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和俗童子訓 巻之二 總論下


 幼き時より、孝弟の道を専らに教ゆべし。
孝弟を行うには、愛敬の心法を知るべし。
愛とは人を慈しみ、いとおしみて、おろそかならざるなり。
敬とは、人を敬いて、侮らざるなり。
父母を慈しみ、敬うは孝なり。
是れ、愛敬の第一の事なり。
次に、兄を慈しみ、敬うは弟なり。
又、叔父・叔母など、凡そ年長ぜる人を慈しみ敬うも弟なり。
次に、我が弟・従兄弟・甥など、又、召し使う下部など、其の程に従いて、慈しむべし。
卑しき者をも、侮り疎かにすべからず。
各々、其の位に随いて、愛敬すべし。
およそ、愛敬二つの心は、人倫に對する道なり。
人に交わるに、我が心と顔色をやわらげ、人を侮らざるは、是れ、善を行うはじめなり。
我が氣にまかせて、位に驕り、才に誇り、人を侮り、無禮をなすべからず。


 少年にて、師にあいて物を習うに、朝は師に学び、昼は朝学びたる事を勤め、夕べは、いよいよかさね習い、夜ふして、一日の中に口に言い、身に行いたる事を顧みて、あやまちあらば、悔いて、後のいましめとすべし。


 人の弟子となり、師に仕えては、我が位高しといえども、高ぶらず、師を尊び敬いて重んずべし。
師を尊ばざれば、学問の道たたず。
師たる人、教を弟子に施さば、弟子これに法り習い、師に對して、心も顔色も、和かに敬い愼み、我が心を虚しくして自慢なく、既に知れる事をも知らざる如くし、又、よく行う事をも、よくせざる如くにして、へり下るべし。
師より受けたる教えをば、心を盡してきわめ習うべし。
是れ、弟子たる者の、師にあいて、教えを受ける法なり。


 論語の子の曰く、弟子入りては則ち孝するの一章は、人の子となり、弟となる者の法を、聖人の教え給えるなり。
我が家に在ては、まづ親に孝をなすべし。
孝とは、善く父母に事えるをいう。
能く事えるとは、孝の道を知りて、力を盡すを云う。
力を盡すとは、我が身の力を盡して、能く父母に事え、財の力を盡して、能く養なうをいう。
父母に事えるには、力を惜しむべからず。
次に、親の前を退き出でては、弟を行うべし。
弟は、善く兄長に事えるをいう。
兄は子のかみにて、親に近ければ、敬い従うべし。
もし兄より弟を愛せずとも、弟は弟の道を失うべからず。
兄の不友に似せて、不弟なるべからず。
其の外、親戚・傍輩の内にても、年老いたる長者をば、敬いて侮る事なかれ。
是れ、弟の道なり。
凡そ、孝弟二つは、人の子弟の行いの根本なり。
尤勤むべし。
謹みとは、心に恐れありて、萬の事の誤りなからんようにするなり。
萬の事は、謹みより行わる。
謹みなければ、萬事亂れて、善き道行われず。
萬の過ちも、禍も、皆、謹みなきよりおこる。
謹めば、心に怠りなく、身のわざに誤り少なし。
謹むの一字、尤も大切のことなり。
若き子弟の輩は、殊更是れを守るべし。
信とは、言に偽りなくて、誠あるを云う。
身には行わずして、口に言うは信なきなり。
又、人と約束して、其の事を變ずるも、信なきなり。
人の身は、わざ多けれども、口に言うと身に行うとの二つより外には無し。
行をつつしみて、言に信あるは、身を治めるの道なり。
汎く衆を愛すとは、我が交わり對する所の諸人に情ありて、ねんごろにあわれむを云う。
下人を使うに、情深きも、亦、衆を愛するなり。
仁に親とは、善人に親しみ、近づくを云う。
汎く諸人を愛して、其の内にて、とりわき、善人をば親しむべし。
善人を親しめば、善事を見習い、聞習い、又、其の諫めを受け、我が過を聞きて改るの益あり。
此の六事は、人の子となり、弟となる者の、身を治め人に交わる道なり、勤め行うべし。
行って餘力あれば、則ち用いて文を学ぶとは、餘力はひまなり。
上に見えたる孝悌以下、六事を勤め行いて、其のひまには、又、古の聖人の書を讀んで、人の道を学ぶべし。
いかに、聡明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通ぜず、身を修め人に交る道を知らずして過ち多し。
故に、かならず古の文を学んで、其の道を知るべし。
是れ則ち、身を治め道を行う助なリ。
次には、日用に助ある六藝をも学ぶべし。
聖人の經書を讀み、藝を学ぶは、すべて是れ、文を学ぶなり。
文を学ぶが内にも、本末あり。
經伝を讀んで、学問するは本なり。
諸藝を学ぶは末なり。
藝はさまざま多し。
其の内にて、人の日々に用いるわざをえらびて学ぶべし。
無用の藝は、学ばずとも有りなん。
藝も亦、道理ある事にて、学問の助となる。
これを知らでは、日用の事缺けぬ。
藝を学ばざれば、たとえば、木の本あれども枝葉なきが如し。
故に、聖人の書を学んで、其の隙には、文武の藝を学ぶべし。
此の章、唯、二十五字にて、人の子となり、弟となるものの行うべき道、是れに盡せり。
聖人の語、詞少なくして、義備われりと云うべし。


