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『かたわらに、今、たたずんで』大野高志、オリエンス宗教研究所、2023

 この本を手に取ったとき、心が炭火のように燃えてささくれだっていたのだが、読み進めるうち、次第に落ち着いて静かな状態に返っていった。

 この本は、神奈川県にある衣笠病院のチャプレンをしておられる大野高志牧師が、ご自身の体験を再構成してまとめられたものだ。
 ホスピスで人生の残り少ない日々を送られる人びととの出会いと、交わされた言葉が柔らかい筆致で語られている。
 そして、ただ入所者の方々と大野さんとの会話の記録であるだけではなく、聖書の言葉との連想が繰り広げられ、確かにそこには神の寄り添いがあると感じられるメッセージとなっている。「なるほど、この聖書の言葉は、そのように読み取ることができるのか」と教えられる。

 ホスピスに入院して来られる患者さんとのやりとりの中で、大野チャプレンが患者さんにかけている言葉には、特に心を惹かれる。
 チャプレンの仕事は牧会カウンセリングの一種であり、カウンセリングと言えばまずは傾聴ということは常識だが、その受け取るべき言葉をどのように引き出すか。
 チャプレンがどのような言葉を発して入所者に寄り添って、言葉を引き出してゆくのかに、心を引き寄せられた。
 ただ優しい声かけというのとは違う。技巧でもない。押すでもなく、引くでもなく、そこにいる人の魂に対して、大野さんの言葉は、結局は素直な思いを発しておられるように感じる。

 ただ、その素直さの中に、大野さんがその人生経験の中で養ってきた深みが滲み出ているのだと思う。しかし、そこまで至るには、この本でも少し垣間見られるように、数限りない失敗と挫折があっただろう。
 この本にまとめられたのは、その長い道のりで起こった出来事のほんの一部であろう。それだけ多くの人間ひとりひとりに、それぞれの想いが詰まって生きている現実の大きさに、深い感慨を覚えずにはいられない。

 牧師とはこのような働きをする者でもある。筆者が牧師になりたいという願いを抱いたのも、恩師である牧師の病院訪問に付き合ったことがきっかけであったことを思い出した。
 そのように個人的な意味でも、この本は筆者を原点に引き戻してくれたように感じる。

 人は誰でも老いて、弱り、ひとつひとつ何かを失いながら死に向かってゆく。そこでは、弱さにおいてつながる人がいること、「ただたたずむ」人がそばにいることが、とても大きな意味を持つ。
 人が独りで生き、独りで死んでゆくことはあまりに悲しい。最期のときを迎えるまで、そばにたたずんでくれる人がいたなら、どんなに魂の助けになるだろうか。

 大野チャプレンは、人生の終わりを迎える人たちに、いつも寄り添っておられる。
 大野さんのそばにも、いつも神の寄り添いがあることを祈りたい。

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