観察の妙諦 Ver1.3
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観察の妙諦 Ver1.3


見道(けんどう)の初歩にして奥義

見道(けんどう)とは、仏教における五道(資糧道・加行道・見道・修道・究竟道)の一つであり、真の悟りに至る為の道です。我々は徳と智慧を集めて修行を積み、真理を垣間見ることで見道の位に入ります。

仏教における修行とは、釈迦世尊が開発した止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の冥想法に他ならず、止観冥想こそが仏教を仏教たらしめています。

しかし、現在に伝わる止観冥想は危険を減らす為に意図的に「刃引き」がされているので、行法としての切れ味が殆ど無い鈍(なまく)らな冥想法になってしまっているのです。

 

釈迦在世の時代には「不浄観(アスバ・バーヴァナー)」という冥想法がありました。これは人の死体に虫が湧き、獣に喰われて骨になるまで観察するという過酷な冥想法です。

主に性欲の強い人に奨励された冥想法だったようですが、これを実践した仏弟子が相次いで発狂したり、自殺をしてしまうので、次第に不浄観を行う者は居なくなりました。

そして、釈迦世尊が伝えた「ヴィパッサナー冥想」にも、薬に例えるなら「この成分が無いと毒にも薬にもならない」という重要かつ過激な部分があるのです。



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清濁 思龍

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早期リタイア済みの遁世者であり、坐禅修行者であり、ミニマリスト。