樂訓 巻之上 總論
一
天地の惠を受けて、生きとし生ける諸々極まりなき内に、人ばかり貴き物無し。
如何となれば、人は萬物の霊なれば也。
されば、人と斯く生まれきぬる事、至て得難き幸いなり。
然るに我が輩愚かにして、人の道を知らざれば、天地より生まれ得たる人の心を失い、人の行くべき道をば行かで、行くまじき道に迷い、朝夕心を苦しめ、其の上、我が身に私して、人に情け無く、慮り無くて、人の憂いを知らず。
至りて近き父母に事へてだに、其の心に適わず。
凡その人倫に交わりて道を失い、人と生まれたる貴き身をいたづらにし、鳥獣と同じく生き、草木と共に朽ちなんこそ本意なけれ。
顔之推が、人身は得難し、空しく過ごす事なかれと言いけん事、心に留むべし。
この故に、人は幼きより、古の聖の道を学び、我が心に天地より生れ得たる仁を行いて、自ら楽しみ、人に仁を施して、楽しむべし。
仁とは何ぞや。
憐れみの心を本として行い出せる諸々の善を、全て仁と云う。
仁とは、善の惣名なり。
仁を行うは、是れ天地の御心に従える也。
是れ即ち古の聖人の教え行う人の道なり。
此の道に従いて、自ら楽しみ、人を楽しましめて、人の道を行わんこそ、人と生れたるかい有りて、顔之推が云いけん空しく過ごすの恨みなかるべけれ。
二
凡そ、人の心に、天地より受け得たる太和の元氣あり。
是れ、人の生ける理なり。
草木の発生して止まざるが如く、常に我が心の内に、天機の生きてやわらぎ喜べる勢の止まざる物あり。
是れを名づけて楽しみと云う。
是れ、人の心の生理なれば、即ち是れ、仁の理なり。
唯、賢者のみ此の楽しみあるにあらず。
なべての人も皆これあり。
されど学ばされば此の楽しみを知らず。
易に百姓日々に用いて知らずと云えるが如し。
又、私慾にわづらわれて、此の楽しみを失う。
ひとり賢者は、此の楽しみを知り、又、私慾のわづらい無くして、楽しみを失わず、唯、人のみ此の楽しみあるにあらず。
鳥獣草木にも此の楽しみあり。
草木の生い茂り、花さき實のり、鳥のさえずり、獣のたわむれ遊び、鳶の飛んで天に至り、魚の淵におどるも、皆、此の楽しみを得たるなり。
されども、衆人すら此の楽しみを知らずして、失えり。
況や、鳥獣は云うに及ばず。
三
人の心の内に、もとより此の楽しみ有り。
私慾行われざるは、時となく所として、楽しからずと云う事なし。
是れ、本性より流れ出でたる楽しみなり、外に求むるにあらず。
又、我が耳目口鼻形の五官、外物に交わりて、色を見、聲を聞き、物食い、香りをかぎ、動き、静かなる五つのわざ、欲少なく、よき程に過ぎざれば、あふさきるさ、事如くに楽しからざる事なし。
是れ、外物を以て楽しみの本とするにあらず。
又、外物にふれて、其の喜ばしき力を得て、楽しみ初めて出くるにもあらず。
もとより人の心の内に、生まれつきたる楽しみある故、外物にふれて其の助けを得て、内なる楽しみ盛んになれるなり。
譬えば人にもとより生れつきたる元氣あり。
是れ、生命の本なり。
されど飲食・衣服などの、外よりの養い無ければ、飢え凍えて元氣を保ち難し。
外物の養いを以て内の楽しみを助けるは、外にある飲食・衣服の養いを以て、内なる元氣を助けるが如し、又、心の内に此の楽しみあれば、飲食などの外の養いも、此の楽しみの助けとなる。
