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文武訓 文訓下之末


 もろこしの聖人、古の詩を選びて教えを立て給う。
詩を学べば、自ずから善き事、悪しき事を、見聞くに従いて、感を起こして、善き事を好み、悪しき事を嫌う。
是れ、人の心を導いて、知らず覚えずして、正しく善き方に移り行かしむる教えなり。
古の詩三百篇の内にも、賢人君子の作れるは稀なり。
國風などは、里巷歌謠とて、其の國其の時、卑しき民俗男女の歌える、村里の卑しき歌多し。
ことごとくに道理の至れる詩は、稀なり。
されども、それを以て教えとし給うは、愚かなる民俗の言いし事も、皆、人情を述べて理あり。
是を、見聞きすれば、人の心を感ぜしめて、善に移り悪を戒める助けとなれり。
和歌も亦、此の如し。
古和歌をよく読める人、必ず賢人君子にも有らざれども、其の内に、人情をよく言い適えたる事多し。
是れ亦、其の歌に感じて、善心を起こし、情けを催す助けとなれり。
この意を以て、歌を好み玩ばば、もろこしの詩の教えと同じく、善に移る益多かるべし。
されど、和歌には、好色の歌多し。
是れは、詩にて言わば、鄭衛の風なれば、教えとならず。
かえって、淫風を導く媒となりぬべし。
悪しきをば、戒めとすべしと云う説あれど、それは君子の操ある人は、さも有るべし。
かかる人は稀なれば、悪しきに移る助けとならん事恐るべし。
三百篇は、聖人の選び定め給えり。
和歌も、かかる明哲の人ありて、善き悪しきをえり調えば、皆、教えとなるべし。
されど今、古の和歌を見ん人、此の理をもって選べば教えとなるべし。
和歌をよく選び用えば、其の益などか無るべき。
近き世の和歌は、只、言葉を巧みにして、飾れるを好みて、其の志を言う事は、少なし。
詩も和歌も、志を云うを宗とすべし。
言葉は、只、古きを用い、賤しからざるを以て善とすべし。
言葉を巧みにせんとすれば、和歌の本意を失う。
わが身、和歌を作る事、適わずとも、古人の歌を選び用いれば、かえって、我が詠むには、優りなん。


 学問などの道理を人に説くに、其の人の識見、未だ至らず、或いは、学力弱き人に対して、高く深き事、説くべからず。
博学なる人も或いは、聡明ならず。
其の学術、悪しく、又、蔽個にして、教えに関われる人に、高深なる事を説けば、わが説を心得ず信ぜずして誹り嘲る。
凡そ、かようの事、其の事を歴ざれば、其の禍い有る事を知らず。


 富貴の家に生まれて、道に志無ければ、人に憐れみ無く、物に情け無く、萬の理を知らず、怠りて書を読まず、善き道を学ばずして、知恵開けず、人の道知るべきよう無し。
財多く勢い有りて、善を行うに力あれども、善を好まざれば行わず。
是れ、貧賤にして道を好む人に劣れり。
もし、智有りて、幸いにして富貴に生まれたる人は、善を好みて廣く人を救い助けば、富貴なる甲斐ありて、甚だ楽しむべし。


 古の学を好みし人、財祿の養い無く、貧賤にして、自ら田を作り、薪を取りて身を養い、艱苦して書を読む。
或いは、貧しくして燈なく、雪に映じ蛍を集めて書を読み、又、壁をうがちて、隣のともし火を用いて、書を読みし人あり。
或いは、貧家に読むべき書無くして、書有る家に雇われ、力の働きして、其の代わりに書を借りて読みし人あり。
かかる艱苦を嘗めて、書を読みし人多かりき。
其の志、尊ぶべく、其の艱苦、憐れむべし。
此の如く苦しみて努めし人は、其の功業を成して道を知り、世に用いられたり。


