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大和俗訓 巻之八 應接

事に応じ人に交わる道を記す


 人に交わるには、常に、禮義を正しくすべし。
禮義の始めは、先づ、威儀を調うべし。
威儀とは、身の形儀を云う。
衣服を正しくし、顔色を調え、形を厳にし、言を順にするを、威儀と云う。
事さら、言葉遣敬いて、無禮なるべからず。
言の無禮なるは、下部の交わりなり。
言語容貌は、内心の外に見える符なり。
言と形を見聞きて、其の内心の善悪は知れ易し、愼むべし。
又、言の敬い過ぎたるも、禮にあらず、諂えるなり。
過不及なかるべし。


 人に交わるには、貴賤と親疎によらず。
愛敬を宗とすべし。
愛とは、人を愛しみて、憎まざるなり。
仁の用也。
敬とは、人を敬いて、侮らざるなり。
禮の用也。
人に交わるに、愛敬なければ、人我の間隔たりて、人倫の道行われず。
父母に仕え、兄弟・夫婦に對し、賓客に交わるも、皆、愛敬を以て、心法とす。
親には、愛を宗として、敬を行うべし。
親を愛するのみにて、敬わざれば、犬馬を養うに同じ。
君には、敬を宗として、愛を行うべし。
君を敬い畏れたるのみにて、心誠に愛せざれば、忠にあらず。
臣たるの道立たず。


 親しき人を愛し、貴き人を敬うは、言うに及ばず。
疎き路人に對し、賤しき乞丐に對すとも、皆是れ、天地の生める人なれば、其の分に従いて、愛敬すべし。
憎み侮るべからず。
疎き親しきにより、貴き賤しきに従いて、愛敬する厚薄は有るべけれど、愛敬せざる事無かるべし。


 凡そ、愛敬を行うには、信を本とすべし。
信とは、愛敬を行うに、其の心、眞實にして偽り無きなり。
信無ければ、眞の愛敬に非ず。
信は、人に交る道なり。
信無くては、人と我との心、感通せず。
いかに、言と貌に愛敬を現すとも、信無ければ、人誠とせずして、愛敬の道行われず。


 人に對するに、温和にして謙り、己に誇らず、人を侮らず、言少なく、信實に敬愛ありて、向いよからんこそ、善人とは云うべけれ。
我が身、軽々しからずして、正しければ、温和なれども、人侮らず。


 朱子曰く、心を平にし氣を和にすは、是れ、学問の根本なり。
此の語よく、思うべし。
人の萬事は、心氣を本とす。
心氣和平ならざれば、萬事の本、立たずして、道理行われず。
人に交わるに、最も和平なるべし。
父母に仕えるには、必ず、氣を下し、色を怡ばしめ、聲を和らげる。
是れ、心氣の和平なるなり。
ただ、父母に仕えるに、此の如くにすべきのみならず、すべて、人に交わるに、皆、此の如くなるべし。
人、一言、我が心に背けば、忽ち、心に怒り、色に現れ、目を怒らかし、言を烈しくする。
これ、心氣の和平ならざる也。
又、器の狭き也。
心氣、既に動き亂れては、本、亂れて、末、治らず。
何ぞ、其の言行、宜しかるべきや。


 人に交るに、恕を以てすべし。
恕とは、己を推して、人に及ばす也。
言う意は、我が心を以て、人の心に比べるに、違う事無し。
我が好む事は、必ず人も好めり。
我が嫌う事は、必ず人も嫌えり。
故に、我が心を以て、人の心を推し量り、我が嫌う事を、人に施すべからず。
我が好む事は、人に施すべし。
是れ、仁を行う道なり。
又、人過ちあらば、凡夫は、かくこそ、あらめと思いて、恕すべし、咎むべからず。
人の得ざる所は、責めるべからず。
愚かなるをば、怒るべからず。
人の、我に無禮を行わば、理、知らぬ故と思いて、恨むべからず。
聖人、頑なるを怒り憎む事なかれと、のたまう。
頑とは、心愚かにして、道理に通ぜざる也。
頑愚に生まれつきたれば、すべきよう無し。
赤子の井戸に堕ち入るが如し。
愚かにして、道理を知らざる故に、僻事を行うは、憐むべし。
是れ皆、恕の道なり。


