見出し画像

文武訓 武訓下


 兵を司る人は、大将も有司も兵法を知るべし。
兵法は武藝を云うには非ず、軍の道を知るを云う。士卒を連らね分かち、進め退け命令下す、是れ節制なり。
是れを正兵とす。
又、智謀を用いて敵を計り、軍をやる、是れを権謀と云う。
奇兵なり。
此の二つは、兵法なり。
是れ、大将有司の必ず知るべき事なり。
又、陣法の中に奇正あり、独権謀のみを奇兵と云うに非ず。


 五倫に対して、わが心畏れるを以て、其の道行わる。
畏れざれば心緩まり怠りて、道行われず。
或人の曰く、吾子が云う所、畏れるを以て人倫の道行わるとは、さも有るべし。
然るに、兵の道、戦いに臨みて畏れなば、兵弱くして敵に勝つ事難かるべし。
いかんぞや。
答えて曰く、戦いに畏れざれば敵に勝つ事無し。
古の良将は、戦わざる先に畏れて、敵の兵の多少と強弱を考え知り、見方の強弱を考え知る。
兵の道を教え、兵具兵粮を調え、諸司と評定し、敵に勝つべき計を極め、負くべき理無くして出陣し、戦いに臨んでは、畏れ謹んで計を出し、士卒の心を一にして、敵をくじき破る。
是れ敵に勝つの道は、畏れるを以て専らとす。
されば、孔子も子路を戒めて、三軍を行う道は、暴虎馮河の畏れざるわざを嫌い給い、事に臨んで畏れ、謀を好みて為さん人に與し給わんよしを告げ給う。
然れば、軍法は、事に畏れるを以て本とすべし。
畏れるとは、謹んで用心するを云り。
勇気なく、臆病にて畏れるにあらず。


 武に本末あり。
知仁勇の徳は本なり。
武藝なければ武の道立たず。
弓馬刀鎗の類のわざは藝なり、末なり。
武藝無ければ敵と戦い難し。
夫れ知仁勇の三徳は、大将、士卒、皆、貴ぶべし。
知無くしては兵を用い難し。
仁無ければ士卒背きて従わず、忠孝を行わず、義理に背き、敵をたいらげ、民を安んずる事なし。
利欲によって乱を起こし、かえって害となる。
勇なければ仁義忠孝のはげみなく、敵を討ちたいらげるに力無し。
故に、知仁の道も勇無ければ行われず。
凡そ、此の三の者は武の徳なれば、一も闕けぬるれば、武の道立たず。
また、弓馬刀鎗の藝を知らざれば、徳ありても、戦いに臨みて敵に勝つ事難し。
故に兵を用いるには、大将も士卒も、武藝を知らずんば有るべからず。
但し、大将は藝に専らなるべからず。
本を本とし末を末とすべし。


 義貞軍記曰く、曽我祐成時宗が、親の敵を打ちし事、後輩これを学ぶべからず。
若し成人の後、此の如く年を送りて、いかなる横死にも逢いなば、永く本意を空しくして、家の疵なるべし。
只、親の敵をば逃すべからず、機嫌をも計るべからず。
即時に押し寄せて勝負を決すべし。
敵運あらば、我が命を捨てたらん事、達しぬとす。
篤信謂う、此の説、近世の儒、亦、是れを宜しとする者あり。
我思うに、しからず。
父の讎ある者は、本意を遂げるを主とす。
兵法に、謀を専らとして勝つ事をとるに同じ。
敵の力、士卒の多少、たとえ我と等しき者なりとも、必ず用意をなし、謀を好んで事を成し遂げん事こそ、君子の本意ならめ。
敵と我との強弱を計らず、只、即時に押し寄せて、なまじひに卒爾の働きして、仕損じたらば、本意を遂げずして、人の物笑いとぞなるべき。
聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔いなからん者には、我くみせじ、必ず事に臨んで畏れ、謀を好んでなさん者なりとの給えり。
伍子胥が父兄の仇を報ぜしも、身を全うして呉王につかえ、呉國の力をかりしなり。
若し伍子胥も、敵身方の勢を計らずして、押し寄せて父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意を遂げんや。
張良が韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をありてこそ、奉楚をば亡しけれ。
打つべき時ありてうたざらんは、誠に怠りと云うべし。
工藤祐経は、家富み郎徒多くして用心をなす。
祐成、時宗、単身にて即時に押し寄せたらば、などか敵を打ちすますべき、只、犬死をこそ責め。
されば義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし説、さらに理に適えりともおもほえず。
我かつて曽我記の序において、此の事を詳らかに論ぜし。