 凡そ、子弟、年若き輩、悪しき友に交わりて、心うつり行けば、酒色にふけり、淫楽を好み、放逸に流れ、淫行を行い、一かたに悪しき道に赴きて、よき事を好まず、孝悌を行い、家業を勤め、書を讀み、藝術を習う事をきらい、少しの勤をもむつかしがりて、頭いたく氣なやむなど云い、萬のつとむべき業をば、皆、氣つまるとて勤めず。
父母は、愛に溺れて、唯、其の氣随に任せて、放逸を免しぬれば、いよいよ其の心ほしいままになりて、習いて性となりぬれば、よき事をきらいむつかしがりて、氣つまり病起ると云いて勤めず。
中にも、書を讀む事を深くきらう。
凡そ、氣のつまるという事、皆、よき事をきらい、むつかしく思える氣随より起これる病なり。
我がすき好める事には、終日・終夜、心を盡し、力を用いても氣つまらず、囲碁を好むもの、夜を打ち明かしても、氣つまらざるを知るべし。
又、蒔絵師、彫物師、縫物師など、いと細かなる、むつかしき事に、日夜、心力と眼力を盡す。
かやうの業は、面白からざれども、家業なれば、勤めてすれども、未だ氣つまり病者となるという事を聞かず。
むつかしきを嫌いて、氣つまるというは、孝悌の道、家業のしわざなどの、よき事をきらう氣随より起これり。
是れ、孝悌・人倫の勤め行われずして、学問・諸藝の稽古のならざる本なり。
書を讀まざる人は、学問の事、不案内なる白徒なれば、讀書・学問すれば氣つまり氣減りて、病者となり、命もちぢまると思うなり。
是れ、其の理を知らざる愚痴なる、世俗のまよいなり。
凡そ、学問して、親に孝し、君に忠し、家業を勤め、身を立て、道を行い、萬の功業をなすも、皆、むつかしき事をきらわず。
苦労をこらえて、其の業を能く勤めるより成就せり。
むつかしき事しげき術に、心おだやかに苦しまずして、一筋に静かに為し、もてゆけば、後は其の事に慣れて、面白くなり、心を苦しめる事もなくて、其の事遂に成就す。
また、むつかしとて事を嫌えば、心から事を苦しみて、勤むべき事をむづかしとするは、心の僻事なり。
心の僻事をば、其のままおきて、事の多きを嫌うは、誤りなり。
又、煩に耐えるとは、むつかしきを、こらえるを云う。
此の二字を守れば、天下の事、何事もなすべし、と古人云えり。
是れ、若き子弟の輩の守るべき事なり。


