見出し画像

養生訓 巻第六 擇醫


 保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、又、医をよくえらぶべし。
天下にもかえがたき父母の身、わが身を以て庸医の手にゆだぬるは、あやうし。
医の良拙をしらずして、父母、子孫、病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝不慈に比す。
おやに、つかうる者も、亦、医をしらずんばあるべからず、といえる、程子の言、うべなり。
医をえらぶには、わが身、医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好否をしるべし。
たとえば書画を能せざる人も、筆法をならいしれば、書画の巧拙をしるが如し。


 医は、仁術なり。
仁愛の心を本とし、人を救うを以て、志とすべし。
我が身の利養を専に志すべからず。
天地のうみそだて給える人を、すくい、たすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云う、きわめて大事の職分なり。
他術はつたなしといえども、人の生命には、害なし。
医術の良拙は、人の命の生死にかかれり。
人を助くる術を以て、人をそこなうべからず。
学問にさとき才性ある人をえらびて、医とすべし。
医を学ぶ者、もし生れつき鈍にして、その才なくんば、みづからしりて、早くやめて、医となるべからず。
不才なれば、医道に通ぜずして、天のあはれみ給う人を、おおくあやまりそこなう事、つみふかし。
天道おそるべし。
他の生業多ければ、何ぞ得手なるわざあるべし。
それを、つとめ習うべし。
医生、其の術におろかなれば、天道にそむき、人をそこなうのみならず、我が身の福なく、人にいやしめらる。
其の術にくらくして、しらざれば、いつわりをいい、みづから、わが術をてらい、他医をそしり、人のあはれみをもとめ、へつらえるは、いやしむべし。
医は三世をよしとする事、禮記に見えたり。
医の子孫、相つづきて、其の才を生れつきたらば、世世家業をつぎたるがよかるべし。
此の如くなるはまれなり。
三世とは、父子孫にかかわらず、師、弟子相傳えて、三世なれば、其の業くわし。
此の説、然るべし。
もし其の才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。
他の業を習わしむべし。
不得手なるわざを以て、家業とすべからず。


 凡そ医となる者は、先づ、儒書をよみ、文義に通ずべし。
文義、通ぜざれば、医書をよむちからなくして、医学なりがたし。
又、経伝の義理に通ずれば、医術の義理を知りやすし。
故に、孫思曰、凡そ、大医と為るに、先づ、すべからく、儒書に通ずべし。
又、曰、易を知らざれば、以て、医たるべからずと。
此の言、信ずべし。
諸芸をまなぶに、皆、文学を本とすべし。
文学なければ、わざ熟しても理にくらく、術、ひくつ、ひが事、多けれど、無学にしては、わがあやまりをしらず。
医を学ぶに、殊に、文学を基とすべし。
文学なければ、医書をよみがたし。
医道は、陰陽五行の理なる故、儒学のちから、易の理を以て、医道を明らむべし。
しからざれば、医書をよむちからなくして、医道をしりがたし。


 文学ありて、医学にくわしく、医術に、心をふかく用い、多く病になれて、其の変をしれるは、良医なり。
医となりて、医学をこのまず、医道に志なく、又、医書を多くよまず、多くよみても、精思の工夫なくして、理に通ぜず、或は、医書をよみても、旧説になづみて、時の変をしらざるは、賤工なり。
俗医、利口にして、医学と療治とは別の事にて、学問は、病を治するに用なしと云いて、わが無学をかざり、人情になれ、世事に熟し、権貴の家に、へつらい、ちかづき、虚名を得て、幸にして世に用いられる者多し。
是れを名づけて、福医と云い、又、時医と云う。
是れ、医道には、うとけれど、時の幸ありて、禄位ある人を、一両人療して、偶中すれば、其の故に名を得て、世に用いられる事あり。
才徳なき人の、時にあい、富貴になるに同じ。
およそ、医の世に用いられると、用いられざるとは、良医のえらんで、定むる、所為にわあらず。
医道をしらざる、白徒のする事なれば、幸にして時にあいて、はやり行われるとて、良医とすべからず。
其の術を信じがたし。


 古人、医也者意也、といえり。
云う意は、意、精しければ、医道をしりてよく病を治す。
医書多くよみても、医道に志なく、意、粗く工夫くわしからざれば、医道をしらず。
病を治するに拙きは、医学せざるに同じ。
医の良拙は、医術の精しきと、あらきとによれり。
されども、医書をひろく見ざれば、医道をくわしくしるべきようなし。


