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そして私はレースを編むのよ

真っ赤な薔薇と白いパンジー
子犬の横にはあなた あなた
あなたがいてほしい
それが私の夢だったのよ
いとしいあなたは いまどこに

小坂明子 『あなた』

ものごとを続ける為には、過分な“力み”は禁物、適度に妥協と惰性での“流し”の日を設けなきゃね。

今日は自分が半年ものあいだ継続できている筋トレと、その成功体験を“日記を残す”という行いを習慣化する為に活かすには、どう考えればいいのだろう…………という話をするつもりだった。

実際昨日それについて、ネタ出しのようなモノを書いたりしたぐらいには、やる気まんまんだったワケだ。

ノートにnoteのネタ出しをする、というネタ。

でも今日はそんな話をしない、なんでこんな忙しくて心にも余裕がないのに、自分で読んでても面白いと感じないものを、わざわざ人に伝えるために書かなくちゃならんのだ。趣味なんだから筆に乗るような事だけを書けばいいのだ、少なくとも今はそれで誰に文句を言われるような段階にはないのだから。と思ってしまったので……………

自分が読んでて面白いものか…………今の自分がいま読んでて好ましいと思うテクストは、そう“あなた”が書いた文章なのかもしれない。

“あなた” とはいまここで、この文を読んでいる自意識過剰の君のことではない、いや君のことでない事もないのかもしれない、どうせこのノートは限られたごくごく一部の身内しか読まないのだから、そうである可能性はそこそこある。

自分は“あなた”の書く文章が読みたい、文字媒体でなくていい、“あなた”の話す言葉が聞きたい、“あなた”が手に触れたイラストや、ちょっとした工作に触れてみたい、手料理だとかでも構わない、自分は自分の生きる世界のなかに“あなた”が息づいているという実感を感じていたい。
正直自分が忙しかったり、なんなら興味がなかったとしても、自分は“あなた”の書くものが“読めたい” 気が向いた時に“あなた”の紡ぐ今の言葉が読めていたい。

わざわざ書くのも野暮かもしれないが、ここでの“あなた” とは、歌謡曲で歌われるような“あなた”である。読者の皆様方も昭和にレコーディングされた楽曲を聴いて、作詞家や歌手はわたし個人に宛ててこの曲を書いたのだ、と思う人間は少ないだろう

………書きたいことを思うがままに書いていたら、ラブソングと同じ形式になってしまった。せっかく自分の生の愛の言葉を紡いだのだから、読者各位はそれぞれ自分の事のように共感してキュンキュンしたり、切なさに泣いたり、甘ったるさと痛々しさに辟易したり、好きなようにするがいい。そのように受容されうるものを書いてしまった、最初は筋力トレーニングの話をするつもりだったのに。

拙くてもいい、刺々しかったり病んでいたりするとちょっと哀しくなるけど、それでも生きて言葉を書き残す事ができる、それだけでいい、喜びや幸せ、思い悩みや痛み、生きている温度を感じられるなら、それ以上に貴いものはない。
自分もそんな誰かの“あなた”であるのならば、どこかにはこんな直情的で素直な吐露も、残しておく値打ちがあるのかもしれない。

値打ちがあるという事はわざわざnoteにする意味があるという事なので、第三回の内容はこれです。読みたいものと違ったとしても許してくれ。


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