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廃プラスチックは、資源かゴミか?「コラム」

何故、人類はプラスチックを使うのか?廃プラスチックは、資源かゴミか?
プラスチックの登場によって、何が起こって、何が問題となっているのか?


プラスチック。
プラスチックと聞くと、安物感とか偽物感がありますね。

事実、プラスチックは安価で製造できますし、様々なものの代替品として利用されてきた歴史があるので、
偽物感があるのだと思います。

現代においては、プラスチックなしでは、ほとんどの工業製品は作ることが出来ません。
逆に、プラスチックなしの製品は、骨とう品ですね。

プラスチック製品は、衣食住、どのシチュエーションにおいても、多くの関連製品で溢れています。

プラスチックが本格的に開発されたのは、20世紀に入ってからですが、その軽さや衝撃に対する強さ、そして耐腐食性、絶縁性の高さが特徴です。

何より、簡単に成形できるので、用途に合わせて様々なものに対して、安価に大量生産できる革新的な素材です。

それまで木材や繊維、ガラスや陶器などを素材にしていたものが、プラスチックに置き換えられてきました。

質感は劣るとしても、性能では上回る場合も多くありますね。

衣類においては、その約4割が合成繊維「プラスチック」で出来ているそうです。
ボタンやタグなんかも考えれば、もっとプラスチックの使用量は多いかもしれません。

食器の多くもプラスチックに代わっていますし、外食やテイクアウトにおいては、その多くがプラスチック素材で出来た食器ですね。

建物の建材も、その多くがプラスチックに置き換わっていますし、家具、家財においては、ほぼプラスチックです。

今回、プラスチックの環境負荷に大きな注目が集まっていることを背景に、きちんと情報の整理をしておきたいなという所から、今回の話に至りました。

したがって、プラスチックが善か悪かという話ではありません。
そもそも、プラスチックが環境負荷を上げているのか、下げているのかを断言するのは不可能です。

これだけ多様な利用がなされているプラスチックの環境負荷との相関を、正確に示すことは事実上無理です。
断言している人けっこういますけどね。

例えば、プラスチック容器がなければ、廃棄されるプラスチックの量が減り、ゴミが激減するだろうという見方もあれば、その逆に、プラスチック容器がないことで、廃棄される食品が増加してしまって、結果、ゴミを増やし、環境負荷を高めてしまうという見方もあります。

すでに、私たちの暮らしは、1世紀前とは全く違う訳ですから、1世紀前に素材技術を戻したときに、昔と同じ結果を生むと考える方が非論理的です。

人口だけ見ても、世界人口は1世紀前に比べ4倍になっていますし、1人当たりのエネルギー消費量も、半世紀で約3倍にもなっています。

新素材というのは、大抵、非効率を改善します。
重たく強度の低い素材から、軽くて強度の高い素材になるだけで、大きくエネルギー効率を上げることが出来ますから。

ここだけ見れば、エネルギー消費における環境負荷を大きく下げることができているのは、プラスチックがあるからだという事も可能です。

今、私たちに求められているのは、チューニングです。
どこに、どの程度プラスチックの利用を増やすのか、減らすのか。

それとは切り離して、環境汚染などの環境負荷を考える必要があります。
エネルギー問題と、環境汚染を一緒に議論することは適当ではありません。

要するに、チューニングとは、そういうことを言います。
同時にいくつもの方向からいくつもの施策を実施しても、何がよくて何が悪かったのかを測り知ることなんてできません。

問題が広範囲にわたっていることは誰でも分かっています。
日常の問題解決においても、同じことが言えますが、問題を分解して、1対1の関係で、その効果や結果を把握しなければ、なにも解決できないのと同じです。

私は、感覚的にレジ袋の有料化は、嫌だと思っています。
嫌な理由は明確ですが、面倒だからです。

基本的に、人が環境負荷を感じることはありませんね。
身近なものに対して、もったいないと感じることが出来る程度です。

とはいえ、私でも社会の一員として、環境負荷に配慮するという事は出来ます。
この場合、レジ袋の有料化は嫌なのだけど、有料化をすべきだとか、すべきでないという主張は、今の私には出来ません。