 小児の時は、必ず、悪しきくせ悪しき習わしなど有るを、自ら悪しき事と知らば、改めて行うべからず。
又、かかる悪しき事を、人の諫めにあひ戒められば、悦んで早く改め、後年まで、永く其の事をなすべからず。
一たび人の諫めたる事は、永く心にとどめて、忘るべからず。
人の諫めを受けながら改めず、やがて忘れるは、守なしと云うべし。
守なき人は、善き人となり難し。
況や、人の諫めを嫌い、怒り恨むる人は、さらなり。
人の諫めを聞かば、悦んで受くべし。
必ず、怒り背くべからず。
諫めを聞きて、もし悦んで受ける人は、善人なり、能く家を保つ。
諫めを嫌い防ぐ人は、必ず家を破る。
是れ、善悪の分れる所なり。
諫める事、理に違えたりとも、背きて、争うべからず。
諫めを聞きて怒れば、重ねて其の人諫めを言わず。
凡そ、諫めを聞くは、大に身の益なり。
諫めを聞きて、悦んで受け、我が過を改めるは、善是れより大なるはなし。
人の悪事多けれど、諫めを嫌うは、悪のいと大なるなり。
我が身の悪しき事を知らせ、あやまちを諫める人は、尊み親しむべし。
わづかなる食物など送るをだに、悦ぶならいなり。
況や、諫めを言う人は、甚だ悦び尊ぶべし。


 幼き時より、善を好んで行い、悪しきを嫌いて去る。
此の志専一なるべし。
此の志なければ、学問しても、益をなさず。
小児の輩、第一に、ここに志あるべし。
此の事、前にも既に言いつれども、幼年の人々の為に、又、返す返す丁寧に告るなり。人の善を見ては、我も行わんと思い、人の不善を見ては、我が身を顧みて、其の如くなる不善あらば、改むべし。
此の如くすれば、人の善悪を見て、皆、我が益となる。
もし人の善を見ても、我が身に取て用いず、人の不善を見ても、我が身を顧みざるは、志なしと云うべし。
愚なるの至なり。


 父母の恩は高く厚き事、天地に同じ。
父母なければ、我が身なし。
其の恩、報じ難し。
孝を勤めて、せめて、萬一の恩を報ゆべし。
身の力、財の力を盡すべし。
惜しむべからず。
是れ、父母に事えて、其の力を盡すなり。
父母死して後は、孝を盡す事なりがたきを、かねて能く考え、後悔なからん事を思うべし。


 年若き人、書を讀まんとすれば、無学なる人、是れをいい妨げて、書を讀めば心ぬるく、病者になりて、氣弱く、命短くなると、言っておどせば、父母愚かなれば、誠ぞ、と心得て、書を讀ましめず。
其の子は一生愚かにて終わる。
不幸というべし。


 人の善悪は、多くは習いなれるによれり。
善に習いなれれば、善人となり、悪に習いなれれば、悪人となる。
然れば、幼き時より、習いなれる事を、愼むべし。
假にも、悪しき友に交われば、習いて、悪しき方に早く移り易し。
恐るべし。

十一
 師の教えを受け、学問する法は、善を好み行うを以て、常に志とすべし。
学問するは、善を行わんが為なり。
人の善を見ては、我が身に取りて行い、人の義ある事を聞かば、心にむべなりと思い感じて、行うべし。
善を見、義を聞きても、我が心に感ぜず、身に取り用いて行わずば、むげに志なく、力なしというべし。
我が学問と才力と勝たりとも、人に誇りて自慢すべからず。
言にあらわして誇るは、云うに及ばず、心にも、萌すべからず。
志は、偽り・邪なく、誠ありて正しかるべし。
心の内は、覆い、曇りなく、裏表なく、純一にて、青天白日の如くなるべし。
一點も、心の内に邪悪を隠して、裏表あるべからず。
志正しきは、萬事の本なり。
身に行う事は、正直にして、道をまげず、邪にゆがめる事を行うべからず。
外に出て遊び居るには、必ず、常の然るべき、親戚・朋友の所を定めて、妄りに、あなたこなた用なき所に行かず。
其の友として交わる所の人をえらびて、善人に常に近づき、良友に交わるべし。
善人に交れば、其の善を見習い、善言を聞き、我が過を聞きて、益多し。
悪しき友に交われば、早く悪に移り易し。
必ず、友をえらびて、かりそめにも悪友に交わるべからず、恐るべし。
朝に早く起きて、親に事え、事をつとむべし。
朝居して怠るべからず。
凡そ、人の勤めは、朝を初とす。
朝居する人は、必ず、怠りて、萬事行われず。
夜に至りても、事を勤むべし。
早くいねて、事を怠るも、用なきに、夜更るまでいねがてにて、時を誤るも、共に子弟の法に背けり。
衣服を着、帯をしたる形も整いて、威儀正しかるべし。
放逸なるべからず。
朝毎に、昨日いまだ知らざる先を師に学びそえ、暮毎に、朝学べる事を、重ねがさね勤めて、怠るべからず。
心を荒く大様にせず、つづまやかに少しにすべし。
斯くの如くに、日々に勤めて怠らざるを、学問の法とす。

