべなり。

四十
 凡そそ薬を煎ずるに、水をえらぶべし。
清くして味よきを用ゆ。
新に汲む水を用ゆべし。
早天に汲む水を井華水と云う。
薬を煎ずべし。
又、茶と羹をにるべし。
新汲水は、平旦ならでも、新に汲んでいまだ器に入ざるを云う。
是れ亦用ゆべし。
汲で器に入、久しくなるは用ゆべからず。

四十一
 今世の俗は、利湯をも、煎じたるかすに、水一盞入て半分に煎じ、別にせんじたると合せ服す。
利湯は、かくの如く、かすまで熟し過しては、薬力よわくして、病をせむるにちからなし。
一度煎じて、其のかすはすつべし。

四十二
 生薑を片とするは、生薑根には肢多し。
其の内一肢をたてに長くわるに、大小にしたがいて、三片或は四片とすべし。
たてにわるべし。
或は問、生薑、医書に其のおもさ幾分と云ずして、幾片と云は何ぞや。
答曰く、新にほり出せるは、生にしておもく、ほり出して日をいたるは、かはきてかろければ、其の重さ幾分と定がたし。
故に幾分と云ずして幾片と云う。

四十三
 棗は、樹頭に在てよく熟し、色の青きが白くなり、少紅まじる時とるべし。
青きはいまだ熟せず、皆、紅なるは熟し過て、肉たゞれてあしし。
色少あかくなり、熟し過ざる時とり、日に久しくほし、よくかはきたる時、むしてほすべし。
生にてむすべからず。
なまびもあしし。
薬舗及市廛にうるは、未熟なるをほしてうる故に性あしし。
用ゆべからず。
或は樹上にて熟し過るもたゞれてあしし。
用ゆべからず。
棗樹は、わが宅に必ず植べし。
熟してよき比の時とるべし。

四十四
 凡そそ薬を服して後、久しく飲食すべからず。
又、薬力のいまだめぐらざる内に、酒食をいむ。
又、薬をのんでねむり臥すべからず。
ねむれば薬力めぐらず、滞りて害となる。
必ず戒むべし。

四十五
 凡そそ薬を服する時は、朝夕の食、常よりも殊につつしみえらぶべし。
あぶら多き魚、鳥、獣、なます、さしみ、すし、肉ひしほ、なし物、なまぐさき物、ねばき物、かたき物、一切の生冷の物、生菜の熟せざる物、ふるくけがらはしき物、色あしく臭あしく味変じたる物、生なる菓、つくりたる菓子、あめ、砂糖、もち、だんご、氣をふさぐ物、消化しがたき物、くらふべからず。
又、薬をのむ日は、酒を多くのむべからず。
のまざるは尤よし。
酒力、薬にかてばしるしなし。
醴ものむべからず。
日長き時も、昼の間、菓子点心などくらふべからず。
薬力のめぐる間は、食をいむべし。
点心をくらえば、氣をふさぎて、昼の間、薬力めぐらず。
又、死人、産婦など、けがれいむべき物を見れば、氣をふさぐ故、薬力めぐりがたく、滞やすくして、薬のしるしなし。
いましめてみるべからず。

四十六
 補薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などのつよき火を用ゆべからず。
かれたる蘆の火、枯竹、桑柴の火、或はけし炭など、一切のやはらかなる火よし。
はげしくもゆる火を用ゆれば、薬力を損す。
利薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などの、さかんなるつよき火を用ゆべし。
是れ薬力をたすくるなり。

四十七
 薬一服の大小、軽重は、病症により、人の大小強弱によつて、増減すべし。
補湯は、小剤にして少づつ服し、おそく効をとるべし。
多く用い過せば、滞りふさがる。
発散、瀉下、疎通の利湯は、大剤にしてつよきに宜し、早く効をとるべし。

四十八
 薬を煎ずるは、磁器よし、陶器なり。
又、砂罐と云う。
銅をいまざる薬は、ふるき銅器もよし。
新しきは銅氣多くしてあしし。
世俗に薬鍋と云は、銅厚くして銅氣多し。
薬罐と云は、銅うすくして銅氣すくなし。
形小なるがよし。

四十九
 利薬を久しく煎じつめては、消導発散すべき生氣の力なし。
煎じつめずして、にんを失はざる生氣あるを服して、病をせむべし。
たとえば、茶をせんじ、生魚を煮、豆腐を煮るが如し。
生熟の間、よき程のにえばなを失はざれば、味よくしてつかえず。
にんを失えば、味あしくして、つかえやすきが如し。