なぜなら、判断する材料が圧倒的に不足しているからです。
したがって、政府が決定したレジ袋有料化に対して、構造的な問題や矛盾について、主張することは出来ますが、有料化をすべきか否かを断定的に主張することはないでしょう。

私自身は、平均的に見て、科学的なことや構造的な分野に長けている方だと思います。
それでも、その判断をするのは極めて難しいと言わざるを得ません。

それほどに、環境負荷に興味がなく、情報を持っていませんし、経済や、社会情勢を含めると、複雑すぎる問題だと思います。

環境リテラシーというのは、そもそも持っていなければならないものではなくて、環境をどの程度認識しているかという事です。

環境に配慮する主張が出来るから、環境リテラシーがある訳ではありません。
ゴミを沢山出さないとか、分別を行うとか言うのは、あくまで、社会の一員としての規律の問題です。

したがって、少なくとも環境リテラシーに基づいて主張するのであれば、環境を適切に理解し、解釈、分析し、改めて自分で記述し初めて可能になります。

目の前の現象とか使命感、正義感によって、どうしてもポジショントークになってしまいがちですし、そうなると、適正な解釈や分析は期待できなくなります。

おそらくですが、こういった環境リテラシーそのものへの解釈がきちんと行われないことで、滑稽な法律やルールが山ほど作られ、環境を思うがゆえに、環境負荷を高めてしまっている事もあるかもしれません。

私たちが目指すのは、環境汚染の排除と、資源の持続的な利用ですよね。
今まさに、環境負荷に興味は湧きませんが、根拠となる環境リテラシーを欠いた主張が、環境問題に対して、ミスリードしている可能性があるなら、それは、私にとって大いに興味のある問題です。

これを機に、出来るだけ環境に対するリテラシーを高めて、起こりがちな環境問題に対するミスリードを是正していきたいと思います。

そもそも、プラスチックについて、私たちはほとんど中身を知りません。
ということで、まずプラスチックとは何かからお話しようと思います。

プラスチックとは、可塑性物質のことを表す言葉で、学術的に、合成樹脂と呼ばれるものを私たちはプラスチックと呼んでいます。

樹脂とは、樹液などの植物性の油のことをいいます。
このような可塑性のある物質を人工的に合成したものを、合成樹脂といいます。
可塑性とは、個体なんだけど、変形可能な性質のことです。
液体なのだけど、強い粘性を持っているものですね。

分り難いので、可塑性物質の例を挙げると、プラスチック以外にも、水飴、アスファルト、ゴム、ガラス等があります。

こういう物質を非晶質(アモルファス)といいます。
アモルファス合金とかありますよね?メガネのフレームとか。
めちゃくちゃ弾性があって、変形しにくいメガネ在りますよね。

この非晶質というのは、その名の通り、結晶構造でない固体を指します。
水を例にすると、液体の水の温度を下げると、氷という個体になります。

水の分子は、温度が下がると分子同士が規則正しく並びます。(結晶化)
これと同時に、分子の運動自体が止まって、形状を維持します。

ところが、物質によっては、結晶化に時間がかかるものもあります。
この結晶化に時間がかかる物質が、非晶質に変化しやすい物質になります。

物質は、結晶になる前に、分子の運動が止まってしまうと、規則正しい構造でなくて、バラバラの液体と同じような状態で個体になります。
これが非晶質(アモルファス)です。

したがって、非晶質は、液体として扱われる場合もあります。

ガラスは、凄く固い固体に見えますが、実は、究極に粘性の高い液体なんですね。
なので、熱を加えると、飴の様にドロドロになります。
ガラスは、水飴を冷やしてカチコチにした状態と同じなんです。

