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世の中から遠ざかってる(2022/07/11月)

近所にあるヤクルトの販売センターの前を通りかかった時、「ヤクルト1000の店頭販売は現在中止しています」という内容の張り紙が貼ってあった。

ヤクルト1000。ここ最近急に大バズリしている話題の飲み物。
流行に疎い私にとって、ヤクルト1000の話題は「存在すら知らなかった飲み物が急に品切れ騒動を起こし始めた」という冗談みたいな眉唾話に思えていたので、販売センターが「ヤクルト1000の店頭販売は現在中止しています」とわざわざ掲示しているのを直接目にして、やっとヤクルト1000の存在を現実として実感できたような気がする。

ヤクルト1000は本当に存在するし、ヤクルト1000を求めて奔走する人々も本当に存在した。インターネットでのバズは噂に尾ひれがついた結果でも集団幻覚でもなかったのだ。

せっかく実在を確認できたことだし、せっかくだから飲んでみたいな。
噂に聞く「よく眠れる」「良い夢が見られる」みたいな効能にはあまり期待してないけど、単純にどんな味がするのか気になる。普通のヤクルトとは違うのかな。

少し前の記事では、社会の潮流についていけないことからくる疎外感の話をしたが、本当に危機感を持った方が良いような気がしてきた。

ヤクルト1000の話題でも痛感させられたが、私は流行に疏すぎる。流行に疎いあまり大衆との精神的な距離がじわじわと離れていって、大衆との精神的な距離が離れているゆえに流行に疎くなる。そんな悪循環に陥りつつあるような気がするんだよな。

流行り物に疎いだけで済むなら良いが(良くはないが)、このままでは時事的な常識にすら疎くなってしまいそう。そこまでいくと流石にマズい。

平安貴族の出家みたいに、俗世との縁をきっぱりと断ってしまうような生き方ができるならそれはそれで悪いことではないとは思うけど、私には多分そこまで振りきった生き方はできない。どうにかしないと。

森永のラムネ。

お菓子に顔が刻まれていたりすると可愛くて嬉しいけれど、「自分は今からこいつらを噛み砕くのか…」と思うと心穏やかではいられない。

「コアラのマーチを開封せずに振りまくると大きなボール状のお菓子になる」というのが9年ほど前に話題になっていたけど(9年!?)、あれも中で可愛いコアラたちが粉々に砕かれて一つの球体に合成されていると考えるとものすごく嫌な感じがする。(こんな物騒な想像をする自分こそ嫌な感じだけど。)

⇧9年前にこの動画でコアラのマーチを球体にする遊びを知った。懐かしいな~。

終わり

美味しいご飯を食べてあったかいお風呂に入ってぐっすり寝ろ