都に拘るな,田舎に出よう

 東京で生活していてとっても感じるのは,やっぱり「人と人との繋がりの薄さ」というところだ。ただ,自分の友人や知り合いという意味では,それほどその「薄さ」は感じたりしない。ここでいう「繋がり」というのは,日常生活の中での「他人との繋がり」のことだ。

 恐らく,世の中が便利になればなるほど,人は人との関わりが間接的になるのだろう。それは言い換えれば,自分の都合の良いときにだけ人と繋がればよい世の中である,というようなものだと思う。

 人が人と関わることは,実はとても面倒臭いのだ。例えば,田舎育ちの人間が都会を目指す場合,田舎の人間関係がとても嫌だから,ということが多い。田舎では,自分の個人情報が,インターネットも介さずにあっという間にその地域に知れ渡ってしまうことが良くあるのだ。そういう閉じた空間に生活することを嫌う若者も少なくないと思う。

 でも,非常に面白いのは,ある一定以上の年を取ってくると,それが妙に懐かしく,気持ちの良いものになってくるようだ。その地域の皆が,自分のことをしっかり認識してくれている,という喜びに変わるからなのかもしれない。そしてそれは,田舎から出て来て都会で生活する期間が長くなった人たちにも同じような気持ちが出てくるように思う。

 「都会」というところは,高度に便利になった地域とでもいうところなので,人との関わりが随意的になっているところとでもいえると思う。それは,とても便利である代わりにとても脆いものでもあるのではないかと思う。自分の都合次第で切ったり繋げたりできるからだ。そういう意味で,田舎の人間関係とは全く異なる気がする。田舎では,望むと望まざると自分の情報が漏れだしてしまうということが往々にしてある。それだけ人と人とのアナログの繋がりが深い証拠だろう。

 ただ,元々都会に暮らす人たちは,そういうアナログの繋がりというものを肌で認識することはあまり多くないように思う。特に学生時代にそういう部分を知る機会というのは非常に稀なのではないだろうか?

 都会の便利さに慣れきってしまっている子供たちが,学生生活を田舎で送ることによって,不便さの中にあるアナログ的な繋がりを知れば,便利さと不便さを上手く使いこなせる大人になれる可能性があるように思う。

 そうやって地方で学生生活を送った生徒が,その地方を盛り上げようと,都会には戻らず,その地域で就職をするという選択をする例も多くなっているようである。

 「自分が行ける学校ならどこでもいい」

 そういうスタンスで進学することが可能な都会なんか捨てて,高校生活を田舎で送ってみることをお勧めしたい。

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