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2021年 共通テスト「世界史B」過去問解説①第1問(解説動画付き):令和3年度 大学入学共通テスト 本試

ご注意)この解説に一通り目を通すと、世界史が得意教科になります。

「つめこみ教育」だとか「知識偏重」だとかという批判に、強く批判します。「世界史」は、けっして暗記科目ではありません。

そもそも、全部覚えて何とかなるようなものではありません。
何が大切な情報かをつかみとり、それを効率よく整理していく能力が求められます。

さらに、特に共通テストのような良問では、思考力が求められます。そういう部分も、しっかり解説していきます。

問題は、大学入試センターの方で公開されます。そちらからどうぞ。
印刷して、要点などまとめながら進めると、勉強しやすいです。

第1問A 問題文の解釈:秦が力をつけた理由とは?

始皇帝(位前221~前208)というのは、もちろん(前8世紀ごろ~前206)の始皇帝のことです。

また、『史記』は前漢(前202~後8)の司馬遷(しばせん:前145頃~前86頃)によって、書かれた歴史書です。

ここらへんは、すぐに出てくるようにしておきましょう。
時代感をつかんでおくと、入りやすいです。

戦国の「七雄(しちゆう)」の一つであった秦は、前221年、中国を統一します。

古代中国の統一

「前漢」と「後漢(25~220)」が、紀元をはさんでだいたい前後200年ずつ・・・と大まかにおさえましょう。

秦が中国を統一していたのは前漢の前にあたりますが、秦はすぐに滅びてしまい、その後、漢が大帝国を築きます。

さて、春秋・戦国時代(前770~前221)という長い戦乱の時代を勝ち残ったのは秦・・・ということになりますが、秦はどのようにして力をもったのでしょうか?

・・・「」を重視したことにある・・・といわれています。

春秋・戦国時代には、諸子百家と呼ばれるさまざまな思想家が出てきました。

問一の「統治のために重視したこと」という選択肢でいいますと・・・
Xが孔子(こうし:前551頃~前479)にはじまる儒家(じゅか)、Yが墨家(ぼっか)の思想です。

特に儒家の思想は儒教として、その後の中国だけでなく、日本を含めた広く東アジアの国々に影響を与えます。戦国時代の諸国の中でも、統治のために儒家の思想を重視する国もでてきました。

一方で、成文法(法律)による統治を主張する思想家も現れました。
それが法家(ほうか)です。


簡単にいいますと・・・

選択肢XやYにみられる考えは、人々の道徳心が高まれば、国はおさまるだろう・・・という考え方です。

一方、法家の思想は・・・

道徳なんて甘っちょろいもので、国がおさまるはずはない。
しっかりときまり(法)をつくって、それをきっちり守らせることで国を統治すべきだ・・・という考えです。

秦は戦国時代、法家の商鞅(しょうおう:?~前338)の改革により、力をのばし強国化します。そして、その後の始皇帝の中国統一につながります。

秦の時代、法家は栄えていたと言えますが、秦は15年ほどで滅び、漢王朝に代わります。

漢では、前漢の全盛期の武帝(位前156~前87)のとき、董仲舒(とうちゅうじょ:前176頃~前104頃)の献策により儒学(孔子など儒家の教えをもとにした学問)が官学化されます。

漢は秦を滅ぼして成立したので、その歴史書で秦のことを悪く書くことは(古代ですし)いたし方ないといえます。

同時に、漢時代の儒学者たちにとって、秦で活躍した法家の政治家は否定すべき存在であったろうと推察できます。

Aで与えられた2つの資料でみると、『史記』では〔ア〕の人物の人物像を、より悪く書こう…という姿勢が、感じられますね。

第1問A問1 「秦」といえば法(法律)

問題にもどって、〔ア〕に入れる人物名ですが、法家の人物を選べばよいので、(う)の李斯(りし:?~前208)です。

始皇帝に仕えていた法家の丞相(じょうしょう:君主の補佐官。ふつう最上位の大臣)といえば、李斯です。

儒学などの書物を燃やし(焚書:ふんしょ)、儒学者数百人を穴に埋め殺した(坑儒:こうじゅ)といわれる焚書・坑儒も、李斯の進言だたとされています。

「秦といえば法(法律)」・・・くらいにおさえておいてよいです。
この問題も、それだけで解ける問題でした。


なお、(あ)孟子(もうし:前372頃~前289頃)は儒家、(い)張儀(ちょうぎ:?~前310/前309)は縦横家です。

正解:③

第1問A問2 ファシズム(全体主義)っていうのは、そういうものです

センター試験末期にみられた出題形式ですが、世界史上のばらばらなところから選択肢が拾われています。

共通テストになって、こういう出題形式は今後やめていく方向になると予想されます。(なくなることはないかもしれませんが、出すとしてもこの問いのように正解を選びやすいものになるでしょう。)