 日の本も、近き世まで、都に板行の書無く、田舎には、書を教える師無く、寫本だに無くて、求め兼ねて、他國に遠く行きて師を訪ね、書を借り求め、夜を日につぎて読み慣い、書を寫して帰りぬ。
其の艱苦、甚だし。
今も家貧しき人は、書を読む事を好めども、書無く、師無く、筆硯紙墨も乏しく、書を読むべき宿も無く、明窓浄几なく、夜は燈なせれば、書を読む事適わず、田を作り薪を取る暇にも、少しばかり書を借り求めて読む者あり、憐れむべし。
然るに、今富める人の子は、衣を暖かに着、食に飽き、家居よくして、書を読むに師あり。
財多ければ五車の書を求め易く、明窓浄几あり、筆硯紙墨、精良を極めて不足なる事無し。
又、賢父兄あれども、其の戒めを防ぎ、良師あれども其の教えを受けず、書を読む事を好まざれば、いたずらに日を空くするのみならず、無頼の悪少年を友とし、酒色を好み、美食を貪り、博奕し、淫楽を好み、非禮を行いて学問を嫌い謗り、道義を好まず、一生愚かにして身を終わる。
我が身の福も富貴も一つも用にたたず、惜しむべし。
昔もろこし張憲武と云いし人、十一の惜しむべき説を作りて、昔、貧しき人の書を読む事を好みし事、今の人、家富み師あれども、書を読む事を好まざるは惜しむべき事なり、と云えり。


 わが國の書生詩人、多くは、もろこしの歴代の故事をば記すれども、わが國の日本紀以下の國史に昧く、又、律令格式を知らず、萬葉以下の歌集を見ず。
故にわが國の古今歴代の事、本朝の典故に昧く、和語に通ぜず、和漢の文を書き、わが國の事を記せば誤る。
近きわが國の事を捨てて知らず、遠きもろこしの事を専らにするは、誤れるなり。


 わが日の本上古の言は、元より風雅にして、中臣祓の詞の如く、又、歌の言葉に似て、今の俗の俚語に、大に代わりて賤しからざるべし。
神功皇后新羅を征し給いしより此の方、他人の國とわが國と、ようやく交わり通じて、漢字傳わり来り、太子以下、聖経を読み習い給う。
其の後、漢字の音は、わが國の人の口に適わずして、和音五十字の相通を以て、五音を相かなえて、別に和音を付けて、漢音を改めて和音とす。
今の漢字の音、是れなり。
ここを以て、文字は中華の字にして、音は唐音にあらず和音なり。
和音なれども、五音相通する道ありてしかり。
其の後、又、佛書傳わり来り。
これを誦する者多し。
是れより後は、上古の和語はようやく廃り、佛書の連続せる文字を以て、俗語とする事多し。
又、佛書にあらざれども、漢字を以て、妄りに続けて作り出せる俗語多し。
儒書より早く渡りしかど、読む人多からざりしにや、これを用いて俗語とせしは少なし。
時俗の語と、漢字の音と相交えて和語を作る。
言語の字を連ねる事、多くは文理賤しく拙くして、且つ、字義適わざる事多し。
近世の俗語は、又、彌賤し、文理義に当たらざる事多し。
もろこしの俗語だにも、後世は賤しき事多し。
況や、わが國文字の拙きをや。


 凡そ、世俗のなす所、習って察せず。
昔より、誤り来たりしに打ちまかせて、改めざる事多し。
本朝の官職の名は、わが國の古制なれば、頗る正しくして鄙俚ならず。
文章を作るにも、わが國古昔朝廷の法制に従い、本朝の官名を用いるも、我が國の規模なるべきに、奇異を好む書生は、わが國の古制の官名をば用いずして、唐の珍しき管名を、書き換えて用いるこそほいなけれ。
しいて異名を用いる故、和漢合わざる事多し。
國の名も、陽の字を付けて、河陽、丹陽、播陽、藝陽、紫陽など言い、又、州名に限らず、伏見を伏陽と言い、華人も、其の誤りに倣って、長崎を崎陽と稱す。
笑うべし。
凡そ、もろこしにて、陽の字を地の名とする事、山の南、河の北にある所には、某陽と稱す。
所謂、咸葉、漢陽、丹陽の類の如き是れなり。
さもなき所に、おしなべて陽の字をば附けず。
本邦にて、妄りに陽の字を附ける事、叢林の徒より始まりて、其の後は老師宿儒と雖も、其の科に倣って、皆、因循せり。
習而不察と云うべし。


