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大人と子供の間、試金石(2022/06/17金)

こんにちは。

昨日の記事の中で、私は「個人情報を公開ことには抵抗がある(ただし必要とあらば話は別)」というようなことを書きました。
その言葉のとおり、私は必要と判断される場合を除き、個人情報を基本的に公開しないようにしています。

例えば年齢や性別というようなものも、現時点で公開が必要だと感じたことが無いので、積極的に公開したことは一度もありません。(まあ、年齢や性別に関しては、言葉遣いや発言内容等から大方予想できるとは思いますが。)

まあ、過去の記事の中で成人済みであるということだけ公開してあるので、今回はそれに関わる内容をお話しようと思います。

再三言っている通り、私はすでに成人済みであって、法的にはもう大人です。そして、社会的にも大人とみなされることが多いはずの人間です。

しかし、自意識の中で、私は私自身を「大人」だと思ったことはありません。成人した今でも、自分以外の人間と比較して、自分を「大人」だと感じることが無いのです。だからといって、自分のことを「子供」だと感じるかと言われればそうでもありません。
私はずっと、自分は「子供」と「大人」の中間の何かであるという、不思議な自意識を抱えて生きています。

感覚的で言葉では伝えづらい話なので、イメージしやすいように例を挙げましょう。

小学一年生の頃は中学生のことが「大人」に見えていたが、高校生になってから見返すと中学生は「子供」にしか見えない、みたいななことってあるじゃないですか。無意識に自分自身をひとつの基準にして、それより大人っぽい人は「大人」、子供っぽい人は「子供」に見えるような、そういう感覚。

私はずっとその感覚から抜け出せず、いつまでも自分自身を「基準」としか見られていないのです。
自分より大人っぽく見える人は「大人」、自分より子供っぽく見える人は「子供」、そして自分自身は他者を評価するための試金石でしかない。

こういう自意識に釣られてか、あまり大人っぽい振る舞いもできていないような気がします。
線が細くて体型が子供っぽいせいもあるかもしれませんが、病院や美容院のような施術者との会話が必要な施設において、なぜか子供向けっぽい接客(「・・・で良い?」だとか「・・・するね~。」のような言葉遣いなど。私が子供向けと感じただけであって、それがその人の通常営業の可能性もあるといえばあるけど。)をされることもしばしばあったり。
まあ、私は子供っぽく扱われてもあまり気にならないのでこれは大した問題ではありません。

他にも、私は自分を「大人」だと思っていないために、「もう大人なんだし・・・」という文脈の会話でモヤモヤした気分になったり、自分で自分のことを「大人」と称するのにちょっとした抵抗があったりもします。

まだまだ人生は続きますから、いつかはちゃんと「大人」になれる日も来るのでしょうか。
まあ成れなくても別に良いかな。大して困ってないし。

終わり


美味しいご飯を食べてあったかいお風呂に入ってぐっすり寝ろ