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トランスメーション期激しみ極まる頃の私へ

久しぶり〜投稿〜☺︎

この数年私は激しく、transformation期に入っていて、まだまだたぶん渦中にいるんだけど、1番激しみ極まる時期は通過した?と思っているので思い出せる限りでその時のことを振り返って残しておきたくなった。

正直、今思うと結構大変だったし、一人で暗中模索状態だったので、その時の精神的疲労は当時自分で把握していたものよりハードだったのではないかと今振り返って思うし、あのときよく頑張ったと自分で自分を本当に褒め称えたい!ほんっと!えらいっ!!!!

それは、今だからわかるんだけど、そんときは必死すぎて自覚する余裕もなかった

で、何が大変だったか?というと、潜在的に沈んでいた恐怖が浮き上がってくるのよ。

だから、なんかすげーーー大変なことが現象として起こるとかじゃないんだよね

とにかく、普通にボケーっと過ごしていても、意識のふかーーーーいところで常に恐怖を感じていて一切安心ができない状態。

ずーーーーっと、サバイバル状態。どんなに、今ここの自分がリラックスしていても常に底の恐怖が反応している状態だった。

だって毎日爆睡民だったわたしが、夜も深く寝れずに何度も起きたりするわけよ。音楽大好きだったのに、どんなものも受け付けなくなって音楽もきけなかったもーん。わたしは、一年から2年くらいこの状態だった。

この、不安定感は言葉じゃ説明できん!とにかく、針山に立ってひょ〜っ!みたいな冷や汗もんよ!

こんなんだから、体調も良く崩したし、人ともまともに会えなくなった。

まあ、体調崩すのはデトックスだし、どんどん出せ出せだったけど、異国の地で一人っきりで体調を崩すのはたいへん心細いものがあったし。
人と会いたくなかったのも会った相手に反応して自分の中のジャッジメントが浮き彫りになったり、自分が自分に課している自分というキャラクターを演じなくてはならなくなるからだった。

そーゆーことを頭で理解したとて、怖いものは怖いんよ。

あー、こーゆー自分を演じてるんだ〜!
こーゆーことにジャッジしてるんだーなんて気づいたとしても、その根本の恐怖が消えるわけじゃないのよ。

今思うと、自分で自分自身へのたくさんの癒しが必要だったんだと思う。

これは時間と自然(宇宙、森羅万象、大いなる何か)と守護なるものたちが癒してくれる。

わたしが私にできることって、ほーんとに今に集中してinterestingに過ごすことなんだなって身をもって体験した気がしておるよ

たとえば、わたし、人から好かれようと振る舞ってしまう癖があったのね。私の場合は、拒絶への恐怖、そして、戦うことへの恐怖とかが根底的恐怖としてあったところからだと思うのだけど(この二つは共に私の場合リンクしているのだけれど

なぜ、こんなにも拒絶されることが怖いのか?他人とエネルギーをぶつけ合うことがこんなにこわいのか?わからないのよ。

ただただ恐怖なの。何回体験しても怖いのよ。

それを、庇うために自分を押し込めるしかないの。

自分然り、そーやって、いろんなものを庇って人って生きてんだなーって思ったわけ。

生真面目気質ぶち抜いてるわたしは、一生懸命克服しようとか、癒そうとかして、あれこれ分析したり(これは、もう性分だし、才能笑)して今思うともう少し肩の荷を下ろして柔軟にやってもよかったな〜とか思うけど、

あの時期に自分の内側を見つめたものってすごくプライスレスな気がしてる


だからね、transformationMAX期に感じるサバイバル感のとき、ほんとーーーにたいへんだし、ほんとに1人っきり感ぱないし、何にもできないし、何もやる気にならなくて、すごく焦るの。

でもね、でもね、今ほんと思うけど、それ!正解!!!

社会的にみても、客観的にみても、いろいろクソでも、ほんとそれ正解!自分が作り上げた理想人何回もぶち壊すことになるけど、笑
それ!正解ですから!😂

自分の感覚で、何も確証がない方向へ進んでて焦るし、怖いけど、ほんと正解だから!ちゃんと寝れるようになるし、心も安定してくるから!自分を信じぬく力がメキメキつくから!
がんば!

と、当時のわたしに、わたしは言いたい!笑



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