五常訓 巻之六 信


 信は、説文に曰く、誠也从人从言會意。
徐曰、於文人言爲信、言而不信非爲人也。
信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、會意に属す。
偏旁の意を以て作りし字なり。
いう意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。
故に人の言は、必ず信あるべしと云う意なり。
五常においては、心に誠あるを云う。
口に偽りをいわざるも、其の内にあり。
仁義禮智の、偽りなき眞實なるを、信と云う。
信なければ、仁義禮智にあらず。
仁義禮智四徳の外に、又、信あるにあらず。
親によく仕えるは孝なれど、名聞の為につとめ、又、親の寵愛を願いて務めるは、孝にあらず。
君によく仕えるは、忠なれど、君の寵を願い、官祿を貪りて、奉公を務めるは、忠にあらず。
是れ皆、誠の道にあらず。
忠孝に限らず、萬事皆かくの如し。
中庸に、誠なら不れば物無しといえり。
物無しとは、偽りて實なきなり。
親につかえ、君につかえるに、誠なくして、右にいえる如くなれば、忠孝にあらず。
是れ物なきなり。
萬の事、皆、誠なければ物無し。
凡そ名と利とを求めてする事は、たとえ天下に聞こえるほどの善なりとも、其の心眞實ならざれば、私とす。
善にあらず。
是れ物なきなり。
四徳に誠なければ、仁義禮智にあらず、偽りなり。
是れ物なきなり。
人の、天より生れつきたる性は、唯、仁義禮智の四徳なり。
此の四徳にて、人道行わる。
此の故に、孟子は、ただ仁義禮智を説きて、信を説き給わず。
程子の曰く、四端不言信者既有誠心爲四端則信在其中矣。
これを以て、仁義禮智の外に、信なき事を知るべし。
信は、天道にていえば、誠なり。
眞實無矣を誠と云う。
天道に春夏秋冬の四時あり。
其の内に土用あり。
四時に元亨利貞の四徳あり。
四徳の實にして、萬世までたがわざるは、誠なり。
人に仁義禮智ありて、其の内に信あるも、亦、かくの如し。
元亨利貞、四時のめぐりの序で違わざるは、即ち誠なり。
天道の、春生じ、夏長じ、秋おさめ、冬かくす事、年々同じく、日月のめぐり、四時の温熱涼寒、人物のかたちも性も、萬古より今に至りてかわらず。
桃花は年々紅に、李花は、年々白きも、皆是れ、天道の誠たがわざるなり。
天道にありては、誠と云い、人に生れつきては、信と云う。
天にあり、人にある、理は一つなり。


 仁義禮智の四徳は、春夏秋冬の四時になずらえ、信は、土用になぞらふ。
信なければ四徳たたず。
一年の功も、春夏秋冬にて備わりぬれど、土用によりて、四時行われるが如し。
木火金水も、土にあらざれば生ぜず。
天道誠なければ、元亨利貞の四徳たたず。
人道も、信なければ、仁義禮智の四徳行われず。
誠ならざれば物なしといえるは、是れなり。


 信は身を修めるのみならず、人を治め、國をたもつの要なり。
信なければ、人したがわず。
むかし子貢、孔子に國の政をとう。
孔子曰く、食を足し、兵を足し、民之を信ず。
此の意は、國を治めるに、第一には、食の養い無ければ、民命続かず。
第二、武の備え無ければ、國土の守りなく、敵にあなどり攻められて、民をやすんじ、國を守る事あたわず。
第三、上の心に信なければ、民たる者、上を信ぜず。
下知法度を出しても、信無ければ、法やぶられて行われず。
民上を信ぜざれば、上につかえるに、眞實の道なし。
凡そ此の、食と兵と信と、三つの者は、一つを捨てば、何をか先に捨つべきや。
孔子答えて曰く、兵を捨つべし。
如何となれば、食と信と之有り、兵粮たくさんにて、士卒萬民上に思いつかば、兵なくとも、國を守ること堅固なるべし。
子貢又問へり。
食と信との二つの内、やむことを得ずして、一つを捨てば、何を先に捨つべき。
答えて曰く、食を捨つべし。
食無ければ民死す。
然れども、信なくて生きんよりは、城を枕にして、飢え死し、討死したらんこそ、本意なるべけれ。
古より、死は、人の常ならば、飢えて死すとも力及ばず。
人もし信を失えば、人道たたず。
かいなき命を生たりとも、人となるの理亡びなば、恥づべきの甚だしきなれば、道ありて死したるには、遙かに劣るべし。
もし信なくて、士卒萬民上に従わず、思いつかずば、兵糧たくさんにして、莫大の軍勢ありとも、用に立つべからず。
是れ、子貢に答え給える意なるべし。
又、司馬温公の曰く、信者人君の大宝なり。
國は民保ち、民は信に保つ。
信にあらざれば、民をつかう事なく、民にあらざれば、國を守る事なし。
故に古の王者は、四海を欺かずと云えり。
夫れ、國は民を以て保つ。
民したがわざれば、國ありても保ち難し。民は信を以て保つ。
上より民を欺き偽りて、信無ければ、民上を信ぜずして、思いつかず。
民の心を保ち難し。


