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忘れられない旅@アフリカ【ザンビア&ジンバブエ】②

ザンビア共和国の叔母夫婦の家を母と二人で訪ねた旅噺の2回目。
期せずしてインドに1週間滞在したあと、ルサカから旅した場所のことを書いてきたいと思います。
まずは隣国ジンバブエの首都ハラレへ


ジンバブエ共和国ってどんな国

国土が39.1万㎢とアフリカで日本の面積に最も近く、首都ハラレの平均気温は18.1℃。(アフリカと聞くと暑いというイメージではないでしょうか?上着を持ってくるように言われていたのに、薄手の物をしかもっていかなかった私は、何度も叔母から厚手の上着を借りることになったのです)

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私が行った頃は「アフリカの穀物庫」と呼ばれるほどの農業国であり、金・プラチナ・クロム等豊富な鉱物資源にも恵まれ、農業、製造業及び鉱業がバランスよく発達している国でした。

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ルサカとハラレの距離は約400㎞。
この距離を、近所のご家族と2台の車で移動して行きます。
アフリカで車を使って旅行する場合は、2台以上で動くのが鉄則のよう。
店一つない草原の一本道を走っていくのですから、故障・燃料切れ・動物との衝突などを考えると確かに1台では走れませんよね。


ハラレ

ルサカよりも遥かに都会のハラレはビルも多く、街を歩く人も白人の方が多い印象でした。
ハラレでのお宿はシェラトンホテル。
お部屋も広くて綺麗でしたし、夕食を食べたレストランも素敵でした。

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微妙なバランスで立っているバランシングロックや美術館を見学したあとはショッピング。
ルサカにはないような商品が溢れていて、女性陣はここでだいぶ時間をとっていたような気がします。
私もここで素敵なピアスとリングを購入したのですが、銀製品だったため最終的には黒くなり使えなくなってしまいました。
(とても気に入っていて、欠かさずお手入れしていたのに残念です)


ニャンガ

ハラレを出発し次の目的地ニャンガへ移動。
トラウトベックというホテルに宿泊してのですが、こちらは美しい景色が楽しめるロケーション最高のリゾート地でした。
少し寒くてラウンジでは暖炉に火が付いていたことを覚えています。
ハイキング・サイクリング・乗馬ができるほか、目の前には大きな池があり母は嬉しそうにボートを漕いでいました。

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ジンバブエ高原の南端まで車を走らせ、グレート・ジンバブエを見学。
グレート・ジンバブエとはジンバブエの王あるいは首長の一族のために築かれた構造物を含む遺跡です。
直方体の花崗岩のブロックを積み上げて造られています。
日本のお城・世界各国の遺跡もそうですが、重機などが無い時代にこれだけの物を作り上げた昔の人々は本当に凄い。
ちなみに1986年に世界遺産に登録されています。


ブラワヨ

ブラワヨではジンバブエ最古の国立公園・マトポスを訪れました。
20億年以上前に形成されたというマトボの丘群と渓谷からなるこの地域も世界遺産に登録されています。

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元々この丘にはおよそ2000年前にサン人が定住していたそうですが、その前からも洞窟を住居として人類がいたことが分かっており、赤い壁画が美しい形で残っていました。

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ブラワヨで宿泊したロッジも素敵。
岩石の丘の上に建てられていて、窓からは今まで見たことのないような景色を堪能することができました。


ルサカへの帰途

ルサカへの帰り道はアフリカ最大級の人造湖であるカリバ湖を望みながらの長距離ドライブです。

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建物もお店もない一本道を走っていると、大きな木の下になにやら人だかりが見えます。

どうやら木で作られた動物のお土産を売っているよう。
ここで私は自分の身長より少し低いくらいの大きさのキリンを購入してしまいました。

だって一本の木から掘り出されたそのキリンは、ツヤツヤと美しくとても可愛い顔をしていたのですもの。

帰り飛行機で持って帰ったので大変でしたが、今でも買ってよかったと思っています。


ジンバブエ後記

今この記事を書きながら改めて地図を確認してみたのですが、叔母夫婦が色々考えて計画を立ててくれたのだと分かり、感謝の気持ちで一杯になりました。

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この旅でアフリカ料理も色々と食べました。
ワニは鶏肉のようで食べやすかったですし、ゴルフ場で「可愛い」と愛でていたインパラもとても美味。

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ブラワヨは霊場とされていて占いをしてくれるとのことで、人生初の占いも体験。
「あと2・3年で結婚して、12人子供を産む」と言われましたが、これは見事にハズレ。
もし観光客が占いに来たら、「子供12人産む」は言わない方がよいのでは?と思いました。

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次回は、いよいよヴィトリアホールと野生動物を見に行く旅です。











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