 小を以て大に仕える事、是れ理の当然にして、天に従う道なり。
時の勢を知りて大に従うは、智者のする所なり。
小を以て大に従わざるは、禮義に背き時勢を知らず、果ては、國家と身とを失い、敵身方多くの命を殺す。
是れ天に背けるなり。
無学にして愚かなる人、武道をしらずして、小を以て大に従い、弱にして強に従うを恥辱と思い、血気の勇に誇り、大敵を侮りて、敵の勢の盛んにして、我が力の敵しがたき事を知らず。
是れ孫子が所謂、我を知らず彼を知らざるなり。
小を以て大に従わずして兵をおこし、下として上をおかして乱を起こし、義理に乖くは、是れ血気の勇にして武にあらず。
武を黷すと云う。
唐も大和も、此の如くにして國家を失い、身を亡ぼして、天下後世の嘲けりとなれる人多し。
愚かなりと云うべし。
近世にて云わば、江州の浅井、越前の朝倉が、信長に従わず、小田原の北條氏が、秀吉に従わざる、これ、小を以て大に仕える道を知らざるなり。
皆、義のある所にあらず。
ついに其の家を亡し身を亡して、義に背き、多くの身方と敵とを殺せし事、仁に乖く。
是等の人の行いし事、皆、不仁不智無禮無義と云うべし。
安藝にありし小早川隆景は、毛利輝元八ヶ國の主として大なりしかども、輝元をすすめて、早く秀吉に属せしめ、人質を出し、信長薨じ給いし後も、和義を変ぜずして秀吉に属し、ついに其の父元就の領せし八洲の地を失わず。、智有りと云うべし。
又、信長、秀吉の功臣に國を給わりしは、其の國にいまだ服せざる者多しと雖も、たいらげよとて國をさづけ給いしに、其の國さぶらい、一國に五人十人もありて、小身ながら、皆、小城を持ちて、其の國主に従わず。
國主に乖くのみならず、天下の主に乖くは、是れ小を以て大につかえる禮義を知らず。
其の上、國主と天下の主に背きては、小身の城主、身を断つべきよう無き時勢を知らず、不智と云うべし。
禮義に背き時勢を知らずして、ついに家と身とを失う。
愚かの至りなり、時勢を知りて早く降参したる者は、皆、災い無くして家を保てり。
或いは君に対し謀反を起こし、乱臣にくみし、乱逆を助けて、其の君を亡しても、幸いに我が身を立てし者あれども、是れ不義の至り、憎むべし。
家を起こせしも栄とすべからず、恥とすべし。
況んや、此の如き者は、家を破り身を亡ぼせる輩多し。


 天下太平なれども、武を忘れれば危うし。
故に、治世にも乱を忘れず、武事を学ぶべし。
無事なる時武を習わば、後悔なかるべし。
遠き慮り無ければ、必ず近き憂いあり。
乱に臨みて兵を習うは、渇に臨んで井を掘るが如し。


 敵に対し勝負を争う時、はやり過ぎて勇むを貴ばず、鎮まりて堪えるを貴ぶ。
是れ、敵に勝つ道なり。
只、忍ぶをかたしとす。
忍は、堪えるなり。
敵に対して、鎮まりてよく堪え、早く手を出して先づ動くべからず。
勇み過ぎて堪えず、はやり過ぎて先づ動けば、敵わが非を見て打つ故に、我が負けとなる。
両人相戦うて、勝負未だ分かれず、敵の動きを見て、其の隙間を打てば勝ち易し。
此の故に、先動く者は負け、後起こる者は勝つ。
忍は誠に一字千金の兵法なり、疎かに思うべからず、是れ古人の説なり。
三略にも、変動は常なし。
敵によって轉化す。
事の先とならず、動きて則ち従うといえるが如し。
はやり過ぎて、こなたより早く動けば負け易し。
よく堪えて動かざるは難し。
故によく忍ぶを貴ぶ。
軽々しく動くべからず。
利を見ずして妄りに動けば、敗れ易し。
君子は重を以て軽を制し、静を以て動を待つ。
神全く気定まりて、心動かざるを貴ぶ。


 或武人、敵と我、両人戦う時の心を詠める拙き歌あり。
  身は捨てつ心ばかりははふらざじ人の動きを待ちてぞ打つべき
いう意は、敵と戦うに臨まば、身は捨つべし。
身を逃れんと思えば、心乱れ恐れ怯みて、敵に勝つべき力無し。
されど、心一つは失うべからず。
敵と戦う時に、常の如くにして心を動かすべからず。
我方より妄りにかからず、堪えて早く打つべからず、人の動きを待ちて、其の隙を見て早く打つべし。
是れ、敵に勝つの道なりと云えり。