 我が身に、善を行いて、人に善を勸むべし。
我が身に悪を去りて、人の善を戒むべし。
此の如くなれば、人、従い易し。
是れ、己を推して人に施す也。
是れも亦、恕の道也。


 人に交るには、自反を宗とすべし。
自反とは、自らに反る也。
人を咎めずして、我が身に立ちかえりて、善を己に求めるを云う。
人、我に従わず、我に背かば、我が過ちを責めて、人を咎むべからず。
人に求めずして、我が身に求むべし。
我が身を省みて、過ち無くとも、我が行いの、未だ至らざる故と思い、人を責めるべからず。
怒り誹るべからず。
是れ、自反なり。
自反は、身を修め、人に交り、世に居る要道なり。
自反の事、前にも既に言えり。
又、繰り返して言う也。


 凡そ、人に交わるには、言も形も、禮を篤くすべし。
人の言を咎むべからず。
もし、止む事を得ずして、人の過ちを正さば、禮義を以て、其の道理を眞實に述ぶべし。
怒りて、言を過し、無禮を為すべからず。

十一
 古人の言に、天下皆非なるの理、無しと云り。
此の言、よく體認すべし。
世の中の人の仕業、我が心に適わずとも、皆、僻事にてはあらじ。
何事ぞ、故在りて斯あるべしと思い、妄に、人を咎むべからず。
我が心に悪ししと思えど、又、さなき事あり。
故在りて、為せる事には、過ちならざる事あり。
又、却って道理に適える事あり。
我が心、必ず、道理の寸尺の矩になるべからず。
我が心に悪しきと思うとも、妄りに、人を責め誹るべからず。
愚かなる人は、人情事変を知らず。
人の為す業、心に適わざれば、故有りと故無きとを顧みず、妄りに、人を誹り恨むる故に、恨むるも誹るも、義理に適わざる事多し。

十二
 人、我を誹れば、誹る者を咎むべからず。
我が身に省みて求むべし。
我が身に、一分の過ち有り、人われを誹る事十分なりとも、わが誤りより起こりし事なれば、恨むべからず。
我が過ちを責めるべし。
是れ、誹りをやめる道也。
左も無くて、唯、人を咎め、人を恨みて、我に求めざれば、人の誹りは止むべからず。

十三
 朋友の間、禮篤ければ、争い無し。
喧嘩・口論は、必ず、無禮より起こる。
人に交わるに禮義正しく慇懃なれば、人と我との間、滞り無くして、和ぎ睦まし。
人に交わるに、無禮なるは、是れ、賤しき俗人・下部の風俗なり。
士の交に非ず。
戒むべし。
晏子が、人に交るに、久しくして敬いし事を、聖人も誉め給えり。
久しく交わりて、互に心安くなり行くままに、無禮を為すべからず。

十四
 人、我に無禮なりとて、我が恥辱にならざる事は、咎むべからず。
人の無禮を宥め恕して、堪忍すれば、我が心和平にして、楽しみを失わず。
人に争わずして、無事なり。
我に恥辱、無し。
古語に、忍過ぎて、事喜ぶに堪えたり、と言えるが如く、堪忍して後は、喜びとなる。
もし、人の無禮を咎めて、我よりも、また悪言を出し、無禮を行えば、人も、亦、怒りて堪忍せず。
我が咎めしより、猶、過ぎて、甚だしく無禮を我に施せば、堪忍なり難くして、即時に、闘いに及ぶ。
此の時に至りて、始めて、その禍を畏れて、堪忍するも、見苦し。
唯、始めより、禮義正しくして、人もし、無禮を行うとも、わが恥辱にならざる程は、堪忍して、我より、また人を悪口すべからず。
彼が愚かなるに対して、怒りを起こし、無禮を施せば、我も亦、愚かなり。

十五
 古語に、和なれば敵無し、忍べば辱なしと云り。
言う意は、温和にして、人と争わざれば、仇出来ず。
人の無禮を恕して、怒りを耐えれば、人の怒りも起こらずして、我が身に恥辱無しとなり。
しばしの間、怒りを耐えずして、人と争い闘い、人を殺し、身を失う。
一朝の怒りに、其の身を忘れて、其の親に及ぼして、父母を患しむ。
不孝の至り也。
君父の大事に死ぬべき、可惜命を、かかるよしなき事に捨てるは、至りて愚かなり。
忠孝の道、知らざるのみならず、武勇を心にかけざればなり。
死ぬる事易く、死して道理に適う事は難し。

