二宮翁夜話 第十章

第十章 報徳の教えの巻

五十八 この道は徳を以て徳に報いるにあり

 翁曰く、我が教えは、徳を以て徳に報うの道なり。
天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其の蒙る處人々皆広大なり。
之れに報うに我が徳行を以てするを云う。君恩には忠、親恩には孝の類、之れを徳行と云う。
扨て此の徳行を立てんとするには、先づ各々が天禄の分を明らかにして、之れを守るを先きとす。
故に予は入門の初めに分限を取調べて、能く弁へさするなり。
如何となれば、大凡富家の子孫は我が家の財産は何程ありや、知らぬ者多ければなり。
予が人を教える、先づ分限を明細に調べ、汝が家株田畑何町何反歩、此の作益金何圓、内借金の利子、何程を引き、残り何程なり。
是れ汝が暮らすべき一年の天禄なり。
此の外に取る處なく、入る處なし。
此の内にて勤倹を盡して、何程か余財を譲る事を勤むべし。
是れ又心盲の者を助けるの道なり。
夫れ入るを計りて、天分を定め、音信贈答も、義理も禮義も、皆此の内にて為すべし。出来ざれば、皆止むべし。
或は之れを吝嗇と云う者ありとも、夫れは言う方の誤りなれば、意とする事勿れ。
何となれば此の外に取る處なく、入る物なければなり。
されば義理も交際も出来ざれば為さざるが、則ち禮なり、義なり道なり。
此の理を能能弁へて、惑う事勿れ。
是れ徳行を立てる初めなり。
己れが分度立たざれば徳行は立たざる物と知るべし。

【本義】

【註解】

五十九 報徳の道は勤倹譲の三つにあり

 翁曰く、我が道は勤倹譲の三つにあり。
勤とは衣食住になるべき物品を勤めて産出するにあり。
倹とは産出したる物品を費やさざるを云う。
譲は此の三つを他に又ぼすを云う。
扨て譲は種々あり。
今年の物を来年の為めに貯えるも則ち譲なり。
夫れより子孫に譲ると、親戚朋友に譲ると、郷里に譲ると、國家に譲るなり。
其の身其の身の分限に依って勤め行うべし。
たとえ一季半季の雇人といえども、今年の物を来年に譲ると、子孫に譲るとの譲りは、必ず勤むべし。
此の三つは鼎の足の如し。
一をも缺くべからず、必ず兼行うべし。

【本義】

【註解】

六十  報徳の道は至誠と実行のみ

 翁曰く、我が道は至誠と実行のみ。
故に鳥獣虫魚草木にも皆及ぼすべし。
況や人に於けるをや。
故に才智弁舌を尊まず。
才智弁舌は、人には説くべしといえども、鳥獣草木を説く可からず。
鳥獣は心あり或は欺くべしといえども、草木をば欺く可からず。
夫れ我が道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜瓜茄子にても、蘭菊にても、皆是れを繁栄せしむるなり。
仮令知謀孔明を欺き、弁舌蘇張を欺くといえども、弁舌を振って草木を榮えしむる事は出来ざるべし。
故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり。
古語に至誠神の如しと云うといえども、至誠は則ち神と云うも、不可なかるべきなり。
凡そ世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば、事は成らぬ物と知るべし。

【本義】

【註解】

六十一 報徳教は神儒佛正味一粒丸なり

 翁曰く、予久敷く考えて、神道は何を道とし、何に長じ、何に短なり。
儒道は何を教えとし、何に長じ、何に短なり。
佛教は何を宗とし、何に長じ、何に短なりと考えるに、皆、相互ひに長短あり。
予が歌に「世の中は捨足代木の丈くらべ、それこれともに長し短し」と云いしは、慨歎に堪えねばなり。
仍って今道々の
専らとする處を云わば、神道は開國の道なり。
儒学は治國の道なり。
佛教は治心の道なり。
故に予は高尚を尊ばず、卑近を厭はず。
此の三道の正味のみを取れり。
正味とは人界に切用なるを云う。
切用なるを取りて、切用ならぬを捨て、人界無上の教えを立つ、是れを報徳教と云う。
戯れに名付けて、神儒佛正味一粒丸と云う。
其の功能の広大なる事、挙げて数ふべからず。
故に國に用いれば、國病癒え、家に用れば家病癒え、其の外荒地多きを患うふる者、服膺すれば開拓なり、負債多きを患ふる者、服膺すれば返済なり、資本なきを患ふる者、服膺すれば資本を得、家なきを患ふる者、服膺すれば家屋を得、農具なきを患ふる者、服膺すれば農具を得、其の他貧窮病、驕奢病、放蕩病、無頼病、遊惰病、皆服膺して癒えずと云う事なし。
衣笠兵太夫、神儒佛三味の分量を問う。
翁曰く、神一匕、儒佛半匕づつなりと。
或人傍に有り。
是れを図にして三味の分量此くの如きかと問う。
翁一笑して曰く、世間此の寄せ物の如き丸薬あらんや。
既に丸薬と云へば、能く混和して、更に何物とも、分からざるなり。
かくの如くならざれば、口中入りて舌に障り、腹中に入りて腹合い悪し。
能々混和して何品とも分からざるを要するなり呵々。

