見出し画像

書寫山圓教寺(姫路市)の力士像

 映画「ラスト・サムライ」の撮影地、書寫山圓教寺しょしゃざんえんぎょうじ(姫路市)に登りました。この力士像、江戸時代初期に活動した伝説的な彫刻職人(彫工棟梁・宮大工) 左 甚五郎の作と伝えられているそうです。わが国の建築物に木彫刻を初めて取入れ,動植物の自然の形を大胆に作品にした先駆者です。一説によると、播磨国生まれ、高松で 没した宮大工、伊丹利勝(1594~1651)ではないかとされていましたが、近 年では、和泉国貝塚の岸上(きしのうえ)甚五郎左義信ではないかと言う有力説 も出ています。

 大阪府貝塚市三ツ松に起きる、岸上五郎右衛門源義忠(代々足利氏仕官)を祖とする彫工の家系。番匠彫工の初代として岸上甚五郎左義信がいます。甚五郎左義信の代表作とされているのが、京都伏見の石清水八幡宮本殿西門蟇股「猿」。通称「目貫きの猿」と呼ばれ、かわいそうな事に目に釘が刺されています。しかし釘を刺す前は、夜な夜な社殿を抜け出して田畑を荒らしたとされ、いわくつきの彫刻として現在まで伝わっています。この圓教寺開山堂の軒下四隅の力士像のうち西北隅の力士は、重さに耐えかねて逃げ出して姿が見えない。甚五郎の逸話は数知れず。日光東照宮を訪ねると様々な建物に多様な動物を見ることができます。これらの動物のほとんどは平和を象徴するものとして描かれています。奥社入口を護る「眠り猫」は、前足をしっかりと踏ん張っている事から、実は徳川家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれていますが、もう一つの教えとして(裏で雀が舞っていても)「猫も寝るほどの平和」を表しているのです。

 たとえば、左 甚五郎の伝承を持つ作品群は全国各地に逸話とともに多数存在します。
日光東照宮(日光市)眠り猫
出雲大社(出雲市)蛙の獣
秩父神社(秩父市)つなぎの龍
知恩院(京都市)忘れ傘
祇園祭(京都市)鯉山の鯉
圓教寺(姫路市)四隅の力士(西北隅の一人は、重さに耐えかねて逃げ出した)
石清水八幡宮(八幡市)蟇股の猿(目貫の猿)


 日光東照宮の改修記録には、和泉国貝塚の岸上家(和泉家)と高松姓が目立ちます。高松家も和泉家とならぶ江戸時代の彫物大工の棟梁格です。おたがいに技量を深めながら切磋琢磨していたと想像すれば、江戸の高松家から岸上家の里である泉州に『だんじり作り』の助けに来たとは考えられなくもないわけで、屋台の彫刻にも甚五郎の技術が受け継がれています。職人技を受け継いだ全国各地にいた(?)甚五郎。

 左 甚五郎の「左」だが、これはもともと「飛騨の」甚五郎だったのかもしれない。「飛騨の匠」は飛鳥・白鳳・天平時代の宮殿や寺社建築に駆り出された飛騨の職人たちで、その技術は世間から高く評価されました。飛騨は木材の産出国であり、木工技術といえば飛騨の匠だったのでした。昔から、家を建てるには“六職”といわれる職人、すなわち大工、鳶、左官、建具、石工、瓦の各職人が必要とされました。そして、それら職人のなかから、それぞれに名人上手といわれる者が現われています。なかには、大工の飛騨の甚五郎(左甚五郎)のような、伝説的な名人もいるのです

泉州のだんじり(地車)

画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?