十六
 臍下三寸を丹田と云う。
人の一身の氣を、常に丹田に収めて、胸に集めるべからず。
是れ氣を収める良法なり。
人に交り、事に応じ、物を言うに、先づ、心を静かにして、また氣を丹田に収めて、物を言い、事を為すべし。
是れ、氣の本を立てる也。
本立てば、力、有りて、道、生ず。
然らずして、氣、上りて、胸に集まれば、心動き騒ぎて、治まらず。
此の時、物言い、事を為し出せば、力無くて、必ず誤り多し。
学者、身を修めんと思わば、心を平らかにし、氣を和にすべし。
氣を胸に集めずして吐き出し、丹田に収める事、術者の言に似たりと雖も、よく習い為せば、甚だ其の験を得る事あり、物を言い、業を勤めるに、氣を収める良法也。

十七
 人、我に無禮なりとて、咎むべからず。
愚かなる人か、或いは、酒に酔いたる人は、狂人と同じければ、堪忍したりとて、聊か、恥辱には非ず。
彼に對して、怒り争うは我も亦、愚かなり、と云うべし。
敵對すべからず。

十八
 小人の、我に對して、僻事を言い行いて、諭し難きは、すべきよう無し。
もし、小人にたて会いて、我が顔色と言語を烈しくし、怒り争いて、其の是非を言い聞かせても、彼、もとより賢からざれば、聞きわけず、却って、いよいよ怒り争う。
此の如く、彼と怒り争えば、我も亦、小人也。
いよいよ、我が身を愼み修め、顔色を和らげ、言を順にして、道理を言い聞かせ争わざれば、彼もし、少し人心地あらば、自ら其の非を悟るべし。
彼、悟らずとも、我が心法に害無し。

十九
 人に交るに、小人と知らば、其の人を恕して、彼と善悪を争うべからず。
また小人としたれども、甚だし隔て無く咎めざれば、小人我を害せず。

二十
 凡そ、人に、善を教えて行わしめるに、其の人の生まれつきたる所につきて、勧め行わしむべし。
若し、生まれつかず、其の人の不得手にて、心に無き事を、強いて責め勧めても、終に従わざれば益無し。
必ず、我が心の如くにせんと思うべからず。

二十一
 凡夫の心は、たのもしげ無し。
親しみ厚けれども、変じ易し。
今、親しむといえど、後を保ち難し。
人の心を頼みて、誤まつ事勿れ。

二十二
 凡そ、人の心の同じからざるは、その面の如し。
世間の人毎に、各々、心変われる故に、人の為す業、我が思う如くならざるは、人の心の有り様、此の如しと思い、我が心に適わざるとて、人を咎むべからず。
これを堪忍して、怒らず、言に出さざれば、無事にして、我が心易く、人に障、無し。
是れ、世に交る道也。

二十三
 君子は、自ら責て、人を責ず。
故に、善を己に求む。
小人は、人を責て、自ら責ず。
故に、善を人に求む。
小人は、人を責る事重く、我が身を責る事軽し。
人を愛する事薄く、我が身を愛する事厚し。
君子は、然らず。
人を責る心を以て、我が身を責れば、過ち少なくし。
我が身を愛する心を以て、人を愛すれば、仁を盡す。

二十四
 人に交わる道は、厚きを宗とす。
厚しとは、人を責めせずして、我を責めるを云う。
此の如くすれば、我が心、和楽にして、人を恨みず。
人も亦、我を恨みずして、従い易し。
薄ければ、其の裏なり。
人の誤りを厳しく責めれば、子弟の輩も、恨み深く、背き易し。
況んや他人をや。

二十五
 世には、愚かなる人多し。
世に交るに、我が道理を専らに立てんと思うべからず。
我に道理あり、人に非在りとも、人と争うべからず。
人に十分の誤り在りとも、人にも少しは道理をつけ、少しは人に負けて、人に勝たん事を好むべからず。
かようにすれば、人と争わず。
我と人との間、和して、人の心を失わず、無事にして障なし。