熱によって溶かして、型に入れて成形できるこれらの非晶質は、めちゃくちゃ便利です。
だから、様々なものに利用される訳ですね。

中でも、合成樹脂は、利用シーンに合わせて、ちょうどいい温度で溶けて固まったり、透明度が高かったり、衝撃に強かったり、腐食に強かったりというような、都合の良い様々な特性を、炭素と水素の合成によって人工的に作り出せますから、1世紀前にはなかったような、便利で使える新素材となる合成樹脂が様々作られました。

こういった合成樹脂は、ポリマーと呼ばれるもので、高分子有機化合物になります。

私たちの体も、これらポリマーで出来ています。
とにかく、沢山の分子が繰り返し結合していて、大きな分子になったものです。
しかも、合成樹脂のほとんどは、石油から生成されますから、その高分子に使われる元素は、基本的に炭素と水素のみです。

まとめると、プラスチック(合成樹脂)は、水素と炭素の高分子が、液体の状態で固まった非晶質で、その高分子「ポリマー」の組み合わせは大量に存在するので、様々な特徴を持ったものが存在するということです。

ガラスという言葉は、ケイ酸塩からなるガラスのことを指しますが、非晶質、すなわちガラスという状態を指す場合もあります。

したがって、ペットボトルもガラスと呼ぶことが出来ます。

高分子というのは、分子が大きすぎて結晶化しにくい為、こういった非晶質になりやすいんでしょうね。

プラスチックのほとんどは、石油や天然ガスから作られます。

石油からエタン、天然ガスからプロパン、エタンからエチレン、プロパンからプロピレンを作ります。

これは、分子をより小さくする工程になります。
プラスチックを作る為の部品を生成する訳です。

この部品「ちいさな分子」を結合して樹脂を作ります。

最小単位の、エチレンからポリエチレンという樹脂にプロピレンかポリプロピレンという樹脂に作り変えます。
こうして作られた素材をペレットという形にします。

後は、このペレットを温めて、柔らかくして成型すれば、製品になる訳です。

基本的には、こういった合成樹脂「プラスチック」は、水素と炭素のみで構成された分子になりますが、これ以外にも、製品化の過程で様々な添加材が含まれます。

石油は、生物の死骸から出来ています。
こから抽出した水素と酸素の化合物を原料にして、樹脂を化合しているので、合成樹脂は、生物由来ということにはなります。

こう言うと、二酸化炭素も、生物が二次的に生産したものがほとんどでしょうから、一度低分子に分解したものを再構成した場合、生物由来という言い方自体は、あまり意味を持たないかもしれません。

ただ、水素と炭素の化合物である有機物という点においては、生物の構成物であるタンパク質に近いとも言えます。

原料である石油についても、少し触れておきます。

石油は、様々な種類の油分で出来ています。
色んな油の成分がごちゃ混ぜになっている訳ですが、それらを、沸点を利用して分離していき、沸点の低い順に、石油ガス、ガソリン、ナフサ、ジェット燃料、灯油、軽油、重油、アスファルトという風に分離されます。(本当はもっと細かい)

沸点によって分けられる「蒸留分離」ため、この順は、気化しやすい、要するに、感覚的には燃えやすい順になります。

プラスチックは、ナフサからそのほとんどが作られるそうです。
ナフサは、ガソリンとほぼ同じ沸点範囲を持ち、合成樹脂だけでなく、工業ガソリンの原料としても利用されるほか、都市ガスとか肥料としても利用されます。

ちなみに、ナフサから、エチレンを20%ほど取り出すこと出来るそうです。

ナフサから、ほとんどの石油化学基礎製品が作られています。
エチレン、プロピレン、ブタジエン、ベンゼン、トルエン、キシレン、このような、高分子ポリマーの部品となる製品が作られます。

例えば、エチレンは、C2H4という、簡単な構造を持つ分子です。
このような分子を鎖状に連結することで、様々なタイプの合成樹脂が作られます。

世界のプラスティック総生産量は、環境省の提供するデータによると、83億トン「1950年以降」になるそうです。

このうち、半分は、13年程度で生産されているとのこと。
プラスチックの使用用途の中で最も多いのは、包装用のプラスチックです。
プラスチック生産量全体の42%を占めています。
したがって、生産されたプラスチックの大部分63億トンは、廃棄物になります。

