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週末放浪日記15 6/22厳かに高野山壇上伽藍&奥の院

もう紫陽花の季節を逃しそうだ…長谷寺行かなきゃ………このまま行けばもしかして高野山まで足伸ばせない?  よっしゃ!はせでらは次にして高野山じゃー🚗

長谷寺のつもりで朝7時に出発したものだから、高野山に着いたのはお昼12時頃💦
まっ、居ても2〜3時間…なんとかなるか😌
と思ったのが甘かった😢 なんと6時間も居たよー
それだけ圧倒されました😳


高野山は西の壇上伽藍、北東の奥の院で主に構成され、その他数々の寺院、宿坊、街(寺内町)です形成されています

高野山…弘法大師 空海…うっすら教科書で見た程度
しかし、現地で見たそれは1200年の時をこえて今なお仏教(真言宗)の修行の場としてリアルに存在してました
そういえば、弘法にも筆の誤り、弘法筆を選ばずとかあったなー…

以下高野山についてネット引用
「高野"山"」という名ではあるものの、地理学上の山ではない。高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同義である  そのため高野山内の歴史伽藍文化財関連については、金剛峯寺で詳述している。平安時代弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つ。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

へぇ…山じゃないんだ…

今回はこれ以上の解説無し(説明しきれません💦)
写真集とします🙇

動画はこちらでお楽しみください(ワイ好みで選びました)

さて
拙著ではありますが、ワイ目線で撮った写真がこちら  ちなみに高野山は816年創建であるが、幾多の大火をへて数々の再建を重ね今日に至ります

大門 俗世と高野山の結界 1705年再建
中門  高野山開創1200年記念大法会の記念事業として、平成26年に再建  四天王を配し、伽藍全域の守護している
高野山の総本堂  1932年 7度目の再建
根本大塔  本尊は胎蔵大日如来、周りに金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅となっている
圧倒……
六角教経蔵  昭和9年に再建。 経蔵の基壇付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています
御社  1594年再建  社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は十二王子・百二十伴神が祀られている
西塔  1834再建  中には金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されている(入れません)
准胝堂(手前)と孔雀堂(奥)
御影堂  もとはお大師さまの持仏堂として建立  後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安、御影堂と名付けられた
三昧堂
愛染堂  1848年再建  本尊は愛染明王
東塔
金剛峯寺
正門
主殿
襖絵
寺紋(五三の桐と三頭右巴の二つで寺紋としている)
蟠龍庭

以下、ネットより引用
平安初期に弘法大師が開創した仏教の聖地・高野山。本来の総本山金剛峯寺とは、「一山境内地」といわれるように高野山全体を指すが、壇上伽藍の東北に位置する「総本山金剛峯寺」は、高野山真言宗管長が居住し、高野山全体の宗務を司っている寺院。明治初期に、豊臣秀吉が建立した青巌寺(三頭右巴の紋」と興山寺(五三の桐の紋)が合併し、寺号を金剛峯寺と改め総本山が置かれた。約16万平方mという広大な境内には、檜皮葺きの大屋根を持つ東西54m、南北63mの主殿(本坊)をはじめ、経蔵や鐘楼、別殿、奥殿、阿字観道場などが立ち並ぶ。奥殿の石庭・蟠龍庭が見事。

本来の総本山金剛峯寺は高野山全体を指すのですねぇ…

そして奥の院…今回一番ピリッと張り詰めた場所でもありました

この奥に高野山で最も清浄な聖地  大師入定の御廟がある
(ここから撮影禁止)

弘法大師空海はここ奥の院にて入定(即身成仏)し、今なお坐禅を組まれているとのことですが、伝説として謎大きいミステリアスな部分ですね
しかし、いまだ弘法大師に1日2回のお食事の供えを届ける儀式の「生身供」(しょうじんぐ)が、許された高僧維那(ゆいな)と呼ばれる仕待僧により運ばれる儀式が1200年続いていること自体、たいそうなことではあります。

ではまた次回👋






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