二十六
 明月の玉にも、瑕なき事、能わず。
過ち無き人、なんぞ、今の世にあらんや。
今の人、人の小過あるを見て、其の人を賤しみ、少し短なる所あれば、長ずる所あれど、言い堕とし捨てて取り用いず、愚かなるかな。
聖人は、過ち無し。
聖人を以て、人をのぞまば、世に人なかるべし。
人の過を責めて、我が過を知らざるは、愚かなるかな。
是れ、我が身を省みざればなり。
もし、我を省みれば、我が身にも過ち多かるべし。
我が身を省みて、我が過ちを責めれば、人の過ちを責めるには、暇なかるべし。
我が田の草の多きをば、其のまま置きて採らず、人の田を芟るに、古人も例えたり。

二十七
 君子は、禮儀を専らにして、争い無し。
争いは、小人の事なり。
小人は、人に交われば、我が才智・芸能など、すべて、我が身に能あるを以て、人に誇り争う。
是れ、禮儀の道に非ず。
獣の角と牙とを以て争うが如し。
争はざるは、人に交わるの道なり。
凡そ、節義を守り、武勇を行うは、進みて人に先だつべし。
其の外の事は、人に先立たず。
少し人に後れ、少し人に負けたるが、争い無くして、禮に適い、其の上、禍無き道なり。

二十八
 善人に交われば、日々に善言を聞き、善事を見習いて、益あり。
悪人に交われば、日々悪言を聞き、悪行を見習いて、損あり。
交わる人撰ぶべし。
古き諺に、朱に交れば赤し、墨に近づけば黒し、と言えるが如し。
正直なる人に交れば、我が心に愼み出来、我が誤りを聞きて益あり。
我に諂う人に交われば、諫めを聞かず、我が心に従い誉める故、我が心怠りて損あり。
譬えば、味よき酒食を、多く飲み食えば、病起こり、苦き薬を飲み、熱き灸をすれば、病癒るが如し。

二十九
 愚かなる人は、情剛くして、諭し難く、義に移り難し。
かかる人に對して、争うべからず。
我が身の振る舞いだに、我が心に適わざる事多し。
何ぞ、他人の仕業、我が心に適わんや。
人の業の、我が心に適わぬは、恕すべし、咎むべからず。
唯、我が身を省み、我が過ちを知りて、改むべし。

三十
 人の生まれつきは、各々同じからず。
得たる所あり、得ざる所あり。
これに得たりと雖も、彼に得ざる所あり。
何事も、一人の身に、よき事、備われる人無し。
其の人の得たる所を用いて、得ざる所を責むべからず。
一事よき事あらば、取り用いて、其の余のよからざるを咎むべからず。
我が身を省みば、得ざる事、亦、多かるべし。
もし、人の得ざる所を責めて、得たる所を捨てれば、天下に用いるべき人無く、交るべき人、無かるべし。
得たる所を取り用い、得ざる所を恕して、責めざれば、天下に廃れる人、無かるべし。
人に交るにも、此の如くすれば、人の恨み無し。

三十一
 人の得たる所を以て、得ざる所を信ずべからず。
一事得たりと雖も、他事には得ざる事あり。
又、得ざる所を以て、得たる所を疑うべからず。
一事えずと雖も、他事に得たる事あり。
我が得たる所を以て、人の得ざる所を誹るべからず。
是れ、恨みを取る道なり。

三十二
 不智・不才の人と雖も、必ず、優れて得たる所あり。
智者は、其の得たる所を取りて、得ざる所を許す。
故に、天下に廃る人、無し。
譬えば、良医の薬を用いるが如し。
いかなる賤しき草にも、よき能あれば、取り用いる。
大匠の材を用いるが如し。
直ぐなるを柱とし、反れるを梁として、材を捨てず。

三十三
 古語に、善をよみして、不能を憐むと云り。
人の善事は賞翫し、得ざる事をば憐みて、責むべからず。
是れ、君子の心なり。

三十四
 高位の人に對すとも、其の勢に、屈し、諂うべからず。
又、品下れる人に對すとも、侮り軽しむべからず。
孔子の、大人を畏れ給うは、其の位を敬い給う也。
孟子の大人を軽んじ給うは、其の勢に屈せざる也。
聖賢の道、並び行われて、相背かず。
共に、萬世の師なり。