それでは、選択肢を1つずつ検討していきましょう。

①:始皇帝による焚書・坑儒(ふんしょ・こうじゅ)のうち、焚書(前213年)にあたる内容です。

李斯の進言により、始皇帝によって行われました。
儒者の思想が始皇帝の改革に否定的であるという理由からです。

焚書では、医薬・占い・農業関連「以外」の民間の書物がすべて焼かれました。この選択肢は誤りです。

さすがに、実生活に密接に結びついている医薬や農業の本を、いくら何でも焼いてしまうことはできないでしょう。占いも、当時としては、とても重要なものだったということですね。


②:(補足解説動画もどうぞ)

エフェソス公会議は、431年の古代ローマ時代(正確には東ローマ帝国〔ビザンツ帝国〕の時代)に行われたキリスト教の公会議です。

この会議で、ネストリウス派が異端とされました。
ネストリウス派は、唐代の中国に伝わり、景教と呼ばれます。

しかし、この選択肢はちがいます。

まず、「教皇の至上権が再確認」という記述がおかしいですね。
古代期なら、まだそれほど教皇や教会に力はなく、「皇帝」の方が力が上だったはずです。

教皇(教会)の権威が最高潮だったのは、十字軍が派遣されたころです。
なんせ、教皇の主導で各国王が軍を派遣するくらいです。

時期とすれば12世紀(1100年代)を中心に、前後に少しずつ、はみ出している・・・と、とらえればよいです。

第1回十字軍が11世紀末の1096年~1099年、第2回が12世紀半ば(1147~49)、第3回が12世紀終盤(1189~92)、第4回が12世紀初頭の1202年~1204年なので、ピッタリです。

十字軍の時期

その後、教皇の権威は落ちていき、逆に国王の権威が高まっていき、次の時代に向かっていきます。

16世紀(1500年代)に入ると宗教改革も始まります。
宗教改革の進展に打撃を受けた旧教側は、対抗宗教改革の動きをとります。

そんな中、行われたのが、トリエント公会議(1545~63)です。
選択肢②は、エフェソス公会議ではなく、トリエント公会議の内容です。

始めは、新旧両派の調停が目的でしたが、新教側がほとんど参加せず、旧教側の意思統一の場になりました。そのため、選択肢②にあるような内容になりました。

そもそも、「異端弾圧が強化」で思い浮かぶのは「魔女狩り」の時期なので、近世の話ですよね。

また、この記述が仮にエフェソスの公会議のものであったとしましょう。
「異端弾圧が強化」は、確かにネストリウス派を異端としているので、もしかしたら弾圧もあったかもしれませんので、消しきれません。

しかし、「禁書目録を定めて」は、あり得ません。
なぜだか、わかりますか?

世界史を勉強するうえで、とても大切な能力ともいえるので、少し考えてみてください。

そうです・・・
ヨーロッパで活版印刷術が広く利用されるようになったのは
・・・まさに「宗教改革」の時代だったからです。

ルターが聖書をドイツ語に訳し、一般信者にも直接聖書が読めるようになり、宗教改革の動きは広まりましたが、その背景としては、このように活版印刷術の普及もありました。

それ以前は、ましてや古代に、禁書目録が定められるほど、書物がたくさん出されていたことは、考えられないことです。

エフェソスの公会議が古い時代のものだとわかっていることが前提ですが、・・・「禁書目録が定められて異端弾圧が強化」記述が宗教改革以降のものと判断できること、・・・また、それ以前に「教皇の至上権が再確認」という記述がおかしいと判断できるようになりましょう。

この選択肢は、誤りです。

いろいろ書きましたが、次の選択肢が明らかに正解なので大丈夫です。


③:この選択肢が、文句なしに正解です。ナチス=ドイツはファシズム国家ですが、ファシズム(全体主義)とは、そういうものです。
社会のあらゆる領域が、国家による統制を受けます。