そのうち、9%がリサイクル、12%が焼却、それ以外の79%は、埋め立て処分もしくは、海洋投棄されています。

ちなみに、プラスチックは、毎年5%増という感じで生産は増加しています。

現在、日本で生産されるプラスチックは、1,000万トンほどだそうです。
世界全体では、約4億トンなので、2.5%のプラスチックを日本が生産していることになります。

そのうち、1割ほどは、製造工程でロスがおこるので、実質900万トンが、日本で出回っているプラスチックになるかと思います。

世界で見ると、9%がリサイクルとされていますが、日本は、事実上そのうちの80%をリサイクルしています。

とはいえ、冒頭もお話したように、この80%がリサイクルというのは、ひとつの切り口、関係を表す言葉に過ぎません。

確かに8割をリサイクルしていることは、まぎれもない事実です。
しかし、よくこの内容を見てみると、印象は随分変わってきます。

リサイクルという言葉は、「再生利用」「資源再生」「再資源化」「再生資源化」という意味ですが、リサイクルというと、綺麗に洗浄して再度利用するような、リターナブルペットボトルとか、リターナブル瓶なんかを想像してしまいますが、実際のリサイクルは、15%が海外へ輸出され、57%が熱回収という形で、燃料としてリサイクルされ、3%が樹脂として再利用されます。

そのほかの15%ほどは、単純焼却か、埋め立てに回るようです。

海外へ資源として輸出については、その先、どのような処理が行われているのかは不明だし、廃棄されたプラスチックのほとんどは、燃やして燃料として使われていることになります。

このような熱などへのエネルギー回収は、サーマルリサイクルといいます。
私たちは、日々大量の電力や燃料を使用しますから、サーマルリサイクルによる熱への変換時に、大量のロスがあったとしても、私たちが使う燃料や電力の補填を行うことが可能だという点においては、現段階で、効率のいいリサイクルだと言えると思います。

しかし、よく考えると、燃料として使うのに、プラゴミをきれいに洗って、分別する必要があるのかと思いますよね?

少なくとも、リサイクルにはコストがかかります。
単価の高い金属のリサイクルと違って、合成樹脂のリサイクルは、大変困難です。

不純物を取り除くのに多くの人手が必要であるし、別回収し、破砕するとなると、それも多くの燃料を必要とするでしょう。

当然、石油から生成する以上にコストがかかります。
もしかすると、リサイクルによる石油消費が増えているかもしれません。

ペットボトルにおいては、その8割以上が、別のプラスチック製品として再利用されている現状がありますが、プラスチック製品における、ペットボトルの占める割合は、0.6%ほどです。

それ以外のプラスチック製品は、結果的に燃やされているのだから、分別して、燃焼効率を上げるということに、どれほど価値があるのか検証したいところです。

中には、わざわざプラゴミを固めた固形燃料を作って、燃えるゴミに混ぜているという自治体もあるとのことですからね。

さらに言えば、資源ごみとして輸出していたもののほとんどは、近年輸出できなくなりました。

結果、プラゴミのうち、90%以上が燃やされることになるという事になります。

エネルギー資源の観点から見ると、現状では、ゴミの分別や、リサイクルによってエネルギー資源をより多く消費しているということは、ほぼ間違っていないと思いますし、分別や洗浄を、個人個人が行うという労働力の損失、洗浄に使う水資源の損失なども含めると、おおよそ無駄を増やしていると言わざるを得ません。

無駄とは何だという話になりますが、先ほども言った通り、現状ではより多くのエネルギー資源を使う結果になっていますが、こういったリサイクルトライを行う過程で、様々なことが分かってきたでしょうし、これからの効率化に必要なデータが蓄積されていくという事にもなります。

無駄とは、そういうものだと思います。
こういった規律からは、一定の無駄というのは必ず発生しますが、逆に、規律がなければ、なにも計画的に進むことはありませんし、問題解決そのものも不可能になってしまいます。

