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文武訓 文訓下

"文訓の、詩などの文章は、今の世の、学術論文や公文書等の事と考えれば、日本語にある、表現力の多彩さ故の問題提起と思える。
現代の国立の研究機関でも、英語での論文を発表する機会は多い、日本国民の税金を使い外国語の論文を作る。
其の事を是正する、ヒントを得れればと思うと読み易い、かもしれん"


 父兄たる人は、其の子弟の幼なき時より、早く師を求めて書を読ませ、道を学ばしむべし。
又、幼なき人も、自ら我が身を省みて、早く書を読み、文字を覚え道を学ぶべし。
若き時、怠りて努めざれば、年長した老いて後悔いすれどもかい無し。


 富貴長命にて福多き人も、学問無ければ人の道を知らざるのみならず、古今の事に通ぜず、萬物の理に昧し。
只、草木と同じく朽ち、禽獣と同じく生けるばかりを思い出にして、人となりて生ける楽しみなし。
無下に浅ましと云うべし。


 かたち麗しく、ものよく言い、よき衣着て賓客に対し、すがた言葉は優れて、人のもてなし良く、其の振る舞い麗しく、目たつき程なれど、文字を知らず、古今の事に疎く、片言言いて、人の耳にたてば、すがた言葉の麗しきも空しくなり、人に見落とされ、浅ましく下ざまに見えるは口惜し。


 世の中に、生まれ付き素直なれども書を読まず、又、書は読めど道に志無き人有り、惜しむべし。
努めて書を読み、道に志あれども、正学の筋を知らずして、身を終わるまで大道に疎き人有り。
是れ亦、惜しむべし。
是れ皆、聡明の足らざる故なり。


 常人は、我が身を知るに昧し。
是れ、私の一字免れ難ければなり。
我が身に才智無けれど有りとし、少し有るは大に有りとす。
学問藝能拙けれど、優れたりと思いて、人に対して誇るは、我が身を知らざるなり。
是れ、愚かなるなり。
又、我が詩歌文章の拙きを良しと思いて、人に示す事、世に多し。
殊に詩文は、我が國の言葉に有らず、作り難し。
其の上文学博く文字を多く知らざれば作り難く、作れば僻事多し。
文学拙くて好んで詩文を作れば、意も詞も不束に、法に合わざる事のみ多きを知らず、我が身に私して、かえって良しと思いて自ら誇り、我が美を顕わさんとて人に示す。
是れ亦、我が身を知らざればなり。
不智なる事甚だし。
詩も歌も、古人の作、我が心に適えるもの多し。
其の境地の風景と、其の時節の情懐に合える詩歌、亦多し。
是れを吟ぜば、労せずして我が悪しき詩歌を作るに優りなん。
是れを吟詠して興をやるべし。


 凡そ、吾邦の人、詩文を作るに、只、奇異なる文字を多く連ね、故事を處々に引出したるのみにて、誠の志を現し、情を含める事無く、義理なし、質實ならずして奇異を好むは、文章の本意を失えり。
詩は志を言うを本とす。
文は理を論ずると事を記すを本とす。
巧みを好み飾りを専らにし、無用の言葉を連ねるは益無し。
詩文を作る本意にあらず。


 よく書を見る人は、一句を見ても、其の理を得て用いれば、用をなして益あり。
よく書を読まざる人は、千萬巻の書を読んでも、其のよき事を取り用いる事を知らず、益無し。
例えば、石を割りて玉を取る人あり。
是れ、よく玉を知ればなり。
寶の山に入りても、手を空しくして帰る人あり。
是れ、玉を知らざればなり。
書は、見る人、益有ると益無きとも、亦、此の如し。


 仮名遣いと云うは、國字四十七字の内、いゐ、おを、えゑ、此の三つは同音なり。
上中下の在り所につきて、用いる字代わるなり。
はひふへほの五字、和訓の下にある時は、わゐうゑを、と読むなり。
是れは、同音に非ず。
上の、いゐ、をお、えゑ、は同音なり。
上の續きによりて、轉じて同音として字を書き換えるなり。
はひふへほと、わゐうゑをは、同音にあらず。
同音にあらざれども、下にある時は同音として読むなり。
又、漢字の音も、韻の開合に従いて、文字使い変わる。
又、てには、字によりて仮名遣いかわる。