五十
 毒にあたりて、薬を用るに、必ず熱湯を用ゆべからず。
熱湯を用ゆれば毒弥甚し。
冷水を用ゆべし。
これ事林広記の説なり。
しらずんばあるべからず。

五十一
 食物の毒、一切の毒にあたりたるに、黒豆、甘草をこく煎じ、冷になりたる時、しきりにのむべし。
温熱なるをのむべからず。
はちく竹の葉を、加ふるもよし。
もし毒をけす薬なくば、冷水を多く飲べし。
多く吐瀉すればよし。
是れ古人急に備ふる法なり。
知べし。

五十二
 酒を煎湯に加ふるには、薬を煎じて後、あげんとする時加うべし。
早く加ふるあしし。

五十三
 腎は、水を主どる。
五臓六腑の精をうけてをさむ故、五臓盛なれば、腎水盛なり。
腎の臓ひとつに、精あるに非ず。
然れば、腎を補わんとて専腎薬を用ゆべからず。
腎は下部にあつて五臓六腑の根とす。
腎氣、虚すれば一身の根本衰ろう。故に、養生の道は、腎氣をよく保つべし。
腎氣亡びては生命を保ちがたし。精氣をおしまずして、薬治と食治とを以て、腎を補わんとするは末なり。
しるしなかるべし。

五十四
 東垣が曰くく、細末の薬は経絡にめぐらず。
只、胃中臓腑の積を去る。下部の病には、大丸を用ゆ。中焦の病は之に次ぐ。
上焦を治するには極めて小丸にす。
うすき糊にて丸ずるは、化しやすきに取る。
こき糊にて丸ずるは、おそく化して、中下焦に至る。

五十五
 丸薬、上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。
中焦の薬は小丸にして堅かるべし。
下焦の薬は大丸にして堅きがよし。
是れ、頤生微論の説なり。
又、湯は久き病に用ゆ。
散は急なる病に用ゆ。
丸はゆるやかなる病に用る事、東垣が珍珠嚢に見えたり。

五十六
 中夏の秤も、日本の秤と同じ。薬を合するには、かねて一服の分量を定め、各品の分釐をきはめ、釐等を用いてかけ合すべし。
薬により軽重甚かはれり、多少を以て分量を定めがたし。

五十七
 諸香の鼻を養う事、五味の口を養うがごとし。
諸香は、是れをかげば生氣をたすけ、邪氣をはらい、悪臭をけし、けがれをさり、神明に通ず。
いとまありて、静室に坐して、香をたきて黙坐するは、雅趣をたすけて心を養うべし。
是れ亦、養生の一端なり。香に四品あり。たき香あり、掛香あり、食香あり、貼香あり。
たき香とは、あはせたきものの事なり。からの書に百和香と云う。
日本にも、古今和歌集の物の名に百和香をよめり。
かけ香とは、かほり袋、にほひの玉などを云う。
貼香とは、花の露、兵部卿など云類の、身につくる香なり。
食香とは、食して香よき物、透頂香、香茶餅、団茶など云物の事なり。

五十八
 悪氣をさるに、蒼朮をたくべし。
こすいの実をたけば、邪氣をはらう。
又、痘瘡のけがれをさる。蘿もの葉をほしてたけば、糞小便の悪氣をはらう。
手のけがれたるにも蘿もの生葉をもんでぬるべし。
腥き臭あしき物を、食したるに、こすいをくらえば悪臭さる。
蘿ものわか葉を煮て食すれば、味よく性よし。

五十九
 大便、瀉しやすきは大いにあしし。
少秘するはよし。
老人の秘結するは寿のしるしなり。
尤もよし。
然共、甚秘結するはあしし。
およそ人の脾胃につかえ、食滞り、或は腹痛し、不食し、氣塞る病する人、世に多し。
是れ多くは、大便通じがたくして、滞る故しかり。
つかゆるは、大便つかゆるなり。
大便滞らざるやうに治すべし。
麻仁、杏仁、胡麻などつねに食すれば、腸胃うるほひて便結せず。

六十
 上中部の丸薬は早く消化するをよしとす。
故に、小丸を用ゆ。
早く消化する故なり。
今、新なる一法あり。
用ゆべし。
末薬をのりに和してつねの如くに丸せず、線香の如く、長さ七八寸に、手にてもみて、引のべ、線香より少大にして、日にほし、なまびの時、長さ一分余に、みじかく切て丸せず、其のまま日にほすべし。
是れ一づつ丸したるより消化しやすし。
上中部を治するに、此の法宜し。
下部に達する丸薬には、此の法宜しからず。
此の法、一粒づつ丸ずるより、はか行きて早く成る。

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