三十五
 人に交るに、贈り物を以てするは何ぞや。
是れ、心の愛敬を外に表し行う禮なり。
贈り物を用いざれば、心に有る愛敬の誠を、外に表すべきよう無し。
贈り物を用いるは、此の故なり。
是れ、人に交わるの道なり。
古、神に仕えるに、蘋藻の進め物あり。
是れ、潔よき水草を以て、神に供える也。
はじめて、師に見えるに、束修の禮あり。
是れ、贄を持参して、師を敬うなり。
神に事え、人に交わるに、此の如くならざれば、其の誠表れず。
されど、貧しき者は、貨財を以て禮とせず、力に及ばざる贈り物を、努めて行うには非ず。
老いたる者、筋力を以て禮とせざるが如し。
また、よからざる物を人に贈るは、贈らざるに劣る。
贈り物によりて、其の人の志の實・不實表る。
贈り物にも心を用いて、愛敬の誠を行うべし。
下人にまかせて、濫悪なる物を、人に贈るべからず。

三十六
 人に對して物言うに、我が位と年とのほどを省み、又、對する人の位と年との品を知りて、其の宜に適うは禮也。
若し、未だ物なれざる人は、少しは、人を敬い過ごすは、節にあたらざれども、大なる誤りにあらず。
我が位より驕れるは、無禮にして、大なる過なり、見にくし。
座に着くにも、我が身に宜しき、よき程の所に着くべきを、田舎人か、また、禮、知らぬ人は、人の請ぜざるに、高座に上り過ぎて、見苦しく、笑うべし。
我が位より下座に着くは、禮にあたらざれども、大なる誤りに非ず。

三十七
 我が身を卑下して、人に高ぶらざるは、誠によし。
されど、あまり卑屈にして、謙り過ごし、着くべき座敷などにも、容易く着かず、道行くにも、我が先へ行くべき位なれど、辞して行かず、我が前にめぐり来たれる盃をも飲まずして、人の言を多く費やさしめるも、かえりて無禮なり。
唯、我が當然なるべき程をば、強ちに強く辞退すべからず。
位ある人、老いたる人、下座にありては、卑しく、若き人の居るべき座無くして、各々、其の処を得ざる事あり。
然れば、卑下するにも、過不及、無かるべし。

三十八
 人の誉め貶りを聞く事、よく察すべし。
誉める人、誹る人、智無くして、人の善悪と是非とを知らず。
其の上、私有りて、我が氣に合えるを誉め、氣に有らざるを誹れば、善悪乱れて、人を迷わす。
かかる人の誉め謗りは、必ず、信ずべからず。
これを信ずれば、誤りて、是を非とし、非を善とし、咎無き人を恨み、善人を遠ざけ、悪人を近ずければ、其の禍、甚だし。
人の誉め貶りに迷うべからず。

三十九
 心あえば、千里も相親しみ、心あわざれば、隣家も往来せず。
或いは、日々に對談しても其の心を知らず。
或いは、千里を隔てても、其の人を相慕う。
是れ、心の合うと合わざるとによれり。
心の合える人稀なり。
「思う事、いわでただにや止みぬべき、我に等しき、人し無ければ」
と詠みけん事、宣なり。
世に相知れる人多けれど、同心の人、稀なり。
其の上、人を知る事、至りて難し。
兄弟にても、相知らざる事、世に多し。
人の我を知らざるを恨むべからず。

四十
 賓客を久しく待たしめざるは、主人の禮なれば、古人のよしとする事なり。
客、来れば、我が位より卑しき人なりとも、早く出て對すべし。
久しく待たしむべからず。
客を久しく待たしめるは、無禮の至り也。
富貴・権勢の家に、必ず此の誤り在り。
もし、故ありて、早く出で会う事ならずば、人をして其の由を、告げやるべし。
周公は、文王の子、武王の弟にて、其の位貴かりしかど、客来たれる折ふし、髪洗い給えば、髪を握りて、客に会い、飯を食い給えば、口中なる食を吐きて、客に会い給う。
人の心を失わん事を畏れ給いて也。
又、家に教え無ければ、其の奴僕、必ず、客に對して無禮なり。
殊に、権勢の家の奴僕、主人の戒無ければ、必ず、主人の権勢に誇り、賓客に驕りて、無禮を行う。
是れ、諸人の怒り憎む所なり。
其の奴僕は責めるに足らず、其の科は、皆、主人に歸す。
主人たる人、是れを知らざるべけんや。

