金森さやかに恋をしている

湯浅政明が好きだ。

いちばん記憶にあるのは「クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険」。この作品のラスト付近の、しんのすけ一家がお城の階段を登っていくシーンのパースバラバラなピカソみたいな作画。それを見た瞬間、「なんだこれ」と鮮明に思った。その映像はいままで、私が見たことのない、自由で乱暴なものだったからだ。

たぶん、とても衝撃的だったんだと思う。アニメの映像があんなに感覚的に描けるんだ、ということを、私はあのとき初めて知った。それくらいアニメが自由なものだっていうのを、私はあの作品で本能的に感じ取ったように思う。(そうじゃなきゃ、今になってもそのシーンをはっきり思い出せるとは思えないからだ)

あとは、「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」。

これは小さい頃に見たアニメ映画がとても面白くて、コミカライズ本を買って貰って、好きでずっと読んでいた本だった。映画そのものは1回か2回しか観ていなかったと思うけど、本は何度も何度も、繰り返し読んでいたのでとても印象深い作品だ。

これはずっと湯浅さんが携わっていることを知らないまま好きだった作品だったので、彼の略歴を見たとき、この作品にも携わっていたことに驚いた。私の大好きな買い物ブギが、まさか湯浅さんが関わってたなんて……ちょっとおっさんこれなんぼ……。

その後、20代になってアニメ作品を漁るようになってケモノヅメを見、更に「なんだこれ」と思いつつウユニ塩湖の景色に大感動し(当時は実在する景色だと思っていなかった)、四畳半神話大系を見て面白さに大暴れし、そしてマインド・ゲームでトドメを刺された。

つまり湯浅政明という人は、私が幼い頃触れてきた作品にがっつり食い込んでた人であり、おそらく私のサブカル意識にものすごく影響を与えた人であり、大人のオタクになった私にさえ素直に「アニメは面白い」と教えてくれた人だった。そうして私にとって湯浅政明は、彼が携わっているならどんな作品でも見たい、と思う人間になった。

という大きな大きな前提があり、私は「映像研には手を出すな!」に、出逢った。(長い)。

この作品には、正直、当初まったく興味がなかった。たぶん、他の大勢の人達と同じように、私はこの作品を「女子高生のほのぼのアニメモノ」と思っていたからだ。だから完全にスルーしていたし、見る気もなかった。そもそも原作も知らなくて、興味を持つ要素がなかったからだ。

でも友達がふと「これって湯浅さんだよね」と教えてくれたことがきっかけで、一気に興味が沸いた。湯浅さんは最近ほとんどTVシリーズを手掛けていなかったのもあって、地上波!?すげえな!?と、もうそこで見ることはすっかり決めていたように思う。

そうして見たPVだ。

浅草みどりの声を聴いた瞬間、一瞬で、心を奪われた。ほんとうに一瞬だった。伊藤沙莉の出す、浅草みどりの声を聴いたその瞬間、「なななななんだこれしししししししぬほどたのしみ」と、一気に、意識が切り替わった。

この感覚は、「四畳半神話大系」のときと同じだった。アニメが始まって一秒、「私」の声を聴いた瞬間とまったく同じ、「作品に引きずり込まれる」感覚だ。

湯浅政明作品の素晴らしさに、私は、「声優の良さ」があると思っている。とにかく湯浅作品は、「ハマる声」の率が高い。どっから見つけてきたんだって思うほど、本業声優・芸能人を問わず、作品とキャラに「合う声」を見つけてくる。

私は湯浅作品で、「声」がここまで作品の魅力を押し上げることを知ったように思う。声がハマれば、作品も、キャラもその魅力を10倍にも100倍にも跳ね上げる。そういう頭の中のイメージと声とが自然に合致するって感覚はストレスなく作品を見れるということであって、作品・キャラそのものへの没入感をおそろしいくらいに高めてくれるのだ。

映像研は、久しぶりにその感覚を味わえるものだった。

いやマジですごかった。年末にPV見て開始一秒浅草みどりでやられて、その一秒後金森さやかの声で完全ノックアウトされた私の気持ちを誰かわかってくれ。

そう、ここでやっと、タイトルに戻る。私は、金森さやかに絶賛ガチ恋中なのだ。

一目惚れじゃなかった。それだけは間違いがない。私がなにより衝撃を受けたのは浅草みどりで、金森に対しては次点の印象だった。でも、彼女を見ている内に「見た目すき」「声すき」「そばかす最高」「声すき」「話し方すき」「金森すき」と、どんどん彼女のことしか考えられなくなってきて、その気持ちを抑えきれず、友達に金森の話をしたとき、私は自然と、「私は、金森に、恋をしています」と口走っていた。