 書を読めば、千歳の後より千歳の前の人に逢いまみゆ。
我が如き愚者と雖も、古の聖賢に自ら対して、目の当たり其の教えを受けるが如し。
其の理、高くして大なる事、天の如く、深くして廣き事、海の如し。
学問の道の大なる事、天と海との外には例えるべき物なし。
此の故に、天下の楽しみ、是れに似たるは無し。
世人、此の楽しみを知らず、大なる不幸なり。
例えば、日本に居て、富士の岳、吉野の花を見ざる人だに見せまくほし。
況んや、世の人に、此の書を見せまくほしく、此の道を知らせまくほしし。
人となりて、書を読まずして、此の道を伺わざる人は、極めて不幸の人にて、人となれる楽しみ無し、憐れむべし。


 世間人の好むわざ、皆、友に対し、或いは従者を俟ちて行わる。
我一人成し難し。
棊を囲み連歌し、太刀を使い、矛を振り、弓を射、馬に乗り、音楽を奏し、漁猟するの類、皆、しかり。
只、読書のみ独なして、友を用いず、古人に尚友する楽しみ深し。
未だ見ざる書を読むは、良友に逢えるが如し。
すでに見る書を読むは、故人に逢えるが如し。

十一
 わが輩の如き、才なく愚かなる身は、老い極まりても、才徳を成し難し。
されども、凡そ人の才徳をなし、学にすすむ事は、長寿を保たざれば成し得べからず。
学を努めて長寿なる人は、其の幸い甚だし。
長寿を保つ人、極めて稀なり。
長寿ならん人は、学に進んで、自得すべき計をなすべし。
無益の事をなして、惜しむべき月日を空しく過ごすべからず。
若き時よしとする事、老いて後思えば、僻事多し。
義理の精明なる事は、年若く気荒ければ、なし得難し。
老いての後の事なり。
若き時は、只、多く読んでそらんじ覚える事を努むべし。
書を読んで空に覚え、博く書を見る事、年老い気衰えてはなり難し。

十二
 巫祝の輩、其の家に秘して、上古の和字と称して、符まもりに書く所の字あり。
これ漢字を以て作れるなり。
遵生八牋、不求人等に載せたる符章の偽字と頗る同じ。
是れ其のもと、もろこしより来たれる偽字なる事を知らで、上古の和字と思えるは僻事なり。

十三
 学問も藝能も、人に難ぜられ謗られてこそ、わが悪しき事を知りて、善き道に進むべけれ、自ら善しと思い、人に褒められては、わが悪しき事を聞かで、善き道に進むべきようなし。
わがする事は善きと思いて誇り、人の事悪ししと思うは、世の常の人の慣いなり。
かく有ては、善き道に進むべきようなし。

十四
 わが日の本は、神武天皇よりこの方、今に至るまで、二千餘年、もろこしは、堯舜より以來、今まで凡そ三千五百年、其の間、天下の事変、世々の治乱盛衰、其の世にありし人の有様の古き迹、唐大和の昔を記せし歴史、通艦等の書に載せて詳らかなり。
もし、よく其の書を考え見る人は、其の事は久しく振りにたれど、吾が身は長らえて、其の間の世々を久しく歴て、目の当たり其の時の有様を見たる様に覚ゆ。
然れば日本の古、二千年、中夏の三千五百年の歳を保てるに同じかるべし。
豈、楽しまざるべきや。

十五
 和漢の人、古今書を著わせる多し。
豪傑の作れる書は、誠にわが如き愚者は間然し難し。
才俊の士と雖も、若し、其の著す所、聖賢の学に有らず、有り用の言に有らずんば、文章ことに麗しくとも、民用の資とならず、無用の書なるべし。
民用の助けとならば、居家必用、農政全書、済民要術の類と雖も、有り用の書とすべし。
今の時、わが輩、才学拙き者の作にて言わば、糠味噌、醤の製法を記せる書も、民用の助けとならば、有益の書なり。
もし、宋儒に阿り諛いて雷同し、発明する事なく、同じこと言わば、高く道徳性命を談ずとも、無用の学なるべし。

