見出し画像

no title


私の日々はそこそこ楽しい。
日記を書く暇がないくらいにやりたいことがたくさんあって、
自粛期間中でも忙しくてしょうがない。
もともと一人でいるのは好きだから、人に会いづらい期間を辛いと感じることは少ないし、SNSをひらけば話しかけてくれる人や友人がいる。
本当に本当にごく稀にどうしようもなく孤独を感じることはあるけれど、きっと誰といても人はみんな埋められないそれを持っているのではないかと思う。
だから私は、きっと恵まれているし幸福だ。


だけどどうしようもなく悲しい。
考えないようにしても、私には関係のないことだと思っても、
私の知っている人がこの世界から消えてしまうことが苦しい。
そのことで、どこかの誰かが胸を痛めている現実が苦しい。


私は言葉を失うしかない。
なぜなら私には本当の孤独も、自分を消してしまいたくなるような悲しみも分からないから。
世間からトイレットペーパーが姿を消した時、私には“どうせ私の事だからトイレットペーパーを買ってないんじゃないか?”と心配してくれる人がいる。どこどこにマスクが売っていたよと教えてくれる人がいる。そして私はきっと愛されて生きてきたから、人の善意を素直に受けとれる。たとえばどんなに孤独な夜が訪れようと、それはひとときの感情で、じっと耐えていればいつの間にか過ぎていくことを知っている。
だから、そんな私が吐く言葉などきっと見当違いだから、私の考えはきっと世間の正解とはズレているから、私に何かを言葉にする資格なんてない。
だけど私の気持ちは私だけのものだ。
人の感情は誰かに良いとか悪いとか、点数をつけられるものじゃない。
だから言わないで後悔するよりも私は私にとって良い選択をしたいから、重くぶら下がったままの感情を書き残しておきたい。


とてもとても悲しい。
たやすく人を傷つける言葉を簡単に吐けるこの世界が。
そして正義の名の下に犯人探しを続けるこの世界がとてもとても息苦しい。

SNSで何か思ったことを発言すればあらゆるテンプレを駆使してマウントを取られる世界が苦痛だ。その考えは甘い、もしこうなっていたらどうなの?アイツ〇〇とか言ってて超笑えるんですけど…。正しいふりをした悪意、そんなものトイレの落書きと一緒だと思えばいいのかもしれない。誰かの悪意をいちいち受け止める人のほうが精神的に未熟なのかもしれない。でも、そんなのおかしい。トイレに自分の名前が書かれていたら驚くだろう。消したいと思うだろう。

どうして自分の考えを示すのに、誰かの言葉を横取りし揚げ足を取るのだろう?
誰かがこう言ってたからとか、そうしたことに関係なく、ただ自分の考えを自分の言葉として書けばいいのに。
価値観の違う他人をどうして巻き込むのだろう。
誰かの言葉をバカにして笑うとき、その人が恐れているものはなんだろう?
たった140文字で、たった数分の動画で、切り取られたニュースで、人の考えの全てを読み取るなんて不可能だ。なのにその人の中にある爪の先ほどの情報で一人の人間をジャッジするのはなんでだろう。


何かが起きたとき、正義と悪を決めるのは誰なのだろうか。
これが正しくて、これが間違っていて、じゃああの人はどうなの?このシステムのせいでこうなったんじゃないの?
私はそうやって互いに責め合う世界を見るたびに閉口する。
何を言えばいいかわからないけど、何も分かってないくせにうるせーなと思って終わりだ。そうやって心の中で乱暴な言葉を吐いて閉口する自分もまた、きっととてもずるい人間だ。
私たちはみんな違う。
悲しいけれどきっと、すべての人と分かり合えることは一生ないだろう。
だけど誰かに正義を振りかざすとき、その人を大切に想う人がどこかにいるのだということを忘れたくない。
悪いことをしたから、気に入らないから、責任を取れよと突きつけるとき、押し付けた正しさは誰を救い、誰を傷つけるのだろう。
私たちはみんな違う。そして誰もがきっと未熟だ。
投げつけた言葉の先にいつも人がいるのだということを私は忘れたくない。


この世界には、私には分からない人の感情がある。
だから私の話す言葉は、時には誰かにとっての刃になるのかもしれない。
だけどもし、今自分なんていらない人間だと少しでも思う人がいるなら聞いてほしい。
たとえ今どんなに孤独でどんなに自分がクズでどうしようもなく思えても、誰にも愛されず誰かを愛することなんて一生ないと思っていても、明日あなたの少しの善意が誰かの心を救うかもしれない。あなたが恥ずかしいと思う失敗が誰かの張り詰めた心をほぐすかもしれない。今がどんなにどん底でも、何もいいことがなくても、生きていれば、いつか自分のことを助けてあげることはできるんじゃないだろうか。
何も楽しませてくれない、一つも優しくされたことがない、知らないどこかの誰かの助言なんて聞かなくていい。あなたのためを思って…なんて言葉も無視したらいい。人生には立ち向かわなければいけない時があるけれど、自分を嫌いになるくらい辛いならきっとそれは今じゃない。嫌なことから逃げていい。逃げて逃げて生き延びて。
自分を救えるのは自分しかいないから、あなただけは自分の味方でいてあげて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?