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「13歳未満は不可」は適切か

ご存知の通り、ChatGPTは利用規約上、13歳未満は使うことができません。ですから小学生にChatGPTを使わせることはできません。教師が操作しているのを見せるだけになります。このことについて改めて考えてみたいと思います。

私は最初、この利用規約を「不自由だなぁ」と思っていました。いいじゃん、児童に触らせても。保護者の了解は得るにしても、全面的にだめじゃなくてもいいのに。児童が今後の人生をAIと生きていくのは間違いないのだから、今のうちから触っておいた方がいいじゃない。そんな風に思っていました。

しかし、生成AIを使った授業を繰り返すうちに、徐々に考えが変わっていきました。むしろ「13歳未満は不可という規定があってよかったかもしれない」と、そんな風にすら思ってきたのです。理由はいくつかあります。

機能を制限したり、安全を確保するための対策を施したり、ChatGPTではなくてAzure Open AIを使うことで年齢制限を回避したサービスがこれからどんどんと出てきそうなので、今のうちに書いておきたいと思います。


体験から学ぶ態度

いくつかの実践(このnoteにもいくつか書きましたが、それ以外にもたくさんやっています)を繰り返す中で、子どもたちのAIに対する意識はどんどんと変わっていきました。

あっという間に読書感想文を出力するAIに最初は「すげぇ!」と言っていた子どもたちは、しかし「白いぼうし」の読書感想文を極めてめちゃくちゃな内容で返してきたAIに「嘘つき!」と叫びました。ピクトグラムを上手に描いて「ピクトグラムを描くのは楽しかったです」と返してきたAIに「うわぁ、AIも喜んでる!」と言ったかと思ったら、宿泊行事でお世話になった管理人さんに御礼状を書くときにありもしない思い出を書くAIに「プロンプトで教えてやらないと何もわかんないんだなぁ」とため息をつきました。

無理もありません。子どもたちにとってAIはやはり得体の知れない存在なのです。「どうやら何かコンピュータが動いているらしい」くらいはわかっても、その仕組みはわかりません。統計とかディープラーニングとか、そんなことを小学校4年生に教えるのは土台、無理。もちろん説明すれば「わかりました」とか言うかもしれませんが、それをそのまま信じるほどこちらも初ではありません。

理屈で教えるのができないのであれば、色々な体験をさせることで感じてもらうしかない。そう思って色々な実践を重ねてきましたが、その中で子どもたちのAIに対する意識もどんどん変わっていったわけです。

これって必要なプロセスではないでしょうか? 得体の知れない、でも何か凄い力を持ったものを眼の前にして、ああでもない、こうでもないと考え続けるプロセス。その先にこそAIに対する態度が育まれ、よき使い手となっていくのではないでしょうか。

それを目の当たりにできたのは非常に得難い体験だったわけですが、これから日本中の先生たちがこの体験を子どもたちとしてほしいな、と思うのです。触らせるのを急ぐより、いつ触れることになっても大丈夫な態度を体験から養う。その方が大切ではないのかな、と思うのです。

プロンプトは誰のもの?

AIと対話を重ねながら授業研究をする話を前に書きました。例えば、そうしたとき、私が書くプロンプトは色々な意味で「個人的なものだな」と感じます。そこには私自身の悩みや迷いまで書き込まれていまるのですから。その一連の流れから得た知見を公にすることはあっても、プロンプト全てを公開することはないだろうな、と思います。

子どもが生成AIを使うようになれば、やはりプロンプトを何度も書いてAIと対話していくようなことは当然するでしょう。それは、その子の極めて個人的なものであるだろうと思います。そこまで教師が見てしまっていいのでしょうか。

例えば、みんなのコードの「みんなで生成AIコース」ベータ版では、「先生が『みんなで生成AIコース』の中でされた児童・生徒の対話内容を確認することも可能です。」とあります。子どもの個人的なAIとの対話を先生は見られるということなのでしょう。

それは望ましい機能なのでしょうか。私には、そうは思えません。みんなのコードの方々はそんなことは考えていないのかもしれませんが、「子どもがAIとする会話まで管理できる環境」にしようというのは、ちょっとついていけないです。

GIGAスクール構想が動き出したとき、あれもこれも制限をかけて全然活用が進まなかった自治体がありました。「子どもにタブレットなんて持たせたらどんな悪いことをするかわからない。大したことはできないようにしよう。何をしているのか全部見張ろう。」そう考えて環境を構築したら活用が全然、進まない。ありましたよね、そういう話。あれと大して変わらない考え方なのではないかと感じてしまいます。

