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月と文学

きらめく星々に比べて、月はどこか物悲しい。
その繊細さ故か文学作品にはよく月が登場する。
私が特に好きなのは、村上春樹の『イエスタデイ』という小説に出てくる「氷の月」の話だ。
主人公は友人(アキくん)に頼まれて、彼の恋人とデートする。その際彼女は、夢に現れるという「氷の月」の話をする。


「私は同じ夢をよく見るの。私とアキくんは船に乗っている。長い航海をする大きな船。私たちは二人だけで小さな船室にいて、それは夜遅くで、丸い窓の外には満月が見えるの。でもその月は透明なきれいな氷でできてる。そして下の半分は海に沈んでいる。『あれは月に見えるけど、実は氷でできていて、厚さはたぶん二十センチくらいのものなんだ』とアキくんは私に教えてくれる。『だから朝になって太陽が出てきたら、溶けてしまう。こうして見られるうちによく見ておくといいよ』って。その夢を何度も繰り返し見た。とても美しい夢なの。いつも同じ月。厚さはいつも二十センチ。下半分は海に沈んでいる。私はアキくんにもたれかかっていて、月は美しく光っていて、私たちは二人きりで、波の音が優しい。でも目が覚めると、いつもとても悲しい気持ちになる。もうどこにも氷の月は見えない」


なんて素敵な夢。
私も海に浮かぶ氷の月を見てみたい。
月と海は相性が良い気がする。
中原中也の『月夜の浜辺』も好きだ。
↓※読みやすいように少し改変しています。


月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを、捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向かってそれは抛れず
   波に向かってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?


洋服を繋ぎ合わせるために存在するボタンが、浜辺に落ちている。このボタンは役に立たないし、月や浜辺などの悠大な自然に比べて、ボタンは凄く小さな存在だ。
中原中也は2歳の息子を亡くしている。
ボタンと幼い息子を照らし合わせなかったとは思えない。切なくも美しい詩だと思う。


最近あまり月を見上げていない。
今夜はベットの上で月見しようかな。

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