 不学なる人、或いは、書を読んでも粗学なる人は、人の言行の善悪を評論し、又、人の作れる詩文章の善し悪しを評論する事、多くは、理にあたらず。
学問無く不智にして、人の是非を評する事勿れ。
愚かなる人は、事の善悪を知らず、只、人の言う事を信じて迷い、妄りに褒め謗る事多し。
是非を知らざる人の言う事を信じて迷い、妄りに褒め謗るべからず。
凡そ、不智にして人の是非を言う事は、理に当たらず僻事多し。
又、少し書を読んで、自ら是として我が才智に誇り、人の善し悪しを褒め謗る事を好むは、智無きが故なり。


 凡そ若き人、智無き人、無学なる人、此の三品の人は、つつしんで人を褒め謗るべからず。
必ず理に適わず。
褒め謗り理に違えば、其の愚かなる事あらわれて恥ずべし。

十一
 詩文章を知らずして、人の作れる詩文の善悪を褒め謗るべからず。
手跡を褒め謗るも同じ。
手跡を知らずして、人の手跡の善悪を褒め謗るべからず。

十二
 儒とは、学者の稱といえば、本邦近世の書生をも儒者と稱すべきか。
其の儒者の内、其の性と習いにより、学術の品各々かわれり。
詩文章を専ら努めとし、奇異の文字を好み、詞を飾れる学あり。
もし心を用いる事精しからず、其の学びよう、よからざれば、其の好んで努める事久しけれど、其の文詞拙きあり。
又、近世の儒に、文学拙く賤しく、殊に異学を混えて正道を知らざれども、其の守約に、其の素行頗るよくして、俗学にまされるあり。
されど、聖賢の書多く読まざれば、道理に昧くして学術よからず。
正理を知らで自ら誇る儒あり。
又、程朱の書を信じて、学術雜ならず、其の制行も頗る謹みて正なれど、聡明たらず、義理に昧くして通ぜず、訓詁になづみて、かえって自ら誇り、人にたかぶりて、人に対するに刻薄にして、善を好まず仁愛少なく、古禮にかかわりて、当世の時宜を知らざる儒あり。
かかる人は、自らは、道学と思えれど、是れ即ち訓詁の学なり。
終身努め学べども自得の記しなし。
又、頗る聡明にして、義理に通じ易けれど、文学足らずして、廣博ならず、窮理の巧少なく、其の趣きせばきあり。
或いは、雑書小説を多く見て、義理を好まず、経史に疎く、佛老をまじえたる雑学あり。
是れ各々其の才の長ずる所、性の好む所によりてしかり。
只、聖学に志深くして、経傳に明らかに、よく思うの功ありて、、義理に精しく、且つ史書に博くして、古今に通じ、子集にわたり、文章詩賦を知り、字学に精しき通儒、もし、あらば尊むべし。

十三
 我が輩の作り出せる拙き文は、漢字も國字も浅はかなれば、人の見る目も恥ずかしけれど、もとより天地の御めぐみ、殊に深くこうぶりぬれば、其の萬一をむくい奉らんとするも、おほけなくてそら恐ろしけれど、字を知らぬ人と、小児の輩のために、かかるよしなし事を書き続け侍り。
凡そ、人と生まれては、官位の高下、財祿の多少によらず、諸人のために、益となる事を努め為すべし。
もし、我が名をとらんとて、人に益無き事を勧めるは、世の財を費やし、人の補いとならず、我が輩恥ずべし。
もし、民用の助けだにならば、鄙事小説を記し著すとも、賤しみて益無しとすべからず。
道学の名を立てる君子の謗りも恥ずべからず。
中華の文字を読み、義理の学のため書を作らん事、中華の先正の説、すでに明らかにして備われり。
わが輩愚不肖の作れる書は、かえって無用の贅言なるべし。

十四
 文学博く、聖賢の書を遍く読んでも、道を知らざる人、古今多し。
斯く博く聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志無く聡明無き故なり。
文学に通ぜず。
聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は、古今これ無し。
是れ、道理の無き所なり。
舟橋無くして海河を渡り、梯無くして高きに登らんとするが如し。
近世、一種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。
例えば、歌学をせずして、和歌の悪しき人はあり。
歌学無くして歌よく詠む人は無きが如し。
但し、学問無く、少し師の口傳を聴きて、頗る心をおさめんとする人あり。
是れ亦、聴かざる遥かに優れり。
稊稗の熟するは、五穀の熟せざるに優れるが如し。

