見出し画像

大和俗訓 巻之六 躬行上



 善を好み、悪を嫌う事の誠なるは、大学の誠意の事にて、身を修め、道を行う初めなり。
善を好み、悪を嫌はざれば、道の行わるべきようなし。
学者の、最初より勤むべき事、是れより急なるは無し。
善を好む事は、譬えば、よき色を好むがごとく、悪を嫌う事は、悪しき臭いを嫌うがごとくすべし。
是れ、誠に好み嫌うなり。
諸人の嫌う事多けれど、悪臭ほど忌むべき物なし。
好む事多けれど、好色に過ぎたる物なし。
是れ皆、諸人の眞實に好み嫌う物なれば、善を好み、悪を嫌う事も、亦、此の如く眞實なるべしとなり。
是れ、誠によく人を諭すべき譬なり。
もし、心の内に、既に善悪を知れども、好み嫌う事實ならずして、善を行わず、悪を去らざるは、これを自ら欺くと云う。
自ら欺くとは、わが心の内、實ならざるを云う。
善を好み悪を嫌う事、誠ならざれば、萬の行い皆、偽りとなりて、道行わるべからず。
譬えば、草木の根なきが如く、家を造るに、基なきが如し。
行いの本たたず。
ここを以て、道を行わんと思わば、先づ、此の志を立てるを初めとすべし。


 力行の道は、其の大綱は、身を修めて、五倫を篤くするにあり。
身を修めるは、道を行う本なり。
身修まらざれば、五倫の道行われず。
身を修める條目は、言を忠信にし、行いを篤く愼み、怒りを懲し抑え、慾を耐え塞ぎ、見聞きする所の善に、早く移りて、努め行い、わが過ちを知りて、速やかに改めるにあり。
其の上、人に對して、道を行えども、人従わずして、行わざる事あらば、人を責めずして、自ら省み求めて、わが善の至らざる事を責むべし。


 凡そ、人の身の業多けれど、つとめて言えば、言と行との二に過ぎず。
言を愼みて、信にし、行を勤めて、篤く愼めば、身修まる。
故に、言行を愼み篤くするは、身を修めるの道なり。


 言行を分かてば、人の身の業、四となる。
視聴言動なり。
此の四の業に、皆、なすべき所の定まれる法あり。
是れを禮と云う。
禮に従いて、視聴言動をなすべし。
四の事の為すまじき事を為すは、非禮なり。
禮は、譬えば、工の墨かねの如し。
すみかねを用いざれば、材木あれども用にたたず。
禮を用いざれば、視聴言動、皆、道に適わず。
凡そ、人の人たる所は、禮なり。
禮なければ、禽獣に近し。
故に、禮は身を修め、道を行う則なり。
君子は、常に禮を守り行う。
小人は、常に禮に乖く。
是れ、君子と小人の別れる所なり。


 視聴言動は、人の身の四の業なり。
視は、又、心の動にして、其の本なり。
善を好み、悪を嫌う事を誠にするは、視を愼むの道なり。


 善を行うに、其の心に、義と利との分ちあり。
義とは、我が行うべき公の理なり。
私無くして、我が為にせざるなり。
我が身の為にするは、義にあらず。
利とは、我が身の為にする私の心なり。
公ならざるを云う。
萬の事を行うに、先づ、義か不義かを省みて、義に従い行うべし。
其の行う事善なりとも、其の心、義に随わずして、我が身の利分の為にせば、是れ、私なり。
君に仕える一事を以て言わば、奉公をよく勤めるは、善なり。
眞實に忠をなして、我が身を忘れるは、義を正しくするなり。
もし、奉公を努めて、露ばかりも、君の恩寵を得ん為に努める心あらば、是れ、利を計るなり、義にあらず。
凡そ、義とは、なすべき事をなして、我が身の利の為にする私なきを云う。
されども、義理にかなえば、人喜び従い、事整い行われる故、利は求めずして自ら来る。
自ずから来る利は、義に害なし。
利を求めるは、義に害あり。
譬えば、天下に聞える程の善を行いても、身の為にするに志あるは、利なり、義にあらず。
義と利とを分つ事、第一務むべき心術なり。


 善を行うとは、天性に生まれつきたる仁義禮智の本心に従いて、孝弟、忠信、慈愛、恭敬、温和、辭讓、剛勇、廉恥などを、時に隨い、事に隨って、行うを云う。
さばかりの善を行いても、名利を願う心ありて行うは、誠の善にあらず。
善を行うには、惟、一筋に、義理に専らにして、名利の心なかるべし。