 医とならば、君子医となるべし、小人医となるべからず。
君子医は人のためにす。
人を救うに、志専一なるなり。
小人医はわが為にす。
わが身の利養のみ志、人を救うに志専ならず。
医は、仁術なり。
人を救うを以て、志とすべし。
是れ、人のためにする、君子医なり。
人を救うに志なくして、只、身の利養を以て志とするは、是れ、わがためにする小人医なり。
医は、病者を救わんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔なく、心を尽して病を治すべし。
病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行くべし。
遅々すべからず。
人の命は至りておもし、病人をおろそかにすべからず。
是れ、医となれる職分をつとむるなり。
小人医は、医術流行すれば、我が身にほこりたかぶりて、貧賤なる病家をあなどる。
是れ、医の本意を失えり。


 或人の曰く、君子医となり、人を救わんが為にするは、まことに然るべし。
もし、医となりて仲景、東垣などが如き、富貴の人ならば、利養のためにせずしても、貧窮のうれいなからん。
貧家の子、わが利養の為にせずして、只、人を救うに専一ならば、飢寒のうれい、まぬかれがたかるべし。
答て曰く、わが利養の為に医となる事、たとえば、貧賤なる者、禄のため君につかえるが如し。
まことに利禄のためにすといえども、一たび君につかえては、わが身をわすれて、ひとえに君のためにすべし。
節義にあたりては、恩禄の多少によらず、一命をもすつべし。
是れ、人の臣たる道なり。
よく君につかうれば、君恩によりて、禄は、求めずして、其の内にあり。
一たび医となりては、ひとえに人の病をいやし、命を助くるに心専一なるべき事、君につかえてわが身をわすれ、専一に忠義をつとむるが如くなるべし。
わが身の利養をはかるべからず。
然れども、よく病をいやし、人をすくわば、利養を得る事は、求めずして其の内にあるべし。
只、専一に、医術をつとめて、利養をば、むさぼるべからず。


 医となる者、家にある時は、つねに医書を見て、其の理をあきらめ、病人を見ては、又、其の病をしるせる方書をかんがえ合せ、精しく心を用いて薬方を定むべし。
病人を引うけては、他事に心を用いずして、只、医書を考え、思慮を精しくすべし。
凡そ、医は、医道に専一なるべし。
他の玩好あるべからず。
専一ならざれば業精しからず。


 医師にあらざれども、薬をしれば、身をやしない、人をすくうに益あり。
されども、医療に妙を得る事は、医生にあらざれば、道に専一ならずして成がたし。
みづから医薬を用いんより、良医をえらんでゆだぬべし。
医生にあらず、術あらくして、みだりにみづから薬を用ゆべからず。
只、略医術に通じて、医の良拙をわきまえ、本草をかんがえ、薬性と食物の良毒をしり、方書をよみて、日用急切の薬を調和し、医の来らざる時、急病を治し、医のなき里に居、或は、旅行して小疾をいやすは、身をやしない、人をすくうの益あれば、いとまある人は、すこし心を用ゆべし。
医術をしらずしては、医の良賤をもわきまえず、只、世に用いられるを良工とし、用いられざるを賤工とする故に、医説に、明医は時医にしかず、といえり。
医の良賤をしらずして、庸医に、父母の命をゆだね、わが身をまかせて、医にあやまられて、死したるためし世に多し。
おそるべし。


 士庶人の子弟、いとけなき者、医となるべき才あらば、早く儒書をよみ、其の力を以て、医書に通じ、明師にしたがい、十年の功を用いて、内経、本草、以下、歴代の明医の書をよみ、学問し、ようやく医道に通じ、又、十年の功を用いて、病者に対して、病症を久しく歴見して習熟し、近代の日本の先輩の名医の療術をも考しり、病人に久しくなれて、時変を知り、日本の風土にかない、其の術ますます精しくなり、医学と病功と、前後、凡そ、二十年の久しきをつみなば、必ず良医となり、病を治する事、験ありて、人をすくう事、多からん。
然らば、おのづから名もたかくなりて、高家、大人の招請あり。
士庶人の敬信もあつく、財禄を得る事多くして、一生の受用ゆたかなるべし。
此の如く、実によくつとめて、わが身に学功、そなわらば、名利を得ん事、たとえば俯して地にあるあくたを、ひろうが如く、たやすかるべし。
是れ、士庶の子弟、貧賎なる者の名利を得る好計なるべし。
此の如くなる良工は、是れ国土の宝なり。
公侯は、早くかかる良医をしたて給うべし。
医となる人、もし庸医のしわざをまなび、愚俗の言を信じ、医学をせずして、俗師にしたがい、もろこしの医書をよまず、病源と脈とをしらず、本草に通ぜず、薬性をしらず、医術にくらくして、只、近世の日本の医の作れる国字の医書を、二三巻考え、薬方の功能を少し覚え、よききぬきて、我が身のかたち、ふるまいをかざり、辯説を巧にし、人のもてなしをつくろい、富貴の家に、へつらい、したしみ、時の幸をのみ求めて、福医のしわざを、うらやみならわば、身をおわるまで草医なるべし。
かかる草医は、医学すれば、かえって療治に拙し、と云いまわりて、学問ある医をそしる。
医となりて、天道の子としてあわれみ給う萬民の、至りておもき生命をうけとり、世間きわまりなき病を治せんとして、此の如くなる卑狭なる術を行うは、いいがいなし。

