よかったとごめんね

真夜中だ。今日はそっと寄り添ってくれている。

悲しみは自分の中にある分しか消化できず、誰かが持っているものを受け取ろうとするのは、きっとおこがましいことなんだろう。それでも胸は痛んでしまって、つまりそれはエゴってものなんだろうか。たぶんきっとそうなんだと思う。

それをわかっていても、勝手に気持ちは呼応して悲しい、どうにかできないか、と思ってしまう。でもやっぱり、どうにもできない。どうにもできないし、寄り添う覚悟もないのにあれこれ半端なやさしさを差し出す方が残酷だ。私はいつも勇気がなくて、覚悟もなくて、ただ眺めては後悔してばかりだ。くだらない人間だ。

やさしくなりたい。

私は頻繁に、「やさしくなりたい」と言う。それは、有象無象すべての人にやさしい仏さまのようになりたいって意味じゃなく(それはそれで素晴らしいことだ)近しく親しい人にいつでもやさしく接す自分になりたい、という意味だ。

私は気分が荒れるとなんでもかんでも誰でも彼でも当たり散らして死んでしまえ、などと思ってしまう性分なので、せめて自分が好きだと思う人には、どんな気分のときも、その人が「うれしい」と思ったことを「よかったね」と、「しあわせ」だと思ったことを「おめでとう」と言える人になりたい。そしてついでに、「かなしい」と思ったことを「そうだね」と言える人になりたいのだ。

私の「いいひと」はそこまででいい。高望みなんかしないし、できない。私は好きだと思う人すら大切にできない。そういう人間だと自覚している。だからこそ好きな人くらいは、生涯大切に、大事に、尊んでいたいのだ。それくらいは望みたい。許されたい。抱く覚悟がほしい。

部屋が暑い。私自身は、そんなに悲しくはない。虚無だな~と思うことはいつも通りあるけど、今はそんな気持ちじゃない。むしろ「よかったね」という気持ちだ。やっぱり、10月はすべてが終わったあとの時期なのかもしれない。みんな、たくさん、幸せになればいい。

好きなものは変わらず好きなままだ。むしろモチベが上がってきてて課金しまくりたくて不思議な情緒になっている。なんでだろう……普通にゲームを楽しんでるから?でももっと別に使うとこあるだろう、という感じでもあるので、例の10万円が入ったら揃えるものは揃えたいところだ。変わらず私欲ばかりだけど。

こういう真夜中になると、好きなものを好きでいられているなぁ、と思う。これ、記事を書くたび毎回言っているように思うかもしれないけど、私の中ではそれだけすごいことなのだ。だから何度でも実感したい。

好きなものを好きでいることが困難な人間もいる。私は自分がそういうたぐいの人間だとわかっているから、今ここにある「すき」がたまらなく貴重でありがたいものだと、いつだって再確認したいのだ。そして嬉しい、ありがとう、よかった、と思いたい。自己を何度でも、私は救いたいんだ。

やっぱり今日の真夜中はやさしい。私の好きな人にとっても、やさしい夜だといい。救われてくれとは言わない。でも、すこしでも、安らかな思いの中で、日々を過ごしてほしいと思うのだ。

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