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否定的な言葉が刺さるのは自分が自分にかけてるから

こんにちわ〜

今日も自由気ままに思いついたことをツラツラと記していきます〜


割と最近の、ニュースで侮辱罪が法改正されて厳罰化されたという記事を見たのね。

ネットが普及して言論の自由が拡大されている今の世の中そーゆーことが問題化されるのは当たり前な流れかな〜と思うし、

ここで一丁、こーゆー問題がクローズアップされるのは大変良き傾向だと思う

でもね、厳罰化されることは根本の解決になってないって私は思うの

むしろ、表現の自由が奪われるリスクの方が高いよね。


ケースバイケースではあるけど、そういう批判の声は

無視。気にしない。ようになれる自分になる。

が1番建設的な方法かと思う。

それは言葉で言うと簡単なんだけどね。

実際やるにはちょっとコツがいるんだと思う。

でも、この事象の仕組みを理解すればそんなに思い詰める必要のないことだったりする。

人間だから、やっぱり否定的なことを言われると気にしてしまうことがあるのだけど、結局誰かが言った否定的な言葉がずっと自分に残るのは、

自分で自分にその言葉を浴びせ続けてるから。

他人が言ったというのは、ただのきっかけに過ぎない。

その言葉を言われる前からずっと自分に対してかけてた否定的な言葉があるはずなの。

それを自分で見つけない限り、ずっと苦しい状況が続く。

それが、この事象に対する本来起こってることだから。


これに対して、心の底から安堵する方法は自分で自分にかけた呪いの言葉、レッテルを自分で見つけて解いていくしかないと思う。

あとは、本質的な自分を理解してその自分を強化していくこと。自分を強く持つこととも言える。


これは日々自分の感覚、内側から感じる声をキャッチして選択していくことで次第に強化されていく。

これができると、外側からの声に惑わされることも少なくなる。とゆうか、原理がわかるから惑わされなくなる。

だってね、やっぱり、自分のことを好きな人間がいれば嫌いな人間も同じ数だけいるだろうし、万人に好かれるのは無理じゃんね。

そして、そうやってあえて声にあげて批判してくる人は、羨ましい!自分もそうなりたい!と思ってたり、

自分にも同じ部分をもっているからこそ、その自分への批判を誰かに投影して一瞬の快楽を得ているだけなのね。

誰かを批判することは対処療法的効果があるの。
一瞬の快楽と甘美があるの。
気持ちいいのよ。

でも、この快楽は一瞬なの。
そのあとは、胸糞の悪さの方が続くんじゃない?

でもね、これは、大なり小なりあるけど誰でも割とやってることだから。

誰かを否定的に思うことって誰でもあることでしょ。
わたしも、あるもん。

それは、本来こういうことなの。

この事実を理解して、

必要以上に他人に投影し過ぎてたりなすり付けてた人は自分の奥で本当は何に気づいてほしかったか省みてバランスをとる。

逆に潔癖過ぎて、他人を批判する自分が許せない人は誰しも通る道だし、目ん玉をかっぴろげて、改めて自分が自分に何を否定しているか確認してバランスをとる。

と自分がより楽になるよね。

ちなみ、
誰かを否定しなくなることなんてたぶんないと思うから

大なり小なり一生やっちゃうけど、ここで大切なのはその事象の中から自分のカケラをいかに見つけられるかということだと思う。

だから、否定することに対していい悪いのジャッジをするのはナンセンスかも。


私たちが実際playしてるこの場所の隠れテーマは自分のカケラ探しアドベンチャーだったりするんじゃなかろうか?


こーゆーことを、理解しておけば、その心無い否定的な言葉に全て耳を傾けて自分をズタズタに、しなくて済むのぜよ〜



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