2024年9月2日 自信について
クヨクヨするな、と言われた。
この言葉を僕に投げかけた先輩は、僕が大学院を休みがちになり、就活にも追い詰められていることを知っていた。同じように事情を知る他の人なら、がんばれ、とか、無理しないで、とか、おれも大変だったよみたいなことを言ってくるし、そういう言葉を期待している自分も実際、いる。さらにこの先輩にも辛い時期があった事を僕は知っている。だからこの先輩は、今の僕のままじゃ何も前進しないことを分かっていて、そんな言葉を投げかけたのだと思う。僕は先輩が普段説教をするタイプではないので少々面食らったが、その言葉を聞いた僕は安心した。やはり前に進むために、僕はもがくしかないのだ。
クヨクヨしてしまう、例えば人前で自分の意見を言えない、遠慮がちになる、謙虚で日本人的な美徳である。しかし、謙虚を美徳とするあまり、僕は僕自身の責任から逃げているのではないかと思う。今までもうっすらと実感はあった。ただやはり、確かに謙虚であったほうが上手く立ち回れる機会もある。要はその線引きが苦手なのだ。
謙虚である、ということは、自分のことを過小評価する、ことである。誰と比べて?他人と、将来の自分だと思う。やはり他人と比べることはある時では大事だし、ある時では不要である。日々向上心を持って生活を送る中で、誰かその道の先駆者をベンチマークとすることは理に適っているように思う。ただし、だからと言って現在の自分の能力がベンチマークの他人や、将来の自身とかけ離れているからと言って、卑屈になる必要もない。堂々と、自信を持って評価されるべきなのだと思う。謙虚とは本来そういうものなのだと思った。
重要なのは、謙虚になるあまり、自身の能力だけでなく、自身の責任の所在までもを過小評価させようとする心の動きがありやしないか、ということだと思う。自分の能力は今この程度しかないのだからこの働きで許してくださいね?、とか、今はこれで十分だな、とか思ってしまう心の動きのことだと思う。同じ仕事を今任されようが、将来任されようが、責任の重さは変わらないのだ。この一連の流れを客観視できてしまっていることが、自己嫌悪につながり、自分に自信が持てないことの原因となっているのかもしれない。
まとめると、今の僕になぜ自分に自信がないか、の答えとして僕自信が生活や日々のタスクに責任を負えていないからだと感じた。原因は、謙虚を美徳とするあまり(あるいは履き違えて)能力不足に責任を持てないことだ。こうした責任の無さを実感しているから、どうせおれがやったって責任を持てないよね、そんなおれのことは信用ならないよね、という思考回路が固まっているのだと思う。
では自分に自信を持つために何をすれば良いのか、というと、責任を持つ、ということになると思う。何に対して?簡単なところから始めるのがいいだろう、というのはよく言われる話で、やはり生活リズムを整えようとか日々のタスクを分解して達成感を感じようという解決策は容易に思いつく。
今、僕のやっていることに、後から納得している形になった、というお話だ。
もっとも、「謙虚さ」以外にも問題はあるような気がするけれど、今はとりあえずここまでで。
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