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自己紹介① *誕生〜幼少期

1979年3月25日 愛知県名古屋市にて生まれる。
父は建設業の株式会社を営み、母は父より11才年下の専業主婦。
6つ上の姉と5つ上の兄の末っ子として、同居していた祖母とともに何不自由なく育つ。

生まれた時の母子手帳を30年後に母から渡され、「口蓋垂欠損」の文字を見つける。
 私「・・・ん?何これ (読めない)」
 母「ああ、そうだったのよ」
 私「・・・?ふーん」
衝撃的な事実が30才にて判明。口蓋垂 (こうがいすい) 要するに口の奥に垂れ下がっているアレが、欠損?していたらしい。1才半のページには「口蓋手術の予定」とだけ書いてあり、その後どうなったかは不明。というか、自分の事なので術後は良好ということになるのかな。
検索してみると、これまで私が密かに抱えていたものの原因はこれだったのかと腑に落ちた。例えば、なんとなく発音がしにくいと感じたり、小さい頃は中耳炎を起こしやすく頻繁に耳鼻科に通っていたり。今でも体の具合が悪くなるとまず耳の調子がおかしくなるので、いかに体の調子を整えておくかということに細心の注意を払っている。知らぬが仏とはよく言ったもので、自分の出生時の状態を知らずに、こんなもんかと楽観的に生きてこれたのは、ある意味ラッキーだったなと思う。今でも私の喉に垂れ下がっているアレはふたつに分かれていて、たまに耳鼻科へ行って口を開けると先生から二度見されたりされなかったり。

3才の頃、いつもテレビを画面ぴったりに張り付いて観ていた私を見て、母は疑問に思ったそうだ。
 母「あれ?この子もしかして・・・」
眼科へ連れていくと、なんとこの子は生まれながらの近視眼で、一刻も早く矯正視力を出してあげないと弱視になってしまうよということで、私は3才から文字通り牛乳瓶の底のようなメガネをかけ始めた。ちなみに両目とも裸眼で0.02〜0.03くらいだったけど、母が早めに気付いてくれたおかげで矯正視力は1.0以上は出るようになった。今でこそ幼稚園からメガネをかけている子はめずらしくないかもしれないけど、当時は同じ学年に私しかいなくて、メガネというだけでなんだか目立つのが嫌だったし、とにかく不便だったなという思い出が呼び起こされる。学年が上がるにつれてメガネデビューをする子が一人また一人と増えていき、メガネ仲間が加わる度に妙に安心感と親近感を感じてしまっていた小学生時代。その後中学生になったタイミングでコンタクトレンズにしたので世界が一変したのだが、目にまつわる話はまた後ほど転機となる出来事がやってくるのである。

五体満足では生まれたけど、今思うと細かいところでいろいろと不具合が多かった。多少のハンデはあったものの、それが当たり前の状態で生きてきたので、何不自由なく育ったというのは間違いではない。

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