1984年16歳の北海道旅行記(8) ~男女交際の理想を見た羽幌線「急行はぼろ」
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前説
時間を超越した普通列車で釧路から滝川まで移動した後、羽幌線の急行列車で道北を目指しました。道中は夜間だったので、車窓は楽しめなかったし、写真も当然ほとんどありません。しかし、この列車の旅は印象的でした。「男女交際の理想をみた」というタイトルは、16歳が書いた紀行文をそのまま使いました。それでは、廃線になってしまった路線を行く、急行列車の旅を振り返ります。
3方面に向かうローカル急行
急行、「大雪3号・はぼろ号・紋別号」はなんと13両編成。先頭5両が「大雪3号」網走行き、中間の4両が名寄線経由遠軽行き「紋別号」、そして後部4両が深川から留萌本線に入り、さらにその支線※1、羽幌線に入って宗谷本線との接続駅幌延まで行く「はぼろ号」。
19時過ぎ、40分遅れでやってきた列車に乗車。車内販売がやってきた。コーヒーを買う※2と、他の客も「ビールは?」「おつまみは?」と聞く。売り子さんは焦って対応していた。私が乗車している急行「はぼろ号」編成は、次の深川で切り離される。「大雪3号・紋別号」の編成に早く戻らないと、編成ごと切り離されてしまうのだ。
深川に停車中、分割作業を見ようとホームに降りるとドアが閉まった。置いて行かれると焦っていると、車掌さんに乗務員室から乗せてもらった。ただし、「大雪3号・紋別号」が出発した後、ホーム中央の待合室付近に移動する為にドアを閉めただけだった。なにしろ長大編成のシッポだったので・・・。43分遅れで出発。留萌本線を走る。
単独編成となって留萌本線を行く
峠駅で列車交換の為に臨時停車。反対側の列車にも遅れの影響が出ている。
「まもなく大和田です。ドアは開きません。大和田の次は8分走って留萌です」大和田にも臨時停車。その間に車内を見渡してみる。1ボックスに2~3名の乗車率。結構良い。指定席車両も同様だ。帰省客が多い。観光客らしい人はいない。
留萌20時34分着。駅のスタンプでも・・・と思ったが、本線のホームは、はるか彼方※3にあって、長い跨線橋で結ばれている。2分停車中で往復するのは無理だ。諦めた。
熱い出迎え光景、男女交際の理想をみた
1両切り離し、3両となり、羽幌線に入った。最初の停車駅は小平。ここから高速で突っ走り、鬼鹿着。帰省客を迎える地元の人が、待合室に集まり、今や遅しと列車の到着を待っていた。そこに1名の男子高校生が降り立った。その途端、15名ぐらいの男女の高校生の歓声があがった。彼はポーズをとりながらその輪の中に入っていった。
もし私が地元を離れて、戻ってきても、誰もこのように出迎えてくれないだろう(出迎えたろうじゃないか。どーせ拒むんだろーが・・・幼馴染コメント)。恋人同士なら驚かないが、男女が入り混じったこの人数。この熱烈歓迎風景。仲間意識は相当強いのだろう。ここに私の憧れている男女グループ交際があるのかもしれない。いや、あるに違いない(以下、延々と高校生における男女間の交際のあり方について持論を述べていました。この男子高校生についてのドラマも勝手に妄想して記述していました。さすがに恥ずかしくて載せられません。まるで妄想小説です。紀行文なのに脱線しまくっています)
闇の中を猛進する急行列車
車内から外を見ても何も見えない(車内が明るいからガラスに反射して外が見えない)。デッキの暗い場所から外を見る。海だ。波が見える。日本海だ。月明かりに映った波が見えた。街の灯は一切ない。トドワラと同じか・・・。
列車は低規格の線路を70㎞以上でぶっ飛ばす。揺れが激しく寝る事ができない。森の中をつっきって古丹別へ。車内は賑やかだ。小さい子供がワイワイ騒いでいる。やはり、列車は適度に混んでいる方がいい。楽しい。いつしかおぼろ月になった。明日は雨か・・・。
羽幌で半数の乗客が降りた。さすが羽幌線の中心駅だ。1日千人もの乗降客があるだけの事はある。少し停まるので、駅のスタンプを押しに行った。スタンプ台には同業者が2名。1名は老人男性、もう1名は若い女性だった。祖父が、孫を連れて旅行しているのかと思った。後でわかったのだが、別々の旅人であった。