十二
 子弟、孫、姪など幼き者には、禮義を正しくせん事を教ゆべし。
淫乱・色欲の事、戯れのことば、非禮のわざを戒めて、為さしむべからず。
又、道理なき正しからざる札守祈祷などを、妄りに信じて迷えること禁ずべし。
幼く若き時は、かやうの事に心迷いぬれば、其の心くせになりて、一生其の迷いとけざるものなり。
神祇をば恐れ尊び、敬いて、遠ざかるべし。
なれ近づきて、穢し侮るべからず。
我が身に道なく私ありて、神に諂い祈りても、神は正直・聡明なれば、非禮を受け給はず、諂いを悦び給はずして、利益無きことを知るべし。

十三
 古もろこしにて、小児十歳なれば、外に出して昼夜師に随い、学問所に居らしめ、常に父母の家におかず。
古人、此の法、深き意あり。
如何となれば、小児常に父母の側に居て、恩愛にならえば、愛をたのみ、恩になれて、日々にあまえ氣随になり、艱苦の勤めなくして、徒に時日を過ごし、教え行われず。
且つ、孝悌の道を、父兄の教えるは、我が身に能く事えよ、とのすすめなれば、同じくは、師より教えて行わしむるが宜し。
故に、父母の側をはなれ、昼夜外に出て、教えを師に受けしめ、学友に交らしめれば、おごり・怠りなく、智恵、日々に明かに、行儀、日々に正しくなる。
是れ、古人の、子を育てるに、内におらしめずして、外に出せし意なり。

十四
 子孫、年若き者、父祖・兄長のとがめを受け、怒りにあえば、父祖の言の是非をえらばず、おそれ愼みて聴くべし。
いかにはげしき悪言を聞くとも、ちりばかりも、怒り恨みたる心なく、顔色にも顕すべからず。
必ず、我が理ある事を言い立て、父兄の心に背くべからず。
唯、ことば無くして、其の責めを受けるべし。
是れ、子弟の父兄に事える禮なり。
父兄たる人、もし、人の言を聞き損じて、無理なる事を以て、子弟をしいたげ責めるとも、怒るべからず。
恨みそむける色を顕すべからず。
言いわけする事あらば、時過ぎて後、謝すべし。
或は、別人を頼みて言わしむべし。
十分に我に道理なくば、言いわけすべからず。

十五
 子弟を教えるに、いかに愚不肖にして、若く賤しきとも、甚だ怒り罵りて、顔色と言を、あららかにして、悪口して、恥しむべからず。
此の如くすれば、子弟、我が非分なる事をば忘れて、父兄の戒めを怒り、恨みて、そむきて随わず、却て、父子、兄弟の間も不和になり、相破れて、恩を損なうに至る。
唯、従容として、厳正に教え、幾度もくり返し、ようやく告げ戒めるべし。
是れ、子弟を教え、人材養い成す法なり。
父兄となれる人は、此の心得あるべし。
子弟となる者は、父兄の怒り甚だしく、悪口して責め恥しめられるとも、いよいよ、恐れ愼みて、つゆばかりも、怒り恨むべからず。

十六
 小児の時は、智いまだひらけず、心に是非を辨えがたき故に、小人の言う詞に、まよい易し。
世俗の口のききたる者、学問を嫌いて、善人の行儀、堅く正しきをそしり、風雅なるを悪みて、今様の風に合わずとて謗り、唯、放逸なる事を、誘い進めるを聞かば、いかに幼く、智なくとも、心をつけて、其の是非を分つべし。
斯の如くなる小人のことばに迷いて、移るべからず。