しかのみならず、朝夕、目の前にみちたる天地の大なるしわざ、月日の明けき光、四時のめぐり行く序でに従える、折々の景氣の麗しき有様、雲煙のたなびける朝夕の変態、山のたたずまい、川の流れ、風のそよぎ、雨露の潤い、雪の清き、花の装い、芳草の栄え、嘉木の茂れる、鳥獣虫魚のしわざまで、すべて萬物の生意の止まざる、是れをもてあそべば、極まり無き楽しみなり。
是れに対すれば、其の心を開き、其の情を清くし、道心を感じ興し、鄙吝を洗い盡すべし。
是れを天機に觸發すと云う。
觸發とは、外物にふれて善心を起こすを云り。
是れ、外物の養いを借りて、内の楽しみを助くるなり。
四
学ばざる人は、内にある楽しみを知らず。
又、外なる楽しみを空しくす。
内外二つながら失えり。
五
聖人ややもすれば、楽の字を説き給えり。
其の故を如何と思い、楽しみの身にせちなる事を知るべし。
禮経にも、心中しばしも和がず、楽しまざれば、いやしき心生れずと云り。
此の楽しみを失わざれば、きたなき心、起こらず。
此の故に、凡その人、賢し愚かなる、皆、此の楽しみを求むべし。
唯、賢者にゆずるべからず。
此の楽しみの内にあれば、徳の身を潤して、心ひろく體ゆたかなる事、あたかも富の家をうるおすが如くなるべし。
六
天地の御惠を受けて人となり、天地の御心を受けて心とせし人に師あれば、天地の御心に従い、我が仁心を保ちて、常に楽しみ、温和慈愛にして情け深く、人を憐れみ惠み、善を行うを以て楽しみとすべし。
人の悪を戒めんため、怒り詈るは、已む事を得ざればなり。
常には、和楽にして、其の氣を養うべし。
されど又、和に専一にして禮なければ、一偏に流れ亂れて、楽しみを失う。
七
人の憂い苦しみを慮りて、人の妨げとなる事を施すべからず。
常に心にあわれみ有りて、人を救い惠み、仮にも人を妨げ苦しむべからず。
我一人楽しみて、人を苦しむるは、天の悪み給う所、恐るべし。
人と共に楽しむは、天の喜び給う理にして、誠の楽しみ也。
八
此の故に、天の道に従い、人の道を行いて、自ら楽しみ、人を楽しましめん事は、常に善を行い、悪を去るを以て、わざとすべし。
此の如くにせん事は、別の務め無し。
唯、聖の道を学んで、其の理を知るべし。
九
人を恨み怒り、自ら誇り、人を誹り、人の小なる過ちを責め、人の言を咎め、無禮を怒るは、其の器、小なり。
是れ皆、楽しみを失える技なり。
怒りと慾とをこらえ、心を廣くして、人を責め咎めざるは、器、大なる也。
是れ、和氣を保ちて、楽しみを失わざる道なり。
十
世の人の僻事多きは、浮世の習いなれば、如何ともし難し。
教えても従わざるは、愚人なり。
聖人といえど、力に及ばず。
人の愚なるによりて怒りて、我が心を悩ますべからず。
人の悪しく生まれつきたるは、其の人の不幸なり。
憐れむべし。
我が心にあづかりて、恨み咎め、自ら苦むべからず。
人の悪しき故、我が心の楽しみを失うは、愚かなり。
十一
小人の、我に思いかけぬ悪しきしわざを為して、情けなく、僻事を施せる横逆の者あるも、又、昔より多き世の習いなれば、衆人はさこそ有るべけれと思いやりて、恨み怒るべからず。
十二
堯舜の聖も、我が子の不肖なるを如何ともし難し。
我が子弟親戚など教えても従はずんば、責め咎めて、和を失うべからず。
人の生れつきて不肖なるも、我が身の斯る人に会いて不幸なるも、皆、天命なれば、自ら苦しみ、人を怒りて、楽しみを失うべからず。
十三
心ここに在らざれば、見れども見えず、目の前にみちみちて、楽しむべき有様あるをも知らず。
