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マイホームの彼方に 平山洋介 著

 昭和後半、「ホームの所有」が趣意したのは、「自由」でした。大都市では、多くの人たちが持ち家を建て、地主から自らを解放しました。そして、「独立・自立した家族」をつくる人たちが増えました。それは、結婚と子育ての抱き合わせで、階層・出身・地域から自分を切り離す意味をもっていました。20世紀後半は、少なくとも建前の上では「生まれ」を問わない社会でした。それを支えたのが、結婚と持ち家という制度、その仕組みに沿った「マイホームを所有する独立・自立した家族」でした。しかし、就労の不安定化、未婚の増加、女性の社会進出などの社会変化から、2000年以降には独立・自立家族の成立基盤が揺らぎました。(平山)

 家族化が顕著なのは、住宅と教育の領域です。持ち家取得の基本は若い夫婦が独立して「マイホーム」を買うことでした。しかし、親の持ち家率が高くなった今、親世代の住宅を受け継ぐ世代が増え、子供の住宅購入を親が補助することが増えています。親の社会的レベルが、子供世代の住宅事情に影響する時代になりました。教育においても、所得の高い世帯が良い大学に入るケースが増え、女性の就労で子供を預けることや小さいころから塾に通うなど、親の助けなしにはむずかしい社会になりつつあります。(平山)

 グローバル化が進む世界で、多くの人々が動き回っているイメージがあります。新しくは家を持たず転々と移動しながら暮らすアドレスホッパーが生まれたり、家の機能が都市のなかへ分散していく感触です。。「住宅ではなく街に住む」という概念は、戦後の大都市に量産された木造アパートにも、そもそも狭い部屋で、ほとんど寝るためのスペースしか与えられていない、その住人たちは銭湯に通い、行きつけの定食屋や飲み屋を持つほど、街のなかに生活の拠点を置いていました。

 かたや若い世代では、少子化にともない結婚、出産などの減少してくるなど、地元志向が強まったことも影響して、転居が大幅に減ってきました。安定思考として「移動しない人生」の選択肢もあります。かつて大都市は地方の若者にとって「出ていく先の場所」であり、知らない者同士が集まって住むための空間でした。ところが現代では、大多数の人が都会で生まれ育ち、グローバリゼーションの世界と言われながらも、生まれた市街地のことしか知らない人が増えています。(平山)

 都市で暮らす人々は、じつはあまり動かない。何もかも揃う街からわざわざ離れる必要がないからです。生まれ育った場所は、そこを離れてはじめて「故郷」となります。昭和の時代には多くの人が「故郷」と出ていく先の「都市」という空間がありました。生まれ育った場所に残る人が増えることで、ふる里と都会という概念自体が変わっていきます。(平山)

 帰郷体験を持たない世代にとって、「帰る」を考えることは、帰属先を考えることでした。多くの日本人とって主な帰属先は、家族と会社でした。会社は、社員と核家族を同一視するほどに強力な帰属先でした。しかし今、そこまで会社に帰属意識を強く抱く人は多くないでしょう。これからの世代は、果たして自分の帰る場所を家族、友達、それとも地域の仲間のどこに求めるのでしょうか。(平山)

 都市論の世界では、都市のなかでの親密な人間関係や所属先を重視する「コミュニティ派」と、独立した個人が生きていけるような都市のあり方を重視する「アーバン派」があると言えます。建築とは帰属すべき「コミュニティ」と個人の「プライバシー」を両立させ、その関係を調整する技芸でもあります。都市や住まいのあり方として、今はこれが唯一重要な理想だと訴える時代ではありません。「コミュニティ」と「アーバン」、「コミュニティ」と「プライバシー」、「定住」と「移住」、「帰属」と「独立」、「グローバル」と「ローカル」どちらを選択することが重要ではなく、多様なフレームのなかで、次に何を生み出せるのかを求めることです。

 人にはひとりで自由にしていたいという希望があります。かたや安定した帰属なしに生きていけるかといえば、その可能性はきわめて意思と耐力の強い人に限られます。個人の自立を尊重しながら、安心して暮らしていける都市空間を創るとしたら、社会資本が平等に与えられ、世の中が平和なことが前提になります。21世紀になって、多様なプラットフォームやサービスが整備され、社会は「一人で生きていける」ことを実現させていきます。しかし、これからも見直していかなけらばいけないことは、都市や住まいの話題に限らず、「ケア」と「ダイバーシティ」などに関わる視点だと思います。人とのつながりや絆といった情緒的な問題に流されず、信頼と相互扶助の意識のもとに共存させていく社会、「コモン」つまり私的所有や国有とは異なる生産手段の水平的な共同管理による社会基盤の充実と生産手段の市民営化による行動です。

 革新的な問題定義ではありません。生活基盤の街と住宅の施策は個人的な課題ではなく、社会的な争点として検討する必要があります。高い買い物をしてしまった。住む場所がなくなった。住宅問題を社会問題ではなく個人の責任にしてはいけないのです。たいていの人たちは家を買うし、多くの人が結婚して子どもを育て続けています。ごく普通に暮らしていけるように政治をしっかりと見つめなければならないのです。普通といっても画一的でなく、より多様になったことを忘れるべきではありません。成長の停まった超高齢化の社会を少しでも穏やかにするために、住宅システムの新たな政策を構想・実践することが大切なことです。


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