 賞罰は、必ず信にすと云うは、功ある人をば、必ず恩賞をあたえ、罪ある者をば、必ず刑罰に行わんと、兼ねて人に示すは、法なり。
賞罰は、人君の權なり。
是れなければ、善すすまず、悪こりず。
君の權威を失えるなり。
功あれども賞せず、罪あれども罰せざれば、是れ民に信なきなり。
此の如くなれば、法をやぶりて、民信ぜず。
善をするに怠りてつとめず、悪をする事をおそれずして、罰を犯す者多し。
かく法たたざれば、國危うし。
又、尚書に、令出ては、これ行わしめ、背かしめざれといえり。
いう意は、法を出さば、初めよく思案し、僉議して、後まで破られ無き法を立つべし。
一たび下知を出して、法をたてば、後まで其の法を行わしめて、背かしむる事なかれ。
そむく者は、必ずつみに行うべし。
此の如くなれば、いつまでも、法立ちてやぶれず。
一たび下知を出して、後まで変ぜざるは、是れ信なり。
もし後まで立ちがたき法ならば、初めによく議論して、法を立つべからず。
是れ始めを慎るなり。
若し、下知して後変ぜば、是れ上に信なくして、民信ぜず。
君に權なくして、法立たず。


 有子の曰く、信近於義、言可復也。
いう意は、人に約して、其の言をたがえじと思わば、初め約せんとする時、其の人のいえる事、義か不義かを省みるべし。
義にかなわば、約すべし。
義にそむかば、約すべからず。
かくの如くすれば、其の約違わずして、言ふむべし。
言をふむとは、約したる言をふまえて、首尾ちがわざるなり。
是れ信を失わざる道なり。
老子の曰く、軽々諾者、必寡信。
いう意は、軽々しく請けごへば、後に其の事成し難くて、約にたがう事あり。
故に信少なしと也。
はじめ約せんとする時、つつしみ思案して、後をはかるべし。
故に古人は、然諾を慎むとて、人の云いかけたる事を、軽々しくうけあわずして、約をおもくす。
其の事義にありて行うべく、又、後日に其の約違うまじき事ならば、うけごいて約し、必ず約を変ずべからず。
若し、軽々しく請け合いて、後日に其の義にあたらざれば、約を守り難くして、前言偽りとなり、信を失う。
一たび言いかわし約束したる事を違えて、其の首尾あわず、偽りとなるは、是れ恥づべき事甚だし。
人にあらずと思うべし。
若し、あやまりて、義にあわざる事をうけあわば、其の不義と不信との軽重を考えて、宜しきに従うべし。
いにしえ、尾生と云う者、人と約して、其の所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、ついにおぼれ死す。
是れ小信にかかわりて、身を失う。
愚かと云うべし。
又、身をすてても、信を守るべき事あり。
時宜によるべし。
孟子の曰く、大人者、言不必ず信、惟義所在。
大人は大徳ある人なり。
言に信を期せず、唯義を考え行いて、自ずから信を失わずとなり。


 初めにうけ合わざるは、しばらく人の心に喜ばずといえども、信に害なし。
心弱く又、氣軽々しくして、たやすく請け合い、後に其の約違いぬれば、甚だ信に害あり。
されど人の為に謀って忠あるは、人にまじわる道なれば、なるべき理だにあらば、請け合いて心を盡すべし。、是れ忠厚の道なり。


 誠は實理なり。
ここを以て、眞實旡妄之謂誠と、程子もいえり。
中庸に誠者は天之道也といえるは、天道の實理、自然に行われるを云う。
聖人の誠も、亦同じ、つとめずして、自ずから實なるなり。
又曰く、誠之者人之道也といえるは、人の力を用いて、つとめなすを誠之と云う。
是れ即ち忠信なり。
賢人以下は、天道聖人の如くならざれども、つとめて此の誠を行うは、是れ人の力を用いて行う理なれば、人の道なりといえり。
誠にあらざれば、天道人道共に立たず。
故に孔子も、主忠信とのたまう。
忠信は人の誠、誠之者人の道といえる。
是れなり。
程子も、人道は、唯、忠信にあり。
誠ならざれば物なしといえり。
又、古語に、五常百行非誠非也。
其の實なければ、此の名なし。
忠信は、即ち人の誠なり。
程子も、盡己之謂忠、以實之謂信といえり。
心をつくして残さざるを忠とし、言と行いとに實を用いて、偽らざるを信と云う。
心にある誠を忠とし、言行に表れたる誠を信と云う。


 人を諌めるに、誠あまりあって、言たらざれば、感通しやすくして、人に益あり。
人の心に怒り起こらずして、我に禍なし。
人をいさめる言は、婉順なるべし。
若し誠足らずして、言切直に過ぎぬるは、人いかりて、我が諌めをうけず、人に益なくして、我に害あり。
誠を以て感じれば、人も亦信じて、従い易し。