十七
 怒りをおさえて、忍べし。
忍とは、こらえるなり。
殊に、父母、兄長に對し、少しも心に怒り、恨むべからず。
況や、顔色と眼目に顕すべけんや。
父兄に對して怒るは、是れ、大なる無禮なり。
いましむべし。
内に和氣あれば、顔色も目つきも和平なり。
内に怒氣あれば、顔色、眼目悪しし。
父母に對して、悪眼を顕すべきや、恥づべし。
孝子の深愛ある者は、必ず、和氣あり。
和氣ある者は、かならず、愉色あり。
子たるものは、父母に對して和氣を失うべからず。

十八
 人のほめそしりは、道理に違える事多し。
悉く信ずべからず。
愚なる人は、聞くに任せて信ず。
人の言うこと、我が思うこと、必ず、理に違うこと多し。
殊に少年の人は、智恵くらし。
人の言える事を悉く信じ、我が見る事を悉く正しとして、妄りに人をほめそしるべからず。

十九
 幼き時より、年老いておとなしき人、才学ある人、古今世変を知れる人になれ近づきて、其の物語を聞き覚え、物に書きつけ置きて、忘るべからず。
又、疑わしき事をば、知れる人に尋ね問うべし。
ふるき事を知れる老人の、物語を聞く事を好みて、嫌うべからず。
かやうにふるき事を、好み聞きて、嫌わず、物事に志ある人は、後に必ず、人にすぐれるものなり。
又、老人をば、むつかしとて嫌い、ふるき道々しき事、古の物語を聞きては、恨しく思い、其の席にこらえず、陰にて謗り笑う。
是れ、凡俗の賤しき心なり。
かやうの人は、おいさきよからず、人に及ぶこと難し。
古人のいわゆる、下士は道を聞きて大に笑う、と云える、是れなり、かやうの人には、交わり近づくべからず。
必ず、悪しき方にながれる。
蒲生氏郷いとけなき時、佐々木氏より、人質として、信長卿に来り仕えられし時、信長の前にて、老人の軍物語するを、耳を傾けて聴かれける、或人、是れを見て、此の童ただ人にあらず、後は必ず、名士とならんと云いしが、果して英雄にてぞありける。
凡そ、若き人は、老人の、古き物語を好み聞きて、覚え置くべし。
若き時は、多くは、古き物語を聞く事をきらう。
いましむべし。
又、若き時、我が先祖の事を知れる人あらば、能く問い尋ねて、記しおくべし。
若し、斯の如くにせず、うかうかと聞きては覚えず、年たけて後、先祖の事を知りたく思えども、知れる人既に亡くなりになれば、問いて聞くべきやうなく、後悔にたえず。
子孫たる人、我がおや先祖の事を知らざるは、無下におろそかなり。
況や、父祖の善行、武功など有るを、其の子孫知らず、知れども顕さざるは、愚なり。
大不孝とすべし。

二十
 父母やわらかにして、子を愛し過せば、子怠りて父母を侮り、愼まずして、行儀、悪しく、氣随にして身の行い悪しく、道に背く。
父たる者、威ありて恐るべく、行儀ありて手本になるべければ、子たる者恐れ愼みて、行儀正しく孝をつとめる故に、父子和睦す。
子の賢不肖、多くは父母のしわざなり。
父母いるがせにして、子の悪しきをゆるせば、悪を長ぜしめ、不義におちいる。
是れ、子を愛するに非ずして、かえりて、子を損なうなり。
子を育てるに、幼より能く教え戒めても、悪しきは、誠に天性の悪しきなり。
世の人、多くは、愛に過ぎておごらしめ、悪を戒めざるゆえ、習いの性となり、終に、不肖の子となるもの多し。
世に、上智と下愚とは、まれなり。
上智は教えずしてよし。
下愚は教えても改め難しと云えども、悪を制すれば面は改まる。
世に多きは、中人なり。
中人の性は、教えれば善人となり、教えざれば不善人となる。
故に、教えなくんばあるべからず。

