5月だ / いつか「好き」ではなくなる私へ

明日は推しの誕生日。そして、今好きなものを、いつか好きではなくなる私を思う話。

ってことで、まぁ、いつも通りどきどきしている。TLは賑やかで、でもついていける話題ではないのですこしさみしい。でも悲しいわけではなくて、ぼんやりしている。

誕生日には話を上げる予定で、もう準備は終わっているのであとは投稿するだけだ。どきどきとぼうっとしている気持ちが一緒で、手持ち無沙汰だ。なにかしたいね、こういうときは。

もちろん推しの誕生日自体は覚えていたけど、公式の燃料があったりGWであっちこっちソシャゲがイベントをしてたりで、わりとキャパオーバーにてんやわんやしていたせいか、話がさっぱり思いつかず、結局1週間前くらいから本腰を入れて書き上げた。

内容の出来はともかく、一度はやってみたかった短い話(とは言っても中編くらいの長さはあるけど)でのガチエロをやっとこさ好きなようにキャラ崩壊させて書けたのでほっとしている。やりたいことができたって感じは、そこそこにある。

去年はちょうどこの時期に、いま好きなCPを本格的に好きになった。前からじわじわ好きではいたけど、自分でも書くくらいに転がり堕ちたのはこの辺だ。たまたま見かけた公式の画像が、とんでもなく性的で刺さったのがきっかけだった。いま思い出しても、あんまりにも欲望に忠実でちょっと笑う。

だから、推しの誕生日(ひとりめ)をここまできちんと祝うのははじめてだ。去年はかなりテキトーでやっつけなものになってしまったので、面目躍如ってところだろうか。そうだといいなぁ。

推しCPを好きになって、その後は直接ふたりが絡むような燃料はないまま、各々の活躍や言動、自分勝手なこじつけで萌え続けてここまで来て、1年経った。1年経ったなぁ、って思っている。いまのジャンル……ジャンルって言っていいのかな、いま好きなものに触れてからは、1年半経った。

いつまで好きなんだろうな、と思う。いつまで、この気持ちのまま、この好きなものを追い続けていられるんだろうな、って。なんとなく。でも、わりと真剣に、想う。いつ、好きじゃなくなってしまうんだろうな、って。

そういう、「いつか興味がなくなる自分」を見据えて、なにかを今「好き」だと思うのは、私にはまれなことのような気がする。それは、やっぱり私が本質的に「ひとり」のまま、今好きなものを好きだからなんだろうか。

ひとりだからこそ、好きにも嫌いにも無関心にもうそをつかなくていい。そういう気持ちで、作品と向き合っているからなんだろうか。

今の作品にはガッカリしたこともあるし、幻滅したこともある。ひとつの夢から醒めて、メンタル面でだいぶうろうろもして、でもいまは、「好きだなぁ」としみじみするくらいまで、気持ちは安定した。

それは私の中の枷を、たしかに外したように思う。ある種の盲信から抜け出して、俯瞰の視点を手に入れて、いいことはいい、悪いことは悪い、そう自分の中で区切れる価値観を、その距離を、ゆっくりとだけどつかめるようになった気がする。

だから楽だ。楽だからこそきっと、いまの好きや愛を、私はあっさりと手放してしまう日が来ると思う。課金したことを悔やんで、なんで好きだったんだろうって思ってしまう日も、来るような気がする。

でも、いまは。いまは好きであること、嫌いにもなりそうだったこと、この作品や、そこに生きる人々や、物語を愛していること、そのすべてひっくるめて「たのしい」「うれしい」と思っている。それは、間違いがない。

その気持ちを大事にしたい。こんなに好きと嫌いを等しく胸に置いて、でもそれをなにもかも呑み込んで「好きだ」と思っている私自身を、大事にしたい。盲信することなく、侮蔑することなく、どちらも大切にしたいと思っている私を、大事にしたい。

それが、私の愛に、偽りなく報うということだと思う。

好きなものをただ好きなまま、1年経った。そしたらちょうどこの季節になってなぜか一気に燃料が来て、わりと本気で死んでいる。なんで図ったようにこの時期なんだ。推しがほうぼうで並ぶなんて聞いてない。ほんと、なんでこんなことになっちまったんだよ。ありがとな、マジで。

今日もいつか見ていた過去からは予期しなかった未来へたどり着いて、日々浮き沈みをくり返して、私は自分の感情を抱きとめて、それを文章に変換しては、自分自身へと贈っている。そんなちいさなちいさなサイクルが、私を救うことだと信じて。

この記事はいつか好きを手放してしまう私への記録で、それと同時に今の私からの贈り物であり賛歌だ。私みたいな人間が、賛歌のような感情を抱いたことへの賛歌。結局ただそれだけで宝物なんだと、私は私へ伝えたい。

誕生日まであと1時間半。胃の痛い案件まであと2時間とすこし。ぜったいにうまくいかない現実を知っていて、それでもやるしかないことがあるのは、たぶん、残念ながら幸せだ。

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