 朱子曰く、人の誠ならざる所、多くは言の上にありと。
信をまもるに、言語の上に心を用いて、實を以てすべし。


 朋友に交わるには、もとより愛敬を用ゆべし。
然れども、信なければ、愛敬も偽りより出て、誠の愛敬にあらず。
顔色をやわらげ、容貌をうやうやしくするも、偽りかざれるは、愛敬とすべからず。

十一
 子の曰く、人人而無信不知其可也。
人の心信實なるは、萬事の基にして、人に交わるの道なり。
若し、信なければ、萬事すべて偽りなれば、人に交わりて、如何ぞ善なるべき。
例えば、大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。
小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。
車と牛馬とは、別の物なれど、輗と軏とあれば、是れを以て牛馬に車をかけて引かしむべし。
若し此の物無くんば、何を以てか車をやるべきや。
人に交わるに信ならざるも、亦
かくの如し。
人と我とは、二物なり。
信實を以て交われば、互いに感通して、道行わる。
若し信なくして人と交わらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。
彼と我と感通ぜず。
何を以てか道行われんや。

十二
 子路無宿諾とは、一たび行わんと心にうけごいたる事を、延引せず、すみやかに行われしなりと。
是れ信ある所なり。

十三
 信は心に誠あるなり。
心に誠あれば、言行の上にあらわる。
言は行いをかえりみていい、行いは言をかえりみて行う。
是れ、言行共に信あるなり。
もし身に行わざる事を口にいい、口に言う事を身に行わざるは、是れ言行共に信なきなり。
言う事は易く、行う事はかたし。
故に言をば控え、行いをば、過すべし。
是れ信を行う道なり。

十四
 むかし魏の文候と云いし君、明日猟に出でんと下知せらる。
然るに明日雨ふる。
されども前言をたがえじとて、路まで出で、やがて帰られける。
是れ信を民に失わじとなり。
周の幽王は、無道の君なり。
褒姒と云う美女を愛す。
此の女笑う事を好まず。
或時隣國に変ありとて、烽火をあぐ。
烽火は、相圖の火をあげて、兵を招きよせんがため也。
褒姒、烽火を見て大にわらう。
是れより褒姒を笑わせんとて、烽火をあぐ。
兵ども、変ありと思いて集まれども、其の事なし。
それより後は、しばしば烽火すれども、相圖の火にあらざる事を知りて、兵集まらず。
或時他方より敵せめ來りしに、兵をまねかんため、烽火をしきりに擧げれども、兵ども、褒姒が為の烽火なりと思いて集まらず。
幽王ついに敵のために殺されぬ。
是れ民に信を失えるなり。

十五
 孔子の曰く、信則人任。
信實にして、言に偽りなければ、一たび約したること、其の首尾たがわず。
故に人たのもしく思いて、打ち任せて疑わず。
是れ人任するなり。
もし信ならざれば、約ちがいて、其のいえる事、朝夕にかわりて、たのもしげなし。
何ぞ任せんや。

十六
 凡そ君の、臣にまじわり、國人にまじわり、朋友の相まじわる、吏人の民に対する。
皆信あるべし。
信なければ、人の交わりの道たえて行われず。
たのしみ無ければなり。

十七
 道を信ずる志は、専一にして厚かるべし。
厚からざれば、彼方此方に志うつりて、道を守ること堅固ならず。
得る事あれども、必ず失う。
然れば、信なければ、初道を好むといえども、終わりを保ち難く、巧言に迷いて、邪道におち入り易し。
誠之者は、人之道也。
誠之之道は、道を信ずること篤きにあり。
道を信ずること篤ければ、行う之を果たす。
果たすとは、行い遂げるなり。
行之果たせば、守る之固しとは、道を守る事堅固にして、失わざるなり。
道を信ずること篤からざれば、道行われず。
利欲に惹かれ、外物にうつりて、道を守ること堅固ならず。
道を信ぜずして、守ること堅固ならずば、萬の才能ありといえども、見るに足らず。
是れ、学者の、重んずべき所なり。

十八
 
自信とは、自ら道を信ずること篤くして、其の守ること堅固なるを云う。
たとえ世の人こぞりて我を譽めるとも、我に善なくんば、喜ぶべからず。
世の人こぞりて毀るとも、我にあやまり無くんば、憂うべからず。
故に淮南子に、自ら信ずる者は、誹譽を以て遷るべからずといえり。
古の聖賢も、小人の誹りをまぬがれ給わず。
今の人、衆人の誹りをおそれ憂うべからず。
然れども、小人の忌憚る事無き者は、又、世人の誹りをかえりみず。
是れ、君子の自ら信ずるとは、同日の談にあらず。

寛永八辛卯年初春日

        筑前州  益軒 貝原篤信 撰

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