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光の中の女の子になりたかった


昔からずっといい子だった。
親の言うことを守り(喧嘩すらした事がない)、授業に支障が出ることは一切せず、テストではそれなりの点を取ってきた。

ポジティブに言えば「いい子」
別の言い方をするなら、
どこにでもいる普通の女の子だ。

この普通の女の子は、
他の普通の女の子たちと同じように、
画面の向こう側にいる特別な女の子に憧れた。

彼女はいつも輝いていた。
スポットライトに当たっていない時でも、
光の中にいるみたいだった。
光の中の女の子を見て、
陰の中でしか生きられない自分を、
恥ずかしく思った。

彼女の肉体で生きられるのなら、
どんなに素晴らしいだろうと考えた。
普通の女の子でしかない自分が退屈だった、
嫌で嫌で仕方がなかった。
こんな顔じゃなかったら、
こんな体じゃなかったらと何度も思った。

あの子はきっと、劣等感やもどかしさとは
無関係に生きているんだろうな。
そんな事をずっと考えていた2022年の冬、
私は『玉城ティナは夢想する』に出会った。

どこにでもいる普通の女の子「A子」
日本中の女の子の憧れ「玉城ティナ」
この2人の女の子を
玉城ティナが演じた作品だ。


元カレに付き纏われたり、恋心を寄せる先生に
想いを伝えられないA子。
玉城ティナと自分を比較して、自分の存在を軽く感じてしまうA子に、すごく共感した。


ナレーションを一部抜粋。



次の生まれ変わりがあるのなら、

神様、

私を玉城ティナに産んでください。

どうか、

光の下で、

後戻りできなく、

A子は輝いてみたかった。

どこにでもいる、

平凡を絵に描いたような女の子。

こんな肉体を脱ぎ捨てて、

身体の真心に熱い灯火を宿す女の子になりたい。

もしも、この地球上でいつか、

もしも、

私が玉城ティナに生まれることが出来たなら、

光って、

光って、

光って、

死にたい。

私は、星になりたいのです。


この作品の好きなところは、玉城ティナの孤独
にもフォーカスを当てているところだ。
ティナちゃんだって生身の人間だ。
落ち込む時もあれば、
自己嫌悪に陥る時もあるのだろう。

私たちは、ティナちゃんのことを「玉城ティナ」という概念のように捉えてしまって、彼女の孤独に目を向けようとしない。
彼女はもう、どこに行っても「玉城ティナ」
としてでしか生きられないのだ。
それがどれほど寂しいことなのか、
完全に理解することはできない。


A子は玉城ティナにはなれないけれど、
まだ何者にだってなれる。
私だってそうだ。
何者にもなれる。


光の中の女の子にはなれないけれど、
ティナちゃんが放つ光を追い求めて、これからも
生きていきたい。

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