 衆人の行い、萬事につきて、過ちと悪とあり。
過ちとは、心に悪なけれども、知らずして理にし違い、或いは、心つかずして、理に違うを云う。
悪とは、善悪は知りながら、慾にひかれて、理に違うを云う。
是れ、自ら欺くなり。
身を修めるには、過悪を改めて、善に移るを努めとすべし。
聖人は、過ちなし。
賢者以下は、過ちなき事なし。
殊に、凡人は、過ち多し。
何ぞ今の世に過ち無き人あらんや。
人の諫を聞きても用いず、我に過ちあれども知らずして、過ち無きと思う人あり。
是れ、自ら修めるに、志なき故なり。
もし、自ら修める人は、過ち多き事を知るべし。
自ら省みて、わが過ちを知り、人の諫を聞きて、わが道を改め、善に移るべし。


 常に、我が身を省みて、先づ、我が過ちを知るべし。
すでに過ちを知りなば、速に改むべし。
尚書に、過ちを改めて、吝ならずと云り。
吝とは、惜しむなり。
過ちを惜しまずして、早く改めるを云う。
孔子も過っては、則ち、改めるに憚る事勿れと宣えり。
我が身の過ちを知らざるは、愚なり。
過ちを知りて改めざるは、則ち、悪なり。
知らずして過つより、猶、其の罪重し。


 過ちは、必ず、氣質の偏より起る。
剛なる人は、心強き所より過ち起り、柔なる人は、心弱き所より過ち起る。
氣質の偏なる所に克ちて、過ちなからん事を求むべし。
学者、常に、わが氣質の偏を察し、其の過ちを省みて、改むべし。
此の如くせざれば、学問の益なし。
是れ、学者の専ら努め行うべき所なり。
過ちを改めるは、氣質の偏に克つ道なり。
氣質の偏なる所には、克ち難し。
常に、努めて十分の力を用いるべし。

十一
 我が身、聖人にあらず、過ち多きは宜なりとて、過ちを知りながら、改めざる人は、無下に、道に志無き人なり。
自暴自棄と云うべし。
かようの志無き人に習いて、わが過ちを宥すべからず。

十二
 人の目は、百里の遠きを見れども、其の背を見ず。
明鏡と雖も、其の裏を照さず、離婁が明目なるも、其のまつげを見る事無し。
ここを以て、人知ありと雖も、我が身の誤りを知り難し。
故に、君子の学は、専ら、我が身を省み、人の諌めを聞き用い過ちを知りて、改めるを宗とす。
子路は、我が過ちを人の告げるを悦べり。
故に、百世の師なりと、程子も云り。
人を知る事、誠に難しといえど、我が身の悪しきを知るは、また人を知るよりも猶、難し。
ここを以て、わが過ちを告げ知らせる人あらば、誠に悦ぶべし。
人僅かなる財を贈り、或いは、酒肴を送るをも、受ける人、これを喜ぶ。
況や、言い難き諫めを云い、自ら知り難き過ちを聞くをや。
我が身に於て、かかる大なる益なし。
諫を聞く事、豈に幸ならずや。
子路の悦べる事、宜なるかな。
過ちを聞く事を嫌い、諫を防ぐは、悪しき事の至りなり。
諫を聞きて、過ちを改めるは、医を招きて、病を癒すが如し。
もし、過ちあれども、諫を防ぎて、人の正す事を嫌うは、病を育てて、医を嫌うが如し。
其の身を失えども省みず、悲しむべし。

十三
 顔子は、過ちを待たせず。
言う意は、一度、過ちと知れる事は、再び行わず。
また顔子は、不善あれば、未嘗不知んば、知之未嘗復行。
と易に見えたり。
いう意は、我が身に過ちあれば、必ず知る。
是れ、知る事の明かなるなり。
過ちを知れば、必ず行わず、是れ行う事の強きなり。

十四
 論語に、君子の過ちは、日月の食の如し。
過てば、人皆是れを見る。
更めれば、人皆之を仰と云り。
君子の心は、青天白日の如く、洒落にして、一點の蓋い無し。
故に、過ちを蓋い隠さずして、早く改む。
日食月食をば、天が下の人、誰も仰ぎ見て、隠れなし。
しばし、光隠れども、軈て元の如く、明かになれば、日月の光明に少しも瑕なし。
君子の過ち、此の如し。
また論語に、小人の過ちは必ず文也と云り。
小人は、過ちを恥じて文り、其の過ちを蓋い隠せば、正直の道理を失い、是非を言い抂げ、偽りて、ついに過ちを改めず。
甚だ、見苦し。
是れ、小人の心、慣いなり。
賤しと云うべし。
尚書に、過ちを恥じて、非をなす事なかれと云り。
賢人すら過ちあり、又、況んや凡人をや。
唯、過ってよく改めるを、君子とすべし。