春秋に逢いても感ぜず、月花を見ても情けなく、聖賢の書に向かいても好まず。
唯、私慾にふけりて、身を苦しめ、不仁にして人を苦しめ、さがなく賤しき業をのみ行いて、僅かなる命の内を、儚く月日を送る事、惜しむべし。
十四
心明らかにして、世の理をよく思い知り、物に情けあらん人は、我が心にある楽しみを知りて本とし、身の外、四つの時、折々につきて、天地陰陽の道の行われるをもてあそび、天地の内なる萬のありさまを見聞くに従いて、耳目を悦ばしめ、心を快くし、其の楽しみ極まりなくして、手のまい、足のふむ事を知らざるべし。
十五
世の人、まどしくしては、憂い苦しみ、富貴をうらやみて楽しみ無く、富貴にしては、驕り、怠りて、欲を恣にし、財を費やして、楽しみを求むれど、欲にやぶれて、かえりて自ら苦しみ、人を苦しましむ。
すべて富貴も貧賤も、其の願い外にありて、内に道を得ざれは、苦しみにて楽しみ無し。
十六
内の楽しみを本とし、耳目を以て外の楽しみを得る媒として、其の欲に悩まされず、天地萬物の景氣の麗しきを感ずれば、其の楽しみ限り無し。
此の楽しみ、朝夕常に目の前にみちみちて余りあり。
これを楽しめる人は、すなわち山水月花の主となりて、人に乞い求めるに及ばず、財もて買うにあらざれば、一銭を費やさず。
心にまかせて、恣に取りて用いれども盡きず。
常に我が物として領すれども、人いさわず。
如何となれば、山水風月の佳景は、元より定まれる主、無ければ也。
かく天地の内極まりなき楽しみを知りて、楽しめる人は、富貴の驕樂をうらやまず。
其の楽しみ富貴に勝ればなり。
此の楽しみを知らざる人は、楽しむべき事、目の前に常にみちみちて多けれど、其の楽しみを知らざれば、楽しまず。
世俗の楽しみは、其の楽しみ未だ止まざるに、早く我が身の苦しみとぞなれる。
譬えば、味よき物を貪りて、恣に飲み食えば、始めは、快しと雖も、やがて病起こり、身の苦しみとなれるが如し。
凡そ世俗の楽しみは、心を迷わし、身を損ない、人を苦しましむ。
君子の楽しみは、迷い無くして心を養う。
外物を以て言わば、月花をめで、山水を見、風を吟じ、鳥をうらやむの類、其の楽しみ淡ければ、終日楽しめども身に禍なく、人の咎め、神のいさめるわざにあらず。
此の楽しみ貧賤にしても得易く、後の禍無し。
富貴の人は、其の、驕り、怠りにすさみて、此の楽しみを知らず。
貧賤の人は、此の二つの失、少なし。
志だにあれば、此の楽しみを得易し。
十七
君子は、足りる事を知り、貪り無ければ、身貧しけれども心富めり。
古語に足る事を知る者は、心富めりと云えるが如し。
小人は身富めれども、心貧し。
貪り多くして、あきたらざれば也。
然れば、唯、此の楽しみを知りて、貧賤を安んじ、富貴を願わざる計を為すべし。
老いては、いよいよ貪らず、足る事を知りて、貧賤を甘んずべし。
十八
君子小人ともに、楽しみを好むは人情なり。
されども、君子小人の楽しみとする所同じからず。
禮記に、君子は道に従う事を楽しみ、小人は欲に従う事を楽しむ。
道を以て欲を制すれば、楽しんで乱れず、慾を以て道を忘れれば、乱れて楽しまずと云り。
ここを以て、小人の楽しみは、眞の楽しみに非ず、果ては、必ず苦しみとなる。
十九
天地に風雷の変あれども和氣を失わず、人に患難ありとも和楽を失うべからず。
人もし、身は沈み、位、短くなり、時世うつろいぬとも、天命を安んじ、心を自ら寛くすべし。