なお、ゲシュタポは秘密警察のことです。


④:第2次世界大戦(1939~45)後の、アメリカを中心とする自由主義(資本主義)陣営と、ソ連を中心とする社会主義(共産主義)陣営との対立構造を冷戦といいます。

自由主義陣営の国で、共産主義者を排除する動きを「赤狩り」ともいいます。
イギリスも自由主義陣営なので、こういう動きもあったかもしれません。

しかし、やはりこういう動きが一番強かったのはアメリカですし。
マッカーシーというのは、アメリカの上院議員の名前で、彼が中心となって、こういう動きを強めました。

彼の、進歩的なリベラル派知識人の思想活動の追求の傾向は、マッカーシズムとも呼ばれました。
この選択肢は誤りです。

正解:③

第1問A問3 「世界史」なんて学問は、本当はないです。

こういう問題を待っていました。
今後、確実に問2タイプより、問3タイプの出題が増えます。
今回の共通テストでも、その傾向は顕著です。

どういうタイプの問題なのかというと・・・

・・・知らなくても、その場で考えればわかります。

文章を、しっかり読みさえすればいいです。

「国語」の問題に近いですね。(けっして国語の問題と同じといっているわけではなく、世界史をしっかり勉強して、時代背景など理解していたら、より簡単に答えられるようにできているので、本当に良問です。)

まず、出題者によると、司馬遷は著書『史記』で「批判を表明」しているとのことです。

司馬遷が、何について批判しているのか?
下線部ⓑを、読み解きましょう。

司馬遷は、「自由な経済活動を重視」していたそうです。
さらに、それだけでなく、著名な「商人」の列伝も『史記』の中に設けているそうです。
(おもしろいですね。私、これは知らなかったです。史記におさめられているのは武将(政治家)だけかと思っていました。)

司馬遷の批判は、経済政策に向けてのものと思われます。
それをふまえ、選択肢をみてみましょう。

選択肢の中で「経済」に関するものは・・・
②しか、ありませんね。これが正解です。

選択肢に書かれてある内容は、もちろん本当で、司馬遷の生きた前漢の時代、最盛期の皇帝である武帝(位前156~前87)によって、物価の統制策として平準(法)が行われました。

ただし、平準を覚えていなかったとしても、選択肢中の「国家による物価の統制」という記述と、司馬遷の重視した「自由な経済活動」はまったく矛盾するものなので、この選択肢でいいだろう、と確認できます。(注:消去法でこの選択肢が正しいとわかった上での考え方です。)

もう1つ、この問題の趣旨を読み解いておきます。

実は「世界史」という学問分野は存在しません。

大きく分けて・・・
「(戦争などを含む)政治史」、「経済史」、「社会史」、「文化史」、(実際には、さらにそれぞれ細分化されますが…)これらの学問の集合が、「世界史」です。

学校で勉強している歴史というと、「戦争の歴史」というイメージが強いですが、決してそんなことはなく、戦争史はあくまで歴史の一部である…という視点を広げましょう。

いずれにせよ、「政治史」、「経済史」、「社会史」、「文化史」の大きく4つのカテゴリーに分けられるのは事実なので、その視点で各選択肢をみると・・・

①:呉楚七国の乱(前154)のことなので、前漢時代の話であることはまちがいありません。ただし、これは「政治史」のカテゴリーです。

②:「経済史」のカテゴリー

③:これも前漢時代、しかも武帝の治世下でのことです。
これは、「文化史」のカテゴリーです。

儒教が官学化されたことは、冒頭でも紹介しました。
第1問A問題全体のテーマともつながっていますね。

(ここまで書いて、ふと思いましたが・・・

確かに、司馬遷は武帝によって宮形(きゅうけい:男性器を使えなくする刑)にされて、武帝に恨みを持っていたでしょうから、そちらのイメージが強く、まちがえてしまった人もいるかもしれませんね。)

④:これは南北朝時代(439~589)に、華北を統一した北魏(386~534)によって、とられた政策です。土地や農民のことなので、「社会史」のカテゴリーです。

正解:②

第1問B 問題文の解釈:国語や英語の長文問題にも通じる大切な考え方とは?

受験生は、この問題をみて、けっこう悩んだと思います。

この文章は、しっかり読んでおいた方がいいか?
それとも、設問をみた後、要点だけとるようにした方がいいか?