十五
 人の善を見ては、我も、又、此の善あらん事を思い、是れを学び行うべし。
人の不善を見ては、我も、又、此の不善有りやと、身を省み畏れて、もし有れば、改むべし。
此の如くすれば、見聞きする所の善悪、皆、我が助けとなる。
老子の、善人は、不善人の師、不善人は、善人の資と言えるも、此の意なり。

十六
 古の賢者は、我が過ちを聞く事を好み、人の諌めを悦べり。
諌めを聞きて、過ちを改め善に移れば、道に進む事、極り無し。
善なる事、これより大なるは無し。
また、古の賢者は、人に誉められるを喜ばず、我が善を聞く事を好まず。
わが善を聞きては、益無きのみならず、もし少しも、我が身に誇る心出で、善をなすに怠れば、大なる害なり。
今の人は、我が過ちを聞く事も好まず。
人の我を誉めるを悦び、我が善を聞く事を好む。
世に諂える小人多き故、誉める者多し。
其れを誠ぞと心得て、身に誇り、善を行うに怠るは、愚なり。
末の世の人は、唐も大和も、全て、人の諌めを好まず。
故に、人を諫めるを、偏に、世慣れぬ頑なる人と思えり。
父として子を諌めれば、我が父は、老耄せりと言い、また老人は、今の風を知らずとて、謗り怨む。
臣として君を諌めれば、驕れり、無禮なりとて、怒り遠ざく。
ここを以て、人ごとに、世の俗に慣れ、人の欲に従い、諂いて諌めず。
此の風、若し、世に行われ、風俗となりなば、善は、日々に廃り、悪は、日々に盛になりて、道行わるべからず。
悲しむべし。
凡そ、諌めを言う人、有り難し。
古来、唐も大和も、諌めを喜ぶ人は、最も有り難し。
故に、諌める人も稀なり。

十七
 人に對して道を行うに、人、我に随はずば、人を責めるべからず。
ただ、我が身に立ち省りて求むべし。
是れを自反と云う。
此の工夫、肝要なり。
人を愛して、人、我を親しまずば、わが愛の、未だ至らざる故と思うべし。
人を禮して、人、我に無禮ならば、わが禮、未だ至らざる故と思うべし。
人を諌めて、治らずんば、我が智の至らざる故と思うべし。
是れ、人を責めずして、我が身に省り求める工夫なり。
此の如くすれば、人従い易し。
従わざるは、猶、我が誠の至らざると思い、其の實を努むべし。
我に誠あれど、人背くは、道理も無き妄人なり。
禽獣に近き人なれば、其の人と是非を争うべからず。

十八
 中庸に曰く、言、行いを顧る、行い言を顧る。言う意は、言と行とは、相違なかるべし。
言を出すに、我が身の行いを省みて言うべし。
事を行うには、己が言を省みて行うべし。
言う事は易く、行う事は難し。
故に、言は控えて言い、行は言より過すべし。
此の如くすれば、言と行と相違なし。
口に言う事あまり有りて、身に行う事足らざるは、是れ、言行の背けるなり。
恥ずべし。

十九
 善も悪も、必ず、小を積みて大に至る。
故に、善は、小なりとて棄てるべからず。
悪は、小なりとて行うべからず。

二十
 古語に、忠臣は、二君に仕えず、烈女は、両夫に更めずと云り。
君子の道、節義を守るを重しとす。
節義とは、臣の君に仕え、婦の夫に事えるに、一筋に、忠節義理ありて、二心無く、二君に仕えず、両夫に更めず。
もし、不幸にして、我が身、艱難に苦しむとも、君を棄て、夫に背きて身命を惜しむべからず。
命を失うとも、忠貞の志を改めざるを、節義と云う。
萬の事、いみじく才能ありて、麗しき人も、節義を失いて、君に背きて難を遁れ、夫を棄てて人に従えば、其の余は見るに足らず。
一度節義を失いて、利ある方につき、害ある方を遁れ、或いは、死ぬべき時に死なざれば、一生の名を汚すのみならず。
後代までも、長き悪名をながす。
凡そ、人、生前の血肉をのみ、我が身と思うべからず。
死後の善悪の名も、亦、我が身の内なる事を思うべし。
生けるもの、必ず、一度死なずと云う事なし。
節義を失いて、かい無き命を生き、例え、百年の齢を保ち、富貴を極むとも、人の道を失いて、世に生きるかい無くば、何の楽しみかあらんや。
是れ、人の努め行うべき大節なり。