土御門院の御歌に、
「うき世にはかかれとてこそ生れけめ、理知らぬわがなみだかな」
又、古歌に、
「うき事は世をふるほどの習いぞと、思いも知らで何なげくらん」
又、曰く
「ならいぞと思いなしてや慰まん、我が身一つのうき世ならねば」
と、読めるが如し。
うき世に住めば、心にかなわざる事多し。
是れ世の習いなり。
いかなる大富貴なる幸い厚き人も、身に病なく、命長く、親戚に憂い無く、五福そなわり、思う事心に適える人は稀なり。
かかる世のためしを知らで、世変のために心を苦しめるは、愚かなるかな。
二十
もし此の理を知れらば、身の上につきて楽しみ、外を願うべからず。
貧賤にしても、患難に遭いても、時と無く所として、楽しみ非ずと言う事なかるべし。
坐には坐の楽しみ有り、立つには立つの楽しみ有り、行くにも、臥すにも、飲食にも、見るにも、聞くにも、物を言うにも、楽しみ有らずという事無し、楽しみは元より、心に生れつきて、身に備える物なれば也。
されど、此の楽しみを知りて楽しむ人、少なし。
理昧ければ楽しみを知らず、欲深ければ楽しみを失う。
二十一
人もし暇あれば、心、のどけく閑かにし、日を永くして、忙わしかるべからず。
殊に老いては、残れる齢ようやく少なく、時節の過ぎる事、殊に早ければ、時刻を惜しみて、一日を以て十日とし、一月を以て一年とし、一年を以て十年として楽しむべし。
楽しまずして、あだに月日を暮して、後に悔ゆべからず。
二十二
梓弓はる立ちしより、年の暮れ行くまで、射るが如くにおもほゆれば、時日の早く過ぎ行くは、止めあへず。
むべもとしと名づけ、又、ときと言えるならん。
されば、光陰箭の如く、時節流れるが如しと言えるも、受ける事に非ず。
老いに迎えば、猶、更に年月の早く過ぎる事、あたかも飛ぶが如し。
あとを帰り見れば、五十の齢を過ぎ來しも、さのみ久しからず。
たとえ五十の後、又、五十の齢を経て、百年に至るとも、猶、行く先の月日いよいよ早くして、ほどなく盡きなん事、思いやられ侍る。
いく程無き残れる齢を、ののしみてこそ過さまほしけれ。
憂い苦しみて、空しく過ぎなんは、いと愚かなりや。
年々に花は相似たれど、年々に人は同じからず。
老い重なれば、一とせの内にも、ようやく衰え行きて、今の昔にしかず、後の今にしかざる事を知りて、かねてより悔い無からん事を思い、時日を惜しみ、一日もいたずらに過ごすべからず。
今日暮れて明日も有りとて頼むべからず。
今日の日の内を、日々に惜しむべし。
二十三
我が身の足る事を知りて、分をやすんずる人、稀なり。
是分外を願うによりて、楽しみを失えり。
知足の理をよく思いて、常に忘るべからず。
足る事を知れば、貧賤にしても楽しむ。
足る事を知らざれば、富貴を極むれども、猶、飽き足らずして、楽しまず。
かくて富貴ならんは、貧賤なる人の足れる事を知れるには、遥かに劣れり。
富貴貧賤は、賢愚によらず、唯、生まれつきたる分あり。
古人の詩に耕牛宿食なし、蔵鼠余糧あり、と云えるが如し。
賢者も貧しく、不肖者も富める人多し。
是れ生まれつきたる分なり。
分を安んじて、分外を羨み願うべからず。
外を願う人は、楽しみ無くして憂い多し。
禍も、亦、これより起こる。
愚なりと云うべし。
世には、福、我程も無き人多し。
我より下なる人を見て、足る事を知り、分を安んじ、外を願わざれば、憂い無く楽しみ多くして、禍なし。
