わたしのすきなひと 7 (ゆんぎ編)
「あの人も、頑張ってるんですね。」
そのセリフを聞いた瞬間、思い浮かべたのは君たちのことだった。
好きなのは顔がタイプだからで、鼓膜の奥に優しく響くようなその声が大好きだからで、服のセンスが私の好みにぴったりと合うからで、たまに言う冗談は本当に面白いし、スポーツ観戦が好きなことも男の子っぽい映画の趣味とか、私がつまらないと感じるようなドキュメンタリーを熱心に観るタイプなことも、君が私の運命の恋人ではないことに絶望してもおかしくないぐらい全てが私のツボを抑えている。
だけど、好きなのはそういうことだけじゃない。
君がいつも一生懸命だから好きなんだろう。
頑張っているから大好きだ。
「あの人も、頑張ってるんですね。」
それはとあるドラマのセリフで、異次元の世界から記憶を失くし現実に戻った女の子が異次元の世界で恋をしていた彼の姿を見つけ放った言葉だった。別の世界の彼女にとって彼は恋人ではなく片想いの相手だった。
一方的に好意を抱いていた相手に、相手の知らないところで生きていく勇気や希望のようなものを受け取ったそのシーンに私は自分を重ねたのか強く胸を打たれた。
あの人もこの世界のどこかで頑張っているから私も一生懸命に生きようと思える存在がこの世界にいることは、なんて素敵なことだろう。
ゆんぎって本当にかわいい。
深夜まで曲を作っていたことをインスタストーリーに上げるときにとても大変そうな言葉を添えるのもかわいいし、作業室にいた時間の長さを物語る、山のように置きっぱなしにされたペットボトルがもれなく少しだけ飲み残されているのもかわいい。
これから7人での活動よりも一人一人の活動が増えるのだという話を私たちが知った頃、ダンスや英語や日本語に音楽に色んな習い事を詰め込んでいて、あぁ、この人も私たちと同じように、もしかしたら私たちの数億倍、不安やさみしさでいっぱいなんだな…とバレバレだったことも、ほんの数ヶ月でほとんどの習い事をやめていたことも、とても分かりやすくてかわいい。
会食で習い事の話をしていた2、3ヶ月後には、もう半分ぐらいやめてしまって必要なものだけ残して続けているのだと、とても涼しい顔で話していた。そのことにとても親近感を持つと同時にかわいくて笑ってしまったけれど、やめたと言っても必要な時が来たら全て人並み以上にやり遂げてしまうすごい人だということもまた、私たちはとてもよく知っているのだ。
5年後にはブルーノ・マーズみたいになると言っていたそのかわいらしい冗談もきっと冗談のままでは終わらないだろう。
それだけすごい人だということを、努力の先のかっこよさを何度も何度も見せてくれたから。
いつでも何かに向かって走り続ける君はとてもとても素敵だ。
7人のメンバーの中でも一番小柄でかわいい君のことをファンたちは時々“ねこちゃん”という愛称で呼んだりするけれど、間近で見た君の背中はとても大きくて逞しくてこの宇宙中で一番かっこいい背中だと思った。
一生懸命がむしゃらに踊って、優しい眼差しで真摯にファンたちに手を振るその背中に私は今でも恋をしている。
この世界は君がとんでもなくかっこよくてすばらしい人だということをどれぐらい知っているのだろうか?
世界は君をすばらしい人に違いないと思いすぎて、時には君の言動に失望することもあったのかもしれない。
とてもとてもかっこよくてどれだけ素敵な人柄であろうと人間は誰しも間違えることがあるけれど、きっと何かあるたびに世間は君に完璧を求め押し付けるだろう。
何か足を踏み外したとき、君の優しさにつけ込んで勝手に失望されたり責め立てられたりするんだろう。
それはきっと君がとても優しくて聞き上手だからだということを知っていてくれるといいな、と思う。
あまりにも多くのことを求められるのはたくさんの期待の裏返しなのだということを知ってくれてるといいなと思っている。
そしてメンバーに鋼のメンタルだと言われていても、本当はとてもたくさんの心配事を抱えているのかもしれない君が、どうかいろいろな物事を抱え込まないでほしいと願ってもいる。
昔は深夜にぽつりぽつりと打ち明けてくれた胸の内を今は話してくれなくなってしまった理由が、好き勝手に君たちを語り自分の考えを押し付ける私やこの世界のせいじゃなければいいなと時々考えてしまうけど、眠れない夜にこぼれ話をする必要がないぐらい穏やかな毎日を過ごしていることを願っている。
「あの人も、頑張ってるんですね。」
そう思うだけで明日を頑張る勇気をくれる人に出会えたことをとてもとても幸せに思う。
どこかで元気に楽しい一日を過ごしていると知れただけで心が温かくなるような、そんな存在に出会えたことが本当に嬉しい。
2月15日、突然舞い込んだワールドツアーの嬉しいニュースを、最近書き始めたばかりの5年手帳に書き込んだ。
来年も再来年もその日付に書かれた君の名前を見るたびに、まだ何も決まっていないのにうれしくて舞い上がったあの日の気持ちを思い出すだろう。
その日付を見るたびに「バレンタインデーだと知らなかった」と言いながら何気なく配信をしているように見せかけて、突然のニュースに驚く私たちを楽しそうに見ていた君のイタズラな笑顔を私は何度も思い出して、とても幸せな気持ちになるだろう。
君は思い出を売っているのだと話していたけれど、音楽を聴いて、たくさん聴いていた頃に感情がタイムスリップするように、同じ歌を歌い共に時間を過ごしたあの日のときめきがフラッシュバックするように、私の中の“好き”という気持ちは、分析したりどこかで学ぶものではなくてただ訳もわからず心の中にある喜びなのだと思う。
手帳に書いた文字を見るたびにその瞬間にタイムスリップして嬉しくてたまらなくなるような、そういうものだ。
どこかで君が頑張っているなら、私も頑張ろうと思える。
もし君たちが頑張れないときが来たなら、私たちが鏡になって勇気をあげたい。
そんな存在に出会えたことをとてもとても嬉しく思う。
人ひとり無条件に愛を捧げることも出来ず、流行りのラブソングの真っ直ぐな歌詞を鼻で笑うようなそんな最低の人間だったのに、今は同じ歌を聴いて君たちのことを思い浮かべては染み入るように感動してしまう。
バカみたいだけどその時ばかりは私の薄汚れた気持ちさえ、とてもとてもきれいな色をしているのだろう。
きれいな心をくれてありがとう。
たくさんの嬉しさや、抱え切れない愛おしい思い出をありがとう。
やがて来る春に始まる君の新しい冒険が何よりも楽しいものになることを願っています。
お誕生日おめでとう。
わたしのとびきり大好きなひと。
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