そうだった。
私は、いつの間にか、金森さやかに、恋をしてしまったのだ。

今まで、私は夢小説・夢女子などに代表される「夢文化」というものを縁遠いものだと思っていた。昔は私もバリバリに夢女子だったのだが、コンプレックスから自分の中の夢女子を惨殺してしまって以降、その文化とは距離を取って、粛々に腐女子として生きてきたからだ。

そのため、当初はかなり夢文化に対して攻撃的で殺意のある視線を向けていたし、周りに夢女子の友人が増えたことでかなり改められた見解をもってしても、キャラと自分との本格的な恋愛を考えることはほとんど不可能だったし、オリキャラ夢主を使って創作をしていたときも徹底的に「モブ」という立ち位置を貫いたりしていた。

つまりずっと、キャラと恋愛をすることに対して、消極的で及び腰の気持ちを抱いていたのだ。

だから、いま、いちばん驚いているのは私自身だ。

金森さやかに対して、私は、徹底的に「じべ」という自我をためらいなく行使している。私というすべての私を振りかざして、私は、なにも誰にも遠慮せず、がむしゃらに金森さやかへ恋心を向けに向けまくっているのだ。

びっくりする。どうしたじべ、と肩をゆすりたくなる。今まで、そんなこと、夢女子の自分を殺してからはマジで、人生に一度もなかったのに、と。

でも、金森を見るとドキドキするし、金森のことを考えると幸せだし、金森が金森のまま私をあしらってくれることを思うと、今すぐに芝浜高校へ行きたくなる。すごい。ものすごい。自分がこんなに能動的に恋を謳歌しようとしているなんてびっくりだ。

困惑している。けど同時に、ものすごく、うれしくもある。それは今まで絶対出逢わないと思っていた新しい私に出逢えたからだ。

私が誰かに恋をするなんて。それを前向きに受け止めているなんて。付き合いたいって、一緒にいたいって、そういう風に、想いを昇華させようと思えているなんて。なんだそれ。めちゃくちゃうれしい。

そんな自分が出てくるなんて考えもしなかった。そういう風に恋を捉えられるなんて思いもしなかった。だから今の私は、マジで今まで知らなかった私で、それがちゃんといまここに存在していることが、とんでもなく、うれしい。

自分の想いをなんの迷いもなく抱き留められて、そこにまっすぐ向き合えることほど清々しくて幸せなことはない。そういう「好き」を、純度100%のまま「すき」だと言える、それがどんなに誇らしいことなのか、私はいまこわいくらいに痛感している。すっごいぞ!

映像研そのものがものすごくワクワクする面白い作品で、そういう自分の夢要素をまったく排除しても最高に楽しい作品だ。年始一発目から、あらゆる意味で心を揺さぶられる作品に出逢えちゃって、マジで、びっくりしている。すごい。ものすごい。

でもたぶん、私は、金森の声が田村さんじゃなかったらここまで金森に惚れていなかった。そして、今ある、湯浅さんが手掛けた映像研のアニメでなければ、私はここまでの恋に落ちなかったように思う。

作品のすばらしさ、自由で豊かなクオリティ、魅力的なキャラクター、そこに乗っかる声があまりにも完璧だった電撃三人娘があの世界で真実「生きている」からこそ、私は金森へ恋に落ちた。落ちることができた。それはきっとなにひとつ欠けても叶わなかったもので、つまり、これは湯浅さんがまた私に魅せてくれた、ものすっごい魔法なのだ。

金森が好きだ。でも、それは彼女を形作るたくさんの要素がすべてうまく重なり合って産まれ得た恋なのだと思う。

いやぁ、こんな私でも恋に落ちる。二度と寄り添えないと思ってた夢文化をも引き寄せるような出逢いに出会う。とんでもないことだよ。それこそ、奇跡ってくらいに。

狂っている?そうだね!
でも、恋はたのしい。愛はうれしい。その事実を認めたいまの私には、ぜんぜん、こわいものなんてないのだ。いや、うそ。タグをつけることは、まだちょっとこわい!

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