孤独な旅路
指定席はガラガラになり、私が乗車している2号車は13名しか残っていなかった。駅を出ると、羽幌の街の灯りが遠ざかっていく。街の外には人が住んでいない。そのため真っ暗だ。街の灯が、オアシスのように感じる。やがて灯りは遠ざかり、そして見えなくなった。もうすれ違う列車も無い。追いかけてくる列車も無い。この急行「はぼろ号」は、羽幌線唯一の急行。唯一の札幌直通列車である。朝、札幌に向かい、夕方、戻ってくるダイヤだ。札幌での滞在時間は5時間。地元の人々にとって、まさに優等列車なのだろう。このような時間帯を走るのだから観光客の姿はいない。
列車は遅れを取り戻すべく、80㎞ぐらいの速度で走る。ローカル線特有の低規格の短尺レール※4を行くので、ジョイント音は激しいし、揺れもすさまじい。
日本海沿いを走っている筈だが、海はそれほど近くに見えない。乗るなら昼間の列車の方がいい。ただし廃止されるかもしれない。近代化も遅れていて、信号機は手動の腕木式信号※5が使われている。闇の中で、信号の光だけが輝いていた。
列車は駅に着くたびに、帰省客や地元の人を降ろしてゆく。それを待合室で待つ光景が繰り返されてきた。
「おーい。こっちだ」
「あっおじいちゃん」
「よく来たな」
そんな温かい光景も天塩が最後になってしまった。僅かに残った乗客を地元の人に引き渡すと、後は終点幌延だ。
幌延で宗谷本線と合流する。札幌駅からは、宗谷本線経由の方が早く、急行「宗谷号」が、1時間前に到着している。「はぼろ号」に乗車して幌延に向かう客はいない。急行列車を独り占め! と喜んで、3両の車両をまわってみた。すると、あの老人、若い女性、大学生らしき男性が2名、ボックシートの中で沈み込むように寝ていた。いずれも旅人。普段はこの区間の利用客はいないのだろう。
幌延駅の駅前で駅寝
アナウンスがあって、幌延に27分遅れの、23時7分に到着。なんと16分も回復した。この速度は宗谷本線の急行よりも速い。5人の乗客は思い足取りで改札を出た。若い女性と、大学生2名と一緒に駅前で寝る事にした。
若い女性は看護学校の生徒だとか、他の2名は大学生。彼らはみな周遊券の期限20日をめいいっぱい使った旅をするとの事だった。そして、利尻島や礼文島に渡るそうで、4人で旅の話に花を咲かせていた。皆東京の人のようだった。同年代で話は盛り上がるが、高校生の私は蚊帳の外であった。
「ねぇ、どこから来たの?」突然、看護学校のお姉さんが声をかけてきた。ずっと孤独な旅を続けていたので、声をかけてくれたのが嬉しかった。それをきっかけに、彼らの話に入る事が出来た。皆、明日は、4時12分か、4時58分の夜行急行「利尻号」に乗る。そして、礼文島に渡る。街から大学生が5人ほどやってきて、合計9名で駅寝となった。
解説
※1 支線
羽幌線は留萌本線の支線ですが、本線が66.8kmに対して、留萌駅で分岐する支線は141.1㎞もの路線長がありました。留萌駅から増毛駅までの16.7㎞が、まるで支線のように見えました。急行列車も羽幌線に直通していました。
※2 コーヒー
貧乏旅行で車内販売のコーヒーなんて贅沢ですが、車内販売がある時は応援の意味を兼ねて何か買うようにしていました。缶コーヒーが精いっぱいでありましたが・・・。
※3 はるか彼方
羽幌線のホームと、留萌本線のホームの間には巨大な貨物ヤードがあり、石炭車の貨車が沢山停車していました。
※4 短尺レール
規格よりも短いレール。ローカル線に多く採用されていました。細く、短いレールで、費用が安く済んだと思われます。ジョイント音の周期が短く、バタバタ走っているような感覚でした。
※5 腕木式信号
説明が難しいので、紀行文の絵を使いましたが、ひどい・・・小学生の絵かと思いました。要は、手動式の信号で、ポイントと連動していました。
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