大切なのは、生成AIのメリットもデメリットも、可能性も危険性もわからせた上で、子どもに委ねる。委ねても大丈夫なように育てる。それでもトラブルが起こったら(起こるでしょうが)児童と一緒に解決していく。そういうことなのではないでしょうか。そして繰り返しになりますが、メリットとデメリット、可能性と危険性を小学生相手に理屈で教えるのはなかなか難しいので、体験を大切にすべきではないかな、と私は考えています。

ちゃんと授業で使いましょうよ。

小学校に「情報」という授業はありません。生成AIについて教えるのは、既存の授業の枠の中で、その教科の目的を達成させつつ行わなければなりません。そういう授業を設計するのは、なかなか骨が折れます。

どの教科のどの単元のどの場面で生成AIを活用するのが適切か。学習指導要領や教科書のページを繰りながら(スクロールしながら)それを考えるのは時間もかかるし、かなり難しいことでもあります。

でも、そこをサボっちゃいけないと思うのです。タブレットの日常活用に異を唱えたり、「ICTは所詮ツールで目的としてはいけない」等々宣って授業でも使おうとしない人たちが、まだまだいます。そういう人たちを黙らせるためには「なぜ生成AIを使わないのですか? 生成AIを活用した方が教科の目的を達成するのに効果的ですよ?」と問い詰められる実践をたくさん積み重ねていかねばなりません。

児童に(制限された管理された)生成AIを直接触らせることで教科の目的の達成に有効に機能させる実践というのがこれから出てくるのだろうと思いますが、その前にやっぱりやるべきことがあるのではないかな、と思います。

さっき、「理屈で教えるのができないのであれば、色々な体験をさせることで感じてもらうしかない。そう思って色々な実践を重ねてきましたが、その中で子どもたちのAIに対する意識もどんどん変わっていった」と書きました。実はこれ、私もでした。

そして、それは多くの教師にとってもそうではないかと思うのです。「自分は児童に生成AIの仕組みをきちんと説明できる!」という自信のある学校の先生ってそう多くないでしょう?(私も無理です。)大人も試行錯誤を重ねながら「生成AIってどんなものなのだろう?」と探っている段階だと思います。

そういうときに、先生が操作しているのを見ながら「なるほどそういうことなのか」と納得する児童と一緒に、先生も「なるほどそういうことなのか」と納得していけばいいのではないでしょうか。3月から実践をしてきた自分のプロセスはまさにこれだったのではないかな、と思います。

そしてその納得を得ることで「この教科のここでも使える」「あの教科のこの場面で使える」というアイディアが湧いてくるようになってきました。「生成AIってどんなものなのだろう?」と探る段階をすっ飛ばしていきなり児童が生成AIを使う授業をプロデュースする。それって結構、大変だと思います。まあ、それは私が無能な教師だから思うのであって、有能な方ならすっと飛び越えてしまうのかもしれませんが。

そこ、飛ばしていいんですか? 

「13歳未満」条項は我々に与えられた猶予期間?

OpenAIがどのくらい議論してこの制限を設けたのかは知りませんが、現状、悪くない規約だと私は思います。とは言え、そう遠くない将来、この規約は大幅に緩められるか無くなるのだろうな、とも思います。色々なサービスが出てきて、それが制限されたものであれ何であれ児童が生成AIに直接触れられる環境が出てくれば、規約そのものが意味をなさなくなっていくでしょうし。

そうなる前に、「13歳未満」条項が生きているうちに、授業でたくさん生成AIを使ったらいいのではないかな、と思います。そこから「生成AIに触れさせる前に体験させるべきこと」が見えてくるのではないでしょうか。「13歳未満」条項が生きている今は、それを探求するための時間的猶予が与えられたくらいに思っておくといいのではないかな、と思います。

触らせるのを急ぐより、いつ触れることになっても大丈夫な態度を体験から養う。

もしかしたら、この課題にトライできる時間は、もうそんなにないのかもしれません。

授業における様々な体験を通して「なるほど、AIとはこういうものか」と掴んできた私のクラスの児童は、もう少しだけ生成AIについて学んでいけば、いつ触らせても大丈夫なくらいに育ってきているのを感じます。

でも、それって時間がかかるのです。私は9ヶ月かかりました。児童も直接触れられる生成AI環境を構築されている皆さんは、その辺りをどう考えていらっしゃるのでしょうか。

好きなことを書きました。異論反論、お待ちしています。


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