頭の良さとは
皆さん、こんにちは。
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井出多可志と申します。
突然ですが、皆さんは頭の良さとはなんだと思いますか?
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私は頭の良さとは「自分」だと思います。
何故かって?
俺は頭良いから。
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正直なところ、私は自分のことを「頭が良い」と認識しています。
しかし、それは真実か?と問われれば、私は否とも、いや、真実だとも答えられるでしょう。
私が言いたいのは、世の中は絶対的評価と相対的評価に分かれ、それらも複雑なパターンがあると言うことです。
例えば、私が進研模試で偏差値70を得たとしましょう。
偏差値70なんて取れる人は滅多にいません。私は頭が良いと言えるでしょう。
(いやまあ進研模試だしって思った人、これはあくまで一例ですからね 僕の成績ではなく、適当に偏差値を書いてるだけです)
しかし、私は駿台模試で偏差値50でした。
「偏差値50」と言うのは一般的に言う、「平均的」そのものでしょう。
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だが、この理論には問題があります。
それが、模試の受験層の違いです。
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進研模試と言うのは、全国津々浦々、様々な学校の人が受けています。
一般的に言う、頭の悪い人も当然受けています。
その一方、駿台模試は全国の名だたる進学校が受ける模試です。
頭良い人がたくさん受けています。
その分、偏差値も低く見積もられます。
つまり、この二つの模試では、単純に比べることは不可能なのです。
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つまり、同じ姿を見ることは不可能です
これが、頭の良さの相対的評価です。
では、頭の良さの絶対的評価とはなんでしょうか?
例えば、テストで100点を取った。これは絶対的評価でしょう。
それ以外は…うーん。
私はこれ以上の言葉、絶対的評価に対する言葉を編み出せなくなってしまいました。
これは、現在日本で使われている「頭の良さ」と言う言葉が相対的評価によって生み出されていることの一例でしょう。
小学生のころから、人は人と比べられて頭の良さと言う言葉を刷り込まれていきます。
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つまり、日本における成績とは全て相対的評価でできているものなのです。
その相対的評価は人生にも影響します。
それが、学歴と言うものです。
学歴は、社会へ出るにあたり一種の指標になります、学歴フィルターなんてものがあるくらいなので。
学歴…それは勉強と言う条件のみで人を選ぶ場合、とても良いでしょう。
その学歴と言うのも、得るまでには偏差値だとかを追い求める、相対的評価の一つなのです。
そのような相対的評価が生み出す格差社会が性にあっていると言う人も、あっていないと言う人も要るでしょう。
残念ながら、世界と名乗る何者かはその格差社会が最も効率的だとしているのです。
私はこの仕組みのままで良いと思います。なぜなら、私は頭が良いから。
ただ、この相対的評価が意味をなさない、マイナスなものしか生み出さないという方も多くいるでしょう。
そんな貴方におすすめなのが、アムウェイです。
アムウェイ
アムウェイとは、神です。
閑話休題
結局のところ、相対的評価を覆す方法はこの世界にはありません。(何もしなかった場合は)
そして、僕ではこの世界に石を投じられません。無理です。
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