四十一
 陸宣公の曰く、寧ろ人我にむくども、我人にむく事勿れ。
是れ、忠厚の道なり。
忠厚とは、人を愛する事、眞實にして厚きなり。
人のよきに愛でて、我をよくするは、厚と云うべからす。
人の我に背き、我を誹るを怒り恨みず、我より人に背かずして、怒らず、恨み誹らず、人の我に従うと、従わざるを心にかけざる、是れ、厚と云うべし。
もし、此の如くならば、彼も亦、人なれば、感じて従うべし。
従わずとも、我が心法に害なし。

四十二
 瘖は、口物言わず。
聾は、耳聞こえず。
口耳に聲言の通ぜざるのみに非ず。
心にも、また生まれつきて、瘖の言わざるが如く、聾の聞かざるが如くに、理の通ぜざる人あり。
其の人と、是非を争うべからず。
是れと争うは、我も亦、人を知ざるなり。
愚と云うべし。

四十三
 我が許に来るべき人、久しく来らずとも、故あるならんと思い、恨むべからず。
此方よりは、親しき人には、親を失うべからず。
これ、厚き道なり。

四十四
 人、われに對して過ちあらば、心を廣くして、恕すべし。
我が身に過ちあらば、心を小にして、責むべし。

四十五
 對し難き人に對せば、彌、厚かるべし。
成し難き事を成さば、彌、緩なるべし。
急なる事に對せば、彌、静かなるべし。
是れ、古人の言なり。
或人、祐筆に文を書かするに、急用の事なり、静かに書くべしと云り。
又、俗語に、急がば廻れと云るも、其の意、同じ。

四十六
 人の善言を聞きて、移り易きは、誠によし。
人の不善なる言を聞きて、移り易き人あり。
迷えりと云うべし。
是れ、知らなければ也。
よく心の内に思案し、其の言の是非を辨えて、悪しき言に迷うべからず。

四十七
 古人の言に、衆人を以て人を望めば、人従い易しと云り。
衆人とは、凡夫の事なり。
人の我に對し、不義なるをば、凡夫なればかくこそあらめ、と思い、宥め恕して、咎めざれば、人、我に従い易く、人背かずとなり。
君子の道を以て矩にして、凡夫を一々糺せば、一も矩にあわず。
一人も全き人なかるべし。
此の如くすれば、人、我に従わず、背き易し。
僻事多きは、浮世の習慣ぞと思い悟りて、人を咎め世を恨みざる事君子の心なり。

四十八
 喜びによって、人に物を与え、賞を行い、怒りによって、人を責め、罰を行えば、必ず、理にあたらずして誤る。
喜怒の時、耐えて事を行うべからず。
喜びも止み、怒りも止み、常の心になりて後、事を行うべし。
訟訴を聴く人、訟える者の言によりて、怒りを起こし、悦をなすべからず。
怒れば、必ず、非分の責めを行い、悦べば、罪あるを恕す、愼むべし。
人を治めるには、先づ、我が心を治むべし。
我が心、治まらずしては、理非を分ち難かるべし。
怒りによって、理を枉げ、是を非とし、罪を重くするは、賄賂に耽りて、理を枉げて、罪を軽くするに同じ。

四十九
 事に処するには、よく思案し、静かに行うべし。
よく思案すれば、理に背かず。
静かに行えば、過ち少なし。

五十
 下に對するに、我が心に、贔屓・偏頗の私なかるべし。
我が心に合いたる者をば、偏に愛し、氣に合わざる者をば、偏に悪むは、是れ、愛憎の私なり。
此の如くすれば、人に施すに、過不及ありて、公ならず、衆人は、愛過れば驕る。
愛せざれば恨む。
是れ、偏愛偏憎の私より起こる。
人に對し下に施すに、私無くして、其の人の、貴賎・親疎・功罪・賢愚に従いて、与うべき程与え、与えまじきには、与えず。
此の如くなれば、幸不幸なく、過不及無くして、諸人の憤り無し。
人々、其の処を得て、不足の恨み無し。
是れ、平和にする也。