十一
 俗医は、医学をきらいてせず。
近代名医の作れる和字の医書を見て、薬方を四五十つかい、覚ゆれば、医道をば、しらざれども、病人に馴て、尋常の病を治する事、医書をよみて病になれざる者にまされり。
たとえば、稗の熟したるは、五穀の熟せざるにまされるが如し。
されど、医学なき草医は、ややもすれば、虚実寒熱を取ちがえ、実々虚々のあやまり、目に見えぬわざわい多し。
寒に似たる熱症あり。
熱に似たる寒症あり。
虚に似たる実症あり。
実に似たる虚症あり。
内傷、外感、甚だ相似たり。
此の如く、まぎらわしき病多し。
根ふかく、見知りがたきむづかしき病、又、つねならざるめづらしき病あり。
かやうの病を治することは、ことさらなりがたし。

十二
 医となる人は、まづ、志を立て、ひろく人をすくい、助くるに、まことの心をむねとし、病人の貴賎によらず、治をほどこすべし。
是れ、医となる人の本意なり。
其の道、明らかに、術くわしくなれば、われより、しいて人にてらい、世に求めざれども、おのづから人にかしづき用いられて、さいわいを得る事、かぎりなかるべし。
もし只、わが利養を求むるがためのみにて、人をすくう志なくば、仁術の本意をうしないて、天道、神明の冥加あるべからず。

十三
 貧民は、医なき故に死し、愚民は庸医にあやまられて、死ぬる者多しと、古人いえり。
あわれむべし。

十四
 医術は、ひろく書を、考えざれば、事をしらず。
精しく理をきわめざれば、道を明らめがたし。
博と精とは、医を学ぶの要なり。
医を学ぶ人は、初より大に志し、博くして又、精しかるべし。
二ながら備わらずんばあるべからず。
志し小に、心あらくすべからず。

十五
 日本の、医、中華に及ばざるは、まづ、学問のつとめ、中華の人に及ばざればなり。
ことに近世は、国字の方書、多く世に刊行せり。
古学を好まざる医生は、からの書は、むづかしければ、きらいてよまず。
かな書の書をよみて、医の道、是れにて事足りぬと思い、古の道をまなばず。
是れ日本の医の医道にくらくして、つたなきゆえなり。
むかしいろはの国字いできて、世俗すべて文盲になれるが如し。

十六
 歌をよむに、ひろく歌書をよみて、歌学ありても歌の下手はあるものなり。
歌学なくして上手は有るまじきなりと、心敬法師いえり。
医術も亦、かくの如し。
医書を多くよみても、つたなき医はあり。
それは、医道に心を用ずして、くわしからざればなり。
医書をよまずして、上手は、あるまじきなり。
からやまとに博学多識にして、道しらぬ儒士は多し。
博く、学ばずして、道しれる人は、なきが如し。

十七
 医は、仁心を以て行うべし。
名利を求むべからず。
病おもくして、薬にて救いがたしといえども、病家より、薬を求むる事、切ならば、多く薬をあたえて、其の心ををなぐさむべし。
わがよく病を見付けて、生死をしる名を得んとて、病人に薬をあたえずして、すてころすは、情けなし。
医の薬をあたえざれば、病人いよいよ、ちからをおとす理なり。
あはれむべし。