私は、こういったことから生まれる不可解なリサイクル方法に文句を付けるつもりはありません。

沢山のアイディアや手法を生み出し実施することはとても素晴らしい事だと思います。
ただ、環境リテラシーが無い中で、それを行ったり、方向性を著しく阻害するようなミスリードに問題意識があります。

例えば、学校教育などで環境問題を扱うときなどは、汚染の問題だけがクローズアップされがちです。
少なくとも私たちはそうでした。

ここまでは、エネルギー資源をどう扱うかという視点で話しましたが、ここから、環境負荷、環境汚染の視点で進めてみたいと思います。

結論からいうと、環境汚染について行う言論や行動は、ファッションです。

なんてこと言うんだと、怒り出す人も居るかもしれませんが、これは、間違っていないと思います。

以前、掃除機のダイソンを特集したときにもお話しましたが、掃除、すなわち、環境の保全や整理は、ファッションの一部です。

人間、一人だと、現代の様な過度な清掃など行ったりしません。
これらは、信用を得るために行っている行為のひとつとも言えます。

人は、人を見て何かを判断するときに、その人の行動や言動、そして、身に着けているもので判断を行います。

したがって、行動や言動、身に着けるものや使うものに配慮するようになります。
これはとても重要な概念です。

これがなければ、人とのコミュニケーションに莫大なコストがかかってしまいますから。

自分にとって全然身近でない「環境問題」に興味をそそられるのは、そのためです。
というか、まずそこを理解して割り切る必要があると思う訳です。

冒頭で話した通り、もし、世界の自然環境に対しての興味が、人間として自動的に備わっていなければならない素養なのだとしたら、世界の環境が心配で夜も眠れないことになります。

とまあ、感心がない事が人間として普通であるし、自分のアイデンティティとして、ファッションとして、表現として、環境問題に取り組むことが出来るという事でもない限り、だれも環境問題について言及することは無いでしょう。

環境リテラシーとは、識字率と同義語であって、環境問題に感情が高ぶらないことを非難してはいけません。
最初から高ぶらないんだから。

識字率、すなわち、どれだけ構造的な理解がなされているかが重要です。
環境に対して、自分がどう行動するのかを、合理的に決められるというのが、環境リテラシーの高さが持つ効果や価値ではないでしょうか。

話を戻します。
まず、プラスチックの何が環境負荷を増大させているのかという主張を見てみましょう。

プラスチックは、水や薬品に強いため、化学変化しにくい事が特徴です。
これは、頑丈で長持ちしてコンパクトな製品を製造するために作られたプラスチックの良い側面です。

反面、形状における劣化が起こらないので、長い間、分解されずに残り続けるため、海洋汚染につながっていて、多くの海洋生物が、プラスチックの破片を接種し、死んでいるという事もあるそうです。

次に、科学的な汚染についても多くの意見があります。
プラスチックには、様々な添加材が含まれていて、プラスチックの強度や劣化を防いでいます。

この添加材が、一部環境ホルモンや毒素として、生態系のみならず、生物濃縮によって、最終的には、人への影響があると警告するものです。
マイクロプラスチック問題もこれに含まれます。

あと、化石燃料で作られるプラスチックは、結果的に焼却され、二酸化炭素、すなわち温室効果ガスを増やしていき、環境負荷を増大させてしまうというものです。

先ほども申し上げた通り、プラスチックは、基本的に炭素と水素だけで出来ています。(酸素はのぞく)
実際は、生物、特に微生物が必要とする、むしろ欲しがる元素です。
生物の基本的な、構成物質でありエネルギー源です。

したがって、プラスチックも、土に還ります。
微生物が最終的に元素まで分解していくことになります。

ただし、とても時間がかかるということです。
これは、人工的に作られた高分子ポリマーのうち、腐食しにくいものを選択的に選んで使っているから当然です。

腐食しにくいという事は、プラスチックを分解する酵素を持った微生物が少ないことを意味します。
結論からいうと、プラスチックを分解する酵素を作れる微生物が沢山居れば、他の有機物同様、どんどん腐って土に還ります。
プラスチックのような合成樹脂は、自然界に存在しなかったので、それを食べる微生物が少ないだけなんです。