十五
 四時につきて、何時ともわず、古き書見る事を楽しみ、常にして止むべからず。
何ぞ只、三餘の時に限るべきや。
春夏は日の長きを愛し、秋冬は夜の長きを喜ぶ。
折を得て楽しむべし。
日長けれど事しげく、客多ければ暇無し。
夜は静かにして、書を見るに功多し。
凡そ、日一日、夜一夜、書見る益は如何なる富貴の楽しみにも替え難し。
経傳を読めば、見る度に、聖賢の教えを目の当たり聞くが如し。
尊ぶべき事飾りなく、空しく過ぎぬる隙を惜しむべし。
狄仁傑の名教の内、至れる楽しみあり。
何ぞ俗人と語る事を好まんや、と言えるもむべなり。
古語に曰く、読書一日有一日益読書一巻有一巻の益。
又曰く、人の神智を増すは、書に如くは無しと云り。
欧陽子は、至哉天下樂。終日在几案。と云り。
智を増して且つ楽しみ有るは、大なる益にあらずや。
無学なる人は、学問の楽しみ斯の如く、至りて大なる事を知らず、惜しむべし。
例えば、我が國に生まれて、富士の岳、吉野の花見ざらん人だに、いと恨み多かるべし。
かかる人には見せまくほしくぞおぼゆる。
況んや、人となりて人の道を知らず、古今の事、萬物の理に昧き人は、幸い無く恨み有るべし。
知らせまくほしき事、何ぞ富士吉野に比ぶべきや。
只、幸いは日有りて、よく学ばん人は、此の恨み無るべし。
凡そ、世の中の事、全て我が心に任せ難く、我が、ままならぬ事のみぞ、多かる。
只、読書の一事のみ、我が成さんと思う志だにあれば、努めて思うようにせんも、我が心のまま也。
それだに怠りて成さず、いたずらに月日を費やせば、いう甲斐無くて誠に惜しむべし。

十六
 君父に仕え奉りて、暇あらば経史を読むべし。
経を見て道に通じ、史を読んで古を知る、其の楽しみ極まりなし。
又、其の間、少しの隙を用いて、古の文章を見るも、亦、楽しむべし。
古文は、左傳、楚詞、文選を始め、漢唐宋より明に至りて、諸大家の文集多し。
只、詞の麗しきをのみ好むべからず。
義理を発明し知識を開くべし。
又、暇有りて閑なる折々は、唐大和の詩歌を弄ぶも、心を慰めるわざ也。

十七
 和歌は、萬葉集をはじめとして、古今集より下つかた、世々により集められし二十一代の歌集、次に家々の集あり。
暇あらば見るべし。
又、歌物語などの和文を見るも、古のわが國の言葉にて風雅なれば、情けをもよおし易くして、興をやるべし。
和語をみるには、伊勢、貫之、紫式部、清少納言が作れる和文の類、只、古き言葉の、卑しからず艶なるを弄ぶべし。
此等の書には、淫靡なる事多し。
只、其の詞を取りて不経なるをば捨てるべし。
理違えりとて責むべからず。
いかんとなれば、聖学の至れる道を以て、かかる道知らぬ愚かなる婦人などの作れる、浅はかなる書の僻事を正さんとする人は、かえって愚かにこそ聴こゆめれ。
ことに其の時の風俗、彼の物語に書ける如く、たはれたる慣わしなれば、取りわきて責めるに足らず。
莠の苗をみだるを憎むは、其の似て非なる故なり。
是れは、似て非なる類には、あらず。
例えば、大なる岩を以て、鳥の卵に比べるが如し。
情け無しと云うべし。
又、今の人、彼の物語の其の言葉の艶なるにめでて、道理の違わざるとて、妄りに道理をつけておもねるも、いと愚かに僻々しく聞ゆ。
凡そ、よきを取り、悪しきを捨てるこそ、廣く書を見る人の知るべき理なれ。
しかれば、かかる浅はかなる書の内にも、然るべき事あらば、取りて用ゆべし。
全體を用ゆべき書は、聖賢の書の外には、もろこしの書にだに少なし。

十八
 詩は、三百篇をはじめ、文選の古詩よりしもつかた、明朝に至るまで、巧みなる作者多し。
されど、中唐より以上、とりわき古雅なるを選び玩ぶべし。
わが國の詩文は、古代の名家といえど、其の習わし艶麗を事として古雅ならず、拙し。
其のちから、もろこしに劣りて軟弱なり。
学ぶべからず。

