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【BOOK INFORMATION】50年のアジアの発展を描く

『アジアはいかに発展したか ―アジア開発銀行がともに歩んだ50年』

  ※本記事は『月刊 国際開発ジャーナル2019年2月号』の掲載記事です。
     登場人物の肩書は当時のものです(一部加筆・修正しました)。


 2018年11月に発刊された本書は、アジア開発銀行(ADB)の50年史だ。学会や産業界のアジア研究者の間で注目を集めている。
 筆者のピーター・マッコーリー氏は、過去にADB理事やアジア開発銀行研究所長を歴任し、現在はオーストラリア国立大学の研究者だ。監訳者は『ODAの終焉』で注目された一橋大学国際・公共政策大学院客員教授の浅沼信爾氏と、静岡県立大学名誉教授の小浜裕久氏である。
 本書で最も興味深いのは、銀行創設に関わった日本人についての詳細な記述だ。1962年後半、評者も大変お世話になった常盤橋経済研究所の大橋薫氏が、初代アジア開銀総裁である渡辺武氏の元を訪ねた。当時、東京・丸の内の民間金融コンサルタントとして知られていた渡辺氏に、大橋氏はアジア地域における開発銀行設立の可能性を探るための研究会の立ち上げを提案した。大橋氏は、銀行業界と大蔵省(現・財務省)の友人らとも協議を行い、そこに大蔵省国際金融局の渡辺誠氏が加わり、渡辺武氏を座長とする研究会がスタートした。
 渡辺誠氏は大蔵省退官後、発足間もない円借款援助機関の海外経済協力基金の理事として活躍した人物で、本誌創刊時の発起人として評者も多くの薫陶を受けた。なお、評者の駆け出し記者時代は丸の内に事務所を置いていた関係から、渡辺武氏、渡辺誠氏も交えた会合を幾度も取材できた。ADBの本部は1965年11月のアジアの経済協力に関する第2回会合でフィリピンの首都マニラと決議されたが、その前夜まで東京では東京本部説を唱えて譲らない人とアジアの総意を大切にしたいとする人との間で大論争が起こっていた。当時、評者は本誌の創刊(1967年)に向けて準備中であったが、アジア経済開発の論客であった大来佐武郎氏(当時、日本経済研究センター所長)や渡辺誠氏との接触が多かったので、ADB本拠地をめぐる論争を聞かされていた。
 内々の議論は、まだある。一つは、アジア地域の発展への日本の貢献だ。これには金融面でのアジア進出戦略も絡んでいた。もう一つは、日米関係におけるアジアでの協力という外交戦略を視野に入れたものであった。
 アジアの過去、現在を経て未来を探知するという意味で、本書は最大の情報源だと言える。筆者のような関心の持ち方もある。つまり、アジアを知る“知恵袋”だ。
 本書は2~3章で「草創期」(1966年まで)について述べている。4~5章は「第1期」(1967~76年)でアジアの発展の始動と石油ショックについて触れ、6~7章の「第2期」(1977~86年)ではアジア地域の変革に伴いADBが幅広いニーズに対応する開発銀行へと成長していく様が描かれている。8~9章は「第3期」(1987~96年)で、アジア地域の再興とADBの新たな加盟国・地域について触れ、10~12章の「第4期」(1977~2006年)ではアジアの通貨危機から新しい世紀の幕開け、そして多様化する開発アジェンダの流れを追っている。13章~14章は「第5期(2007~16年)」で、アジアの不確実な時代における成長とその中で「より強く、より良く、より速く」あろうとするADBの試行錯誤が語られている。
 また、初代の渡辺武総裁から中尾武彦氏※に至るまでの9代にわたる日本人の総裁を紹介しているところも読み応えがある。
                       (本誌主幹・荒木 光弥) 

※掲載当時のADB総裁。2020年1月から浅川雅嗣氏が就任し、現在に至る。


『アジアはいかに発展したか ―アジア開発銀行がともに歩んだ50年』
ピータ・マッコーリー 著
浅沼 信爾、小浜 裕久 監訳
勁草書房
4,000円+税

・勁草書房


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本記事は国際開発ジャーナル2019年2月号に掲載されています。

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