十八
 医を学ぶに、ふるき法をたづねて、ひろく学び、古方を多く考うべし。
又、世の時運を考え、人の強弱をはかり、日本の土宜と、民俗の風氣を知り、近古、我が国先輩の、名医の治せし跡をも考えて、治療を行うべし。
いにしえに本づき、今に宜しくば、あやまりすくなかるべし。
古法をしらずして、今の宜に合わせんとするを、鑿と云う。
古法にかかわりて、今の宜に合わざるを、泥と云う。
其のあやまり同じ。
古にくらく、今に通ぜずしては、医道は、行わるべからず。
聖人も、故を温ねて新を知。
以て、師とすべしとのたまえり。
医師も亦、かくの如くなるべし。

十九
 薬の病に応ずるに、適中あり、偶中あり。
適中は、良医の薬、必ず応ずるなり。
偶中は、庸医の薬、不慮に、相応ずるなり。
是れ、其の人に幸ある故に、術はつたなけれども、幸にして病に応じたるなり。
もとより、庸医なれば、相応ぜざる事多し。
良医の適中の薬を用ゆべし。
庸医は、たのもしげなし。
偶中の薬は、あやうし。
適中は、能射る者の的にあたるが如し。
偶中は、拙き者の、不慮に的に射あつるが如し。

二十
 医となる者、時の幸を得て、富貴の家に用いられる福医をうらやみて、医学をつとめて、只、権門に、つねに出入し、へつらい求めて、名利を得る者多し。
医術のすたりて拙くなり、庸医の多くなるは、此の故なり。

二十一
 諸芸には、日用のため無益なる事多し。
只、医術は有用の事なり。
医生にあらずとも少し学ぶべし。
凡そ儒者は、天下の事皆しるべし。
故に、古人、医も儒者の一事といえり。
ことに医術は、わが身をやしない、父母につかえ、人を救うに益あれば、もろもろの諸芸よりも最益多し。
しらずんばあるべからず。
然ども医生に非ず、療術を習わずして、妄に薬を用ゆべからず。

二十二
 医書は、内経本草を本とす。
内経を考えざれば、医術の理、病の本源をしりがたし。
本草に通ぜざれば、薬性をしらずして方を立てがたし。
且、食性をしらずして宜禁を定めがたく、又、食治の法をしらず。
此の二書を以て、医学の基とす。
二書の後、秦越人が難経、張仲景が金匱要略、皇甫謐が甲乙経、巣元方が病源候論、孫思が千金方、王が、外台秘要、羅謙甫が衛生宝鑑、陳無択が三因方、宋恵民局の和剤局方証類、本草序例、銭仲陽が書、劉河間が書、朱丹溪が書、李東垣が書、楊が丹溪心法、劉宗厚が医経小学、玉機微義、態宗立が医書大全、周憲王の袖珍方、周良采が医方選要、薛立斎が医案、王璽が医林集要、楼英が医学綱目、虞天民が医学正伝、李挺が医学入門、江篁南が名医類案、呉崑が名医方考、挺賢が書数種、汪石山が医学原理、高武が鍼灸聚英、李中梓が医宗必読、頤生微論、薬性解、内経知要あり。
又、薛立斎が十六種あり。
医統正脈は四十三種あり。
歴代名医の書をあつめて一部とせり。
是れ皆、医生のよむべき書なり。
年わかき時、先づ、儒書を記誦し、其の力を以て右の医書をよみて、能く記すべし。

二十三
 張仲景は、百世の、医祖なり。
其の後、歴代の、明医すくなからず。
各々、発明する所多しといえども、各々、其の説に、偏僻の失あり。
取捨すべし。
孫思は、又、養生の祖なり。
千金方をあらわす。
養生の術も、医方も、皆、宗とすべし。
老荘を好みて、異術の人なれど、長ずる所多し。
医生にすすむるに、儒書に通じ、易を知るを以てす。
盧照鄰に答えし、数語、皆、至理あり。
此の人、後世に益あり。
医術に功ある事、皇甫謐、葛洪、陶弘景等の諸子に越えたり。
寿百余歳なりしは、よく保養の術に長ぜし効なるべし。

二十四
 むかし、日本に方書の来りし初は、千金方なり。
近世、医書板行せし初は、医書大全なり。
此の書は、明の正統十一年に態宗立編む。
日本に大永の初来りて、同八年、和泉の国の、医、阿佐井野宗瑞刊行す。
活板なり。
正徳元年まで百八十四年なり。
其の後、活字の医書、ようやく板行す。
寛永六年巳後、扁板鏤刻の医書、漸く多し。