二十一
 凡て、人の務め行うべき業、三つあり。
願う所も、亦、三つ有り。
一つには務業、二つには養生、三つには行義なり。
務業とは、四民ともに、其の家の業を務めるなり。
士は、君に仕えて、農工商は、各々、其の家業を務めて、其の衣食を求めるを云う。
家業を務めざれば、飢寒貧窮を免れず。
是れ、諸民の先づ、務むべき事にして、財禄あらん事を希う所なり。
業を務めれば、衣食と居処を得て、身を養う生計は、其の内にあり。
二つには、養生は、飲食・色慾・七情の内、慾を薄くし、起居動静の形氣を愼み、風寒暑湿の外邪を防ぎ、生命を養いて、病なく長寿を得ん事を希うを云う。
生を養わざれば、必ず、病生じて、身を苦しめ、又、生まれつきたる天年を保ち難し。
是れ又、人のよく務むべき事なり。
三つには、行義は、身を修めて、人倫の道を篤く行い、道理に適わん事を願うを云う。
義を行わざれば、人道を失う。
凡そ、業を務めて、富貴に居り、生を養いて、長生を得ても、人の道、無くんば、禽獣に近くして、生きるかい無し。
古の聖人、これを憂いて、師を立て、学を立て、人倫の道を教え、義理を知らしめ給う。
此の三つの内、務業より、養生は重く、養生より、行義は重し。
いかんとなれば、務業は、富貴を究めるを宗とす。
國土を領し、高位に昇るは、富貴の究まりなり。
されども、寿命無ければ、富貴も用無し。
ただ今、人ありて、汝に國土を譲り、高位を授くべし。
然らば、汝が命を奪うべしとならば、至りて欲深き愚なる人も、命を失いて、國土と位を得んと思う者あるべからず。
然れば、富貴より命は重きにあらずや。
故に曰く、務業より、養生は重し。
又、君父の為に、命を捨てるは云うに及ばず、朋友と連れ立ちて、道を行くに、もし、向かいより人来りて、朋友と口論し闘わば、士ほどの者は、其の友を見捨てて、逃げる人あるべからず。
闘いて死すれども、顧みず。
又、僅かなる禄を得て、君に仕える下部も、主人の為命を捨てるは、珍しからず。
是れ、生命より義理は重きにあらずや。
凡そ、此の三つは、天下の人、生まれつきて、各々、其の心に願う所にして、又、行うべき當然の道なり。
務めて怠るべからず。
其の内に、軽重ある事、此の如し。
義理の、生命よりも富貴よりも、重く貴とむべき事、是れを以て知るべし。
然れば、命を惜しみて、義理を失うは、軽重を知らざるなり。
況んや、利欲によりて、大なる義理を失うは、云うに及ばず。

二十二
 凡その人、財禄を得る事を好まざるは無し。
これを好めば、家業を能く務むべし。
また長生を好まざるは無し。
これを好まば、養生の道をよく務むべし。
又、義を好まざるは無し。
これを好まば、学問を務めて、義理を知るべし。

二十三
 恩を報う事、人道の大節なり。
禽獣は、恩を知らず。
恩を知るを以て人とす。
恩を知らざるは、禽獣に等し。
是れ、人と禽獣と分かれる所なり。
是れを以て、恩を報ずるは、人道の大節なりと云う事、宜ならずや。
恩を知らば、必ず、報ゆべし。
知りて報ぜざるは、知らざるに同じ。
恩を報ずるには、誠を以てすべし。

二十四
 人に四恩あり。
天地の恩、父母の恩、主君の恩、聖人の恩、此の四恩、忘るべからず。
天地は、人の大父母なり。
父母の氣は、即ち、天地の氣なり。
人は、天地の氣より生れる。
又、生まれて後は、天地の養を受けて、身を立つ。
故に、天地の恩は、広大にして極まり無し。
何を以てか、其の恩を酬いんや。
天地の御心に従いて背かざる、是れ、天地に仕え奉りて、孝をつくし、其の恩の萬一を報ずる道なり。
天地の御心に従うとは、何ぞや。
人たる者は、天地の、萬物を産み養い給う、其の御心を受けて心とす。
是れ、仁なり。
仁とは、憐れみの心なり。
仁を失わざるは、天地の心に従うなり。
仁を行う道、いかん。
天地は、其の産める所の人を厚く愛し、次には、萬物を愛し給う。
其の心に従いて、人倫を厚く愛し、次に、鳥獣以下の萬物を愛して、損なわざる、是れ、天地の御心に従うなり。
即ち是れ、仁なり。
仁を行うは、天に仕え奉りて、其の大恩の萬一をむくう道なり。
天地は、人の大父母なり。
人は、天地の子なれば、是れ、天地に仕え奉る孝の道なり。
人となる者の一生、務め行うべき道、是れより大なるは無く、是れより急なるは無し。
人となる者、必ず、知らずんばあるべからず。
此の事、前巻に既に云り。
初学の人に知らせんために、しばしば言うなり。

