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国慶節の孤独と憂鬱な思い出

5年前のこの時期、私は、中国のとある街で国慶節の雰囲気を楽しんでいた。

街中の至るところが赤の装飾、
街頭にテレビが設置され北北京でのパレード観戦している人々
。その高揚感が伝わってきたものだ。
また別日の国慶節期間に郊外の動物園に行く。
ここではパンダが見れるということローカルバス
を2時間以上乗り継いてようやく到着。
しかし、受付には想定外多くの人人、
さらに私は、その時パスポートを
所持していなかったので入場券さえ
買うことができず、仕方なく帰った。
そして、その翌日、今度は郊外の森林公園にローカルバスを乗り継ぎ到着。
森林浴を楽しみ、小さな遊園地もあり、人々は陽気で楽しくしていた。
そろそろ帰ろうと思いバス停に行くが、
来るバスは超満員で何本も通過していく。
交通の相当不便なところなので
なんとかしてバスに乗りたかったのだが、
大手を振ってバスドライバーにアピールするも
結局バスには乗ることができなかった。
そして、バスに乗ることを諦め、歩いて帰ることにした。
相当な距離である。
結局、交通量の多い整備されてない側道
を3時間ほど歩く羽目になった。

この時ほど、国慶節の人民の喜びとは対照的に
自分はここでは外国人で、無力な存在ということ
を思い知らされた。

この頃は私は、まだ中国初心者。できるだけ
早く中国に馴染もうと
努力していた。
また日本と中国のいいとこ取りをして
充実した中国赴任生活を楽しんでいたのだが、

ところが今は、
中国と日本の両国のネガティブな面を
二重に敏感に感じててしまい、
かなりしんどい状態。

先日の深圳の日本人少年殺人事件。
中国だけでなく、日本側の対応も閉口してしまう。
だから今は、特に日中関係には深入りしない、
ことに決めている。
これ以上無駄にエネルギーを浪費したくないから。

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