五十一
 暇ある人、寂しさのあまりに、暇なく時を惜しむ人のもとに来たり、心長閑けく、よしなき長物語し、主人に厭われるこそ、無下に心無き業なれ。
されど、かかる人に對せん時、我が心に適わずとも、一向に、面のけしき悪しく、言づかい不順なるべからず。

五十二
 人、我に對して、不慮に無道なる事をしかけ、言いかけして、甚だ、我が心に背く事あり。
是れ、横逆の人なり。
かようの處を逆境と云う。
世に交るには、必ず、此の如くなる横逆の人あり。
かかる逆境に遭いたる時毎に、必ず、堪忍の工夫をなして、怒り恨むべからず。
色に表し、言に表すべからず。
是れ、心を動かし性を忍んで、氣質を変化し、心を磨きて、学に進む時なり。
空く過すべからず。
かようの時、常に心にかけて、忍べる工夫をなすべし。

五十三
 人のする業、其の善悪、十分に知れて、明白なる事有り。
又、其の事の有りさま、其の人の心の中、善きも悪しきも、明らかに知らざる事多し。
我が心に悪ししと思う事も、其の實をよく尋ねれば、道理ある事あり。
善しと思う事にも、善かざる事あり。
かようの事、唐も日本も、古今多し。
天下皆非なるの理なし、と古人も云り。
何事も、人の仕業に故あらんと思い、妄に、人を憎み誹るべからず。
又、妄に、誉めるべからず。

五十四
 友をとるには、人を擇び、人の心を知りて、後、交わりを定むべし。
知らずして交われば、後悔する事あり。
人心は、隠れて知り難し。
同じ官職を勤め、事に出合い、旅宿を共にするようの事にて、其の人に馴れれば、人の心見ゆ。

五十五
 人と共に、同じ官職を勤め、同じ技芸をとる者、我のみ獨り身を立て名を得んとすべからず。
かくすれば、人も又、争いて、我をた立てじとす。
是れ、かえって、身の禍となる。
己立たんとせば、先づ、人を立つべし。
かくすれば、人も亦、争わず。
才ある者、わが才に誇り、同官を輕蔑にすれば、必ず、同官に悪まれて、禍に遭える人、古今多し、愼むべし。
我一人にて事をとらんとするは、甚だ悪しし。
善き事は、同官に譲り、我一人の才名を現さんとすべからず。

五十六
 世に居るには、人情を知り、時変を考えて、天命に安んずべし。
或老人の言えるは、年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思い知り行くままに、我が生める子、我が祿を与える奴だに、我が心のままになり難し。
況んや、世の人の心、さまざまに変われば、我が思うままに従い難し。
畢竟、ただ、我が身を修めて、人を責めざるべし。
是れ、世に居るの道なり。

五十七
 凡そ、人に交るに、其の人、よく物言い、才働きて、我が心に適えりとも、其の眸子正しからず、心術疑わしくば、交りを深くすべからず。
後に、必ず、我が身の害となる事あり、悔ゆれども益なし。
是れ、久しく世を経て、多く人に交わりて知る人の言う所なれば、違うべからず。
若し、後まで害なきは、是れ幸なり。
家臣を使うに、殊更、此の目きき心得あるべし。
唐の張九齢が、安禄山に叛相ある事を、兼ねて知りたるは、先見の明と云うべし。
才鈍くとも、邪なく、忠實なる人を用いるべし。
眼前は、快からざれども、後の患い無く、且つ、我が知らざる所にも益多し。
小人を用い、小人に交われば、必ず、後の害となる。

五十八
 さばかり善き所ある人をば、一つの癖、一事の誤りにより、少し心に合わずとも、宥めてこそは有るべきに一向に捨てる事、惜しむべし。

五十九
 人の悪しきのみを咎めて、我が身に反り求めず、自ら修めざれば、怒り恨み多くして、我が心和せず。
人と争う事しげければ、世に立ち難し。
我が心に於ても、苦しみ多く、楽しみ無かるべし。
身にかえり求める工夫を専一に為すべし。
此の如くすれば、人我相和して、人と争無く、世に立ち易くして、其の楽しみを失わず。
是れ、人に交わる道なり。

六十
 我よりは、善を施すべし。
彼よりも、亦、善を以て酬ゆる事を望むべからず。
彼は彼、我は我、我はただ、我が道を行うべし。
彼が、善不善は、我が心に与るべからず。