二十五
 父母われを産めりと雖も、其の生を受けし初は、天地の氣を取りて生ず。
是れ、天地は、生の本なり。
其の上、生まれて後、幼きより、身を終わるまで、天地の養いを受けて天地の生ずる物を、食とし、衣とし、家とし、器として、身を養う。
天地の性を受け、五常の徳を心に生まれつきて、萬物の霊となり。
天地の内に住みて、天地の厚き恵みを受ける。
生を受けし初より、身を終わるまで、天地の恩を受けし事、此の如し。
かかる大恩ある事を悟りて、身を終わるまで、天地に仕え奉りて、孝を行い、其の極まりなき徳に報いん事を思うべし。
是れ、人間の一大事なり。
故に、度々繰り返して云うなり。

二十六
 父母の恩、極まり無き事、天地に等しい。
父母無くんば、何ぞ、我あらん。
其の恩、海より深く、山より高し。
海山は、限り有り、父母の恵みは、限り無し。
いかんしてか、其の恩を報いんや。
ただ、孝を行いて、其の恩の萬一を報ずべし。
父母に事えて、其の力を盡して、惜しむべからず。
力とは、身と財との力を云う。
身の力の限りを盡して仕え、財の力の限りを盡して養い、其の力を惜しむべからず。
若き時は、我も人も、父母の恩を思わず。
力を盡さずして、不孝を行い、父母終わりて、後悔すれど益なし。
是れ、一生の限り無き、恨なり。
人の子たる者、後悔なからん事を思い、父母の生きる時、力を盡して、孝を行うべし。
一日も孝を行わずして仇に過すべからず。
父母に事える年は、久しからず。
孝子は、日を惜しむと云える事、心に懸くべし。

二十七
 父母、我を生むといえど、君の養いにあらざれば、我が身立たず。
君の禄を受けて、我が身を養うのみならず、父母妻子を養い、奴婢を使い、衣服・居宅・器物、萬の用、乏しからずして、安楽に世を渡る事、偏に、君の賜物なり。
是れ又、父母に並びて、其の恩大なり。
君に仕えるには、我が身を忘れて、身を我が物とすべからず。
君に奉りおくべし。
是れ、身を委ねるなり。
論語に、子夏の曰く、父母に事えて能く其の力をつくし君に事えて能く其の身を致。
とは、是れなり。

二十八
 父母に生まれ、君に養われると雖も、聖人の教え無ければ、人の道を知らず。
道を知らざれば、食に飽き、衣を暖かに着、居り所を安くしても、人の道無くして、禽獣に近ければ、人に生まれたるかい無し。
今教えを受けたる、古の聖人の恩は、君父に等しい。
聖人は、萬世の師なり。
萬世の後まで、いと貴ぶべし。
聖人の恩を酬えんとならば、聖人の教えに従い、其の道に背かざるべし。
是れ、聖人の恩を報ずる道なり。

二十九
 凡そ、天地・父母・主君・聖人の恩、相ならびて、至りて重し。
此の四恩を忘れ背くは、人にあらずと思うべし、報いずんばあるべからず。
是れを報えんと思わば、道を学びて行うにあり。
他の道あるべからず。

三十
 今の世に、道を教える師は、有り難し。
もしあらば、貴び仕うべし。
道の教えを受けたる師は、其の恩深き事、君父に等しい。
又、書を読み習いたる師を句読の師と云う。
其の労甚だし。
芸術の師は、又、其の次なり。
これらは、君父・聖人の恩には双べ難しと雖も、其の苦労の恩忘るべからず。
此の外、人の生涯には、恩を受ける事多し。
凡そ、人の恩を受けば、心に銘じて、忘るべからす。
一言の情をも感じ、一事の志をも心にかけて思うべし。
人の情あれども感ぜず、人の志をも空しくするは、無下に心無きなり。

