二宮翁夜話 第九章

第九章 推讓の巻

五十  推讓は永安保持の法なり

 門人曰く、願くは満の字の説、又、満を持するの法聞く事を得べしや。
翁曰く、夫れ世の中、何を押さえてか満と云わん。
百石を満と云えば、五百石、八百石あり。
千石を満と云えば、五千石、七千石あり。
萬石を満と云えば、五十萬石、百萬石あり。
然れば如何なるを押さえて満と定めん。
是れ世人の惑うの處なり。
大凡書籍に云える處、皆、此の如く云う可くして、實際には、行い難き事のみ。
故に予は人に教えるに、百石の者は五十石、千石の者は五百石、総て其の半ばにて生活を立て、其の半ばを譲るべしと教える。
分限に依って其の中とする處、各々異なればなり。
是れ充に其の中を執れ、と云えるに基けるなり。
此の如くなれば、各々明白にして、迷いなく疑いなし。
此の如くに教えざれば用を成さぬなり。
我が教え是れ推譲の道と云う。
則ち人道の極みなり。
爰に中なれば正しと云えるに叶えり。
而して此の推譲に次第あり。
今年の物を来年に譲るも譲りなり。
則ちゃ貯蓄を云う。
子孫に譲るも譲るなり。
則ち家産増殖を云う。
其の他、親戚にも朋友にも譲らばある可らず。
村里にも譲らずばある可らず。
國家にも譲らずばある可らず。
資産なる者は確乎と分度を定め法を立て能く譲るべし。

【本義】

【註解】

五十一 禽獣の道と人の道との別を論ず

 
翁曰く、萬國共開闢の初めに、人類ある事なし。
幾千歳の後初めて人あり。
而して人道あり。
夫れ禽獣は欲する物を見れば、直ちに取りて喰らう。
取れる丈の物をば憚らず取りて、譲ると云う事を知らず。
草木も又然り。
根の張られる丈の地、何方迄も根を張りて憚らず。
是れ彼れが道とする處なり。
人にして斯の如くなれば、則ち盗賊なり。
人は然らず。
米を欲すれば田を作りて取り、豆腐を欲すれば、銭を遣りて取る。
禽獣の直ちに取るとは、異なり。
夫れ、人道は天道とは異にして、譲道より立つ物なり。
譲とは今年の物を来年に譲り、親は子の為に譲るより成る道なり。
天道には譲道なし。
人道は人の便宜を計りて立てし物なれば、動ともすれば、を生ず。
鳥獣は誤っても、譲心の生ずる事無し。
是れ人畜の別なり。
田畑は一年耕さざれば荒蕪となる。
荒蕪地は、百年經るも自然田畑となる事なきに同じ。
人道は自然にあらず。
作為の物なるが故に、人倫用弁する所の物品は、作りたる物にあらざるなし。
故に人道は作る事を勤めるを善とし、破るを悪とす。
百事自然に任せれば皆廃る。
是れを廃れぬ様に勤めるを人道とす。
人の用ふる衣服の類、家屋に用いる四角なる柱、薄き板の類、其の他白米つき麦味噌醤油の類、自然に田畑山林に生育せんや。
よって人道は勤めて作るを尊び、自然に任せて廃るを悪む。
夫れ虎豹の如きは論なし。
熊猪の如き、木を倒し根を穿ち、強き事言うべからず。
其の労力も又云うべからず。
而して終身労して、安堵の地を得る事能わざるは、譲る事を知らず、勤めざれば、安堵の地を得ざる事、禽獣に同じ。
よって人たる者は、智恵は無くとも、力は弱くとも、今年の物を来年に譲り、子孫に譲り、他に譲るの道を知りて能く行わば、其の功必ず成るべし。
其の上に又
恩に報うの心掛けあり。
是れ又知らずば有るべからず。
勤めずんば有るべからざるの道なり。