二十一
 小児の衣服は、華やかなるも苦しからず、といえども、大模様、大縞、紅紫などのざればみたるは、着るべからず。
小児も、ちとくすみ過ぎたるは、あでやかにして、賤しからず。
華やか過ぎて、目に立つは、賤しくして、下部の服の如し。
大方、衣服の模様にても、人の心は能く計られるものなれば、心を用ゆべし。
また、身の飾りに、ひまを用い過すべからず。
ひま費えて益なし。
唯、身と衣服に穢れなくすべし。

二十二
 農工商の子には、幼き時より、唯、物書、算数をのみ教えて、其の家業を専らに知らしむべし。
かならず、楽譜、淫楽、其の外いたづらなる無用の雑藝を知らしむべからず。
是れにふけり溺れて、家業を勤めずして、財を失い家を亡せしもの、世に其の例多し。
富める人の子は、立居、振舞、飲食の禮などをば習うべし。
必ず、戒めて、無頼・放逸にして、酒色・淫楽を好む悪友に、交わらしむべからず。
是れに交われば、必ず、身の行い悪しく、不孝になり、財を失い、家を失う。
甚だ恐るべし。

二十三
 小児は十歳より内にて、早く教え戒むべし。
性悪しくとも、能く教え習わせば、必ず、よく成るべし。
いかに美質の人なりとも、悪しくもてなさば、必ず、悪しきに移るべし。
少年の人の悪しくなるは、教の道なきが故なり。
習を悪しくするは、譬えば、馬にくせを乗り附けるが如し。
いかに曲馬にても、よき乗手の乗れば、よくなるものなり。
また、鶯のひなを飼うに、初て鳴く時より、別によく囀る鶯を其の傍に置きて、其の音を聞きて習わしむれば、必ず、よく囀りて、後まで変わらず。
是れ、初よりよき音を聞きて習えばなり。
禽獣といえど、早く教えぬれば、善に移り易きこと此の如し。
況や、人は萬物の霊にて、本性は善なれば、幼き時より、能く教訓したらんに、勝れたる悪性の人ならずば、などか悪しくならん。
人を教訓せずして悪しくなし、其の性を損ずるは、惜しむべき事ならずや。

二十四
 子孫、幼き時より、堅くいましめて、酒を多く飲ましむべからず。
飲みならえば、下戸も上戸となりて、後年に至りては、いよいよ多く飲み、恣になり易し。
癖となりては、一生改まらず。
禮記にも、酒者所以養老也、所以養病也と云えり。
尚書には、神を祭るにのみ、酒を用ゆべき由を云えり。
然れば酒は、老人・病者の身を養い、又、神前に備えん料に造れるものなれば、少年の人の、恣に飲むべき理にあらず。
酒をむさぼる者は、人のよそ目も見苦しく、威儀を失い、口のあやまり、身のあやまりありて、徳行を損ない、時日を費し、財寶を失い名をけがし、家を破り、身を亡ぼすも、多くは酒の失よりおこる。
又、酒を好む人は、必ず、血氣を破り、脾胃を損ない、病を生じて、命みじかし。
故に、長命なる人、多くは下戸なり。
たとえ、生れつきて酒を好むとも、若き時より愼みて、多く飲むべからず。
凡そ、上戸の過失甚だ多し。
酔に乗りては、謹厚なる人も狂人となり、言うまじき事を言い、為すまじき事をなし、ことば少なき者も、言葉多くなる。
戒むべし。
酒後のことば、愼みて多くすべからず。
又、酔中の怒を愼み、酔中に、書状を人に送るべからず。
むべも、昔の人は、酒を名づけて狂薬とは云えりけん。
貧賎なる人は、酒を好めば、必ず、財を失い、家を保たず。
富貴なる人も、酒にふければ、徳行亂れて、家を破る。
高き賤しき、其の禍は逃れず。
戒むべし。

二十五
 小児のともがら、戯れ多く言うべからず。
人の怒りをおこす。
又、人のきらう事言うべからず、人に怒り謗られて益なし。
世の人多く賤しき事を言うとも、それを習いて、賤しき事言うべからず。
小児の言葉賤しきは、殊に聞きにくし。


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