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2021年 共通テスト「世界史B」過去問解説②第2問(解説動画付き):令和3年度 大学入学共通テスト 本試

第2問以外の大問の解説は、は、こちらのページにまとめております。

それでは、第2問の解説をはじめます。

第2問A 概略:見た目とはちがい、かなり基本問題です

一見、経済の問題でむずかしそうですね。

でも、問一くらいで気づきますが、結局はイギリスを中心とした欧米の近代史についての問題です。

しかも、かなり基本的な知識だけで解ける問題です。
なので、先に欧米の近代史の概略を確認しておきましょう。

市民革命

国によって多少、前後はありますが・・・1600年くらいから1800年くらいまでが「絶対王政→市民革命」のタームです。

そのタームの中で、アメリカ独立戦争フランス革命といった市民革命の時期はというと・・・

18世紀(1700年代)後半です。

こういうとらえ方が大切で、まず「1600年~1800年のターム」とおさえ、その中でも「18世紀(1700年代)後半」とおさえてから、覚えたかったら細かい年号も覚える・・・この順番が正しいです。

市民革命後、ちょうど1800年頃に頭角を現したのがナポレオンです。
1815年頃まで、ヨーロッパ諸国はナポレオンに振り回されてしまったと、言っていいでしょう。

ナポレオン戦争後、ヨーロッパ内でのゴタゴタをおさえたヨーロッパ列強の目は、ますます海外に向かっていきます。

イギリスやフランスの植民地獲得競争が激化する、いわゆる帝国主義の時代です。日本に欧米の船が近づき始める時期と、まったく一致します。

1800年を中心とした、この
「市民革命」→「ナポレオン戦争」→「帝国主義」
・・・という流れを、確認しておきましょう。

実は、この第2問A・・・これだけで答えられます。

第2問A問1 アメリカはイギリスから独立しました

グラフ1で、はじめて500万ポンドに達した年を確認してみましょう。

1776年です。・・・もろにアメリカ独立戦争(1775~83)のことですね。

ということで、1773年のボストン茶会事件のことです。この事件が、アメリカ独立革命につながっていきました。金貨をたくさん作る必要も、でてきたのでしょう。選択肢②が正解です。

他の選択肢は、何をいってるんだろう?・・・というものばかりですね。
なにせ、イギリスが出てきません。
④の神聖同盟にも、イギリスは参加していません。

「単純に時代的に前」もあり・・・ということなのかもしれませんが、せっかくグラフ1を出しているので、それに関連した解答になるのが普通です。

一応、他の選択肢も確認しておきましょう。フェイクの選択肢として入れられている以上、何かしら意味があるはずです。

・・・わかりましたか?
そうです、・・・他の選択肢はすべて・・・

「ナポレオン戦争後」のできごとです。

やはり、第2問Aの隠しテーマとして、
「市民革命」→「ナポレオン戦争」→「帝国主義」
・・・という流れがあることが、はっきりしました。

上の説明では「帝国主義」の時代としていますが、一方で、ナポレオン戦争後の世界は「ウィーン体制とその崩壊」の時代と考えることもできます。

フランス革命とナポレオンによる一連の戦争の戦後処理のために、開催された国際会議がウィーン会議(1814~15)です。
この会議で認められた国際秩序をウィーン体制(1815~48)といいます。

ウィーン会議中(1815年)、ロシア皇帝アレクサンドル1世(位1801~25)の提唱により、選択肢④の神聖同盟が成立しました。

ウィーン体制の中心となったのは、イギリスロシアの2つの強国です。
この2国では海外で激しく争い、特にイランは英露両国のせめぎあいの場となりました。

選択肢③にあるように、イランを支配していたカージャール朝(1796~1925)は、ロシアに敗れ、トルコマンチャーイ条約(1828年)を結び、ロシアの支配下に入ります。

一方、イランの隣のアフガニスタン地域はイギリスがおさえ、ロシアの勢力圏の拡大をおさえる・・・という構図ができました。(図が準備できなくて申し訳ないのですが、大切なことなので、各自、図録などで確認しておきましょう。山川出版の図録でいうと、201P-5です。)

また、ナポレオンのスペイン占領の影響により、南米の各地域で自立化の動きが強まりました。選択肢①のメキシコの独立も、これにあたります。

正解:②

第2問A問2 もろに、ナポレオンのことですね

金貨鋳造量なので、グラフ1の方からみましょう。
10年以上にわたって100万ポンドを下回っているのは、1799年からはじまっています。

もろに、ナポレオンのことですね。

グラフ2で、対応する年代の紙幣の流通量を調べてみると、こちらは激増していることが、わかります。

フランスのナポレオンとの戦いのために、大量の紙幣が必要になったのだろうと、推察できます。

正解:③

第2問A問3 もろに、帝国主義時代の話です

金貨の肖像をみて、君主(国王)の名前がわからないといけない、・・・なんて、わけはないですね。

でも、女性(女王)だということは、十分わかります。

19世紀(1800年代)のことですし、この金貨に刻まれているのは、ヴィクトリア女王(位1837~1901)です。
ヴィクトリア女王の時代、イギリスは繁栄の絶頂期にありました。

イギリスは、海外にも多くの植民地を領しており、インドもその1つです。
選択肢①が正解です。

第2問Aは本当に・・・
「市民革命」→「ナポレオン戦争」→「帝国主義」
・・・という知識だけで正解できる問題でした。

インドでは、シパーヒーの反乱(1857~59)をきっかけに、イギリスに対する大反乱が起こります。

反乱はイギリスにより鎮圧され、1858年にはムガル帝国(1526~1858)が滅亡し、イギリスはインドの直接統治に乗り出します。

1877年には、インド帝国(1877~1947)が成立し、ヴィクトリア女王がインド皇帝にも即位します。


他の選択肢は時代的に前のものですが、イギリスの「」王関連のものでまとめられています。

選択肢②:エリザベス1世(位:1558~1603)の治世のとき、1559年の統一法により、イギリス国教会が確立します。

名誉革命(1688~89)後の、ステュアート朝(1603~49、1660~1714)のアン女王(位:1702~14)の治世下の1707年、イギリスとスコットランドが合同して大(グレート)ブリテン王国が成立します(選択肢②)。