三十一
 司馬温公の曰く、人の恩を受けて、背くに忍びざる者は、其の人、必ず、忠孝ならんと。
此の言、道理至極せり。
然れば、恩を受けて忘れる者は、忠孝ともに無かるべし。
忠孝も、君父の恩を忘れざる道なり。
俗語に、恩を知らざれば、木石に等しいといえるも、恩を知らざるは、人の心無きなり。
君子の道、天地に仕えて、仁を行い、父母に孝を行い、君に忠をつくし、師を貴び、故舊に篤くするは、皆、恩を酬ゆる道なり。
人の性によりて、無学なる俗人にも、恩を忘れずして、節義を務め、禮を缺かざる者あり。
是れ、其の天性の優れたる所なり。
其の善行、貴ぶべし。
又、世の常の事は、才ありて悪人ならざれども、舊恩を忘れる者あり。
義無しと云うべし。

三十二
 古語に曰く、 恩を施して念勿れ、恵を受て忘る勿れ。
人に恩を施さば、是れ、我が成すべき當然の道と思いて、かさねて、其の施したる事を忘るべし。
思い出すべからず。
恩を施したるとて、恩だらしくするは見苦し。
また人の恵みを受けば、其の恩を忘るべからず。
必ず、報えん事を思うべし。
小人は、人の恩を受けては、必ず忘れ、人に恵みを施しては、必ず忘れずして、其の報いを求む。
其の人、報いざれば、恨み怒る。
凡そ、天地の人を生じ育い給うは、其の惠み廣大なれど、君子にあらざれば、其の浩恩を知らず。
天地に仕えんと思う心無し。
父母の恩を受けし事は、猶、近くして、誰も知れる事なれど、それだに忘れて不孝なるは、凡夫の生まれつき習わしなり。
況んや、其の余の人倫の交の内にて、たとえ、若干の恩を施したりとも、父母の恵みに比べば、萬が一なるべし。
人皆君子にあらざれば、恩を深く受けながら、十人に九人は、必ず、忘れて報いず。
恩を受けて忘れるは、凡人の慣いぞと思いて、我より恩を施せりとて、誇るべからず。
施して報いを望めば、人其の恩を忘れたる時、恨み怒りて、わが徳を損なう。
是れ、人情を知らずというべし。
恩を受けて、忘れるは、小人の癖なり。
珍しからずと思い、人を咎むべからず。
是れ、人情を知れるなり。
ただ、我が身は恩を忘るべからず。

三十三
 凡そ、人の施しを受け、恩を蒙り、或いは、我を君子に薦めたる恩あらば、永く忘るべからず。
折節の禮義を務むべし。
久しくして怠るべからず。
或いは、初に務めれども、誠少なき人は、久しきを経れば、必ず、舊恩を忘れて、訪いくる事だに無し。
始終一の如くなるべし。
凡そ、恩を知らざるは、世の凡人の習いなれば、責むるに足らず。
我が身、かかる薄き人情に慣いて、恩を忘るべからず。
恩を忘れるは、人にあらずと思うべし。
犬は賤しき獣なれど、養いを受けた主人を慕いてさらず。
他の富める家に引き寄せ、繼なぎ置きて、食に飽かしむれども、貧しきもとの主人の家に遁げ歸る。
或いは、数十里の道をも歸り、遙なる海を泳ぎても、歸る事あり。
されば、恩を知らざるは、人を以て、犬にも如かずと云うべし。

三十四
 人倫を厚く愛し、四恩を感じ報いて、又、神を貴ぶべし。
古人の曰く、民は神之主なり。
是れを以て聖王は先づ、民を養いて後、神に力を用い給う。
人事を努めずして、神に助けを求むべからず。
神に三つあり。
天神・地祇・人鬼なり。
天神は、天の神霊を云う。
日月星も、其の内にあり。
地祇は、地に在る神霊なり。
名山・大川の神、社稷の神も、其の内にあり。
社稷とは、國土と五穀とを守る神なり。
人鬼とは、人死して、神にいはへるを云う。
わが家の父母・先祖の神あり。
是れ、祭るべし。
王公の先祖宗廟の神あり。
貴ぶべし。
これを祭るは、恐れ多し、無禮なり。
又、先祖にあらざれども、人民に功徳ありし人あり。
これ、皆、人鬼なり。
是れ、亦、貴ぶべし。
凡そ、我が身に応じたる神を祭るべし。
身に応ぜざるは、祭るべからず。
天神・地祇・人鬼ともに、人の位によりて、我が身にあづかりて、祭るべき神あり。
身にあづからずして、祭るまじき神あり。
わが祭るべき神にあらざれば祭らず。
是れを祭るは、諂いなり、非禮なり。
神は、非禮を受け給わず。
我が身にあづからずして、祭るべき神にあらざれば、正しき神にても、淫祀と云う。
淫祀は、福無とて、わが祭るまじき神を祭りて、祈り諂い仕えても、非禮なれば、受け給わず、利生なし。
利生なきを福無と云う。
わが祭るべき神と、祭るまじき神とを、よく辨うべし。
祭るまじき神を祭るは、非禮にして、神慮に適わず。
利生なくて、神罰はかり難し。
天子諸侯の祭り給える所の、及びなき天地神明を、賤しき者汚し侮りて祭るは、大なる非禮なり。
天道神明は公にして、人間の如く、即時に、其の非禮を咎め、罰を行い給わざれども、久しきをつみて、必ず、禍を蒙るは、必然の道理なり。
賤しき者の、日月を祭り。
又、祭るまじき神を祭り、久しくして、大なる禍に遭える人多し。
わが屢々見る所なり、畏るべし。
鬼神を敬いて之に遠ざかると聖人宣えり。
いう意は、神は畏れ敬うべし。
近づき侮るべからず。
譬えば、王公大人などに、畏れて近づかざるが如し。
是れ、之を遠ざかるなり。
神の社に入るにも、此の心得ありて、妄りに近づき侮るべからず。
畏れて遠ざかるべし。