又、極めて貧しき人も、人、各々生まれつきたる分ある事を知りて、分を安んじて、天を恨み、人を咎むべからず。
二十四
世の中に、同じく人と生まれて、飢え凍える人、亦、多し。
其の不幸、憐むべし。
我が身、余財あらば、かかる貧人に施し、救いて、自ら楽しみ、人を楽しましむべし。
人間世の楽しみは、自ら善を楽しみ、人を救いて善をするに越えたる楽しみは無し。
驕りて益無き事に財を多く費やすは、浮氣の為す業、甚だ惜しむべし。
よく思いて、楽しみにはあらざる事を知るべし。
富める人の驕りて、一日一事に費やせる財を用いなば、千萬人の飢えを助けるにも、猶、余り有るべし。
然れば、百人の飢えを救うは、財多く費やさずしても、救い易くて、其の益大なり。
是れを以て、大富人ならざれども、仁心だにあらば、眼前に人の飢え凍えぬるを助ける程の惠は、行い易かるべし。
況や富貴厚禄の人は、多くの人の飢えを助ける事、いと易き事になん侍る。
唯、志の無きを恥じて、財の足らざるに事をよすべからず。
二十五
富貴なれば、驕り、怠り易くして、此の楽しみを得難し。
貧賤の人は、怠り少なくして、諭し易し。
富貴の人は、世の儚きわざ多きに迷いて、書を読んで道を楽しむ事を知らず。
然れば富貴なるは、かえって不幸と云うべし。
此の大なる楽しみを得難ければ也。
古語に、貧しきは、富めるに勝れりと云い、又、読書は貧者の楽しみと云えるも、むべなり。
我がともがら愚かにして又、卑しければ、ちりひじの数にもあらぬ身なれど、書を読み道を尊ぶ楽しみは、いかなる富貴にもかえ難し。
二十六
人の命は限りあり、ひいて長くし難し。
限りある命の内の光陰を惜しみ、楽しみて月日を送るべし。
しばしの間も、益無き事をなし、僻事を行い、楽しまずして、空しく過ごすべからず。
況や、憂い、苦しみ、怒り、悲しみて、楽しみを失うは、愚かなり。
なす事無く楽しまずして、月日を空しく過ごさば、千年を経ともかい無かるべし。
二十七
幼より、壯になり、老いに至り、衰えて死に至るまで、百とせの齢も、亦、幾程無し。
人の世に在る事、仮にやどれる旅人の如し。
東坡の詩に、一年夢の如く、百歳眞過客と云えるもむべなり。
かく短き此の世なれば、無用の事をなして、時日を失い、或いは、いたずらに為す事無くて、此の世暮れなん事、惜しむべし。
常に時日を惜しみ、益ある事をなし、善をする事を楽しみて過ごさんこそ、世に生けらんかい有るべけれ。
二十八
心に憐れみ深く、善を好みて、心氣和平ならば、物に情け有りて、人倫に親しきは言うに及ばず、草木までも、皆、我と隔て無く、なつなつしくなりぬる心地ぞすべき。
二十九
常の氣象は、従容として迫らず、此の四字を守るべし。
従容とは、おもむろにして、静かなるを云う。
速やかに忙しき時も、心平らかに氣和にして、楽しみを失うべからず。
事多くとも、心は静かなるべし。
静かならざれば、誤る事多し。
人の我に対して、如何に情け無く、無禮なりとも、怒りて言を激しくし、目をいららげ、汚き氣色をあらわして、楽しみを失うべからず。
常に其の氣象、従容不迫なるべし。
三十
白楽天が詩に曰く、自ら延年の術あり、心閑かなれば歳月長し。
又、曰く、閑中日月長し。
東坡が詩に、無事にして此れ静坐すれば、一日是れ両日、人若活ける事、七十ならば、便ち是れ百四十といえるも、心静かなれば、月日長き事を云り。