【本義】

【註解】

五十二 推讓の道にも順序あり

 或は問う推譲の論、未だ了解する事能わず。
一石の身代の者五斗にて暮らし、五斗を譲り、十石の者五石にて暮らし、五石を譲るは、行い難かるべし如何。
翁曰く、夫れ譲は人道なり。
今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは人にして人にあらず。
十銭取って十銭遣い、廿銭取りて廿銭遣い、宵越しの銭を持たぬと云うは、鳥獣の道にして、人道にあらず。
鳥獣は今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道なし。
人は然らず。
今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、其の上子孫に譲り、他に譲るの道あり。
雇人と成りて給金を取り、共の半を向来の為に譲り、或は田畑を買い、家を立て、藏を立てるは、子孫へ譲るなり。
是れ世間知らず知らず人々行う處、則ち譲道なり。
されば、一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。
如何となれば我が為の譲なればなり。
此の譲は教えなくして出来安し。
是れより上の譲は、教えに依らざれば出来難し。
是れより上の譲とは何ぞ。
親戚朋友の為に譲るなり。
郷里の為に譲るなり。
猶、出来難きは、國家の為に譲るなり。
此の譲も到底、我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。
家産ある者は勤めて家法を定めて、推譲を行うべし。
或は、問う夫れ譲は富者の道なり。
千石の村戸数百戸あり。
一戸十石なり。
是れ貧にあらず、富にあらざるの家なれば譲らざるも其の分なり。
十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め、五斗を譲り、廿石の者は同じく、五石を譲り、三十石のものは十石を譲る事と定めば如何。
翁曰く、可なり。
されど譲りの道は人道なり。
人と生れる者、譲りの道なくば有るべからざるは論を待たずといえども、人に寄り家に寄り、老幼多きあり、病人あるあり。
厄介あるあれば、毎戸法を立て、厳に行えと云うといえども行われる者にあらず。
只だ富貴者に能く教え、有志者に能く勤めて行わしむべし。
而して此の道を勤める者は、富貴栄誉之れに帰し、此の道を勤めざる者は、富貴栄誉皆之れを去る。
少しく行えば少しく帰し、大いに行えば大いに帰す。
予が言う處必ず違わじ、世の富有者に能く教え度きは此の譲道なり。
獨り富者のみにあらず。
又、金穀のみにあらず。
道も譲らずばあるべからず。
畔も譲らずばあるべからず。
言も譲らずばあるべからず。
功も譲らずばあるべからず。
二三子能く勤めよ。

【本義】

【註解】

五十三 眞の増殖は「むすび」の大道なり

 翁曰く、世の中、とかく、増減の事に付き、さわがしき事多かれど、世上に云う増減と云う物は、譬えば水を入れたる器の、彼方此方に傾くが如し。
彼方増せば此方減り、此方増せば彼方減るのみ。
水に於いては増減ある事なし。
彼方にて田地を買いて悦べば、此方に田地を売りて歎く者あり。
只だ、彼方此方の違いあるのみ。
本来増減なし。
予が歌に「増減は器傾く水と見よ」と云える通りなり。
夫れ我が道の尊む増減の道は夫れと異なり。直ちに天道の化育を賛成する大道にして、米五合にても、麦一升にても、芋一株にても、天つ神の積み置かせられる無尽蔵より、鍬鎌の鍵を以て此の世上に取り出す大道なり。
是れを眞の増殖の道と云う。
尊むべし務むべし。
「天つ日の惠み積み置く無尽蔵鍬でほり出せ鎌で刈り取れ。」