十九
 韓柳欧蘇曽曾南豊などが文の内、心に適えるを、三四十篇選び出し、別本に写し、空に読み空に書き覚えるは、文章を作る事を学ぶ良法なり。
朱子の言にも、此の意見えたり。
斯の如くすれば、文字の置き所、助字の用様を自ずから知りて、顚倒の誤なく、連続せざる字、又、俗語を用いずして宜し。
本朝古人の文に、字の置きよう顚倒多く、連続せざる文字と、俗語を用いたる誤り多し。
殊に風體軟媚にして、奇巧を好んで卑し。
巧みを好めば彌拙し、と古人の言いしも、むべなり。

二十
 凡そ、日本の人、古より経書を説きて義理を講じ、詩文を作る、皆、粗に破る。
精密の工夫なし。
是れ、学の中華に及ばざる所なり。
秀でたる作者数輩の外は、拙俗に近ければ、和歌和文の雅やかにして能きには比べ難し。
是に習わば、おそらくはなずみて作文に妨げあるべし。

二十一
 暇ある時は、もろこしの古き法帖に臨みて写すも、皆是れ、閑中の楽しみ、几上の清玩なり。
手跡も六藝の一つにて、日用に益あるわざなれば、古人の良き筋を学ぶべし。
賤しき俗に慣うべからず。
古畫を見るも亦めでたし。
わが國の人の書ける文字も、古のは遙かに今に優り、もろこしの筆法に適いて卑しからず、中華の人も褒めたり。
凡そ、古人のなせる文章詩歌書畫などのわざの、其の道を極めたるを見るも、わが心を楽しましめ、理を極め知る助けとすべし。
かかるわざにも、皆、物の理ありて、これを玩べば楽しみとなり、又、世俗の儚き遊びに代わりて、益を得ること多し。
学者も読書の隙に、折々は、かかるわざを学ぶも、亦、心を慰める助けなるべし。
是れ又、藝に遊ぶの楽しみならし。

二十二
 往事を記すの文は、拙くとも誠實にして虚飾なかるべし。
是れ、實録にして後の證となれり。
世實とすべし。
もし、誠實ならずして、飾りを専らとし詞を巧みにせば、其の記す所、偽りあるべくして信じ難し、實録とすべからず。
もし、斯の如くならば、文章巧みなりとも、事を記すに實無くして、かえって人を迷わし、益無くして害あるべし。
司馬遷、班固、韓退之、欧陽永叔などは、古来文章の大家なるが、其の文質實にして奇巧ならず、飾り無し。
奇巧を好むは鄙拙なり。

二十三
 富貴の家の子として、つかさかうふり心に適い、世の中盛りに驕り慣いぬれば、浮世の儚き戯れ遊びにのみ心を移し、学問などの静かなる努めに、まめやかに心を寄せん事は、いと難くして、身終わるまで、人の道を知らず。
驕樂に耽りて、人の憂いを弁えず、文字を知らで、文見るに力無ければ、聖の教えを知らざるのみならず、唐大和の、古の世々の史に疎くして、今の鏡にすべき用無し。
此の比ありし事のみ知りて、わが日の本の、百年の内、近き昔をだに知らざれば、況んや、中夏の唐、虞、夏、殷、周、秦、漢、晋、唐、宋、元は、いつの時やらん、五帝、三王は、是れ、何物と云う事を知らず。
斯く儚くて年月を過ぎぬれば、古のいたれる道に昧く、天地萬物の理を知らず、富貴の勢いに任せて、人を悩まし苦しめ、不仁にして憐み無く、不智にして人の苦しみを知らず、空しく一生を過ぎもて生き、鳥獣と同じく生き、草木と共に朽ちなば、人と生まれしかい無くして、何の楽しみかあらん。
此の如くならば、家富めるとも、誠に福無き人なるべし。
貧賤なる人も、此の楽しみを知りて楽しまば、福厚き人なるべし。
又、齢を久しく保つとも、儚くて命長くば、楽しみなかるべし。
たとえ、神武天皇の御時より、今の世まで生きたりとも、只、長き夢見たる心地して、長生の楽しみなかるべし。
夫れ富貴は人の願う所、貧賤は人の嫌う所なり。
されども、右に云いし如く、富貴によりて道を失い、貧賤にして道を得やすくば、貧賤なるは、かえりて富貴に優るべし。
是れ、胡氏が知言の説なり。
もし、富貴にして道を行わば、其の惠み廣く、其の楽しみも亦、大なるべし。
しからば、富貴を願うもむべなり。

二十四
 もろこしの王抑庵といいし人は、我が意に適わざる事あれば、其の事に相似たる古人の詩を読んで、わが心を慰めしとなり。
和歌は、猶、わが國の語なれば、わが心に適わざる事からば、古歌を吟じて、其の心を慰むべし。
是れ亦、心を楽しましめ、憂いを去る一つの術なるべし。