アン女王の死でステュアート朝は断絶し、ハノーヴァー朝が始まります(選択肢④)。ハノーヴァー朝は現在のイギリス王朝に直接つながっています。

正解:①

第2問B問1 日本が「戦国時代」だったことが、実はこの問題のポイントです

問題自体が、かなり時代が前後するので、そこには注意しましょう。

まず、16世紀(1500年代)の中国の王朝が何だったか?・・・判断する必要がありますよね。

日本で江戸時代が始まったのが1600年くらい、それに少し遅れて(1616(36)~1912)王朝が始まります。

その前なので、(1368~1644)の時代です。
16世紀(1500年代)は、日本は戦国時代から安土・桃山時代です。

中国の歴代王朝は、日本の歴史とからめて完ぺきにおさえておきましょう。
参考動画を、貼っておきます。

さて、この問題では「」がキーワードです。

戦国時代の日本は、世界有数の銀の生産国でありました。
(この点については、「プレテスト第3問A問2解説」でも、詳しく解説しております。)

選択肢①はフェイクの選択肢で、逆です。この時期、日本産の銀が、大量に日本に流入しました。それに続いて、新大陸の銀(メキシコ銀)も、中国に入ってきました。

このことも背景に、明代の中国では、各種の税や徭役(ようえき)を銀に一本化して納入させる一条鞭法(いちじょうべんほう)とよばれる税制が実施されました。選択肢③が正解です。

一条鞭法までは、(618~906)の後期に始まった両税法に代わる税制です。両税法は、穀物による税納でした。穀物は重いですからね。穀物で納めるより銀で納めた方が簡単ですし、管理もしやすいです。

清の時代の18世紀初め、丁税(ていぜい:人頭税〔人に課せられる税〕)を地銀(ちぎん:所有地に課せられる税)にくりこむ地丁銀制(ちていぎんせい)が確立され、制度の簡略化が図られました。(選択肢④)

清は海外貿易を活発に行いました。中国は、生糸や陶磁器、茶などのよい輸出品をたくさんもっていたので、大量の銀が国内に流れ込みました。地丁銀制が確立したのも、こういう背景があったので、可能だったともいえます。

また選択肢④にあるように、19世紀初めになると、アヘンの密貿易が増えて、逆に大量のが中国から国外に流出することになります。
これが、1840年のアヘン戦争(1840~42)につながります。

正解:③

第2問B問5 全国の貨幣を統一しようとした・・・ということは?

かなり時代が、さかのぼるので注意です。

全国の貨幣を統一しようとした・・・ということは、全国の貨幣が統一されていなかった・・・ということです。

戦国時代(前403~前221)まで、さかのぼります。

戦国時代、各国は独自の青銅の貨幣を使っていました。
(時代的にも、青銅製ということでいいでしょう。)
秦で使われていたのが、半両銭です。

全221年、全国を統一した秦(前8世紀頃~前206)は、全国の貨幣、度量衡、文字などの統一をはかりました。貨幣は、自らの国使っていた半両銭で統一しようとしました。

(なお、オのフェイクの選択肢である宋〔北宋〕(960~1127)は、銅銭を大量に発行したことで有名です。平安時代の日本でも、宋銭がたくさん輸入され、貨幣として使われていました。)

また、(1271~1368)では紙幣である交鈔(こうしょう)が発行されました。紙幣なので、軽くて便利なので盛んに使われました。

しかし、元が弱ってくると交鈔が濫発(らんぱつ)され、経済が崩れ、元が滅びる大きな一員となりました。

正解:③

第2問B問6 『コーラン』はアラビア語で記されています

〔キ〕の人物は、ムスタファ=ケマル(1881~1938)ということは、わかりますよね。かれは、「父なるトルコ人」という意味のアタテュルクという尊称を与えられます。

選択肢①~③まで、記憶があいまいだったとしても、④が不自然だなと、感じられるとよいです。

イスラームの聖典である『コーラン』は、アラビア語で記されています。
イスラームの拡大にともない、アラビア語は広くイスラームの国で使われるように、なりました。

また、自国語を持っていても文字をもっていなかったイスラームの国では、自国語の表記にアラビア文字を使うことも、よくありました。

ムスタファ=ケマルの改革が始まるまで、トルコはオスマン帝国(1300頃~1922)でありました。オスマン帝国はイスラームの国です。元(もと)から、アラビア文字を使っていたと考える方が、自然ですね。

ということで、④が誤っている(正解の)選択肢です。
彼はトルコの近代化(西欧化)をめざし、なんと、アラビア文字を廃止し、ローマ字を採用しました。文字改革と呼ばれます。

他の選択肢も、すべてムスタファ=ケマルの功績です。
各自、確認しておくとよいでしょう。

オスマン帝国(トルコ)は、第一次世界大戦(1914~18)で同盟国側で参戦し敗戦します。戦後、トルコはかなりのピンチをむかえますが、ムスタファ=ケマルの活躍にのって、乗り越えます。

1923年、トルコ共和国が成立し、ムスタファ=ケマルが初代大統領(任1923~38)に就任します。

正解:④


共通テスト「化学」の全問解説は、自社ページの方で公開しております。

以上です。コメントなどいただけると、とてもうれしいです。
執筆:井出進学塾(富士宮教材開発) 代表 井出真歩

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