 士となる者、平生は温厚和平にして、怒りを抑え色を激しくすべからず。
自ら楽しみ人を愛すべし。
されども、常に志を保ち気を養いて、義理にいさむべし。
変に遇いては、平生の志を守りて、勇剛を失うべからず。
いかなる大事に臨んでも、かたく此の道を守り、心を動かすべからず。
勇気を奮い起こして、強敵に俄かに遇いて戦うとも、心を静かにして動かすべからず。
勇者は、其の首を失うとも、此の道を忘れずして、心に悲しみ憂うべからず。
死に臨んでも恐るまじき理を諦め、平生勇気を養うべし。
義ありて性剛強なる人は、此の志を保ち易し。
柔弱なる人も、常に義を尊び、此の志を保ちて失わざるべし。
士の子も、若き時より武勇に志無ければ、節にのぞんて心拙くして恐る。
四民ともに、常に気を養いて、心を動かさざる工夫を忘れるべからず。
気の強弱は、人の生まれ付きによれども、勇にして節義を守る志は忘るべからず。
勇者は恐れず。
又、勇士は、其の首を失うに忘れずとは、死に臨むまで、この義を守る志を忘れずとなり。


 勇者は外を粗くせず。
荀子が、能く定まって後能く応ずといえるが如くなるべし。
いう意は、敵に向かいては、心を静かに定めて動かさずして、よく敵に勝つ。
外に気を動かして、軽々しく騒がしきは、内に敵に応ずべき根なし。
人に勝ち難し。

十一
 古の勇猛人に優れたる将、よく武功を立て、草創の業をなすと雖も、智無ければ、守文の功を成して、長く保ちて子孫に傳える事難し。
故に武将は智を先とす。
勇は其の次なり。

十二
 師に克つ事、和にあり。
衆にあらずと古人云り。
いう意は、軍に勝つには、士卒将に和順にして、其の下知に背かず、一同に力を合わせて、身を惜しまずして戦うにあり。
大軍なりとて頼むべからず。
若し士卒の心、将に思い付かず、背き離れて、其の力を同じくせずして一に和せずんば、百萬の衆ありても軍に勝ち難し。
和とは和合なり。
天地和合すれば、萬物生ず、九族和合すれば家道行わる。
君臣和合すれば國家平らかなり。

十三
 兵を用いるは、誠に武威を貴ぶ。
然れども、仁義の道なければ諸人の心従わず、武を用い難し。

十四
 良将の戦さは、計よく、慮り精しくして、勝ち易きに勝つ。
故に、士卒多くは討ち死に無し。
愚将暗主は此の理を知らずして、敵身方士卒の多く死するを悦ぶは、不仁なるのみならず、軍の道に愚かなる故なり。
上兵は戦わずして勝つを宜しとす。
若し、やむ事を得ずして戦うとても、いくさの道よく計ある故に、良将は敵をも身方をも多く殺さず。
古人の曰く、将となる事
三世なれば子孫なし。
いう意は、天道は不仁を憎み、殺す事を好み給わず。
凡そ天が下の人は、皆、天の子なれば、其の子を殺す事を憎み給う故、人を殺す事を好めば、其の子孫絶えるとなり。
仁者は、将と成りても人を多く殺さず。
しからば将たる事、数代なりとも、何ぞ害あらんや。
若し不仁にして人を多く殺したる人は、三世に限らず、一代将となりても、其の子孫断絶せし人、古今其のためし多し。
天道不仁を憎み給う事、これを以て知るべし。
其の理違わず、疑うべからず。
天道畏るべし、明らかなり。

十五
 漢高祖の父太公を、項羽虜にせしに、高祖の求め切ならざる故、項羽ついに太公をかえす。
明の英宗を、北狄に生け捕り行きしを、其の子宣宗、はじめ成王と称せしが、父捕らわれとなり給いし後、帝位につきて、其の父を遥かに尊んで太皇帝と称す。
宣宗、北狄に父を乞わず、父捕らわれとなり給いし事、何ともなげなりしかば、北土に英宗をとらえ置きても益なき故、北虜ついに英宗を送り返せり。
是れ、高祖、宣宗の心は、不孝によれるか知るべからず。
其の計はよし。
父を敵生け取り行きしを追いかけ、父も敵も打ち亡ぼしたる事ありとなん。
後世の人評して、或いは褒め或いは誹る。
其の時父を切らず、只、父の後を堅固に領し、兵勢を強く奮いなば、敵は自ずから其の威に服し、其の父を生捕りて閉じ込め置きても、益無き事を知りて、其の父を、此方より求めずして送り返すべきに、年若き人は、俄かの事にて其の思慮なく、又、古の文を見ず、高祖、宣宗の行いし事を知らず。
然れば、武将も古の記録を多く読んで、古き事を知るべし。
文盲にては、古の事を知らず、鑑とすべき用無し。
われ一人の才智を頼みては、必ず誤り多し。
よき道を知らざれば、才勇ありて善を好む人も、誠の理に当たらずして誤り多し。