十六
 小学の書、註多し。
朱子本註は、去るべからず。
諸註に、是れを去るは何ぞや。
陳選が句読、王雲鳳が章句を可とす。
されども、句読には、少小学の本旨に背ける事多し。
王雲鳳が章句猶優れり。
所謂後出のもの巧みなればなり。
近年は、専ら句読を世こぞりて用ゆ。
陳選は誠に賢儒なれども、其の誤りには従い難し。
立教の初めに、朱子中庸の巻首を引用いられしは、聖人教えを立てるの本意を知らしめんとなり。
然れば、只、其の字義を浅く説きたらば、小子の為さしと、し易かるべし。
然るに句読に、中庸の章句を、そのままもち来たりて、説きて高深を極む。
かかる高深なる事を説き聞かせば、初学の児童に宜しからず、聞くに倦みて学をうとんずべし。
其の餘にも、陳選が註宜しからざる事多し。
凡そ、小学は、小児の学ぶ所なり。
其の教え浅近にして、諭しやすく、易簡にして行い易きが宜しかるべし。

十七
 日本には、中世以後正史なし。
野史も稀にして詳らかならず。
此の故、天下の大事だに正しく記したる書無ければ、野史に少し記したるにては、その事詳らかならず。
實否疑わし。
況や、國々の事、其の國に文字を知れる者無ければ記さず。
後年に、他方より、其のありしを、聞き傳えに任せて記せるは、多くは、空事有るべし。
正史無く國記無き事、うらめし。
日本は諸國に優りたる上國なるに、此の事、闕けたる事、異國人の聞くもあさまし。

十八
 道理無き事を、見聞きして信ずるは愚か也。
理無き偽り事を、誠と心得て妄りに信ずるは、知無きが故なり。
又、理有る事を知らずしてぜざるは、尤も愚かなり。
理有る筋を以て、偽りて人を欺くは、智者も欺かれる事有り。

十九
 学の筋を学術と云う。
書を読み学をする人は、同じく聖賢の書を読めども、世の中の学術正なると偏なると、さまざま有り。
初めて書を読むより、此の心得有りて、よく選びて、悪しき学術をば学ぶべからず。
同じく聖賢の書を読みて、己は善しと思えど、かえって道に背ける悪しき学術あり。
自ら誤るのみならず、多く人を誤るは憂うべし。
聖人の言、及び人情と時宜とに背けるは、学術悪しき也。
能く選ぶべし。

二十
 学者、無用の事をば多く知りて、有り用の事をなす事多し。
親に疎くして他人の交わり親しき有り、急なる事はさし置きて、不急なる事をつとむ。
聖賢の書は常に読まず、雑書を多く読む。
日本の書に疎く、中夏の古事を専らに知る、皆是れ、本末緩急を失えり。

二十一
 暇ある人、詩歌の才ありて、詠作を好みて、心を楽しましめるは宜し。
家業暇無き人の、心を苦しめて拙き詩歌を多く作るは益無し。

二十二
 天地の道、人倫の教え、萬物の理、数千年の人、数千年の事、誠に天地古今人物、極まり無き廣大の理、廣大の事なり。
然るに、書を読み学問する力を以て坐ながら、よく知る、其の楽しみ大なるかな。
豈、努めて書を読み、学ばざるべけんや。
是れを以て見れば、書を読まざる人は、富貴なりと雖も、不幸なり。
書を多く読む人は、貧賤なりと雖も幸大なり。

二十三
 湯桶文字と云うは、和俗文學に疎き故に、音と訓とを一つに合わせて、物の名に言葉にも書き綴るを云う。
湯は訓なり、桶は音なり。
訓と音とを合わせて、ゆおけ、に名づけたり。
猶、此の如く、誤りて名づけし物多し。

二十四
 書を読まば、玩味すべし。
只、一通り読みたるのみにては、其の心を自得し難し。
よく静かに心に味わいて、其の理を知るべし。
詳しく熟すべし。
多く貪り見るべからず。
益無し。

二十五
 書を読んで、つづまやかに、其の要を守るは誠に宜し。
廣くして守り無きに優れり。
されども、義理は廣大なり。
博く学ばざれば義理詳らかならず。
熟せずして要約をも失う。
例えば、網を以て鳥を獲るに、鳥のかかる所は、只、一目なれど、網廣からざれば、鳥かからざるが如し。
学、博からざれば、要を知りて守り難し。

二十六
 君子と名づけたるは何ぞや。
君の位に居て、下民を子の如く慈しむ、故に名づく。
是れ、孝経正義の説なり。
又、聖人或いは、賢人をも君子と云う。
其の位無しと雖も其の徳あればなり。
小人とは何ぞ。
耳目口鼻の欲に従いて、心志の大體を失える者を言えり。
是れ孟子の言に出でたり。
位につきて言えば、下にある細民を小人と云う。