おそらくですが、海洋に流れ出たプラスチックゴミは、そういった一部の微生物の食料になります。
そうすると、プラスチックを分解可能な微生物が優位になって、増えていくことになるでしょうね。

とはいえ、現在そういった微生物はほとんど居ないので、腐食に時間がかかります。
ビニール袋やペットボトルのような、軽くて強い構造物が海洋を浮遊すると、一部、窒息したりお腹を壊したりしてしまう生物がいるかもしれません。

ただ、これについては、そういった事実があったとしても、「どちらが良いか」という議論は避けた方がいいでしょうね。
こういったプラスチックを利用して生きている生物もいるでしょうから。

これは、優先順位の問題です。
これだけ増えた人類が、自然環境に少しの影響しか与えないまま存在するのは不可能です。

少なくとも、日本では、海洋投棄は禁じられていますし、不法投棄もほとんど行われていません。
ポイ捨てがあることは、事実ですが、圧倒的に少数です。

私たちの住む社会のスケールというのは、想像しているものより遥かに大きいという事を理解しにくいので、一部を見ることで感情的になってしまいがちです。

海洋投棄が行われている外国に圧力をかけるか、技術、ノウハウの提供を積極的に行う方が、全体としての海洋汚染は減らせるはずです。

したがって、どの問題を優先して片付けなければならないのかを考えるべきです。
明確な海洋汚染とそれによる被害が大きくないうちに、プラスチックの生産や、消費に対して規制を設けてしまうと、結果として環境負荷を高めることになってしまうでしょうね。

確かに、民間企業が起こす技術革新は凄まじいものがあります。
中には、規制を設けることで、それを解決する新たな価値を生み出していきます。

反面、プラスチックの生産や消費に規制を掛けた結果、別の新しい素材を開発し、新たな問題を引き起こしてしまうことにもなります。
これは、新しい素材のリサイクル方法をまた一から確立しなければならないなど、負荷を上げてしまう結果も同時に起こしてしまう事にもなります。

次に、プラスチックに含まれる添加材についてですが、プラスチック自体が環境汚染につながるというイメージは、この添加材が原因ではないでしょうか。

プラスチック自体は、水素と炭素の高分子なので、どこをどう切り取っても毒性があると主張するのは難しいと思います。

例えば、ポリプロピレンは、酸化しやすいので、酸化防止剤と紫外線吸収剤が使用されています。

それが、劣化や熱、紫外線などによって外に漏れだすという事が問題視されているようです。

プラスチックの海洋投棄に問題があるので、そこを最優先に解決すべきなのは間違いありませんが、私たちが日常使っているプラスチックによる健康被害は、認知できるほど大きくありません。
実感出来る人がいるかもしれませんが、確認のしようもありません。

その可能性がもし100年後とかの話であれば、後回しですね。
是非、海洋投棄阻止に全力を傾けたほうがいいでしょう。

様々な環境負荷対策

環境負荷対策といっても、消極的なものと、積極的なものがあります。
私は、人間である以上、積極的な解決をすべきだと思います。

端的に言うと、みんなで意識を高めて、少しづつ出来ることをやりましょう。
とかいうスローガンには、まったく興味がありません。

これには、環境負荷を計画的に下げる効果は期待できませんし、意識を高めると言っても、非論理的で道徳的なアプローチになってしまいます。
そのほうが、簡単だからね。

そうして、意識だけ高くて、リテラシーは無いというアンバランスを産んでしまいます。
なんだったら、意識が高ければ、リテラシーが高いと勘違いしている人も居ます。

また、単に消費を抑えるだとか、環境意識の高まりや圧力に押されて出来た、取り繕うような施策というのは、沢山存在します。
レジ袋有料化や分別回収もその一つだと思います。

通常、無駄を減らすという行為だけでも大変ですよね?
自分だけならまだしも、人類全体、都市全体として無駄を減らすって難しいんです。
その無駄そのものが、消費であることに変わりはない訳ですから、無駄を減らすと、消費を減らすは、おおよそ同じ意味になってしまいます。

レジ袋有料化においても、そもそもレジ袋が無駄なのかどうかも分かりませんが、その消費を激減させれば、経済的には落ち込むことになりますね。

消費を拡大させないのだと、私たちが決めたのならいいですよ?
でも、皆、消費拡大を願っていますよね。
景気が上がるとは、消費が拡大することを意味するという理解もしていますよね?