凡そ、閑中常に楽しみ多し、暇無き人も、折々、閑を求めて、心を養うべし。
心閑かならざれば、楽しみは得難し。
されど閑静に専らにして、動作を嫌うは、正道にあらず。
三十一
心安く身閑かにして、獨坐するも、また貧居の楽しみなり。
世俗の宴遊を好み、騒がしき友、多きに優れり。
学好まざる人の問い来ぬは、かえって情けあり。
心無き人の、己がつれづれと暇有るままに、人、来りて長居するは僅か。
されど、かかる人を、白眼にして見るは、情け無し。
禮を失うべからず。
三十二
清福という事あり。
楽しみを好める人、必ずこれを知るべし。
是れ、識者の楽しむ所にして、俗人は知らず。
此の故に、我が身に清福を得て大なる幸あれども、是れを知りて楽しめる人、稀なり。
譬えば、宝の山に入りても、宝を知らざれば、手を空しくして帰るが如し。
清福は、富貴の驕樂なる福には在らず。
貧賤にして時に合わずとも、其の身安く静かにして、心に憂い無き、是れなん清福とぞ云いめる。
暇ありて、閑かに書を読み、古の道を楽しむは、是れ、清福のいと大なる楽しみ也。
又、其の心風雅にして、古書を読み詩歌を吟じ、月花をめで、山水を好み、四時のおし移る折々の美景と、草木の代わる代わる榮え麗しきを見て楽しみ、貧しけれど飢寒の憂い無く、蔬食口に慣れぬれば、味ありて、肥濃なる美味を羨まず。
淡薄なるは、かえって身を養うに宜し。
布の衣、紙のふすま、いささか寒を防ぐに足れり。
葎おいて荒れたる宿に起臥しても、風雨の憂い無かるべし。
もし幸に書を多く貯えて、架にさしばさまば、貧とすべからず。
是れ、眞の宝なれば、満嬴の金に優れり。
又、良友ありて道を論じ、同じく月花を賞して楽しみ、名區佳境にあそびて、其の事なる形勝をもてあそぶ、是れ、皆、清福を得たるなり。
如何なる、えにし有りてか、かかる福を受けるは、富貴の驕樂に優りて、幸い甚だし。
三十三
清福は、暇ありて、身易く、貧賤にして、憂い無きを云う。
書を読んで、古の道に辿々しからず、又、山水月花の楽しみ有り、是れ、財利の富饒なる福に優れり。
或は、静室に安坐し、書を読み道を楽しみ、又、良友に対して、道を論じ、同じく風月を賞する、是れ、清福のいと優れたる楽しみ也。
三十四
凡そ、生ける者、静かに暇あるは、稀なり。
富貴の人は、古より世毎に多けれど、心安くして憂苦なく、身閑かに暇ありて、常に楽しむ人は、世に稀なり。
是れを以て、清福の楽しみ、富貴に優れる事、遥かに越えたる事を知るべし。
愚かなる人は、清福を得ても、知らずして楽しまず。
又、清福を知りても、身に清福無ければ、此の楽しみ無し。
此の清福を得る人、世に少なきは、天の惜しみ給う所なれば、尤も得難しと云り。
もし此の清福の楽しみを知りて、清福を得たらん人は、世に類少なき福なり。
天の物を生ずる、二つながら全ならず。
花よき者は、實よからざるが如し。
すでに清福を得たる人は、さらに富貴を願うべからず。
二つながら得んとするは、欲深くして、天命に背けり。
かかる楽しみを得ても、猶、外を願い、富貴を羨みて、自ら足る事を知らざるは、分を知らずして、楽しみを忘れる也。
愚かなるかな。
三十五
旅行して、他郷に遊び、名勝の地、山水の麗しき佳境に望めば、良心を感じ起こし鄙吝を洗い濯ぐ助けとなれり。
是れも亦、我が徳を進め、知を廣めるよすがなるべし。