結論からいうと、最初から、しっかり読んでおいた方がいいですね。
後から要点だけとろうと思っても、かえって時間がかかってしまうことが多いです。

共通テスト数学は「太郎・花子の対話」に対する批判が強いですが、世界史は、大丈夫です。

プレテストでも、問題文をしっかり読んだ人の方が有利なように問題がつくられていました。しっかり読んでいけば、内容がよく入り、結果としてより速く解答できます。

とはいえ、文章のすべてを解釈しなければいけない・・・ということではありません。それはそれで、無用な時間を使ってしまいます。

では、どの程度、しっかり読めばいいのか?
・・・これには、はっきりした答えがあります。

「段落構成」さえつかめれば、それでよいです。

段落構成をつかめれば、設問ごとに、どこを確認すればよいか?・・・容易に判断できます。

では、段落構成をつかむ練習のつもりで、問題の文章をみていきましょう。


文章は「自分の村の歴史を書きたいという研究者への助言」です。
リード文では、それだけの情報しかありません。


〔1段落〕「1789年」が重要なキーワードらしいですが、まだ何のことかわかりません。それ以前に、どこの国の話かもまだわかりません。

段落の要旨は、その村の歴史研究のための文章資料を手に入れるためには・・・

農村共同体から・・・まず、不可能
領主所領から・・・期待できる

ということで、「領主所領から文献資料を手に入れる」ことに焦点が向けられます。


〔2段落〕ここでも、「1789年」と出てきます。
何の年号か、そろそろ気づけた人も多いでしょう。

著者の主張では、1789年の時点の領主がポイントとなるようです。
「三つ」の可能性といっているので、その「三つ」をよく確認しておきましょう。

簡単にまとめると・・・

⑴「教会領」
⑵「俗人領・・・その俗人は革命時に亡命」
⑶「俗人領・・・その俗人は革命時にも亡命せず」

ここにきてやっと、1789年というのがどういう年号かわかりました。
フランス革命が、はじまった年号です。(これがフランスのことだということも、ここではじめてわかります。)

「俗人(ぞくじん)」というのは聖職者に対するいい方であり、「貴族」のことです。フランス革命により、旧来の身分制が廃止されたので、このような言い方になっていると思います。

⑴~⑶の場合について、つづく段落でそれぞれ説明しています。
これで、段落構成がつかめました。

ここまでしっかり解釈したので、ここから先は、あまり深いところまで解釈する必要はありません。要点だけとっていきましょう。

「要点」とは、よいか悪いかだけです。他に何か必要な情報が求められたら、しっかり読み直せばいいだけです。

〔3段落〕⑴「教会領」について・・・
これがベストのようです。

〔4段落〕⑵「俗人領・・・その俗人は革命時に亡命」
この場合も、少し心配はあるけど、悪くはないそうです。

〔5段落〕⑶「俗人領・・・その俗人は革命時にも亡命せず」
これは、やっかいらしいです。

第1問B問4 すでに答えは出ています。

前項で確認した内容は・・・
⑴ベスト ⑵悪くない ⑶やっかい ・・・ということです。

このうち⑴「教会領」だった場合が、なぜベストなのかは、段落構造がつかめているので、後から〔3段落〕を確認してもいいですね。

教会の財産は没収(国有化)されたので、文書資料も同様に没収され、保存されているはずだということです。

選択肢(あ)の内容でまちがいないです。

また、X~Zの選択も、上記の確認から容易にZを選べます。

なお、選択肢(い)は「総裁政府(1795~99)」ではなく「国民公会(1792~95)」のまちがいでもありますが、それ以前に文献資料の獲得と、まったく関係ないので消せます。

正解:③

第1問B問5 フランス革命に関する問題でした

段落構成の解釈は、やはりとても大切です。

「嫌われた体制」という記述は〔第4段落〕にでてきます。
つづく〔第5段落〕で「旧貴族」という記述もあります。

旧制度(アンシャン=レジーム)のことですね。
フランス革命により、崩壊しました。

革命以前、フランスでは、聖職者が第一身分、貴族が第二身分、そして人口の9割以上を占める平民が第三身分とされました。
選択肢④が正解です。


他の選択肢も、確認だけしておきましょう。

①:産業資本家(資本家)が力をもつのは、産業革命以降です。

イギリスではフランス革命の時期、すでに産業革命が進んで選択肢①の文のようになっていましたが、フランスで産業革命が進んだのはフランス革命以降です。

②:古代ギリシアの話です

③:オランダが、植民地に対してとった政策のことです。

正解:④


第2問以降の解説は、こちらです。

以上です。ありがとうございました。
コメントなどいただけると、うれしいです。

執筆:井出進学塾(富士宮教材開発) 代表 井出真歩


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