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「誰が卵でとじろとまで言った」

カツ丼をかなり久々に食べた。

そういえばカツ丼をカツ丼たらしめる要素とは何だろうみたいなことを考えたことがある。
カツ丼といえばトンカツを卵でとじ、丼ぶりによそったご飯に乗せた上で提供されるのが当たり前だし、そこに何の疑問も生じる余地もない。

だがカツ丼は卵でとじられる前、つまりトンカツの状態であれば揚げたてのサクッとした食感であればあるほど好まれるのだ。しかしこれが「カツ丼」として提供された途端に我々は手のひらを返したかのようにやれひたひたになったものが美味しいだの汁だくが最高だのと言って卵でサクサクのトンカツをとじ、ふわふわとろとろのカツ丼に仕立て上げ、トンカツのあるべき姿としてのアイデンティティを奪ってしまう。

そもそも「カツ丼」という三文字だけを見ても、これから卵とじが行われることを想起させる文字はどこにも含まれていない。もしもトンカツは知っているがカツ丼を知らない人が丸亀製麺に行き、「ご飯とトンカツがまとめて食べられるのか」と考えカツ丼を注文したなら、目の前でお玉のような器具によってトンカツが卵でとじられる様子を見て「誰がそこまでしろと言った」と思うだろう。カツ丼を食べにきたミュウツーだ。

しかし、全てのカツ丼が卵でとじられている訳ではない。福井などで食べられるソースカツ丼はソースのかかったトンカツをそのままご飯の上に乗せた状態で提供される。

そう、カツ丼という文字の羅列から想起させられるのは本来ならばソースカツ丼であるべきなのだ。読んで字の如くカツの丼。そこに小細工は一切ない。なのに彼は「ソース」であると名乗ることで、あたかも自分が派生であるかのような態度をとっている。もっと胸を張れ、ロースだけど。それゆえに「カツ」と「丼」という二つだけの情報を与えておきながら何の前触れもなく卵でとじて、トンカツをびしょびしょにしている一般的なカツ丼こそ特異な存在であることを、みんな忘れてしまっているのではないかとよく思う。

ここで思ったのが、カツ丼とソースカツ丼はどちらが先に誕生したのだろうということだ。
だがどう考えたってソースカツ丼が先なはずだ。

実際①トンカツが生まれる→②ご飯の上に乗せると美味しいのでは?というアイデアが生まれる→③カツ丼誕生、という流れの②〜③の中で誰が卵でトンカツをとじられようか。

時は江戸…

「殿、トンカツが揚がりました」
「よし、タレをかけ白飯の上に乗せい」

「アアアーーーーーーーーーー!!!!!!!!」と何処からともなく突然の絶叫。
殿が何事だ、と振り向く間もなく彼の持った丼ぶりめがけて飛び込んできたのは不運にも足を滑らせた奉公人だった。
不運は立て続けに起こるもの、奉公人は朝、鶏小屋から持ってきた卵を運んでいた。

すぐさま奉公人は殿の部下の武士に取り押さえられ、床に組み伏せられる。奉公人の懇願を遮るように、武士は「すぐに処罰を与えます」と殿に伝える。

しかし殿は「待て」と部下に合図を送り、丼の中をじっと見つめていた。なんと転んだ衝撃で割れた卵が溶き卵となり、揚げたての熱々のトンカツに熱され、ふわっとトンカツ全体を包み込んでいたのだ。
部下の制止を遮り、殿は卵のかかったカツ丼を頬張る。瞬間、殿の脳内に暖かい記憶が蘇る。

かつてまだ自分が貧しい農民の生まれだった頃、親がたまの贅沢に卵でとじられた雑炊を作ってくれた。農民にとって卵は高価だったため、家族全員分の米や雑穀をたった一つの卵でとじたものだったが、たまにこれが食べられるのがかつての殿にはたまらなく嬉しかった。
その後、彼は武士へと成り上がるためにどんな小さな機会も貪欲に掴み、時には非情な振る舞いも行った。すべて仕方なかったのだ。

かつての思い出など忘れていた。いや、記憶に蓋をしていたのかもしれない。天下を統べる者が過去のささやかな記憶になんて縋っていられない。しかしなぜであろうか、偶然に偶然が積み重なり、殿は卵でとじられたカツ丼を食べながら、かつての自分の思い出を追憶していた。貧しく狭いながらも楽しく暖かい我が家、何気ない日常。殿の目から涙が溢れた。
天下を獲った暁には卵でとじたカツ丼を国中に広めよう、殿はそう心に決め、奉公人の手を取った。

概ねこんな感じだろうか、卵とじカツ丼が主流となるまでの経緯は。
つまりカツ丼とはソースカツ丼の続編、あるいはスピンオフのような存在でありながら、何かのきっかけで本家より認知度を得た結果、そっちの方がメジャーとして扱われている存在なのではないだろうか。
実際こういった存在にはマツケンサンバⅡや、ぷよぷよ(魔導物語のスピンオフ)、かいけつゾロリ(ほうれんそうマンのスピンオフ)などがある。

ちなみにここまで一切カツ丼に関する参考資料などを見ずに書いている。カツ丼に関する全てを理解したところで何か得られる訳でもないのなら、自分の中で永遠に謎として残しておく方が、いくらでも考察を並べられるからだ。

元のトンカツという素材の長所を無視した調理工程でありながら、カツ丼となることで全く新しい強みを手に入れている、こういった他の揚げ物にはできない芸当をやってのけている唯一無二さこそがカツ丼をカツ丼たらしめる要素ではないのだろうか。謎は残る、残しておく、実に興味深い。


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