この経済システムの上にあって、消費を減らす、無駄をなくすという議論は無意味です。
トヨタが利益の為に無駄を排除するのとは意味合いが違います。

もし、企業の立場からの無駄と同義語なら、世界的な環境負荷は押さえられません。

こういった、消極的な施策は、いつまでたっても成果が見えませんし、結果、その施策に私たちが順応しているに過ぎません。

本当に環境負荷をさげているのか、私たちの生活を改善しているのか、だれも検証すら出来ませんね。

では、私の考える積極的なアプローチとは何かという話をしたいと思います。

私は、いわゆる、限りある資源というのは、存在しないと思っています。
在りますか?そんなもの。

資源というのは、必ず循環します。
一部、宇宙に飛び出てしまうものを除けば、地球上から、その資源が無くなってしまう事はあり得ません。

限りなんて最初っから無いんです。
あるとすれば、太陽資源でしょうか。
50億年後には、燃え尽きてしまう限りある資源です。

今、すべてが再利用可能かどうかは別として、限りある資源という発想は、原始人の発想です。

人類は、完全に循環可能な世界を作る技術をすでに持っています。
実施するかしないかの問題です。(宇宙に出ようとするくらいですから)

宇宙人が来て、50年後に完全な循環が可能な経済システムを作らないとぶっ飛ばすよ、とか言われれば、

間違いなく、人類は、完全に循環可能なシステムを作り上げるでしょうね。

世の中には、すでに色々なアイディアが存在します。
生物由来なら、燃やしてもいいという発想から、コカ・コーラは、生物由来のペットボトルに切り替えていくそうです。

プラスチックを石油に変える技術とか、プラスチック分解能力の高い微生物をゲノム編集で作りだし、プラスチックを再構成するとか。

石油に変えて、燃やしてしまってもいいんです。

あと、生分解性プラスチックなんかもありますが、燃やすのと変わりありませんから、あまり興味が湧きません。

え、そもそも焼却してるのに、生物に分解させるためにわざわざ埋めるの?
とか、様々な矛盾も感じます。
したがって、「回収し焼却すればいいよね」と思ってしまいます。

最も積極的なのは、プランテーションでしょうか。
生物の力を借りて、リサイクルする仕組みです。

木を植えて、それを燃やす的な。
これは、とても分かりやすく単純な仕組みではあるんですが、石油と比較すると、現状では、圧倒的にコストが高くつくことになり、結果、現在では石油を更に消費することになってしまいます。

とはいえ、石油を使わず、太陽エネルギーを回収したり、その他の資源を、人工的に再構築することこそが、完全循環を可能にする方法だと思います。

どちらにせよ、どの方法を選んでも、最終的には、太陽光がエネルギー源です。

何が言いたいかというと、石油からでなくともプラスチックは製造可能であるし、汚染を度外視すれば、捨ててしまっても、結果的に循環します。

自然にこれだけ負荷をかけているのだから、私たちも負荷を背負っていくべきだということでは、先が見えています。

私たちの時間と労力を、負荷を背負うことに使うんではなくて、もっと積極的な環境コントロールに回すべきです。

再生可能エネルギーを前提にすれば、プラスチックゴミのリサイクルについては、ある一定の結論は出ています。

廃棄を完全に管理して、プラスチックゴミを確実に焼却する。
これ一択です。

プラスチックの消費量について、あれこれ議論しても意味はありません。
また、海洋汚染などの環境問題は、それとは別に解決すべき事です。

プラスチックは、工業製品に革命的な変化をもたらしました。
技術の進歩は、素材の進歩といっていいでしょう。

プラスチックの使用は、現時点で、軽いものを実現し、輸送にかかる環境負荷を下げ、カーボンファイバーのように、輸送機そのものを軽量化し燃費を抑え、私がかけているメガネのように、安価に私の生活を守ってくれます。

