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悪意のない嘘好き

「はぁ?いやなに本気にしてんの?」とか、「私嘘なんかついてないじゃん!」とか、そういう『悪意のなさ』ではない。むしろ優しいほうの嘘でも本当はついてほしくない。

私は、なんの生産性もなくて無茶苦茶な嘘をつかれるのが好きだ。
これがよくあることなのかはわからない。他人に「無茶苦茶な嘘つかれるの、好き?」と確認をとったわけではないし、そういう冗談を言うのが好きと公言している人も見かけたことがない。

でもとにかく、私は無茶苦茶な嘘をつかれてキャッキャと喜ぶタイプだ。「めちゃくちゃ嘘だね!?」とか「やだびっくりした〜」とか言いたい。なにを言ってるんだ? でも世界は広いから、わかってくれる人もいっぱいいるはず。多分。そうか?


その昔、出かけた帰りに友人と話していて
「いやーもうあっという間に4月だよ〜」と言ったら、「今8月だよ」と真顔で返されたことがあった。

薄暗く生ぬるい雨の日の夜だった。
私は友人から視線を外し、車のライトを上下逆さに反射するコンクリートを眺めながら直近の記憶を遡った。
私はかなりとぼけた人間ではあるけれども、本州の夏はこんなもんではないと気づいて事なきを得て、「やだ〜〜!びっくりした〜、世にも奇妙な物語始まったかと思ったよ!」なんて返してキャッキャと笑いあった。なんでそんな嘘をついたのかは全く答えてもらえなかった。そういうのが好きだ。


あと質問したらめちゃくちゃ嘘つかれるのも好きだ。でたらめな話であればあるほどいい。なのに真顔で話しているのを一通り聞いたあと、いや嘘かーい!を楽しみたい。
今気づいたけれど、正直人の前でそんなことやれる人はよっぽどユーモアのセンスがあるだろう。正確に表現するなら、私は「めちゃくちゃ嘘つかれるのが好き」ではなく、「ユーモアのセンスがある人に面白く翻弄されたい」だろうか?


ただ、逸話や成り立ちを捏造されるのもいいなと思う。
微妙にありそうなラインをもっともらしく話されて信じかけたところでの「今考えたんだけどね」が欲しくもある。
こちらはちょっとユーモアもなにもなくなってしまって面白さの塩梅が難しいので、言う側の負担が大きいんだろう。私はわりと色んなものを興味深いと思うタイプなのだけれども、そこに嘘をぶち込まれることになにか快感を見出している節もある。


そういえば、高田純次さんという方がいる。お散歩する番組を何度か見たことがある。絵もうまいなんて多彩だ。
あの方はすごい。ずっとじんわり面白い。ただ、相手の反応を待っていたりはしないから、『そこにいる人』さえいればあとはご本人だけで事足りるユーモアに感じる。

恐ろしく見当違いなことを言っていたらファンの方にもご本人にも大変申し訳無いが、自分が親しいひとにああいう形の冗談を言われることを想像したら、ちょっとさみしかった。
比重としては、その冗談は『笑わせたい人』に多く向けられたものだろう。『そこにいる人』である私の反応に関係なく進んでいくのはさみしい。参加はさせてほしい。あわよくば私のリアクションなどを期待して嘘をついてほしい……


ここまで書いて、私が寂しがりやなことに気づいた。ただ構われるだけでは飽き足らず、面白い行為の理由になりたいのか。
寂しがりやで刺激を求めている人間。絶対なっちゃダメなタイプの依存症とかなりそう。騙されもしそう。
悲しくなってきたので終わります。解散。読んでくれた方はありがとうございます。


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