【本義】

【註解】

六十二 相互に楽しみ榮えるの道を行け

 翁曰く、世界の中、法則とすべき物は、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つなり。
此の道は誠に、両全完全の物なり。
百事此の四つを法とすれば誤りなし。
予が歌に「おのが子を恵む心を法とせば学ばずとても道に到らん」とよめるは此の心なり。
夫れ天は生々の徳を下し、地は之れを受けて発生し、親は子を育して損益を忘れ、混ら生長を楽しみ、子は育せられて、父母を慕う。
夫婦の間、又、相互に相楽しんで、子孫相続す。
農夫勤労して、植物の繁栄を楽しみ、草木又欣々として繁茂さす。
皆、相共に苦情なく悦喜の情のみ。
扨て此の道に法取る時は、商法は売りて悦び買いて悦ぶ様にすべし。
売りて悦び買いて喜ばざるは道にあらず。
買いて喜び、売りて悦ばざるも道にあらず。貸借りの道も亦同じ。
借りて喜び、貸して喜ぶ様にすべし。
借りて喜び貸して悦ばざるは道にあらず。
貸して悦び借りて喜ばざるは道にあらず。
百事此の如し。
夫れ我が教えは是れを法とす。
故に天地生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基づき損益を度外に置き、國民の潤助と、土地の興復とを楽しむなり。
然らざれば能はざる業なり。

【本義】

【註解】

六十三 報徳は百行の長なり

 翁曰く、汝輩能々思考せよ。
恩を受けて報いざる事多かるべし。
徳を受けて報ぜざる事、少なからざるべし。
徳を報う事を知らざる者は、後来の榮えのみを願いて、本を捨てるが故に、自然に幸福を失う。
能く徳を報う者は、後来の榮えを後にして、前の丹精を思うが故に、自然幸福を受けて、富貴其の身を放たれず。
夫れ報徳は百行の長、萬善の先と云うべし。
能く其の根元を押し極めて見よ。
身體の根元は、父母の生育にあり。
父母の根元は祖父母の丹精にあり。
祖父母の根元は其の父母の丹精にあり。
斯の如く極める時は、天地の命令に帰す。
されば天地は大父母なり。
故に元の父母と云えり。
予が歌に「昨日より知らぬ明日の懐かしや元の父母ましませばこそ」夫れ我れも人も、一日も命ち長かれと願う心、惜しい欲しいの念、天下皆同じ。
何となれば、明日も明後日も、日輪出で玉いて、萬世替らじと思えばなり。
若し明日より日輪出でずと定まらば、如何にするや。
此の時は一切の私心執着、借しい欲しいも有るべからず。
されば天恩の有難き事は、誠に顕然なるべし。

【本義】

【註解】

六十四 各自利を争わば國家衰ふ

 翁曰く、國家の盛衰存亡は、各々利を争うの甚だしきにあり。
富者は足る事を知らず、世を救う心なく、有るが上にも願い求めて、己れが勝手のみを工夫し、天恩も知らず國恩も思わず。
貧者は又何とかして、己れを利せんと思え共、工夫あらざれば、村費の納め可きを滞り、作徳の出ずべき出さず。
借りたる者を返さず。
貧富共に義を忘れ、願いても祈りても出来難き工夫のみをして、利を争い、其の見込の外れたる時は身代限りと云う、大河のうき瀬に沈むなり。
此の大河も覚悟して入る時は、溺れ死するまでの事はなき故、又、浮み出る事も、向かうの岸へ泳ぎ付く事もあるなれども、覚悟なくして、此の川に陥る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終わるなり。
愍む可し。
我が教えは世上かかる悪弊を除きて、安楽の地を得せしむるを勤めとす。

【本義】

【註解】

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