また、モノの強度を上げることで、耐久性のある製品を作り、資源の節約にも大変な貢献をしていることは間違いないでしょう。

今回の調査した結果

環境負荷を考えるのは実に難易度が高い。
例えば、プラスチック製の袋に包んだきゅうりは14日以上長持ちするので、食品ロス削減につながるとかね。

どちらが、有利かを判断するのは困難です。

リサイクルにおいても、現状では、その多くが、リサイクル行為によって、より多くの化石燃料を必要とし、環境負荷を上げてしまいますから、果たして、環境負荷をベースに施策が行われているのかという疑問があります。

エネルギー問題と、環境汚染をごっちゃにする、もしくは、ファッション化することで、本来なら必要でない事を強制してしまったり、結果的に環境負荷を上げてしまうことがあります。

海洋と空気中のマイクロプラスチックなどに、極度な不信感を抱かせる事も問題です。
マイクロプラスチックの数と魚類の数をくらべて意味があるでしょうか?

資料を見て検討するときは、そのスケールまで、しっかり見ないといけません。
乳酸菌何億個などと同じです。

海洋汚染を防ぐのが目的なら、本来、回収負荷を上げるべきではないです。
一律回収、全焼却にすれば、回収負荷が下がり、海洋汚染は激減するはずです。

分別し、回収負荷を上げ、海外へ輸出することになれば、結果、海外で海洋投棄され、海洋汚染が拡大します。

本来、焼却するのが、もっとも自然なリサイクル。
これを否定することはできません。
微生物が分解しようが、焼却しようが、結果は同じだからね。

廃棄を完全に管理して、プラスチックゴミを確実に焼却する。
これ一択です。

生分解性プラスチックは、的を外しているという事。
もちろん、使う用途がないという意味ではなく、プラスチックゴミ問題には寄与しないという事です。

今存在する石油を利用しようがしまいが、汚染につながらなければ困りません。
したがって、廃棄についてのみ厳重に管理する。焼却する。が重要です。

技術革新が必要なのは、再生可能エネルギーです。
そのほとんどは、太陽光由来なので、基本的に蓄電可能であれば、そのほとんどは解決する事になります。

基本的に、資源が無くなることは無く、現在において、安価な資源に限りがあるだけでです。

結果、プラスチックは、好きなだけ生産し消費して何も問題にはならないし、最終的に、化石燃料を使わないでエネルギーを生み出せるようになれば、完全なリサイクルは可能であるという事になります。

世界の電力網を連結すれば、蓄電の必要がなくなるというアイディアもありますが、蓄電や発電の技術向上の方が先を行くと思われます。

今、投資すべきは、エネルギー効率の向上。
AIによる電力網の効率化とか、交通網の効率化などですね。

太陽光発電については、蓄電池の整備さえ可能になれば、スマートグリッドで、おおよそ必要な電力は賄えてしまうでしょう。

これは、決して楽観的な話ではありません。
私は、よく楽観的だと言われますが、楽観的とは何ですか?

もしかすると、客観的情報に基づいて、善悪両方の視点でモノを言うと、楽観的だと感じるのかもしれません。

でも、どうですか、多角的に検証検討しないで、主張することこそが、楽観的ではありませんか?

私たちは、適正な尺度で判断できていないかもしれないと常に考えておく必要が在るかもしれませんね。
印象ではなく、定量的な比較があって、主張するようにしたいものです。

これまで、問題解決に興味を持って、文明を作ってきたのはエンジニアです。
確かに、地球環境のグランドデザインも大変重要です。

しかし、モノを理解し、解決に導くエンジニアが、最終的に頼りになると私は信じています。

エンジニアの皆さん、やりましょう。

読んで下さってありがとうございます。