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「新しきが花」コロナ後を考える

【コロナ禍からコロナ後の消費行動を考えてみる】

(人は習慣化を好む)

コロナ禍が始まって半年が過ぎた。普段の生活習慣が変わったことは誰でも同じだ。例えば、私など休日はお気に入りのお店に行き外食を楽しんでいた。しかし、緊急事態宣言の解除があっても込み合っているので、わざわざ行かずに少し贅沢な惣菜を幾つか購入して家でくつろいで食べようと思うようになった。また月に2回ほど必ず行っていたレストランも行かなくなった。そこで「ふっと」振り返ってみると一月の習慣になっていた行動がコロナにより強制的にリセットされて、新しい習慣が生まれつつあるのだ。
自分の一月の行動を俯瞰して見た時に明らかに習慣が変わってきていることに気づく。するとコロナ後の自分の行動習慣を想像してみるとコロナ前と同じような行動習慣に戻るかといえば、戻るものと戻らないものがあると感じる。

(コロナ後にやってくる消費習慣の変化)

世の中には「流行、廃り」と云う言葉が存在する。
そこで、消費行動の感情変化を言葉に表すと「飽きる・忘れる・卒業する」などが想像できる。例えば、人の習慣化で動いていたものが、何かの理由で強制的に遮断されたことにより、その行動習慣に終止符が打たれる場合、それを廃りと呼ぶのかもしれない。私的にもコロナ前に習慣化していたものがリセットされて「足が遠のいたものがある」ことを考えた場合、社会全体の消費にも当てはまるのではないか?と思える。

(新しきが花・新しきが人を惹きつける)

能を体系化した世阿弥が書き残した言葉に「新しきが花」で、人を惹きつける武器にしなさいと書き残している。コロナ渦中で大切なことは、コロナ後に消費者を引き付けるためには「飽きさせない・忘れさせない・卒業させない」ための武器となる「新しきが花」を創造していかなければ、コロナ前の状態でコロナ後を向かえても元の集客には戻らないと思う。特にコロナ前から斜陽産業となりつつあったダイビングの集客は益々難しくなるのではないかと思えるのである。したがって消費者を引き付ける「新しき花」を考えなければ成長は無いと思えるのである。

さてと、、次なる「新しい花」を作らねば、、。

今回はこの辺で、、。

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