二十七
 書生は、書を多く読みたるまでにて、道理を知らず。
文士は、詩文を飾りて巧みに作りたるまでにて實用無し。
是れを、学問とするは、非なり。
此の如くなる用無き人を学者と思い、すべて、経史の学の實用あるをも捨てて、無用の学と同じく心得て貴ばざるは、無学の人の不智なり。

二十八
 大和歌は、其の意、温雅にして其の詞優し。
精巧なる事、唐詩に劣らず、婦人の作る所と雖も又しかり。
國字の文、貫之、伊勢、紫式部、清少納言などが作れるも、又、精巧なり。
わが國の詩と文とに比べれば、大に優れりと云うべし。
是れ、わが國のよろしき詞なる故なり。
然れば、わが國の仮名は、さる拙き詩文を作らんよりは、國俗にかなえる和歌を作るべし。
日本の人、詩を作るは、年長じて、唐音を学ぶが如し。

二十九
 朱子の曰く、如孝弟忠信人倫日用事。播為樂章。使人歌之。傚周禮讀法。偏示鄕村聚落。亦可代今粉壁所書條禁。篤信謂、今世若人ありて、國字を以て樂章を作り、古雅にして諷誦しやすからしめ、孝弟忠信人倫日用の事をいい、是れに交わるに古人の嘉言善行を以てして、歌い物とし、人に教えて詠歌せしめば、世教に補いあるに近からん。
今、俗の歌い物の中に、頗る音聲の淫哇ならざるもあれども、其の詞妄誕多く、其の曲節も急迫にして、衆を眩わし、情を乱れるに足れり。
夫れ、樂は風を移し俗を易え、人をして善に感じ悪を化するの具えなれば、其の聲音歌章ともに、正しくせずんば、有るべからず。

三十
 青箱雜記臼。張齋賢作詩。自警兼遺子孫。雖詞語質朴。而事理切當。足爲規戒。本邦、平時賴、和歌百首を作りて規戒とし、蜷川親當も、亦、和歌二百首を作りて箴諫とす。
然れども、此の二人、皆、学識なき故に、其の詞、鄙俚にして、其の意も亦、可なる者少なし。
世教に志ある人、古歌の意義可なる者を選び、或いは、別に和歌を作りて、幼穉の輩を暁さば、亦、人に益あるに近からん。

三十一
古えの歴史、通鑑などを通じて読めば、天下の廣き、古今の久しき事、ことごとく見えて、胸中に明らかなり。
古のあとを考えて、今来の鑑とすべし。
是れ聖経を助け、義理を博く考えるべし。
是れ大なる益なり。
又、古来の事を博く知るも、大なる楽しみなり。

三十二
 近世の学者は、理学に執滞して、今世の時宜を知らず。
日本の風俗に背き、もろこしの古禮を、用捨なく今の世に行わんとするは、僻事なり。

三十三
 後世の儒者、未だ見識なくして、妄りに佛を誹り、人と争うは、僻事なり。
只、わが知るべき事を知り、行うべき事を行うべし。
人と争うは、害ありて益無し、深く戒むべし。
只、わが身を厚くして、人を謗るべからず。
朱子、妄りに佛を誹り人と争う事を、甚だ憎み卑しめらる。

三十四
 仁義は、道の體なり。
文武は、仁義の発用なり。
文武、其の事同じからず、其の道理は一なり。
文は、仁の発なり。
武は、義の発なり。
文は人を愛し、衆を和らげるの道なり。
文にあらざれば、民をなつけ、衆を安んずる事無し。
武は人を戒め衆を厳にするの道なり。

三十五
 学問は、日々に進むを宗とす。
日ごとに一事を知らば、一月に三十事、一年に三百六十事を知る。
十年に三千六百事を知らば、大に学問進むべし。

三十六
 程子の父大中と云う人、其の作れる詩を編録せられしが、人に見せず、只、われ一人見て楽しめり。
是れ、わが才に誇らず、法とすべし。
今の人、わが作れる詩を人に見せる事を好むは、わが才に誇るなり。
卑しむべし。