三十五
 よく人の言を用い、人の諌めを聞く人は、必ず、過ち少なく、行い正しく、よき譽あり。
人の言を用いざる者は、僻事多く、謗り多し。
宋國に、岳飛と云える忠臣あり。
優れたる良将なりしが、此の人、大将として出陣する度毎に、先づ豫て、其の下に従える諸司を、呼び集め、饗応して、此の度の戦、敵に勝ちぬべき手立を尋ね、人々に言わせ、負けぬべき悪しき筋おもいはせて聞く。
其の内にて、よきを選び用いて、豫てよく謀を定めて、十分に勝ちぬべきと議定して後、出陣せしかば、戦う度毎に、勝軍のみして敗軍せず。
向かう所敵なかりしとなり。
是れ、軍のみに限らず。
大事小事、皆、此の如く、兼ねて、人とよく計りて事を行わば、過ち無かるべし。
孔子の、三軍を行うに、常の時、事に臨んで畏れ、謀を好んでなさん者に与せん、とのたまいしも、此の意なり。

三十六
 人の性、もと善なれば、悪をする心、もとより無しと雖も、利害・喜怒・愛憎の私欲に惹かれて、悪心生じ、悪事を行う。
故に、善をする人、常に少なく、悪をするもの常に多し。
我が心の中を省みて、其の悪の起こる所を求め去りて、善心の生ずるを育て、押し廣め行うべし。

三十七
 孟子の曰く、志士は、溝壑にあるを忘れず。
勇士は、其の元を失うに忘れず。
いう意は、義理に志ある士は、譬、我が身不幸にして、飢えて溝壑に臥し轉びて死ぬるとも、其の時までは、義理を忘れず。
又、義理に勇む士は、譬、人と戦いて、我が首を失う時に至ると雖も、義理を忘れずとなり。
士たる者は、必ず、此の語を常に心に保ちて失うべからずと古人も云り。
人の命は重き物なれど、義理は、また命より甚だ重し。
故に、生死の大事に臨むとも、義理を忘るべからざる事、此の如し。
況や、名利・好色・財宝は、皆、外物の軽き物なれば、何ぞ、是れを貪りても、重き道義を失わんや。
凡そ、人の欲は、富貴を極めるにあり。
然れども、至れる富貴にも換え難きは命なり。
命無くしては、富貴も用なし。
命は、かほど重きものなれども、義理に當ては、命をも軽く捨てる事、君子は云うに及ばず。
凡夫も能くするは、是れ、人の本心なり。
然れば、義理ほど重きものは無しと知るべし。
かほどに、一命より甚だ、重き義理を捨てて、極めて軽き私欲に従うは、本心を失えるなり。
誠に愚なりと云うべし。

三十八
 怒り強く、欲は深き故、是れに勝ち難し。
力を盡して、堪忍すべし。
力弱ければ、怒りと慾に克ち難し。
忍の字は、心の上に刃を書く。
怒りと慾の心起こるを断ち去る事、刃を以て切り断つが如くなるべし。
是れ、呉臨川が、忍の卦を作りし説なり。
又、敵に向えて戦うが如く。
十分の力を用いるべし。
此の如くせざれば、怒りと慾とに負け易し。
堪忍の工夫なく、怒りと慾とに克たざれば、平生の学文も用にたたず、徒事なり。