二十五
 古詩三百篇をよく吟玩して、我心を養い、詩の教えの道を知るべし。
詩の教えは、温厚平和にして、心を内に含みて表さず、是れ、風雅の道、詩の本意なるべし。
後の詩も、此の風あるは、誠に宜し。
言葉を巧みにし飾り、ことようなる文句を作りて、人に褒められんとするは、詩の本意にあらず。
故に、詩を作る人、学びの隙を費やし、心を苦しめるは、物を玩んで、志を失うなり。
此の如くにして詩を作るは、益無く害有りて、無用のいたずら事なり、風雅の道を失えり。
歌を作るも亦、同じ。
才無く学無き人は、詩歌を作るべからず。
わが國の人は、もろこしの韻語に通ぜず。
詩を作るは、わが國の土宜に適わず。

二十六
 貧賤なる人も、もしよく書を読んで、古の道を知り古の事に通ぜば、遙かに富貴に優べし。
何ぞ貧賤を苦しみて、富貴を羨まんや。

二十七
 文章和歌のざえ乏しくば、只、書を読みて道を知り、事を廣く知りたらんこそ、楽しみ多かるべけれ。
又、古の人の作れる善き詩を読むは、た易くして、其の楽しみわが作るに優れり。
努めて筆を取りて、自らはいみじき事いい出すと思えど、拙き事を世に廣める事、われも人もしかり。

二十八
 和歌は、わが國の言葉にて、浅はかなる様に聴こえれども、言葉風雅にして古に近く、心和平にして情け深し。
然れば、もろこしの名家の詩にも、其の品格をさをさ劣るべからず。
只、日本の人の作れる詩文は、わが國の言葉にあらず、其の上、習い悪しくて、古の名家の作といえど、もろこしの下等の作にも及び難し。
よく努め学ばずんば、中夏の下品にも及び難かるべし。
身を終わるまで、詩を作るに専らにせば、詩は大かたよかるべけれど、さあらば経史に疎く、其の餘の事にも通ずるに暇なかるべし。

二十九
 日本の人、昔今、佛を尊びて佛を念じ、佛経を読みて成佛せん事を、實心に好む人多し。
世間に、聖人の書を読みて、聖人の尊ぶべき事を知れる人、また古今に多し。
然れども、聖人の道を實心に好みて、わが身の僻事を改め、聖人にならんと思える人一人も無し。
成佛を願う人に及ばず。
是れ、如何にしてか斯の如くなるや。
学者自ら恥ずべし。

三十
 凡そ、事を記す文は、後世に傳わる故、重き大事なり。
わが記す事、後代の證となれり。
愼みて、妄りに記すべからず。
質實にして偽り飾り無るべし。
もし實ならずして、詞を巧みにし、飾りを専らにすれば、其の記す所、誠とし難し、實録とすべからず。
益無きのみならずして、偽りを傳えれば、後の害となる故に、事を記す文は、むしろ、卑しく拙くとも、素直に實なるべし。
飾りて實を失うべからず。
其の上、飾り多ければ、無用の贅言ありて、簡要ならず、人に益無し。
事、長くして見る人うめり。
古、文章に名有る人の作れるは、事を記すに偽り飾り無く、質實にして無用の言葉無く、言約に事詳らかにして、理明らかなり。
其の文の麗しく精巧なる事は、飾らずして自ずから其の中にあり。
飾り多き文は、其の作者の心に實無き事、思いやられ侍る。
益無き事を作りて、我が心の偽飾を書き表わすは愚かなり。
われ、人の為、益無くして害あり。
人の善きを誤って悪ししとし、悪しき事を善しとして、偽りを記す事、天道の責め逃れ難し。
畏るべし。
凡そ、かかる事につきても、天道に乖きぬれば、当時の責め目に見えねども、後の禍遁れ難し。
返す返す天道をば、恐るべし。
又、珍しく奇き文字を用いるは、必ず淺才のわざなり。
三十一
 少し才ありと見えて、物書き藝ある人も、其の心平實にして、わが才を隠して誇らざる人は、奥ゆかしく麗しと見える。
多才なる人も、わが才を他に輝かして誇る人は、多くは人を謗る。
己に誇り人を謗るは、其の不徳なる癖の程、現れて浅まし。
かからざりせば、よからましと思いて、あたら才学有るも、玉の盃の底、無きが如く思いくだされて、其の傷うらめし。

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