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Das Kapital & Togo Murano

[ Cabaret Akadama 絵はがき(大阪市道頓堀通) / 村野藤吾(Togo Murano) 設計(1932) ]

建築家 村野藤吾氏は仕事のない戦時中、宝塚市清荒神に自邸を建て、晴れた昼間は借りた畑で野菜をつくり、近所で田んぼをつくり、夜や雨の日は「資本論 ( Das Kapital ) 」を読む、ほんとうに晴耕雨読の生活をしていました。向坂逸郎訳の「資本論 / カール・マルクス著」岩波文庫版はボロボロに読み込まれ、各ページの余白には隙間なく書き込みがなされ、そのうえ付箋が貼付けられ細かい字の書き込みがありました。これが「村野藤吾の資本論」かと、回顧展(1991年)での実物を見たときの驚きを覚えています。日本の資本主義経済の成長とともに、戦後の復興のなかで華々しく実績を残した「村野藤吾」と「マルクス」の結びつきは、異色の取り合わせに思われます。村野氏によれば、「資本論」を読むことを通して、「建築とは何か」という自分の長い間の疑問に対する答えを見つけ出せるかもしれないという期待があった、述懐しています。

  一つに土地、二番目に生産手段、三つ目には労働、この三つのファクターが結びついたものが建築だ。
 ところでこのような三つの条件が作用して、建築という一つの結果ができる。しかしそれはじつはまだ建築ではなく、つまりものとしての生産であると考えたい。それが建築であるかどうかということは、社会的に再評価をうけることによって改めて決まる。
 建築が社会に機能するということは、それが『消費』されるからです。この消費にも必ず「人間労働」が参加するわけです。いいかえれば生産手段は労働の参加で価値をつくり、同じく労働の参加で消費されて価値を実現する。つまりは消費のための人間労働の参加に寄与することで、はじめて建築が建築となる。
「わたくしの建築観」村野藤吾 1965年度版「建築年鑑」

[ 建築家 村野藤吾と「資本論」について | Blogger / monophonica ]

道頓堀キャバレーアカダマの風車(Moulin Rouge)が回っている動画をリンクします

[ Cabaret Akadama 映画「浪華悲歌」冒頭シーン | YouTube ]

日本映画の巨匠 溝口健二監督が脚本家の依田義賢氏(勝新太郎主演の映画「悪名」ファンのわたしです)とはじめて組んだ作品で、初期の傑作でこのコンビでのちに「西鶴一代女」「雨月物語」「山椒大夫」などの名作を残しているが、二人ともこの作品 を最も好きなの作品のひとつに上げているのようだ。リアリズムに徹した演出と、女優山田五十鈴氏の演技により画面についつい引き込まれていきましたが、大阪弁の台詞と人物描写にぴったりはまった関西弁のもつ人情喜劇風な作風を気に入ってしまいました。冒頭のシーンのキャバレーアカダマは、当時たいへん流行っていたんでしょうか。余談のついでに、冒頭シーンのオープニング・テーマ曲はマリリン・モンロー主演のコメディー映画「お熱いのがお好き」(ビリー・ワイルダー監督1959年)のサウンド・トラック[Park Avenue Fantasy(Stairway to the Stars)]のオリジナル曲のように思いますが、これコメディー映画つながりでしょうか。

[ 溝口健二監督「浪華悲歌(なにはエレジー): Osaka Elegy 」松竹キネマ1936年 |YouTube ]

1936. Directed by Mizoguchi Kenji. Starring Yamada Isuzu, Takegawa Sei’ichi, and Okura Chiyoko. Subtitles in English, Brazilian Portuguese, and Spanish.
“Kenji Mizoguchi departed abruptly from his earlier sentimental films into a world of acute realism with Osaka Elegy. Boldly critiquing the position of women in contemporary Japanese society, the film examines a young woman’s victimization and descent into prostitution. Together, Mizoguchi’s direction and Isuzu Yamada’s powerful performance create sorrowful, timeless poetry.”

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