三十七
 詩を多く作りても、学問に益無し。
詩をよく作る人も、心を苦しめ、思案せざれば出来ず。
此の如くせざれば、杜子美と雖もよき詩を作らず。
況や、此の國今俗の詩をや。
拙き事むべなり。
日本人、唐詩を作るは、詞も心も適わず、志をのべ難し。
わが國の風土に合わざる故なり。
和歌を詠ずるには甚だ及ばず。
然れば、詩は作らず、只、和歌を詠ずるは、是れ、風俗土宜に適いて宜しかるべし。

三十八
 詩と文章を作るに、奇怪の文字を好むと、浅俗なる詞を用いると、此の二つを忌むべし。
是れ其の法なり。
今時の人、詩文を作るに、珍しき奇しき文字を好む、或いは、又、賤しき俗語を用ゆ。
二つながら不可なり。
奇異なる文詞をなすを以て巧みとする事、風俗の悪しき習いなり。
文詩共に平易にして、卑しからざるを宜しとす。

三十九
 葉少薀が曰く、文章世の教えに預からざれば、巧みなれども益なし。
古今の文章、世の教えになるべきは、稀なり。
しからば、今文を作る人も、世教の助けとなる文を作るべし。

四十
 謝疊山が文章軌範、文章の学に助け有り。
文章を学ばば、先論語孟子を熟読し、次に文章軌範を以て則とすべし。
近年末世の賤しき文を見習うべからず。

四十一
 本邦の和歌と和文と、詩文とをくらべば、和歌和文はもろこしの詩文に及ぶべし。
わが國の詩文は、大に劣りて、同日にも語るべからず。
國俗と土宜に適わず。
されど、文章は其の事を記し、其の理を述べん為に作らでは、事かけぬべし。

四十二
 日の本は、もと温和慈愛の國なる故に、和歌も温雅にして情け深し。
其の上、精しく巧みなる事、もろこしの詩にも劣るべからず。
和文も亦、然り。
然らば、学者も、なるべき程は、和歌を学び、和文を作るべし。
是れ、わが國の風俗土宜に適いて、國風に叛ざるなり。
わが國に生まれて、和歌和文を捨てて、もろこしの風を専らに作る事、わが國に背けり。其の罪深し。
わが輩は才拙くて、大和もろこしの才無ければ、唐大和の詩文歌詞を作る事適わず。
其の道理を言わば、おそらくは、此の如くなるべし。

四十三
 小学の書の文義に通ぜば、其の力を以て、類を以ておして四書を見るべし。
四書を見て其の文義に通ぜば、六経に通ずべし。
しからば、小学を以て身を修めるの大法とするのみならず、又、経学の基とすべし。

四十四
 初学の人、朝には、経傳を見、朝飯後には、経書を読み、昼は史漢の書を見、或いは、諸子諸集を見、文字を書き慣い、法帖を写し、飯後には頭面腹をなで、園圃を歩行する事、数百歩、逍遙して精神を舒暢すべし。
晩飯の後は弓を射、其の餘の武藝をも習うべし。
夜は、又、経傳を読み、或いは経史子集の要語を読み、唐詩を誦し和歌を詠むべし。
故事古語を読み覚ゆべし。
夜臥にのぞんでは、一日の中の言行を点検して、誤り少なくんば、心安く寝ぬべし。
毎日、斯の如くすべし。

四十五
 書を読み、書を見るには、一書に専らなるべし。
或いは、経を見、史を見て、二書を兼ねるも亦宜し。
一時に書を数多見るべからず。
専一ならざれば、まぎれて精しからず。
工夫わかれては、精熟せずして功を成し難し。

四十六
 册子をこしらえ、諸書の要語を抄寫して、時々記誦すべし。
要語を覚えれば、功を用いる事少にしても、其の益多し。
故に、要用なる事は、必ず記誦すべし。
記誦せざれば用を成し難し。

四十七
 史書は、朱子の綱目を、しばらく見て熟玩すべし。
古今を貫き義理を通じて、其の益多き事、六経四書に次げり。
古に博く通ずるのみならず、かねて義理に通ずる益あり。

四十八
 白楽天、詩を作りて心を苦しめる者を謗りて、詩魔の為に苦しめられると云り。
その言葉むべなり。
然れども、楽天も亦、此の病を免れず。
凡そ、詩を作る人は、此の慮り有るべし。
わが身に至りては、迷い易し。

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