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この頃脳内noisy

アイドルのことを書く度に、自分に失望する。


アイドルを私の言葉ごときで満足に表現したいと思うこと自体がもう傲慢なのかもしれないけど、でも、だってだって、言葉にしないと覚えていられないしすぐに過ぎ去ってしまうし私は言葉しか持ってないし、素晴らしいものを受け取った身として何かアウトプットしなければと思う。

拡がって宙に浮いた事象に言葉を充てて切れ目をつけている、言葉が事象を先行することは無いという言語の構造自体からしてどうしても言葉で表現できない隙間があるのは当たり前だけど、「上手く言えない」で片づけたくないし、そこをどうにか手繰り寄せて表現することを諦めるくらいなら言葉なんてやめちまえよと、自分に対して思っている。


勿論諦めているわけではないけど、あんなに綺麗なものを見せてもらったのにそれをその通りに”レポート”できないなんて失礼で不誠実。アイドルに見せてもらった煌めきを文章にするといつもこの情けない気持ちになる。

有難いことに自己満足で書いていたものがそうではなくなって、じゃあそうなった時に私は需要に見合う供給をできているだろうか?私の言葉には商品価値があるだろうか?言葉に救われてきた人生なのに、私はどう足掻いても救う側にはなれない気がして、力が抜ける。




最近また、得体の知れない焦燥感と不安に身体ごと包まれている。お風呂に首まで浸かっている時に、水圧で僅かに、でも確実に息苦しくなる感じがずっと続いている。夜に足を掴まれているような、前を見て歩いていても後ろに進んでいるような、そんな感覚がずっとしている。

〈自由になんてなりたくない 縛られていたいの〉その通りだ。ある程度の抑制と規律があった学生の頃のほうがよっぽど伸び伸びしていたと思う。チャイムが鳴るまでの限られた時間を、図書室でまどろんだりベンチで秋の光を浴びたりしていたあの時のほうがよっぽど「自由」をやれていた気がする。アイドルは自分を縛り付ける運命を持ち合わせていて羨ましいと思う。私はそんなの持ってないし、自由だから、どこへでも行けるしどこへも行けない。

「人間は大きな幸せを前にすると急に臆病になる。」ように、自由を目の前にして本当に自由でいられる人っていないと思う。てか本当の自由って何すか(笑)知らんけど

限界を感じているわけではなくて、むしろ限界への行き方がわからない、自分の限界がどこなのかわからない、自分がどこまで行けるのか、夢を見ても苦しいし諦めても苦しくて。努力することも怠惰でいることも同じように苦しくて、なんだこれ、人生ってカスゲーすぎる。〈ああ満たされないよ〉って一言が、今の私のすべてな気がする。

てかみきとPってやっぱり神なんだ



インスタのオススメにたくさん流れてくる、大きな白い縦長の看板。この写真に写る若者の多くが自分と同い年であることに気付いた時、私はまた、元々無い自尊心をすり減らした。2年間みっちり学んで専門性を身に着けた同い年達が来月から社会に出てくる。そんな中で私は何を武器に戦えば良いのだろうか。

20歳になってからずっと、自分の持つ若さがもう武器にも免罪符にもならないという事実への絶望と焦燥が止まらない。自分の持つ、というかもう持ってすらいない。「今からなんだってできる」っていう年齢じゃない。正しく努力してきた人間が報われ始める頃だ。若いのに働いてて偉いねとはもう言われないしそういう風に自己肯定をすることもできない。

アイドルを見て無条件に救われた気になっていた頃はまだ浅瀬で少し波を被っていた程度だったのだと感じる。ユンスルも水中からは見えないわけで、沈めば沈むほど光は遠くなって、自分がそれを本当に欲しているのかも分からなくなる。



仕事で高齢者のうつ病をよく聞くんだけど、じいちゃんばあちゃんでも「死にたい」とかなのかなあ。

今から不謹慎なことを書きます


「死にたい」つったって貴方たちはもうすぐ死ねるんだからいいじゃん、あとは死ぬだけなんだからいいじゃんって思う。こっちは望んでもないのにこの先何十年も人生が続いてて、その上自分でちゃんと働いてお金を稼いで税金を納めて、また生きづらさばかりを感じながら、何かに苦しんだり悩んだりしなきゃいけなくて、それにプラスアルファで何かを頑張らないと賞賛も承認もしてもらえなくて、それがつらいって言ってるのに。だってだって、私は19歳でいたかったんだよ

気が遠くなる。人間の寿命はなんでこんなに長くなってしまったんですか?年老いて何が楽しいの。「大人になれば分かるよ」って、大人にならないと分からないことなんてきっとしょうもない。そもそもお前本当に”大人”様なんですか?(笑)そのくせ子供のうちから子供なりに本質を見つめようとしても「思春期」「反抗期」って片づけられる。反抗期ってなんだよ。生きてく為の一番のエネルギー源は反骨精神だろう。貴方たちどうせ、子供だと思っていた相手に自分の知らない哲学が出来上がるのが怖いんでしょう。

きっと大人が思うより、若者の世界は広い。「スマホばっか見て」って言うけど、ただゲームだけしてるわけじゃないことなんて分かってるでしょ。今までは飛行機に乗らないと行けなかった場所、映画館まで足を運ばないと観られなかった映画、存在すら知らなかったであろう人の言葉、その全てがこの四角くて小さい箱に詰まっている。たしかに昔よりリアルでの人との繋がりは希薄になったかもしれないけど、遥かに文化的に生きられるようになった現代で「今の若者は…」なんて簡単に言わないでほしい。まあ別に言われたことないけど

こんなことばっかりだ。私はいつも仮想敵に向かって吠えている。



明日は確定申告の還付金が振り込まれる。アイドルを見ている時より、好きな映画を見ている時より、何より確定申告を終えた瞬間のほうが生きた心地がしたあの感覚を鮮明に記憶している。法が作った秩序に護られながら社会的に生きる身として、行政の指示を聞くことは自分の身を護る手っ取り早く確実な術だと思う。政治に文句ばかりを言う人が嫌いだ。秩序が整っていることの有難さと自分がそれに護られている自覚がきっと無い。それなのに文句だけは言って、変えようと働きかけることもない。きっと敵わないと端から分かっている相手に反抗していれば、何かを変えてしまう責任を持たないながら自分が意見を持った人間だと錯覚できて楽なんだろうなと思う。

私は知識の無いことについて戦おうと思えるほど能天気じゃないし、興味の無いことについて必要最低限以上に学ぶよりは言われるがままに従ったほうが楽なのは分かり切っているのでこれからも行政の犬でいます。

なにこれ何の話?若さを失ったって話も含めて、そろそろ「ちゃんと生きる」覚悟を決めないとなあって思ってる。今まで生きるってことがどこか他人事だったけど、やっと人生への当事者意識が出てきた。手グセで生きていこうなんてあまいかなあ、


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