十六
 弓を御弓と云い、太刀を御佩刀と云う事、仔細あり。

十七
 三代の将、道家の忌む所、将は多く人を殺す故、父子孫三代続きて将となれば、人を殺すこと多し。
天道の憎み給う所なる故、必ず子孫亡ぶ。
天道畏るべし。
もし、良将人を殺す事を好まずして、戦わずして勝ち、謀を以て敵わ降らしめ、戦いに臨んでも、陣を多く崩して敵に勝てば、敵身方人は多く亡びず。
故に良将の戦いは、敵も身方も人多くは殺さず。
暗将は兵の道を知らず、敵を多くころさ殺すを手柄と思う、愚かなり。
人を殺す事わ好まずんば、将たる事
幾代続きても、家の亡ぶるには至らじ。

十八
 敵と戦うに、勝ち過ごしては、敵取って返して強く戦う者なれば、必ずはじめの勝ちにて早く止めて、少し手緩き様なるが後の禍い無し。
匹夫の寄り合い口論するも、悪口をし過ごし、人に勝ち過ごせば、其の人堪忍せずして、強く仕返せば、おくれを取る事あり。
古の良将の兵法、大に勝たず、又、大に負ける事無し。
是れ良将の兵法なり。
兵わ知らざる将は、幸いにして大に勝つ事あり、又、大に負ける事多し。
是れ、良将の兵を用いる法にあらず。
先魁をするも此の心得あるべし。
我一人深入りすれば、幸いにして手柄をする事あり。
又、やみやみと敵に討たれる事多し。

十九
 将たる人、號令明かにして誤らず、賞罰信ありて違わず、士卒と苦楽を同じくし、我一人楽しまず。
寒暑をも士卒を労りて苦しめず。
此の如くすれば、士卒上に思い付きて、死力を尽くす。

二十
 君のため、生を惜しまずして戦い、死を軽んずるは士卒の事なり。
死を軽んぜず、軽々しく戦わず、生を重んじ命わ保って、敵に勝ちわが軍を敗らざるは、大将の事なり。
故に大将の道と、士卒の法と同じからず。
大将も士卒も、敵を侮りて深入りするは、不覚と云うべし、眞の勇にあらず。
長逐すれば、弱敵も、窮鼠却って猫を噛むの憂いあり。
弱敵には殊に恐るべし。
勝ち過ごせば遅れを取る事あり。

二十一
 一時の口論によりて、闘諍に及ぶは、必ず争いより起こる。
争いは、人の過言無禮を咎めて堪忍せざるなり。
忍べば争い無く敵無し、又、恥無し。
人に対するには、言にも身の振る舞いにも禮を厚くして、日本紀に出でたり。
もろこしの良将の軍令にも優りて、貴ぶべし。

二十二
 挑み戦いと云う事は遺憾。
兵を合れ戦わんとするに、先づ、勇士を先に出して、敵を討たしむるを云う。
本邦にて、近古豊臣秀吉の、柴田勝家と戦わんとて、先づ近江の賤が嶽に陣せられしに、両陣より互いに兵を出して戦わしむ。
秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。
斯の如くするを挑戦と云う。

二十三
 武士を物の部と云う事、神武天皇の御時、宇麻志麻治命と、道臣命と、軍兵を具して内裏を守る。
道臣命の司れる軍兵をば兵と云う。
宇麻志麻治命の司れるを、物部と云いし故なり。

二十四
 戦陣に川を渡すに、河辺に臨んで乗り入る所と、向かいの上がり所をよく見定むべし。
向かい上がり場、悪しければ、上がり難く、敵に討たれ身方に越さる。
川掘りなど在りて、馬にて飛び越すべきと思う所は、かねて馬を乗るに、馬の足を早め、其の勢を以て飛び越さすべし。
かち立ちにて走り越えるも同意なり。

二十五
 敵、川を越え来るを待ちて戦うに、古法に、半渡るを討つと云う。
半渡とは、敵川半まで渡り来るという事には非ず。
身方は、川ばたより二三町ほど引き退きて陣をなし、敵の川を越し来るを討つ。
敵兵半ば岸より上がりて、備え未だ定まらず、半ば未だ川中にありて渡る時、此方よりきそ引っかかりて、敵の備え無きを急に討って、敵を川に追い嵌め打つを云う。
是れ必ず利ある謀なり。