又、いいしれぬ異境に行きて、見なれぬ山川の有様を見て、目をあそばしめ、其の里人に会いて、其の所の風土を問い、あるは、奥まりたる山ふところに、岩根ふみて尋ね入り、もとより山水の僻ありて、青山夢に入る事しきりなる人は、心を留めて、帰る事を忘れぬ。
あるは、海べた、山遠き、限界ひろき眺めは、萬戸候の富にも優れり。
又、其の里におい出でたる名産の異なる品を見て、其の味を試みるも、いと、珍しく、心をなぐさめる技なり。
全て勝地に遊びて見聞きする事、唯、一時の耳目を悦ばしめるのみならず。
いく年、経ぬれど、其の時、見聞きせし有様、老いの後まで、折々思い出でられて、あたかも其の時見聞きせし思いをなして、楽しむべし。
是れを以て、世にめでたき事を思い出と云うも、むべなるかな。
三十六
忍は、しのぶとも、こらえるとも読めり。
俗に所謂、堪忍する事なり。
忍ぶべき事多し、大よう念と欲との二つに出でず。
我が身の好める酒食・聲色・財利などの私慾を堪えて、恣にせざると、身のやつやつしく、豊かならざるをこらえて、貧をあまんじ苦しまざるは、慾を忍ぶなり。
人の我に情け無く、無禮なるをば、凡そ、人は、かくこそ有らめと思い、堪えて、怒り、恨みざるは、念を忍ぶなり。
凡そ、念と慾とを忍べば、心平らかに氣和ぎ、身やすく、人にさわり無くして、恥じ無く、苦しみ無く、後のうれい無く、禍なし。
忍の一字より、萬の善き事出ず。
忍ばざれば、萬の悪き事、是より出ず。
故に、古語に、忍は是れ、衆妙の門と云へり。
忍の理、楽しみを得るにおいて、其の益大なるかな。
三十七
酒は、天の美禄なり。
少し飲めば、心を寛くし、憂いを消し、興をやり、元氣を補い、血氣を廻らし、人と歓びを合わせ、楽しみを助けて、其の益多し。
もし、多く飲んで酩酊すれば、人の見る目も見ぐるしく、言多く、妄りに語り、姿も常に変わりて、愼み無く、心荒くして、狂するが如し。
古人、是れを狂薬と言えるもむべなり。
其の上、病を生じてくすし難く、大なる禍となる。
若き時より、多飲を戒めざれば、習いて癖となる、うらめし。
是こを以て、古語に、酒は微酔に飲み、花は半開に見ると云り。
酒を飲まば、微酔を限りとして、楽しみを失わざるべし。
恣に飲んで、苦しみを求むべからず。
天の美禄として、楽しみを生ずるめでたき物なるを以て、かえって狂薬とし大なる禍をなして、憂いを生ずるは、むげの事なり。
三十八
古の郢曲・早歌の類、聲をかしく氤氳として、つづしり歌うも、いささか、心行くばかりなるは、いん鬱を開きて、氣を養う助けとなりぬべし。
古人は、詠歌・舞踏して、其の血脈を養えり。
是れ、心を楽しましめ、氣を養う術なるべし。
三十九
武士は、勇を専らにすべし。
勇を外にあらわさずして、肉に含むべし。
常の時は和樂にして、人に対するに温厚なるべし。
勇天下に覆えども、これを守るに怯を以てすと、家語に云える如くなるべし。
怯とは、臆病の事なり。
又、大勇は、怯きが如しと云り。
是れ、外に勇をあらわさざるなり。
和順にして禮あれば、人あなどらず。
人にあなどられまじきとて、言語・氣象を荒らかにすべからず。
是れ、和楽を失える也。
眞の勇者は、顔、形、荒らかならず、かえって柔和なり。
張良は、其の形、婦人の如くにして、其の氣象・従容とおもむろなりしは、眞の大勇なり。
欲をよく堪え、義を見て必ず行い、節義を堅く守る、是れ、眞の勇なり。
眞の勇者は、常に和楽也。