六十一
 朋友・親戚の間は、唯、誠を以て交るべし。
若し、我より久しく音問おろそかにせば、唯、我が情の薄くして、疎略なる事を謝すべし。
余事に事を托せて、偽りて、我が罪を謝すべからず。
是れ、小事といえど、誠の道に非ざれば、心術を害する事は、大なり。

六十二
 易に、君子、小人を遠ざくを以て、悪しく不ず而厳なり。
いう意は、君子の、小人に対して遠ざからんとするは、顔色と言を悪しくせず、唯、我が身を厳にすれば、彼、自ずから遠ざかる。

六十三
 凡そ、人に交るに、其の人をよく選ぶべし。
其の人の善悪見知り難くば、先づ、好んで交わるべからず。
彼より親しむとも、唯、答えの禮をば勤めて、我よりは疎かるべし。
其の人、小人なれば、親しみて後、必ず悔いあり。
すでに、親しく成りぬれば、小人と知れども、俄に疎んじ難し。
疎んずれば害あり。
初め、其の小人なる事を知らず、知ると雖も、彼より親しむ故に、防ぎ難くて、時々交る事あり。
小人に交りては、必ず、後に何事ぞにつきて、大事か小事か、我が身の害となる。
古語に曰く、いう事勿れ、何の害かあらんと、其の禍まさに至らん、と言えるが如し。
古人の言、違うべからず。
小人と知らば、我が方より疎んずべし。
しかれば、彼、自ら疎くなる。

六十四
 人を知る事、極めて難し。
古人と雖も、人を知る事、いと難き事なりと云り。
況んや、今の人をや。
もし、偽りて忠言を現し、謹厚なるようにして、我に和順に善柔なりとも、其の心、信じ難し。
剛直なる人は、和順ならざれども、かえって忠實なり。
わが子を頼み、わが家を頼み、我が身、後の事を頼む、其の人に非ざれば、かえって害あり。
臣下・朋友、すべて、人を用い、人を頼めば、知ありて忠信ある人を選ぶべし。
かようの人、世に有り難し。
もし、無くんば、其の次には、才力鈍くとも、忠實なるを用いるべし。
忠實ならずば、才有りとて用いるべからず。
才有りとて忠信無き人は、必ず害となる、恐るべし。

六十五
 凡そ、人倫に交わりて、其の交わる所の人、我に對し、施し行える事、もし、禮義にあたらずして、我が心に適わずとも、人、聖賢にあらざれば、事毎に禮義にあたるべからず。
是れ即ち、凡人の常にして、古今天下の世の慣わしぞと思い宥めて、心に掛くべからず。
況や、恨み怒るべけんや。
我が身さえ、我が思う如くに行い難し。
何ぞ、人、我に施す所、我が心の如くならんや。
我が身さえ、道に違わずば、人の我に施す事、道に適わざるは、我が身に与らざる事なれば、心にかくべからず。
我が憂うべき事にあらず。
人倫の内、我より位高き君父と兄夫の、我に無禮なるは、言うに及ばず、わが子弟・臣僕の輩、我より賤しき者、我に禮義無くとも、禮を教え、其の罪を戒めるは、然るべし。
心に掛けて、深く怒り恨むべからず。
是れ、我が身を修め、人に交わるに、自ら心を安くし、楽しみを失わずして、よく世に居るの道なり。

六十六
 大禹謨に曰く、滿は損を招き、謙は益を受ける。
我が才徳を滿てりとするは、禍ありて、我が損となる。
謙れば、かえって、身の益となる。
易に曰く、天道虧盈、而益謙と云るも、同理なり。

六十七
 天下皆非なるの理なし。
人の行いを悪ししとのみ思うべからず。
我が身を省み抑えて、己を責むべし。
人の非をのみ見て、我が身を省みざるは、是れ、滿は損を招くなり。

六十八
 人、常に我が身を省みて、我が身に道を求むべし。
實を努めて、外を願う心あるべからず。
人を責め、外に求めるは、實を求めるにあらず。
論語の内、孔子の言に、人の己を知らざる事を憂えざれ、人を知らざる事を患う。
かようの語、数章あり。
其の語意、大抵相似たり。
聖人しばしばのたまうは、皆、人に實を務める事を教え給うなるべし。
学者の、常に心に掛けて、行うべき事なり。

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