二十六
 大将の旗を立てるに、春夏は将の左に立て、秋冬は将の右に立つ。
是れ、陰陽に従えるなり。

二十七
 使番は敵陣を伺い、大将の心を、身方の士卒に云い渡す役なり。
軍の道を知れる、少しなりとも智仁勇ある功者を用ゆべし。
士卒を励まし、士卒を弱め、士卒を殺し、士卒の心大将に和し、大将に背くも、使番のしわざ多し。
必ず其の人を擇ぶべし。
自餘の有司より其の職重し。

二十八
 古人の出陣は、喪の禮を以て是れを行う。
軍の命下る日は、士皆泣きて涙を流す。
父母兄弟に別れん事を悲しめばなり。
戦いをなす事、必死の道なれば、斯の如くする事、むべならずや。

二十九
 良将の兵を用いて戦うには、士卒の心を同じくし力を一にして、一同に進み一同に退かしむ。
勇者も一人進まず、一同に下知に従いて進ましむ。
一人抜け駆けし、先駆けすれば、陣法乱れて、軍の勢分かれ弱くなる。
呉子が、抜け駆けして首を取りたる勇士を切りたるも、此の意なり。

三十
 左傳に、晋の隨武子が曰く、見可而進。知難而退。軍之善政也。
凡そ、兵を用いるに、進むも退くも度あり。
度を失えば敗る。
進むべからずして進み、退くべからずして退くは、度を失うなり。
進むべくして進まず、退くべからずして退かず。
是れ亦、度を失うなり。

三十一
 敵陣に向かっては、進むべくして進み、退くべくして退く、是れ、和語に、かかるも引くも折りによると云うが如し。
戦いの道、進退によき節あり。
勇者は進むべからずして進み、退くべくして退かず。
是れ、軍法の禁ずる所なり。
大過とす。
進むべくして進まず、退くべからずして退くは、是れ、怯者のしわざなり、不及とす。
是れ亦、軍法の禁ずる所なり。
進むべからずして進み、退くべくして退かず、進むべくして進まず、退くべからずして退く。
此の四つのものは、勇怯同じからざれども、共に軍法に害あり。
軍法に従いては、勇者も一人進まず、怯者も一人退かず。
皆、力を一にするは、良将の兵なり。

三十二
 かかるには先に進むを勇とし、引くには後に遅れるを勇とす。
されども進むに先にあるは猶も易し。
退くに後にあるは甚だ難し。

三十三
 凡そ、大将として、兵を用いて戦いをする道は、義と術と、勇と知との四つ備わるべし。
第一、義を質とすべし。
戦いを起こすに、義か不義かを省みるべし。
軍法調い兵強くして、敵に勝つ事必定なり。
討つべき敵にあらずして戦いを起こすは不義なり、戦いを起こすべからず。
是れ義を質とするなり。
次に、戦いをなすには、必ず術あるべし。
術とは陣を備え、敵に勝つ手立ての法なり。
戦いの術を知らざれば敵に勝ち難し。
萬の事皆術を量りて、なすべし。
殊に、戦いは死生存亡の分かれる所、尤も其の術を知るべし。
術無くして戦えば必ず敗る。
次に、戦いをなすには、勇あるべし。
勇無ければ、敵を敗るに力無くして勢なし。
又、知以て成すべし。
知無ければ、始終軍の道成就せず。
故に兵の道は、知を以て始めをなし終わりをなすなり。
凡そ、君子の兵を用いるには、此の四つの者、備わらずんばあるべからず。

三十四
 五兵の内、義兵、応兵は君子の用いる所なり。
念兵、驕兵、貧兵の三は、君子の用いざる所、小人の用いる所なり。

三十五
 茫文正公の曰く、将の古今の事を知らざるは匹夫の勇なり。
大将は、博く学問して、古今の事に通じて知るべし。
一人の勇をたのむべからず。
それは匹夫の事なり。

三十六
 兵を用い軍を起こすは、仁義によって行うべし。
是れ、文武を用いるなり。
もし、文武によらずして兵を用いるは、盗賊とする事を免れ難し。
凡そ、兵を用いるは、天地の物を生ずる仁心に背く。
聖人は、やむ事を得ずして兵を用い給う。
是れ、天道を行い給うなり。
聖人の兵は其の義を行い給う。
仁其の中にあり。
程子蝎の頌に、殺之則害仁、放之則傷義。
是れ、聖人の兵を用い給う心なり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?