二十五
 凡そ、諸医の方書、偏説多し。
専一人を宗とし、一書を用いては、治を為しがたし。
学者、多く、方書をあつめ、ひろく異同を考え、其の長ずるを取りて、其の短なるをすて、医療をなすべし。
此の後、才識ある人、世を助くるに志あらば、ひろく方書えらび、其の重複をけづり、其の繁雑なるを除き、其の粋美なるをあつめて、一書と成さば、純正なる全書となりて、大なる世宝なるべし。
此の事は、其の人を待ちて、行わるべし。
凡そ、近代の方書、医論、脈法、薬方、同じき事甚多し。
殊挺賢が方書、部数、同じき事多くして、重出しげく煩わし。
無用の雑言、亦多し。
凡そ、病にのぞみては、多く方書を検する事、煩労なり。
急病に対し、にわかに広く考えて、其の相応せる良法をえらびがたし。
同事多く、相似たる書を多くあつめ考えるも、いたづがわし。
才学ある人は、無益の事をなして暇をついやさんより、かかる有益の事をなして、世を助け給うべし。
世に其の才ある人、豈なかるべきや。

二十六
 局方発揮出でて、局方すたる。
局方に古方多し。
古を考えるに用ゆべし。
廃つべからず。
只、鳥頭附子等の燥剤を、多くのせたるは、用ゆべからず。
近古日本に、医書大全を用ゆ。
挺賢が、医書流布して、東垣が書、及び、医書大全、其の外の良方をも、諸医用いずして、医術せまく、あらくなる。
三因方、袖珍方、医書大全、医方選要、医林集要、医学正伝、医学綱目、入門、方考原理、奇効良方、証治準縄等、其の外、方書を多く考え用ゆべし。
入門は、医術の大略備われる好書なり。
廷賢が書のみ、偏に用ゆべからず。
氏が医療は、明季風氣衰弱の時宜に頗るかないて、其の術、世に行われしなり。
日本にても、亦しかり。
しかるべき事は、えらびて所々取用ゆべし。
悉くは、信ずべからず。
其の故に、いかんとなれば、雲林が、医術、其の見識ひきし。
他人の作れる書をうばいてわが作とし、他医の治せし、療功をうばいてわが功とす。
不経の書を作りて、人に淫をおしえ、紅鉛などを云う、穢悪の物をくらう事を、人にすすめて良薬とす、わが医術をみづから衒い、自ほむ。
是れ皆、人の穢行なり。
いやしむべし。

二十七
 我よりまえに、其の病人に薬を与えし医の治法、たとえあやまるとも、前医をそしるべからず。
他医をそしり、わが術にほこるは、小人のくせなり。
医の本意にあらず。
其の心ざまいやし。
きく人に思い下されるも、あさまし。

二十八
 本草の内、古人の説まちまちにして、一ようならず。
異同多し。
其の内にて、考え合せ、択び用ゆべし。
又、薬物も食品も、人の性により、病症によりて、宜不宜あり。
一概に好否を定めがたし。

二十九
 医術も亦、其の道、多端なりといえど、其の要、三あり。
一には、病論、二には、脈法、三には、薬法、此の三の事をよく知べし。
運氣、経絡などもしるべしといえども、三要の次なり。
病論は、内経を本とし、諸、名医の説を考うべし。
脈法は、脈書数家を考うべし。
薬方は、本草を本として、ひろく諸、方書を見るべし。
薬性に、くわしからずんば、薬方を立てがたくして、病に応ずべからず。
又、食物の良否をしらずんば、無病有病共に、保養にあやまり有るべし。
薬性、食性、皆、本草に精しからずんば、知がたし。

三十
 或は、曰く、病ありて治せず、常に中医を得る、といえる道理、誠にしかるべし。
然らば、病あらば、只、上医の薬を服すべし。
中下の医の薬は服すべからず。
今時、上医は有りがたし、多くは中下医なるべし。
薬をのまずんば、医は無用の物なるべしと云う。
答曰く、しからず。
病ありて、すべて治せず。
薬をのむべからずと云うは、寒熱、虚実など、凡そ病の相似て、まぎらわしく、うたがわしき、むづかしき病をいえり。
浅薄なる治しやすき症は、下医といえども、よく治す。
感冒咳嗽に参蘇飲、風邪発散するに、香蘇散、敗毒散、香、正氣散、食滞に平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなく、うたがわしからざる病なれば、下医も治しやすし。
薬を服して害なかるべし。
右の症も、薬、しるしなき、むづかしき病ならば、薬を用いずして可なり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?