三十九
 人と生まれては、道に志ざして、常に、仁を心に保ちて、毎日、人に利益ある善事を行うべし。
主君・父母・舅姑・兄長などによく仕え、家人を愛するは、皆、善なり。
又、人を恵み救う事、亦、善なり。
是れ皆、心を盡して行うべし。
人を恵み救う事は、必ず、財を用いる事の多少によらず、ただ人の難儀を救えば、其の利益大なり。
富める者には、財を多く与えても益なし。
貧しき者に施せば、少し与えても、其の利益大なり。
譬えば、食に飽きたる者に、又、食を与えるは、益無くして、却って、病となる。
飢えたる者には、少し食を与えても、利益深きが如し。
財を多く費しても、無益の事に用いれば、人の助とならず。
譬えば、萬燈を點しても、やたら油を費やしたるのみにて、利益なし。
其の費を以て、貧人を養わば、大なる利益なるべし。
善を行うとは、ただ、人の利益になる事を行うにあり。
人を利益すれば、天地神明の御心に適いて、ついに、其の報いありて、幸福を得る理、古来その例多し。
凡そ、善を行いて、人を救う事、上は王公より、下は乞丐に至るまで、行うべき道あり。
富貴・貧賤によらず。
ただ、善を行う志だにあらば、善行われずと云う事なし。
善を行うべき時にあたりて、心を盡すべし、怠るべからず。
貧しく賤しき人も、仁に志ざして行えば、其の身に応じ、日々に、人に利益ある事多し。
況や、富貴の人、其の志あれば、人を救う事廣く、其の功大なり。
高きも賤しきも、怠りなく、久しく行えば、善を積む事限り無し。
豈に、楽しまざるべきや。
かく、心の内に陰徳を保ち、善を行う事久しければ、天道の報いありて、憐れみをこうむり、其の幸い、子孫に至る。
此の理は、古今、唐日本、其の例多し、疑うべからず。
されども、君子の善を行うは、其の報いを望むにはあらず、自然の験を云うのみ。

四十
 世俗は、耳目口腹の欲を恣にするを楽とす。
しからざれば、我が身、人と生まれ、富貴なるかい無しと云う。
是れ、誠に世俗の卑しき志なり。
人の道を知り、善を行い、道に従い、人を救うほどの楽、此の世の中に、何かあるべきや。
高き賤しき、唯、善を行い、道に従うを以て、楽とすべし。
天理に従い、人道を行いて、人を憐れむを以て、楽とせずして、そぞろなる俗楽を願うは、富貴の人と雖も、誠に不幸なる人と云うべし。
殊更、富貴の人は、貧困なる者を愍れみ、施す事を楽むべし。
是れ、富貴を得たる福徳なり。
然らざれば、富貴を得たるかい無し。
耳目口腹の欲も、よき程なるは、道に乖かずして楽となる。
よき程に過ぎて、欲を恣にするは、身の禍となり。
人に害ありて、楽にあらず。
かえりて、憂となる。

四十一
 後漢明帝の弟東平王、其の國より、都に参勤ありし時、明帝問いて曰く、家に居て、何か楽しきや。
東平王答えて申さく、善を為す事最も楽し、と云り。
いう意は、われ國にありて、臣を愛し、民の貧窮・飢寒を救い、鰥寡孤独を養いて、善をするは、最も楽しきとなり。
およそ、人間の楽は、善をするほどの面白き事なし。
賤しき匹夫も、善を行う志あれば、善をする事多く、其の楽しみ多し。
日々善を行いてやまずば、其の楽しみ極まりなかるべし。
況んや、富貴の人、善を行わば、其の功大きに廣くして、其の楽しみも、亦、甚だしかるべし。
東平王の答え、宜なるかな。
凡そ善をすれば、我が心快く、人も亦喜び随う。
また、楽しからずや。

四十二
 尚書に、備え有れば患い無しと云り。
言う意は、萬の事、かねて早く用意をすれば、俄なる事に遭いても、患い無しとなり。
常に、善を心がける人は、無事の時の用意ある故、俄に兵乱ありても、行き當りて患い無し。
常に、倹約して、財の蓄えあれば、俄なる変に遭いても、困窮せず。
其の養の諸事、皆、此の如し。
當時の費を省き、私欲を耐えて、後の用意をしておくべし。
常の時に、変に遭える時の覚悟なければ、不意の変に遭いて、つまづく。
明日の事は、今日より心を用いる。
来年の事は、今年より心を用いる。
一生の事は、只今より務むべし。
すべて、萬の事、後悔無きように、かねて思い計るべし。
人遠き慮り無ければ、必ず近き患い有り、と聖人のたまえり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?