【本義】

【註解】

五十四 湯船に譬えて推讓を説く

夫れ
仁は人道の極みなり。
儒者の説、甚だ難しくして、用をなさず。
近く譬えれば、此の湯船の湯の如し。
是れを手にて己れが方に搔けば、湯我が方に来るが如くなれども、皆向かうの方へ流れ帰るなり。
是れを向うの方へ押す時は、湯向うの方へ行くが如くなれども、又、我が方へ流れ帰る。
少しく押せば少しく帰り。
強く押せば強く帰る。
是れ天理なり。
夫れ仁と云い義と云うは、向へ押す時の名なり。
我が方へ搔く時は不仁となり、不義となる。
愼ましざるべけんや。
古語に、己に克て禮に復れは、天下仁に帰す、仁をなす己による、人によらんやとあり。
己れとは、手の我が方へ向く時の名なり。
禮とは我が手を、先きの方へ向くる時の名なり。
我が方に向けては、仁を説くも義を演るも、皆無益なり。
能く思うべし。
夫れ人禮の組立を見よ。
人の手は、我が方へ向きて、我が為に便利に出来たれども、又、向うの方へも向き、向うへ押すべく出来たり。
是れ人道の元なり。
鳥獣の手は、是れに反して、只だ、我が方へ向きて、我にに便利なるのみ。
されば人たる者は、他の為に押すの道あり。
然るを我が身の方に手を向け、我が為に取る事而己を勤めて、先さの方に手を向けて、他の為に押す事を忘れるは、人にして人にあらず。
則ち禽獣なり。
豈恥ずかしからざらんや。
只だ、恥ずかしきのみならず、天理に違うが故に滅亡す。
故に我れ常に奪うに益なく譲るに益あり、譲るに益あり奪うに益なし。
是れ則ち天理なりと教ふ。
能々玩味すべし。

【本義】

【註解】

五十五 貯蓄も一つの讓道なり

 翁曰く、多く稼いで、銭を少なく遣い、多く薪を取って焚く事は少なくする。
是れを富國の大本、富國の達道という。
然るを世の人是れを吝嗇といい、又、強欲と云う。
是れ心得違いなり。
夫れ人道は自然に反して、勤めて立つ處の道なれば貯蓄を尊ぶが故なり。
夫れ貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道なり。
親の身代を子に譲るも、則ち貯蓄の法に基ひするものなり。
人道は言いもてゆけば貯蓄の一法のみ。
故に是れを富國の大本、富國の達道と云うなり。

【本義】

【註解】

五十六 財はこれを天下に譲るにあり

 翁曰く、一村千石の高にして、戸数百戸あれば、一戸十石に当る。
是れ其の村に住む者の天命なり。
之れより多きは富者というべし。
富者の務めは譲なりと。
門人中一人進んで曰く、予村内にて天命に当たれり。
予は足ることを知りて、この天命に安んじて、勤倹を守り、年々不足なく暮らしを立て、足れりとして金を積みて、田畑を買う事をなさず。
是れ則ち譲道に当たるべしと。
翁曰く、是れは不貧というべし。
何ぞ譲というこを得ん。
此の如き論老佛者流に多し。
悪からずと雖も、今一段上らざれば國家の用をなさず。
然らざれば何を以て天恩四恩に報ゆべき。
夫れ勤倹以て財を積み、田畑を買い求め、家産を増殖して、天命あることを知らず。
道に志さず、飽迄も増殖を欲し、又、自奉にのみ費やすは、云うに足らざる小人なり。
其の心志奪にあり。
勤倹以て財を積み、田畑を買い求め、家産を増殖する迄は同じといえども、爰に於いて天命あることを能く知り、道に志して譲道を行い、土地を改良し、土地を開き、國民を助ける。
此の如くにしてこそ譲道を行うと云うべきなれ。
此の如くにしてこそ國家の用ともなり、報徳ともなれるなれ。
何ぞ前の不貧者と云うべけんや。

【本義】

【註解】

五十七 譲道は富貴を永遠に保つの道なり

 翁曰く、我道は譲道を貴ぶ。
譲道は富貴を永遠に保持するの道にして、富貴の者怠るべからざるの道なり。
されば我が道は富貴を永遠に維持するの道なりと云うも不可なかるべし。
されば富貴者たる者は、必ず我が道に入りて誠心相勤め、永遠に富貴を祈るべし。

【本義】

【註解】

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